マイアミ・ドルフィンズ


























マイアミ・ドルフィンズ
Miami Dolphins

1966年創設
永久欠番



  • 12

  • 13

  • 39



ホームタウン


マイアミ・ドルフィンズの位置(アメリカ合衆国内)
マイアミ・ドルフィンズ



フロリダ州マイアミ(1966-現在)

Landsharknewinterior.JPG
ハードロック・スタジアム (1987-)
旧称



  • ドルフィン・スタジアム(1984-1987, 2007-2008)

  • ジョー・ロビー・スタジアム(1987-1996)

  • プロ・プレイヤー・スタジアム(1996-2005)

  • ドルフィンズ・スタジアム(2005-2006)

  • ランドシャーク・スタジアム(2009-2010)

  • サンライフ・スタジアム (2010-2016)


マイアミ・オレンジボウル (1966-86)


所属地区

  • NFL(1970-現在)


  • AFC(1970-現在)


東地区(1970-現在)


  • AFL(1966-1969)


東地区(1966-1969)

チームデザイン
チームカラー

     アクアマリン
     コーラルオレンジ
チームロゴ
太陽[1]をバックに跳ねるイルカ
獲得タイトル






















スーパーボウル・チャンピオン (2回)


  • 1972

  • 1973


カンファレンス・チャンピオン (5回)
AFC


  • 1971

  • 1972

  • 1973

  • 1982

  • 1984


地区優勝 (13回)
旧AFC東地区


  • 1971

  • 1972

  • 1973

  • 1974

  • 1979

  • 1981

  • 1983

  • 1984

  • 1985

  • 1992

  • 1994

  • 2000


AFC東地区

  • 2008

ワイルドカード(9回)


  • 1970

  • 1978

  • 1990

  • 1995

  • 1997

  • 1998

  • 1999

  • 2001

  • 2016


プレーオフ進出(23/53回)


  • 1970

  • 1971

  • 1972

  • 1973

  • 1974

  • 1978

  • 1979

  • 1981

  • 1982

  • 1983

  • 1984

  • 1985

  • 1990

  • 1992

  • 1994

  • 1995

  • 1997

  • 1998

  • 1999

  • 2000

  • 2001

  • 2008

  • 2016



球団組織

オーナー: スティーブン・ロス

GM: クリス・グライアー

ヘッドコーチ: ブライアン・フローレス

マイアミ・ドルフィンズ(英語: Miami Dolphins、略称: MIA) は、アメリカ合衆国フロリダ州マイアミに本拠地をおくNFLチーム。AFC東地区に所属している。
スーパーボウルを2度制覇しており、1972年にはNFL史上唯一となるシーズン完全制覇を果たしている。またドルフィンズを26年指揮したヘッドコーチ、ドン・シュラの時代、チームはわずか2回しか負け越さず、彼はNFLの最多勝ヘッドコーチとなっている。フロリダ州にあるプロスポーツチームの中で最も古い歴史を持っている。


Dolphin(イルカ)にはスピード感、知性という意味を持たせている。




目次






  • 1 歴史


  • 2 2019年シーズンの対戦相手


  • 3 成績


    • 3.1 AFC東地区(4地区制)


    • 3.2 AFC東地区(3地区制)


    • 3.3 AFL東地区




  • 4 殿堂入り選手等


  • 5 永久欠番


  • 6 歴代ヘッドコーチ


  • 7 脚注


  • 8 関連項目


  • 9 外部リンク





歴史


チームは1966年、ジョセフ・ロビーによって創設されてAFLの一員となった。1965年に愛称を公募したが19,843人による候補は1000を越えた。マリナーズ、マロウダーズ、ムスタングス、ミサイルズ、ムーンズ、シャークス、サンズなどと共に候補にあがったドルフィンズが選考の末選ばれた。最初の4シーズンはジョージ・ウィルソンヘッドコーチの下で15勝39敗2分の成績しか残すことはできなかった。しかし1970年にポール・ブラウンの教え子であり、ボルチモア・コルツを第3回スーパーボウルに出場させたドン・シュラがヘッドコーチになると好成績をあげるようになる。


