ハイチ王国
- ハイチ王国
- Royaume d'Haïti
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1811年 - 1820年
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(国旗)
(国章)
- 国の標語: Ex cineribus nascitur (ラテン語)
「灰からの再生」
公用語
ハイチ語、フランス語
首都
カパイシャン
- 国王
1811年 - 1820年
アンリ1世
- 変遷
王政樹立
1811年3月28日
南部に併合
1820年10月8日
ハイチ王国(Royaume d'Haïti)は、かつてハイチの北部に存在した王国。
概要
ハイチ帝国皇帝ジャック1世の暗殺後、ハイチは北部のハイチ国と南部のハイチ共和国に分裂していたが、1811年に北部ハイチ国大統領であったアンリ・クリストフはアンリ1世を称し、自身を国王と宣言した。
アンリ1世は教育政策を重視し、アンリ法典を導入するなど国内統治に尽力した。しかし、その独裁的手法に反発が強まり、頻発する南部との紛争にも悩まされた。統治の末期には、国民の反国王感情が極限まで高まり、病気と虚弱体質で肉体的・精神的に弱っていたアンリ1世はクーデターを恐れるようになった。その結果、1820年10月8日、アンリ1世は拳銃自殺し、王国は崩壊した。
その後、当時の南部ハイチ共和国大統領ジャン・ピエール・ボワイエがこの地を併合し、ハイチは14年振りに再統一を果たした。
関連項目
- ハイチ帝国 (1804年-1806年)
- ハイチ帝国 (1849年-1859年)
アルバニア王国 (近代) - 同様に、大統領が国王に即位した例