アナーニ事件










アルフォンス·マリー·アドルフ=ドヌー「教皇ボニファティウス8世の捕縛」


アナーニ事件(アナーニじけん、Outrage of Anagni)は、1303年、フランス国王フィリップ4世がローマ教皇ボニファティウス8世をイタリアの山間都市アナーニで捕らえた事件。



国王と教皇の対立


十字軍の遠征の失敗で、十字軍を提唱し推進したローマ教皇の権威は大きく揺らぎ始めていた。最後の十字軍の撤退から四半世紀後に即位した教皇ボニファティウス8世は、教皇こそが最高の権力を持つという教皇至上主義の考え方の持ち主であった。彼は1302年、教皇の回勅「ウナム・サンクタム」を発して、教皇が宗教上・世俗上の最高権の保持者であり、すべての君主・皇帝も、すべて教皇に服従すべきであると宣言した。


しかし、十字軍時代を通じて国王の力も着実に伸張しており、時代は大きく変わっていた。最後の十字軍の提唱者で聖王といわれたフランス王ルイ9世の孫フィリップ4世は、王権の拡張に執念を燃やした国王であった。彼は即位したときから教会関係者を排除し、王権思想を主張する法律家をブレーンとした。


フィリップ4世はイギリスと争って豊かなフランドルの諸都市を支配下に収めようとし、その戦費捻出のため、教会財産への課税に踏み切った。ボニファティウス8世は直ちにこれに反対し、課税を禁じる回勅を出し、教皇はフランス王に対して命令することができると主張した。ここにいたってフィリップ4世は、国内の支持を得て教皇と戦おうとして、1302年、パリのノートルダム寺院に聖職者・貴族・平民からなる三部会を召集した。三部会は一致して王の主張を支持した(これがフランスの身分制議会の始まりとなった)。これに力を得たフィリップ4世は、ボニファティウス8世に異端と買官と奢侈的生活があると非難し、教皇としての資格に欠けると断じた。これに対して教皇は、フィリップ4世の破門をもって応え、両者の対立は決定的になった。



絶対王政への歩み


フィリップ4世の意を受けた宰相ギヨーム・ド・ノガレは、ローマ教皇庁から追放された教皇の反対派コロンナ家一族と共謀して、イタリアに軍を派遣した。ボニファティウス8世は生まれ故郷の山間の小都市アナーニに逃げ込んだが、フランス軍とコロンナ一族のために捕らえられた。アナーニ住民の頑強な抵抗で教皇は救出されたが、68歳の教皇はこの一連の事態に怒りと失望で傷心し、3週間後に死亡した。


一方フィリップ4世は、十字軍で活躍したテンプル騎士団を解散させてその財産を没収したり、ユダヤ人を追放してその資産を奪ったり、貨幣改鋳によって財政を賄ったりして、王権の財政的基盤を強化した。ローマ教会にも圧力をかけ、クレメンス5世をアヴィニョンへ移住させ、アヴィニョン捕囚(教皇のバビロン捕囚)を引き起こして教皇権に対する王権の優位を確立した。


この事件・結果は教皇権力の衰退と王権の伸張を印象づけ、近世絶対王政にいたる重大な一里塚となった。







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