1970年に10勝4敗の好成績をあげて地区優勝を果たし初のプレーオフ進出を果たした。この年はオークランド・レイダーズにプレーオフで敗れたが、QBのボブ・グリーシー、RBのラリー・ゾンカ、ジム・キイック、WRのポール・ウォーフィールドを擁したチームはこの年からAFC東地区で4年連続優勝を果たすこととなった。


翌1971年にはディビジョナル・プレーオフでダブルオーバータイムまでもつれNFL史上最長となった82分40秒のカンザスシティ・チーフスとの試合を制するなどして第6回スーパーボウル出場を決めたがダラス・カウボーイズに3-24で敗れた。


1972年、ドン・シュラヘッドコーチに率いられたチームはシーズンを14勝0敗で終えてプレーオフでも負けなし[2]、第7回スーパーボウルでワシントン・レッドスキンズを14-7で破りスーパーボウル初優勝を果たした[3]。このシーズン第5週のチャージャーズ戦でエースQBのボブ・グリーシーが負傷し、それ以降の試合を控えQBだったアール・モラルが先発した[4]。グリーシーはピッツバーグ・スティーラーズとのAFCチャンピオンシップゲームで復帰し、スーパーボウルでも先発出場した。またノーネームディフェンスと呼ばれた[5]ラインバッカーのニック・ブオニコンティ、ディフェンシブエンドのビル・スタンフィル、ディフェンシブタックルのマニー・フェルナンデス、セイフティのディック・アンダーソン、ジェイク・スコットらの守備はリーグ1の成績を残した。


ドルフィンズは1シーズンのラッシング記録を作り、ゾンカとマーキュリー・モリスは2人とも1000ヤードラッシャーとなった。2人のランニングバックが1000ヤードラッシャーとなったのはNFL初の記録であった。この攻撃は後にプロフットボール殿堂入りを果たすOTのジム・ランガー、Gのラリー・リトルら強力なオフェンスラインによって支えられた。


翌1973年シーズンも12勝2敗でレギュラーシーズンを終え、第8回スーパーボウルではミネソタ・バイキングスを24-7で破りスーパーボウル連覇を遂げた。翌1974年も地区優勝を果たしたが、プレーオフ初戦でオークランド・レイダーズに敗れ、スーパーボウル3連覇はならなかった[6]。このシーズン終了後、ゾンカ、キイック、ウォーフィールドの3人がワールド・フットボール・リーグ(WFL)に移籍しチームを離れた。


1976年チームは6勝8敗に終わったが続く5シーズン中4シーズンに10勝以上をあげた。1977年、10勝4敗で終えたがボルチモア・コルツに地区優勝を奪われプレーオフを逃した。1978年にはワイルドカードでプレーオフ出場を果たしたがヒューストン・オイラーズに敗れた。


1979年、ゾンカが復帰し10勝6敗で地区優勝を果たしたがプレーオフではピッツバーグ・スティーラーズに敗れた。


1980年、ボルチモア・コルツ戦でQBボブ・グリーシーが肩を負傷、ルイジアナ州立大学出身のデビッド・ウッドリーが先発することになった。グリーシーはこの後復帰することなくシーズン終了とともに引退した。チームは8勝8敗でプレーオフを逃した。


1981年、11勝4敗1分で地区優勝を果たした。この年のQBはウッドリーとドン・ストロックが先発した。チームはプレーオフでサンディエゴ・チャージャーズと対戦、第1Qだけで相手に24点をあげられてリードを許したが38-38と追いつき延長の末38-41で敗れた[7]
 (Epic in Miami


ストライキでシーズンが短縮された1982年には、7勝2敗でAFC2位となり第17回スーパーボウルまで進んだがワシントン・レッドスキンズに敗れた。このシーズンのドルフィンズのディフェンスはボブ・バウムハウワー、ビル・バーネット、ライル・ブラックウッド、キム・ボカンバー、グレン・ブラックウッド、ダグ・ベターズ、ボブ・ブルジンスキーらBの頭文字の選手がそろっていたためキラーBディフェンスと呼ばれた。またこの年から1987年まで、Cドワイト・スティーブンソンらオフェンスラインが相手に許したサックは、6年連続リーグ最少であった[8]


