ジャネット・ジャクソン
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ジャネット・ジャクソン Janet Jackson | |
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![]() USAサンフランシスコ公演(2015年10月) | |
基本情報 | |
出生名 | ジャネット・ダミタ・ジョー・ジャクソン Janet Damita Jo Jackson |
別名 | ジャネット Janet |
生誕 | (1966-05-16) 1966年5月16日(52歳) |
出身地 | ![]() インディアナ州ゲーリー |
ジャンル | R&B、ポップ・ミュージック、ロック |
職業 | シンガーソングライター、女優 |
担当楽器 | 歌、シンセサイザー、キーボード |
活動期間 | 1976年 - 現在 |
レーベル | A&Mレコード、ヴァージン・レコード、アイランド・レコード |
ジャネット・ジャクソン(Janet Damita Jo Jackson, 1966年5月16日 - )は、アメリカ合衆国のシンガーソングライター、女優。兄の1人はマイケル・ジャクソン。
1980年代以降、商業的に大成功を収めた。安室奈美恵やAI、Crystal Kay、DOUBLEなど、日本のR&Bアーティストにも大きな影響を与えている。
目次
1 略歴
1.1 出生・幼少期
1.2 1980年代
1.3 1990年代
1.4 2000年代
1.5 2010年代
2 全米No.1獲得曲
2.1 ビルボード HOT100チャート
2.2 ビルボード R&Bチャート
3 ディスコグラフィ
3.1 オリジナルアルバム
3.2 その他のアルバム
3.3 アルバム ビルボードチャート・売上データ
4 日本公演
5 日本での出演
5.1 テレビ
5.2 CM
6 逸話
6.1 兄・マイケルとの仲
7 脚注
8 外部リンク
略歴
出生・幼少期
アメリカ合衆国インディアナ州の町・ゲーリーで、ジョセフ・ジャクソンとキャサリン・ジャクソンの娘として生まれる。彼女の生まれたジャクソン一家は有名で、マイケル・ジャクソンを含むジャクソン・ファイヴのメンバーは実兄である。10人兄弟の末子。(兄7人・姉2人。うち五番目の兄が夭折)、太りやすい体質であり、少女時代は「ロバ」とからかわれていた。
7歳から演技の舞台に立ち、アメリカのテレビドラマを中心にまずまずの活躍をする。
1980年代
兄弟とのデュエット曲やバックボーカルとしてのキャリアはあったものの、本格的にシンガーソングライターの道を歩み始めたのは1982年、彼女が16歳の頃である。A&Mレコードからファースト・アルバムとなる『ヤング・ラヴ』をリリースするが、商業的には不発であった。しかし、そのアルバムからシングルカットされた楽曲「ヤング・ラヴ(Young Love)」と「ギヴ・ユア・ラヴ・トゥ・ミー(Come Give Your Love To Me)」がヒット。前者はR&Bチャートの6位に届いた。続いてリリースされた「セイ・ユー・ドゥ(Say You Do)」もまた15位と健闘した。
1984年、セカンド・アルバム『ドリーム・ストリート』を発表。兄のマーロン(Marlon)から提供された、これまでよりもファンキーでアップテンポな楽曲で、その音楽性に進展が見られたものの、商業的には不成功に終わった。
同年、歌手ジェイムズ・デバージ(James Debarge)と結婚したが、わずかな期間で離婚。
1年後の1985年、日本企業とのタイアップで、日本でのみ発売するための楽曲「Start Anew」を収録している。
ジャネットは、次期アルバム制作のため、ミネアポリスで活躍中のプリンス一派のプロデューサーコンビ、ジミー・ジャム&テリー・ルイスの下へ。1986年、これにより完成したサードアルバム『コントロール』を発表。“ジャクソン・ファミリー”のプレッシャーから脱却したいジャネットと、プリンスの影響下から離れてプロデューサーとして自立したいジャム&ルイス、相互のモチベーションが相乗効果をもたらし、アルバムは非常に高いクオリティを達成し、ポップスチャートとR&Bチャートで1位を獲得。アルバム収録曲全9曲のうち6曲までもがシングルカットされ、そのうち5曲はポップスチャートで連続して5位以内に入った。中でも最もヒットしたのが「あなたを想うとき(When I Think Of You)」で、ビルボードシングルチャートにて初の1位を獲得。これ以後、彼女の知名度は飛躍的に高まった。本人が「実質的な、私のファーストアルバム」と語っている位、思い入れの強いアルバムである。実際にコンサートなどでは、このアルバム以前の曲は一切演奏されない。また、1996年に発売されたベスト・アルバム『デザイン・オブ・ア・ディケイド / グレイテスト・ヒッツ』(decade = 10年間)でも、1986年より前は無視されている(ただし、北米のみで発売された同アルバムの限定版では、『コントロール』以前の曲も収録されていた)。
