虎ノ門
虎ノ門 | |
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— 町丁 — | |
大倉集古館 | |
虎ノ門 虎ノ門の位置 | |
座標: 北緯35度40分0.69秒 東経139度44分51.0秒 / 北緯35.6668583度 東経139.747500度 / 35.6668583; 139.747500 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京都 |
特別区 | 港区 |
地区 | 芝地区 |
面積[1] | |
- 計 | 0.51km2 (0.2mi2) |
人口 (2017年(平成29年)12月1日現在)[2] | |
- 計 | 3,300人 |
等時帯 | 日本標準時 (UTC+9) |
郵便番号 | 105-0001[3] |
市外局番 | 03[4] |
ナンバープレート | 品川 |
※座標は虎の門三丁目交差点付近[5] |
虎ノ門(とらのもん)は、東京都港区にある町名。現行行政地名は虎ノ門一丁目から虎ノ門五丁目。芝地区総合支所管内に属する区域の一つ。郵便番号は105-0001(芝局集配区)[3]。
目次
1 地理
2 歴史
2.1 沿革
2.2 町名の変遷
3 世帯数と人口
4 小・中学校の学区
5 施設・史跡
5.1 虎ノ門一丁目
5.2 虎ノ門二丁目
5.3 虎ノ門三丁目
5.4 虎ノ門四丁目
5.5 虎ノ門五丁目
6 交通
6.1 鉄道
6.2 道路
7 その他
8 脚注
9 参考図書
10 関連項目
11 外部リンク
地理
港区の北部、芝地域(旧芝区)の北端部に位置する。
「虎ノ門」とは江戸城の南端(現在の虎ノ門交差点附近)にあった門の名前であり、明治6年(1874年)に門が撤去された後もその近隣地域の俗称として使われ続け、交差点名や都電・地下鉄銀座線の駅名となった。虎ノ門の名が地名に初めて採用されたのは昭和24年(1949年)になってからである。
現在の虎ノ門は、昭和52年(1977年)の住居表示実施により芝西久保地区・芝神谷町などを中心に新しく成立した町である。町名を決定する際に、港区は西久保や神谷町とせず、戦前から交差点名・地下鉄の駅名として知られていた虎ノ門の名を採用した。
歴史
沿革
江戸時代、現在の虎ノ門の一帯は、ちょうど麻布の台地と愛宕山に挟まれた低地であることから、西久保と呼ばれていた。西久保地区の大部分は武家地・寺社地であった。
寛文2年(1662年)、西久保城山町の住民が武蔵野に移住し、当地に新しく西久保村(西窪村・現在の東京都武蔵野市西久保)を開拓する。
元禄9年(1696年)、組屋敷があった場所に新しく神谷町が成立する。また元禄期までに、西久保地区に西久保車坂町・西久保新下谷町・西久保同朋町などの町が成立し、町奉行支配となる。
明治元年(1868年)、東京府成立にともない、西久保地区は東京府の所属となる。- 明治2年(1869年)、西久保地区に町域変更が実施され、西久保車坂町・西久保新下谷町・西久保天徳寺門前が合併して西久保巴町が、西久保同朋町・芝富山町・芝北新門前町などが合併して西久保広町がそれぞれ成立した。また、寺社地であったところに西久保八幡町が、武家地であったところに西久保明舟町が成立した。
- 明治3年(1870年)、虎ノ門内側の幕府の御用屋敷があった敷地が今入町(後の芝虎ノ門町)となる。
- 明治5年(1873年)、武家地であったところに琴平町・西久保桜川町・西久保城山町などが成立する。
- 明治6年(1874年)、虎ノ門が撤去される。
- 明治11年(1878年)、芝区成立にともない、西久保地区は東京府芝区の所属となる。
- 明治22年(1889年)5月1日、東京市成立にともない、西久保地区は東京市芝区所属となる。
大正12年(1923年)12月27日、虎ノ門交差点附近において虎ノ門事件が発生する。
昭和13年(1938年)11月18日、地下鉄虎ノ門駅が開業する。- 昭和22年(1947年)、芝区が赤坂区・麻布区と合併して新たに港区が成立。それにともない西久保地区の町名に「芝」の冠称がつく。
- 昭和24年(1949年)、芝今入町が芝虎ノ門に改称する(現在の虎ノ門一丁目1番地)。町名に「虎ノ門」が採用されたのはこのときが初めてである。
- 昭和39年(1964年)3月25日、芝神谷町に地下鉄神谷町駅が開業する。
- 昭和52年(1977年)9月1日、住居表示実施。西久保地区の大部分に近隣の芝神谷町・芝虎ノ門・赤坂葵町などをあわせて現在の虎ノ門が成立する。
- 昭和60年(1985年)12月12日から平成28年(2016年)11月6日まで、テレビ東京が虎ノ門・神谷町を旧本社に放送いたしました。