1984年には2年目のQBダン・マリーノがNFLシーズン記録となる48本のタッチダウンパスを投げて第19回スーパーボウルまで進みサンフランシスコ・フォーティナイナーズと対戦した。マリーノ対ジョー・モンタナとして注目された試合はモンタナに軍配があがりドルフィンズはまたしても優勝を逃した。


1990年代初めには同地区のライバル、バッファロー・ビルズと激しく地区優勝を争ったがビルズが4年連続スーパーボウルに出場することとなった。


1992年は地区優勝を果たしてホームアドバンテージを持っていたが、ワイルドカードプレーオフでヒューストン・オイラーズを相手に32点差からの逆転で勝ち上がったビルズにAFCチャンピオンシップゲームで敗れてスーパーボウル出場は果たせなかった。


1994年11月27日のジェッツ戦でダン・マリーノはアーロン・グレンにサックされそうになったがスパイクするフェイクを見せた後、マーク・イングラムへの逆転のTDパスを成功させた。このプレイは"The Fake Spike"として知られている( (Clock Play)。


1995年にドン・シュラがプレーオフも含めて347勝とNFLヘッドコーチ歴代最多勝利(それまでの記録はジョージ・ハラスの324勝)退任、ダラス・カウボーイズで2度のスーパーボウルを制したジミー・ジョンソンが後任となりGMを兼任した。


ジョンソンの就任2年目の1997年からチームは3年連続でワイルドカードでプレーオフ出場を果たしたがいずれも初戦で敗退した。


1999年10月の試合でマリーノが負傷し戦線を離脱[9]、シーズン終了後NFLのQB記録を数々塗り替えたマリーノが現役を引退した。彼が在籍している間チームは地区優勝5回、プレーオフには10回出場し、スーパーボウルにも1回出場を果たした。


2000年1月16日ジョンソンは突如辞任を発表、彼の下で長年アシスタントコーチを務めているデイブ・ウォンステッドが後任となりチームは2000年、2001年とプレーオフに出場したが、2004年チームが1勝8敗となったところで母校、ピッツバーグ大学のヘッドコーチに就任するため辞任、ジム・ベイツが指揮を執り残り7試合を3勝4敗で終えた。


2005年、チームはルイジアナ州立大学のヘッドコーチ、ニック・セイバンを新ヘッドコーチに迎えた。


2006年、ジェイソン・テイラーが最優秀守備選手に選ばれた[8]


2007年シーズンはトレント・グリーンがエースQBとなったが4試合が終了したところでグリーンは故障者リスト入りしてしまった。残りの試合はクレオ・レモン、ジョン・ベックが先発したがその後その時点でNFLのリーディングラッシャーを走っていたRBのロニー・ブラウンも失ってしまった。このシーズンニューヨーク・ジャイアンツとのホームゲームがロンドンで行われた。これはNFLのレギュラーシーズンのゲームが北米大陸以外で行われる初の試合となった。この試合後2001年からチームに在籍したWRのクリス・チェンバースをサンディエゴ・チャージャーズに放出した。12月16日のボルチモア・レイブンズ戦に延長の末勝利したがこのシーズン1勝に終わり15敗した8チーム目となった。シーズン終盤、ビル・パーセルズがチームのフロント入りを果たした。第15週の12月16日のボルチモア・レイブンズ戦に延長の末22-16で勝ち連敗を16で止めた。しかしこのシーズンは1勝に終わりレギュラーシーズンに15敗した[10]8チーム目となった。(その後2008年にデトロイト・ライオンズがシーズン16連敗で記録を更新した。)


シーズン終了とともにGMのランディ・ミューラー、ヘッドコーチのキャム・キャメロンは解任された。またシーズンオフに2人のプロボウル選出選手を放出した(LBのザック・トーマスとは再契約をせず、DEのジェイソン・テイラーをワシントン・レッドスキンズのドラフト2巡目指名権とトレードした。)。新ヘッドコーチにはパーセルズがダラス・カウボーイズのヘッドコーチを務めていた時のアシスタントコーチであるトニー・スパラノが就任[11]、ドラフト全体1位でミシガン大学のOTのジェイク・ロングを獲得した。またブレット・ファーヴを獲得したニューヨーク・ジェッツのQB、チャド・ペニントンと契約を結んだ[10]