以来20年に渡って、ジャム&ルイスとのタッグは続き、他のプロデューサーと楽曲を制作することは少なかった。
次のアルバムとなる『リズム・ネイション 1814』がリリースされたのは、1989年になってである。人種差別・性差別やホームレス、薬物などなどの政治問題を積極的に取り入れた本作品は、ポップスとR&Bのチャートで1位を獲得した。
表題曲「リズム・ネイション(Rhythm Nation)」のビデオ・クリップは、兄マイケルの影響が見られるものの、完成度の高いダンスで構成され、彼女のスタイルを確立するとともに、音楽シーンに多大な影響を与えた。ライブでは激しいダンスのため、リップシンクでパフォーマンスされることが多い。この曲は、ジャネット本人が出演する日本航空のCMにも使用された。
1990年の初来日公演では、東京ドームでの最高観客動員を記録した。これにより、Rhythm Nation Tourでは2度の来日公演(5月と11月)が実現した。
1990年代
1993年のアルバム『ジャネット(janet.)』からヴァージン・レコードに移籍。シングル「それが愛というものだから(That's The Way Love Goes)」が、自身最高のビルボード8週連続1位を記録。このアルバムではセクシーな表現が一層目立つようになり、マドンナと比較されることがある。同年『ポエティック・ジャスティス/愛するということ』(2パックと共演)で映画初出演。第14回ゴールデンラズベリー賞最低新人賞と1994年度MTVムービー・アワード女性演技賞受賞。
兄マイケルとの仲の良さは有名で、1993年に少年への性的虐待疑惑でメディアが過熱した際は、無実を祈ってワールドツアー(janet. World Tour)のステージ上で黙祷を捧げた。
1995年には、マイケルとのデュエット曲「スクリーム(Scream)」を発表。この曲は、マイケルのアルバムに収録されたにも関わらず、ジャム&ルイスなどジャネット側の制作陣が手掛けた。
1997年、アルバム『ザ・ヴェルヴェット・ロープ(The Velvet Rope)』を発表。これ以降は姓を略した「JANET」名義で作品をリリースする場合がある。同性愛やSMやドメスティック・バイオレンスなど様々なテーマを取り上げ、セールスは前作を下回ったものの、亡くなった友人に捧げた曲「トゥゲザー・アゲイン」が全米1位のヒット。
1999年、長年に渡るボーイフレンドのレネ・エリゾンドと密かに結婚、そして離婚していたことを公表した。
2000年代
2000年、エディ・マーフィ主演映画『ナッティ・プロフェッサー2 クランプ家の面々』のヒロイン役で成功を収めた。その主題歌「ダズント・リアリー・マター(Doesn't Really Matter)」もヒット(島谷ひとみのヒット曲「パピヨン〜papillon〜」の原曲)。日本のオリコンでは、自身最大のヒットシングルとなり、同年のオリコン洋楽シングルチャートの年間1位を記録した。
2001年のアルバム『オール・フォー・ユー』は、過去の作品に比べるとポップな内容が受け、日本では80万枚を超える自身最大のヒットとなった。
2004年2月、国民的ショーである第38回スーパーボウルのハーフタイムショーでジャスティン・ティンバーレイクとのデュエット中に片方の胸を露出する事件を起こし、激しい非難を浴びる。当初はハプニングを装っていたが、意図的な演出だったことを告白。生中継したテレビ局が罰金処分を受けたり、直後のグラミー賞やアカデミー賞の中継でハプニング防止策が取られるなど、波紋は大きかった。
同年3月発表されたアルバム『ダミタ・ジョー』は、これまで以上に性的表現が目立っている。事件の影響からか、『コントロール』以降では初めて商業的に失敗した作品となった。
2006年初頭には体重が増え、次のアルバムは大丈夫かと不安がる人もいたが、4ヶ月で27キロ減らし55キロまで体重を落とし、6月5日に米国で発売された雑誌「US Weekly」ではそのダイエットの詳細を掲載した。なお、体重増は映画出演のための役作りであったとされるが、結局映画出演は立ち消えになったため、真相は不明。