森ビルは虎ノ門五丁目と隣接する麻布台一丁目の大規模再開発を念頭に置いた用地買収を推し進めた結果、管理所有することになった該当地域は民家、マンションの空き家が顕著となりゴーストタウン状態を呈している。(一部は森ビル社員の寮や定期借家を条件に継続して賃貸へ出されている)
町名の変遷
実施後 | 実施年月日 | 実施前(各町名ともその一部) |
---|---|---|
虎ノ門一丁目 | 1977年9月1日 | 芝虎ノ門、芝琴平町、芝西久保桜川町 |
虎ノ門二丁目 | 芝西久保明舟町、赤坂葵町 | |
虎ノ門三丁目 | 芝西久保巴町、芝西久保広町 | |
虎ノ門四丁目 | 芝西久保城山町、芝葺手町、麻布市兵衛町一丁目 | |
虎ノ門五丁目 | 芝神谷町、芝西久保八幡町、芝西久保広町、芝仙石町 |
世帯数と人口
2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
虎ノ門一丁目 | 275世帯 | 444人 |
虎ノ門二丁目 | 17世帯 | 31人 |
虎ノ門三丁目 | 1,110世帯 | 1,779人 |
虎ノ門四丁目 | 398世帯 | 623人 |
虎ノ門五丁目 | 221世帯 | 423人 |
計 | 2,021世帯 | 3,300人 |
小・中学校の学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
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虎ノ門一丁目 | 全域 | 港区立御成門小学校 | 港区立御成門中学校 |
虎ノ門二丁目 | 全域 | ||
虎ノ門三丁目 | 全域 | ||
虎ノ門四丁目 | 全域 | ||
虎ノ門五丁目 | 全域 |
施設・史跡
虎ノ門一丁目
- 虎ノ門ヒルズ
- 虎ノ門郵便局
- 虎ノ門琴平タワー - 虎ノ門金刀比羅神社内のビル。日経ラジオ社が入居。
- 虎ノ門NNビル
虎ノ門二丁目
- 日本たばこ産業
- ホテルオークラ東京
- 共同通信会館
国立印刷局(共同通信会館内)- 虎の門病院
- 大倉集古館
虎ノ門三丁目
CNN日本支局- NTT虎ノ門ビル
- 榮立院
- 寶瑞院
- 榮壽寺
- 港虎ノ門三郵便局
- 虎ノ門37ビル - 日本エアシステムの本部が入っていたビル。
虎ノ門四丁目
- ヒューリック神谷町ビル
- 日経電波会館(日経BP社本社及びテレビ東京神谷町スタジオ)
- 神谷町郵便局
虎ノ門五丁目
西久保八幡神社 - 虎ノ門地区鎮守社。- オランダヒルズ森タワー
交通
鉄道
東京地下鉄(東京メトロ)
虎ノ門駅
銀座線
神谷町駅
日比谷線
虎ノ門ヒルズ駅(2020年暫定開業)
日比谷線
道路
国道1号(桜田通り)
東京都道405号外濠環状線(外堀通り)
その他
特殊法人の事務所が多くあることから、「虎ノ門」は特殊法人の代名詞で用いられることがある。例えば、猪瀬直樹は永田町(政界)・霞が関(中央官庁)・虎ノ門を並列して問題提起している[7]。
桜田通り上に連続する「虎ノ門一丁目」「虎ノ門二丁目」「虎ノ門三丁目」の交差点名は、かつて「虎の門~丁目」であったが、環ニ通り(新虎通り)整備や虎ノ門ヒルズ開業に伴う「虎の門二丁目」交差点のリニューアルを契機に、順次「虎の門~」から「虎ノ門~」に改められた。現在も、「虎ノ門一丁目」と「虎ノ門三丁目」交差点の信号機の交差点名表示板には、上貼り修正した下にかつての「の」の字が浮き上がって見ることができる。
脚注
^ “平成22年国勢調査による各総合支所管内別の町丁目別面積・昼夜人口等”. 港区 (2015年2月19日). 2018年1月7日閲覧。
- ^ ab“各月1日現在の各総合支所管内別の町丁目別人口・世帯数(平成14年~平成29年)”. 港区 (2017年12月6日). 2018年1月7日閲覧。
- ^ ab“郵便番号”. 日本郵便. 2018年1月7日閲覧。
^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2018年1月7日閲覧。
^ Google Earthより
^ “港区立小・中学校通学区域一覧表”. 港区 (2015年4月1日). 2018年1月7日閲覧。
^ 猪瀬直樹「日本国の研究」(文春文庫)
参考図書
- 『まち探訪ガイドブック』 2007年度版 港区発行
関連項目
西久保 (東京都港区) - 虎ノ門二-五丁目付近の旧町名。
外部リンク
- 虎ノ門(とらのもん)
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