ワイルドキャットからパスを投げようとするロニー・ブラウン


2008年シーズンも開幕戦・第2週と連敗スタートであったが、第3週のニューイングランド・ペイトリオッツ戦に38-13で勝利し、ロードゲームでの連敗を11で止めたばかりか、ペイトリオッツが2006年シーズンの第15週以来続けてきたレギュラーシーズンでの連勝も21で止めた[12](なお2006年シーズンの第14週の相手はこのドルフィンズである)。この試合で導入し大成功したオフェンス・プレー「ワイルドキャット・フォーメーション」は、2008年シーズンのトレンドとなり、ドルフィンズのみならず、NFLの多くのチームが導入した。前年の1勝15敗から11勝5敗と大きく勝ち星をあげたチームは2000年以来の地区優勝を果たした。前年より10勝多く勝ち星を積み上げたチームはこれまでに1999年のインディアナポリス・コルツのみであった。プレーオフではボルチモア・レイブンズと対戦し敗れた。


2009年、スティーブ・ロスにより買収される。落札額は、11億ドル。米スポーツ界のフランチャイズ契約で最高額を記録した。シーズン早々にエースQBペニントンを怪我で失ったがQBチャド・ヘニーが先発QBとなった。シーズン終盤まで7勝6敗と大混戦のプレーオフ争いに参加したが最後の3試合に連敗してプレーオフを逃した。


2010年、ディフェンスコーディネーターにマイク・ノーランが就任した[13]。シーズンではエースQBのペニントン、2番手QBのチャド・ヘニーが故障がちで苦戦を強いられて[14]プレーオフを逃した[15]


2011年2月、ポール・ソリアイをフランチャイズ選手に指定した[16]。第4週にエースQBのヘニーがシーズン絶望となり[17]、マット・ムーアが先発QBとなった。チームは開幕から7連敗し、その後3連勝したが、4勝9敗となったところで、スパラノヘッドコーチは解任されトッド・ボウルスアシスタントヘッドコーチが暫定ヘッドコーチに就任した[18]。ボウルスが指揮を執った初戦、この年加入したレジー・ブッシュが自己ベストの203ヤードを走る活躍を見せて勝利した[19]。ボウルスヘッドコーチ就任後の3試合でチームは2勝1敗の成績をあげて[20]、6勝10敗でシーズンを終えた。シーズン終了後の1月20日、チームはグリーンベイ・パッカーズのオフェンスコーディネーターを務めていたジョー・フィルビンを新ヘッドコーチとして発表した[21]


2012年、チームはドラフト1巡で指名したライアン・タネヒルを開幕QBに指名した。


2013年10月、ジョナサン・マーティンが心の病となりチームを離脱した。その背景には、チームメートのリッチー・インコグニートから人種差別的中傷のボイスメールを受けるなどの嫌がらせを受けたことが明らかとなった[22]。インコグニートはNFLから無期限の出場停止処分を受けた[23]。2014年2月14日、独立した調査機関による調査報告書が公表され、マーティンだけでなくアシスタントトレーナーもパワーハラスメントを受けていたと指摘がなされた[24]



地区一位を続けるニューイングランド・ペイトリオッツの陰で不振を続けたが、2016年には新HCにアダム・ゲイズを迎え、8年ぶりにワイルドカードでプレーオフ進出を果たした。だが2017年、2018年には連続してプレーオフを逃し、アダム・ゲイズは解雇された。後任はニューイングランド・ペイトリオッツのプレーコーラーを務めていたブライアン・フローレスとなった。



2019年シーズンの対戦相手


































































2019年シーズンのドルフィンズの対戦相手
AFC NFC
前年 西地区 南地区 北地区 東地区 西地区 南地区 北地区 東地区
1位
チーフス
テキサンズ
レイブンズ
ペイトリオッツ
ラムズ
セインツ
ベアーズ
カウボーイズ
2位
チャージャーズ
コルツ
スティーラーズ
ドルフィンズ
シーホークス
ファルコンズ
バイキングス
イーグルス
3位
ブロンコス
タイタンズ
ブラウンズ
ビルズ
49ERS
パンサーズ
パッカーズ
レッドスキンズ
4位
レイダーズ
ジャガーズ
ベンガルズ
ジェッツ
カージナルス
バッカニアーズ
ライオンズ
ジャイアンツ