同年9月、アルバム『20 Y.O.』(トゥエンティ・イヤーズ・オールド)を発売。ジャム&ルイスとの共同制作が20年を迎える記念碑的作品となった。過去のヒット曲のテイストを織り込んで制作したとされるが、当時の恋人である著名プロデューサーのジャーメイン・デュプリの参加によりジャム&ルイス色が薄らいでいる。セールス面では前作を大きく下回る結果となった。
2007年、ヴァージン・レコードとの契約を更新せず、同じくヴァージンを去ったジャーメイン・デュプリを追いかける形でアイランド・レコード(ユニバーサル ミュージック グループ)に移籍した。
2007年1月、アメリカの経済誌フォーブスがエンターテイメント界で活躍する女性で資産の多い女性トップ20を発表し、ジャネットは総資産181億円で7位にランクインした。
2007年10月に米国で公開された映画『Why Did I Get Married?』に主役級で出演している。
2008年2月、アルバム『Discipline(ディシプリン)』を発売。『コントロール』以降で初めてジャム&ルイスが参加しておらず、またジャネット自身は作詞・作曲に一切関わっていない異例なスタイルで制作された。ビルボードHOT200では『オール・フォー・ユー』以来の1位を獲得したものの、セールスの減少は止められなかった。1stシングル「Feedback」はビルボードHOT100で最高19位。しかし、他のシングルカットはビルボードHOT100にランクインせず。
レーベルが数か月でプロモーションを放棄したことをジャネットは非難し、わずか1年・1作品のみで、アイランドとの契約を終えたことが9月に明らかになった。
2008年9・10月に7年ぶりのツアー『Rock Witchu Tour』を米国とカナダのみで開催。規模が小さく商業的には不振に終わっている。また体調不良により幾つかの公演をキャンセルした。2009年2月に日本でも5公演が予定されたものの、1月下旬に「金融危機の影響」として延期を発表、後にキャンセルされた。
2009年9月、新曲「Make Me」をインターネットで発表。11月には同曲を含むベストアルバム『Number Ones』(米国外では『The Best of Janet Jackson』)を発売。
2010年代
2013年2月にEntertainment Tonight紙の取材において、以前から交際していたカタールの大富豪ウィサム・アル・マナ氏(Wissam Al Mana)と2012年末に密かにプライベートな結婚式を挙げていたことを公表した。結婚の贈り物はお互い児童チャリティへの寄付を選んだ。
2015年、イスラム教に改宗した[1]。
2015年11月2日、7年ぶりとなるニュー・アルバム『Unbreakable(アンブレイカブル)』を全世界同時発売。
同年12月、開催中のツアー「アンブレイカブル・ワールド・ツアー」の2016年1月以降の日程について、ドクターストップにより延期することを発表[2]。
2016年10月13日、第1子の妊娠を公表[3]。2017年1月に男児を出産した。
2019年には、ロックの殿堂入りすることが決定した[4]。
全米No.1獲得曲
アメリカ「ビルボード」誌に準拠。
ビルボード HOT100チャート
- When I Think Of You (1986年、2週連続)
- Miss You Much (1989年、4週連続)
- Escapade (1990年、3週連続)
- Black Cat (1990年)
- Love Will Never Do (Without You) (1991年)
- That's The Way Love Goes (1993年、8週連続)
- Again (1993年、2週連続)
- Together Again (1998年、2週連続)
- Doesn't Really Matter (2000年、3週連続)
- All For You (2001年、7週連続)
ビルボード R&Bチャート
- What Have You Done For Me Lately (1986年)
- Nasty (1986年)
- Control (1987年)
- Let's Wait A While (1987年)
- Diamond (Herb Alpert featuring Janet Jackson、1987年)
