二条兼基
凡例 二条兼基 | |
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時代 | 鎌倉時代 |
生誕 | 文永4年(1267年) |
死没 | 建武元年8月22日(1334年9月20日) |
別名 | 光明照院関白(号) |
官位 | 従一位、関白、太政大臣 |
主君 | 後宇多天皇→伏見天皇→後伏見天皇→後二条天皇 |
氏族 | 二条家 |
父母 | 父:二条良実、母:不明 養父:二条師忠(実兄) |
兄弟 | 道良、教良、師忠、経通、兼基、経忠、道玄、道瑜、尋源、道潤、良宝、道乗、徳大寺公孝室 |
妻 | 九条禖子(九条忠教の娘)、京極宣子(京極為顕の娘) |
子 | 道平、師基、基教、良冬、良瑜、治子、忠房親王室 |
二条 兼基(にじょう かねもと)は、鎌倉時代の公卿。関白二条良実の子。兄師忠の養子となり二条家を継ぐ。正室は従一位禖子(九条忠教の娘)。子に二条道平らがいる。従一位。号に光明照院関白。
経歴
建治3年(1277年)4月21日元服、従五位下。弘安6年(1283年)叙従三位。正応元年(1288年)正二位、正応4年内大臣さらに右大臣となる。永仁2年(1294年)従一位、永仁4年(1296年)左大臣にすすみ、永仁6年(1298年)摂政、氏長者となる。正安元年(1299年)太政大臣、翌年関白となる。徳治3年(1308年)7月20日に出家。法名は円空。
建武元年(1334年)8月22日、68歳で薨去。
系譜
- 父:二条良実
- 母:不明
- 養父:二条師忠
- 妻:九条禖子 - 九条忠教の娘
- 妻:京極宣子(?-1321) - 京極為顕の娘
- 長男:二条道平(1287-1335)
- 生母不明
- 男子:二条師基(1301-1365) - 兄道平の養子(公卿補任では道平の実子)
- 男子:二条基教(?-?)
- 男子:今小路良冬(?-?) - 今小路家(絶家)祖
- 男子:良瑜(1330-1397) - 実相院門跡、園城寺長吏、熊野三山検校、准三后
- 女子:二条治子(?-?) - 九条房実室
- 女子:忠房親王室
参考文献
- 近藤敏喬 編『宮廷公家系図集覧』、東京堂出版、1994年、ISBN 4-490-20243-1
橋本政宣 編『公家事典』、吉川弘文館、2010年、ISBN 978-4-642-01442-7
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