    :1度対戦     :2度対戦



成績



AFC東地区(4地区制)



  • BUF:バッファロー・ビルズ、MIA:マイアミ・ドルフィンズ、NE:ニューイングランド・ペイトリオッツ、NYJ:ニューヨーク・ジェッツ

  • 数字:シード順

  • v:スーパーボウル優勝

  • s:スーパーボウル敗退

  • c:カンファレンス決勝敗退

  • d:ディビジョナルプレーオフ敗退

  • w:ワイルドカードプレーオフ敗退

  • 年表示の背景色が変わっている年はチームがスーパーボウルを制覇した年































































































































































































































































































































































地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム

2018
NE(2v) 11 5 0
MIA 7 9 0
BUF 6 10 0
NYJ 4 12 0

2017
NE(1s) 13 3 0
BUF(6w) 9 7 0
MIA 6 10 0
NYJ 5 11 0

2016
NE(1v) 14 2 0
MIA(6w) 10 6 0
BUF 7 9 0
NYJ 5 11 0

2015
NE(2c) 12 4 0
NYJ 10 6 0
BUF 8 8 0
MIA 5 11 0

2014
NE(1v) 12 4 0
BUF 9 7 0
MIA 8 8 0
NYJ 4 12 0

2013
NE(2c) 12 4 0
NYJ 8 8 0
MIA 8 8 0
BUF 6 10 0

2012
NE(2c) 12 4 0
MIA 7 9 0
NYJ 6 10 0
BUF 6 10 0

2011
NE(1s) 13 3 0
NYJ 8 8 0
MIA 6 10 0
BUF 6 10 0

2010
NE(1d) 14 2 0
NYJ(6c) 11 5 0
MIA 7 9 0
BUF 4 12 0

2009
NE(3w) 10 6 0
NYJ(5c) 9 7 0
MIA 7 9 0
BUF 6 10 0

2008
MIA(3w) 11 5 0
NE 11 5 0
NYJ 9 7 0
BUF 7 9 0

2007
NE(1s) 16 0 0
BUF 7 9 0
NYJ 4 12 0
MIA 1 15 0

2006
NE(4c) 12 4 0
NYJ(5w) 10 6 0
BUF 7 9 0
MIA 6 10 0

2005
NE(4d) 10 6 0
MIA 9 7 0
BUF 5 11 0
NYJ 4 12 0

2004
NE(2v) 14 2 0
NYJ(5d) 10 6 0
BUF 9 7 0
MIA 4 12 0

2003
NE(1v) 14 2 0
MIA 10 6 0
BUF 6 10 0
NYJ 6 10 0

2002
NYJ(4d) 9 7 0
NE 9 7 0
MIA 9 7 0
BUF 8 8 0


AFC東地区(3地区制)



  • BUF:バッファロー・ビルズ、MIA:マイアミ・ドルフィンズ、BOS→NE:ボストン・ペイトリオッツ→ニューイングランド・ペイトリオッツ、NYJ:ニューヨーク・ジェッツ、BAL→IND:ボルチモア・コルツ→インディアナポリス・コルツ

  • 1982年シーズンはストライキの影響により、地区別成績ではなくカンファレンス上位8チームがプレイオフ進出するルールであったが、ここでは地区別に変換して表記する。

  • 括弧内の数字はプレイオフ出場時のシード順(シード制導入前は表記なし)、文字はv:スーパーボウル優勝、s:スーパーボウル敗退・カンファレンス優勝、c:カンファレンス決勝敗退、d:ディビジョナルプレーオフ敗退、w:ワイルドカードプレイオフ敗退。1982年についてはd:2回戦敗退、w:1回戦敗退。

