- Pleasure Plinciple (1987年)
- Miss You Much (1989年)
- Rhythm Nation (1990年)
- Escapade (1990年)
- The Best Things In Life Are Free (Luther Vandross & Janet Jackson、1992年)
- That's The Way Love Goes (1993年)
- Any Time,Any Place (1994年)
- I Get Lonely (1998年)
- What's It Gonna Be?! (Busta Rhymes featuring Janet Jackson、1999年)
- All For You (2001年)
- Call On Me (2006年)
ディスコグラフィ
アルバム・シングルの総売上枚数は1億枚以上。(2014年1月現在)
オリジナルアルバム
- 『ヤング・ラヴ』 - Janet Jackson (1982年)
- 『ドリーム・ストリート』 - Dream Street (1984年)
- 『コントロール』 - Control (1986年)
- 『リズム・ネイション 1814』 - Janet Jackson's Rhythm Nation 1814 (1989年)
- 『ジャネット』 - janet. (1993年)
- 『ザ・ヴェルヴェット・ロープ』 - The Velvet Rope (1997年)
- 『オール・フォー・ユー』 - All For You (2001年)
- 『ダミタ・ジョー』 - Damita Jo (2004年)
- 『トゥエンティ・イヤーズ・オールド』 - 20 Y.O. (2006年)
- 『ディシプリン』 - Discipline (2008年)
- 『アンブレイカブル』 - Unbreakable (2015年)
その他のアルバム
- 『モア・コントロール』 - Control: The Remixes (1987年、リミックスアルバム)
- 『ジャネット・リミキシッド』 - janet. Remixed (1994年、リミックスアルバム)
- 『デザイン・オブ・ア・ディケイド/グレイテスト・ヒッツ』 - Design Of A Decade (1996年、ベストアルバム)
- 『ザ・ベスト・オブ・ジャネット・ジャクソン』 - The Best (2009年、ベストアルバム)
アルバム ビルボードチャート・売上データ
発表年 |
アルバム名 |
POPチャート |
R&Bチャート |
US売上枚数 |
全世界売上枚数 |
---|---|---|---|---|---|
1982年 |
Janet Jackson |
63 |
6 |
約58万枚 |
約100万枚 |
1984年 |
Dream Street |
147 |
19 |
約34万枚 |
約100万枚 |
1986年 |
Control |
1 |
1 |
約680万枚 |
約1400万枚 |
1989年 |
Janet Jackson's Rhythm Nation 1814 |
1 |
1 |
約720万枚 |
約1400万枚 |
1993年 |
janet. |
1 |
1 |
約780万枚 |
約2000万枚 |
1996年 |
Design Of A Decade 1986/1996 |
3 |
4 |
約380万枚 |
約800万枚 |
1997年 |
The Velvet Rope |
1 |
2 |
約360万枚 |
約800万枚 |
2001年 |
All For You |
1 |
1 |
約320万枚 |
約800万枚 |
2004年 |
Damita Jo |
2 |
2 |
約99万枚 |
約300万枚 |
2006年 |
20.Y.O. |
2 |
1 |
約62万枚 |
約120万枚 |
2008年 |
Discipline |
1 |
1 |
約44万枚 |
約67万枚 |
2015年 |
Unbreakable |
1 |
1 |
売上データは Craving Janet およびWikipedia英語版Janet Jackson discographyによる
日本公演
1990年 Rhythm Nation Tour (ウドー音楽事務所)
- 5月17日,18日・東京ドーム、5月20日,21日・大阪城ホール、5月23日・横浜アリーナ
- 11月3日,4日・大阪城ホール、11月6日,7日・東京ドーム、11月14日,15日・名古屋レインボーホール、11月16日・横浜アリーナ