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































地区優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム

2001
NE(2v) 11 5 0
MIA(4w) 11 5 0
NYJ(6w) 10 6 0
IND 6 10 0
BUF 3 13 0

2000
MIA(3d) 11 5 0
IND(6w) 10 6 0
NYJ 9 7 0
BUF 8 8 0
NE 5 11 0

1999
IND(2d) 13 3 0
BUF(5w) 11 5 0
MIA(6d) 9 7 0
NYJ 8 8 0
NE 8 8 0

1998
NYJ(2c) 12 4 0
MIA(4d) 10 6 0
BUF(5w) 10 6 0
NE(6w) 9 7 0
IND 3 13 0

1997
NE(3d) 10 6 0
MIA(6w) 9 7 0
NYJ 9 7 0
BUF 6 10 0
IND 3 13 0

1996
NE(2s) 11 5 0
BUF(4w) 10 6 0
IND(6w) 9 7 0
MIA 8 8 0
NYJ 1 15 0

1995
BUF(3d) 10 6 0
IND(5c) 9 7 0
MIA(6w) 9 7 0
NE 6 10 0
NYJ 3 13 0

1994
MIA(3d) 10 6 0
NE(5w) 10 6 0
IND 8 8 0
BUF 7 9 0
NYJ 6 10 0

1993
BUF(1s) 12 4 0
MIA 9 7 0
NYJ 8 8 0
NE 5 11 0
IND 4 12 0

1992
MIA(2c) 11 5 0
BUF(4s) 11 5 0
IND 9 7 0
NYJ 4 12 0
NE 2 14 0

1991
BUF(1s) 13 3 0
NYJ(6w) 8 8 0
MIA 8 8 0
NE 6 10 0
IND 1 15 0

1990
BUF(1s) 13 3 0
MIA(4d) 12 4 0
IND 7 9 0
NYJ 6 10 0
NE 1 15 0

1989
BUF(3d) 9 7 0
IND 8 8 0
MIA 8 8 0
NE 5 11 0
NYJ 4 12 0

1988
BUF(2c) 12 4 0
IND 9 7 0
NE 9 7 0
NYJ 8 7 1
MIA 6 10 0

1987
IND(3d) 9 6 0
NE 8 7 0
MIA 8 7 0
BUF 7 8 0
NYJ 6 9 0

1986
NE(3d) 11 5 0
NYJ(4d) 10 6 0
MIA 8 8 0
BUF 4 12 0
IND 3 13 0

1985
MIA(2c) 12 4 0
NYJ(4w) 11 5 0
NE(5s) 11 5 0
IND 5 11 0
BUF 2 14 0

1984
MIA(1s) 14 2 0
NE 9 7 0
NYJ 7 9 0
IND 4 12 0
BUF 2 14 0

1983
MIA(2d) 12 4 0
NE 8 8 0
BUF 8 8 0
BAL 7 9 0
NYJ 7 9 0

1982
MIA(2s) 7 2 0
NYJ(6c) 6 3 0
NE(7w) 5 4 0
BUF 4 5 0
BAL 0 8 1

1981
MIA(2d) 11 4 1
NYJ(4w) 10 5 1
BUF(5d) 10 6 0
BAL 2 14 0
NE 2 14 0

1980
BUF(3d) 11 5 0
NE 10 6 0
MIA 8 8 0
BAL 7 9 0
NYJ 4 12 0

1979
MIA(3d) 10 6 0
NE 9 7 0
NYJ 8 8 0
BUF 7 9 0
BAL 5 11 0

1978
NE(2d) 11 5 0
MIA(4w) 11 5 0
NYJ 8 8 0
BUF 5 11 0
BAL 5 11 0

1977
BAL(2d) 10 4 0
MIA 10 4 0
NE 9 5 0
BUF 3 11 0
NYJ 3 11 0

1976
BAL(2d) 11 3 0
NE(4d) 11 3 0
MIA 6 8 0
NYJ 3 11 0
BUF 2 12 0

1975
BAL(3d) 10 4 0
MIA 10 4 0
BUF 8 6 0
NYJ 3 11 0
NE 3 11 0

1974
MIA(d) 11 3 0
BUF(d) 9 5 0
NE 7 7 0
NYJ 7 7 0
BAL 2 12 0

1973
MIA(v) 12 2 0
BUF 9 5 0
NE 5 9 0
NYJ 4 10 0
BAL 4 10 0

1972
MIA(v) 14 0 0
NYJ 7 7 0
BAL 5 9 0
BUF 4 9 1
NE 3 11 0

1971
MIA(s) 10 3 1
BAL(c) 10 4 0
NE 6 8 0
NYJ 6 8 0
BUF 1 13 0

1970
BAL(v) 11 2 1
MIA(d) 10 4 0
NYJ 4 10 0
BUF 3 10 1
BOS 2 12 0


AFL東地区



  • BUF:バッファロー・ビルズ、HOU:ヒューストン・オイラーズ、BOS:ボストン・ペイトリオッツ、NY:ニューヨーク・ジェッツ、MIA:マイアミ・ドルフィンズ

  • 括弧内の文字はV:スーパーボウル(AFL-NFLワールドチャンピオンシップゲーム)優勝、s:スーパーボウル敗退・AFL優勝、a:AFL決勝敗退、d:ディビジョナルプレイオフ敗退、v:AFL優勝(AFL-NFLワールドチャンピオンシップゲーム設立前)





























































































































地区優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム

1969
NY(d) 10 4 0
HOU(d) 6 6 2
BOS 4 10 0
BUF 4 10 0
MIA 3 10 1

1968
NY(V) 11 3 0
HOU 7 7 0
MIA 5 8 1
BOS 4 10 0
BUF 1 12 1

1967
HOU(a) 9 4 1
NY 8 5 1
BUF 4 10 0
MIA 4 10 0
BOS 3 10 1

1966
BUF(a) 9 4 1
BOS 8 4 2
NY 6 6 2
HOU 3 11 0
MIA 3 11 0


殿堂入り選手等



  • 42 ポール・ウォーフィールド, WR, 1970-74, 1983年選出

  • 39 ラリー・ゾンカ, RB, 1968-74 & 1979, 1987年選出

  • 62 ジム・ランガー, C, 1970-79, 1987年選出

  • 12 ボブ・グリーシー, QB, 1968-80, 1990年選出

  • 66 ラリー・リトル, G, 1969-80, 1993年選出

  • 347 ドン・シュラ, ヘッドコーチ, 1970-95, 1997年選出

  • 57 ドワイト・スティーブンソン, C, 1980-87, 1998年選出

  • 85 ニック・ブオニコンティ, LB, 1969-76, 2001年選出

  • 13 ダン・マリーノ, QB, 1983-99, 2005年選出

  • 99 ジェイソン・テイラー, DE, 1997-2007 & 2009 & 2011, 2017年選出


注)ドン・シュラの番号 347 は彼のコーチとしてのNFL勝利数である。(ドルフィンズでは 276 勝)



永久欠番



  • 12 ボブ・グリーシー

  • 13 ダン・マリーノ

  • 39 ラリー・ゾンカ




歴代ヘッドコーチ




  • ジョージ・ウィルソン (1966-1969)

  • ドン・シュラ (1970-1995)


  • ジミー・ジョンソン (1996-1999)


  • デイブ・ウォンステッド (2000-2004)


  • ジム・ベイツ (2004暫定HC)

  • ニック・セイバン (2005-2006)

  • キャム・キャメロン (2007)

  • トニー・スパラノ (2008-2011)

  • トッド・ボウルス(2011暫定HC)

  • ジョー・フィルビン (2012-2015)

  • ダン・キャンベル(2015暫定HC)

  • アダム・ゲイズ(2016-2018)




脚注


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  1. ^ フロリダ州の愛称にちなんだ


  2. ^ “最終ゲームで達成された2つの偉大な記録”. NFL JAPAN (2010年12月16日). 2010年12月19日閲覧。


  3. ^ 2007年シーズン16勝0敗の成績を残したニューイングランド・ペイトリオッツが史上2度目となるシーズン完全制覇を目指したがニューヨーク・ジャイアンツにスーパーボウルで敗れ再現はならなかった。