- 5月17日,18日・東京ドーム、5月20日,21日・大阪城ホール、5月23日・横浜アリーナ
1994年 janet. Tour (ウドー音楽事務所)
- 3月25日・長崎・ハウステンボス野外特設会場、3月27日・大阪城ホール、3月29日,30日・東京ドーム
1999年 The Velvet Rope Tour (キョードー東京)
- 1月12日,13日,14日・日本武道館、1月16日,17日,19日,20日・大阪城ホール、1月21日・愛知県体育館、1月23日・浜松アリーナ、1月25日,26日・日本武道館
2002年 All For You Tour (キョードー東京)
- 1月12日,13日・大阪ドーム、1月17日,18日・東京ドーム
2015年 Unbreakable World Tour (クリエイティブマン)
- 11月19日・インテックス大阪 5号館、11月21日,22日・さいたまスーパーアリーナ
- 11月19日・インテックス大阪 5号館、11月21日,22日・さいたまスーパーアリーナ
2019年 State of The World Tour (クリエイティブマン)
- 2月10日,11日・日本武道館
- 2月10日,11日・日本武道館
日本での出演
テレビ
HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP(フジテレビ、1997年12月1日)
SMAP×SMAP(フジテレビ)
MUSIC FAIR(フジテレビ)
夜のヒットスタジオ(フジテレビ)- 2006年10月 - 12月
森田一義アワー 笑っていいとも!(フジテレビ)
カワズ君の検索生活(フジテレビ)
うたばん(TBS)
ポップジャム(NHK総合)
知っとこ!(毎日放送)
HAPPY Xmas SHOW(日本テレビ)
CM
松下電器産業 Hi-Fiマックロード(1985年ごろ)
日本航空(1990年ごろ)
ツーカーホン関西(1996年ごろ)
逸話
兄・マイケルとの仲
度々家族間の確執が話題になるジャクソン・ファミリーだが、マイケルとの仲はとても良かったと言われている。
1995年に二人のデュエットScreamで共演した時のことをマイケルは『ビデオを撮ったのはジャネットと共演する為の口実』と話している。
記録 一枚のアルバムからのシングルの最高位が1位2位3位4位5位を達成(アルバム、コントロール)
一枚のアルバムから7枚のトップ5シングルを達成(アルバム、リズムネイション)
ポーラ・アブドゥル - 元振付師、「Nasty」のPVに出演も
ジェニファー・ロペス - 元バックダンサー、「That's The Way Love Goes」のPVに出演
AI (歌手) - 「ゴー・ディープ(Go Deep)」のPVに出演
ナインティナインのオールナイトニッポン - 彼女の発言が元のコーナー「ジャネット」がある。
脚注
^ “ジャネット・ジャクソンがイスラム教に改宗。”. (2015年9月21日). http://www.vogue.co.jp/celebrity/news/2015-09/21/janet-jackson 2015年11月29日閲覧。
^ “ジャネット・ジャクソン、手術のため春までツアーを延期”. シネマトゥデイ (2015年12月25日). 2015年12月25日閲覧。
^ “ジャネット・ジャクソン妊娠を公表 50歳でママに”. スポニチアネックス. (2016年10月13日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/10/13/kiji/K20161013013527040.html 2016年10月13日閲覧。
^ “ロキシー、ゾンビーズ、ジャネット、ロックの殿堂入りに喜びのコメント”. BARKS (2018年12月14日). 2019年2月2日閲覧。
外部リンク
公式サイト(英語)
Janet Jackson (@JanetJackson) - Twitter(英語)
Janet Jackson - Myspace(英語)
ジャネット | JANET(ユニバーサルミュージックジャパン)- EMI Music Japanの旧譜情報ページ
SmaSTATION-3 テレビ朝日の情報番組、2004年放送されたジャネットの半生についての記録
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