  4. ^ シュラ、モラルは、1969年にもエースQB不在のボルチモア・コルツをスーパーボウルに導いている。


  5. ^ オフェンス選手に比べてスーパースターがいなかったため


  6. ^ Brian Ditullio (2010年12月2日). “Dolphins Vs. Raiders (Sea Of Hands)”. bleacherreport.com. 2013年8月4日閲覧。


  7. ^ “リーグ史上に残るオーバータイム名勝負トップ5”. NFL JAPAN (2011年7月19日). 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年8月2日閲覧。

  8. ^ ab“チーム別ドラフト成功トップ5 -ドルフィンズ-”. NFL JAPAN (2013年4月12日). 2013年4月14日閲覧。


  9. ^ Alex Marvez (1999年10月28日). “Marino Out, Huard In For 2 More Weeks”. サン・センティネル. 2014年3月4日閲覧。

  10. ^ ab“昨季1勝から大躍進、ドルフィンズ復活の6つの理由とは?”. NFL JAPAN (2008年12月7日). 2011年12月25日閲覧。


  11. ^ “4人の新ヘッドコーチが挑戦”. NFL JAPAN. 2011年12月25日閲覧。


  12. ^ “ドルフィンズ ペイトリオッツの連勝記録止める”. AFP (2008年9月22日). 2008年9月22日閲覧。


  13. ^ “ドルフィンズ、DEダグラスと2年契約で合意”. NFL JAPAN (2010年7月24日). 2011年12月25日閲覧。


  14. ^ “ドルフィンズ快勝、地区優勝争いに踏みとどまる”. NFL JAPAN (201-11-29). 2011年12月25日閲覧。


  15. ^ “【第16週プレビュー】ドルフィンズ、手負いの獅子退治で勝率5割を”. NFL JAPAN (2010年12月25日). 2011年12月25日閲覧。


  16. ^ “年俸27倍増! ドルフィンズDTソリアイが契約延長”. NFL JAPAN (2011年2月27日). 2011年12月25日閲覧。


  17. ^ “ドルフィンズに痛手、先発QBヘニーが今季絶望に”. NFL JAPAN (2011年10月7日). 2011年12月25日閲覧。


  18. ^ “ドルフィンズ、ついにスパラノHCを解任”. NFL JAPAN (2011年12月13日). 2011年12月25日閲覧。


  19. ^ “RBブッシュがラン203ヤード、ドルフィンズ新体制で勝利”. NFL JAPAN (2011年12月19日). 2011年12月25日閲覧。


  20. ^ “レイダース、新指揮官候補にドルフィンズ暫定HC浮上”. NFL JAPAN (2012年1月12日). 2012年1月21日閲覧。


  21. ^ “新HC就任のドルフィンズ、正QB候補にパッカーズのフリン”. NFL JAPAN (2012年1月21日). 2012年1月21日閲覧。


  22. ^ “ドルフィンズHC、Gインコグニート出場停止処分に言及”. NFL JAPAN (2013年11月5日). 2013年11月13日閲覧。


  23. ^ “ドルフィンズQBタネヒル、「インコグニートは良いチームメイト」”. NFL JAPAN (2013年11月7日). 2013年11月13日閲覧。


  24. ^ “いじめ問題の調査結果、トレーナーへの人種差別も発覚か”. NFL JAPAN (2014年2月15日). 2014年2月16日閲覧。




関連項目




ドルフィンズのチアリーダー




  • マッド・ボウル - 1983年1月23日のAFCチャンピオンシップゲーム、マイアミ・オレンジボウルで行われたニューヨーク・ジェッツとの試合。試合開始前に大雨が降りぬかるんだフィールドでドルフィンズがジェッツを破ったが、試合終了後にジェッツはドルフィンズのヘッドコーチ、ドン・シュラがジェッツのパワーランをドルフィンズのキラーBディフェンスで封じるため意図的に雨が降ったのにフィールドにカバーをしなかったのではないかと抗議した。


  • Whale Whores - アニメサウスパークのエピソード。チーム名が「ドルフィン」であることから、イルカ繋がりで日本人の襲撃を受ける。



外部リンク




  • Miami Dolphins (英語)

  • NFL JAPAN

  • マイアミドルフィンズ非公式ウェブサイト












































































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