ダーコ・ミリチッチ
![]() 現役時代 (ミネソタ・ティンバーウルブズ) のミリチッチ (2010年) | |
引退 | |
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ポジション(現役時) | センター |
背番号(現役時) | 31 |
身長(現役時) | 213cm (7 ft 0 in) |
体重(現役時) | 124.7kg (275 lb) |
基本情報 | |
本名 | ダーコ・ミリチッチ |
ラテン文字 | Darko Miličić |
セルビア語 | Дарко Миличић |
誕生日 | (1985-06-20) 1985年6月20日(33歳) |
国 | ![]() |
出身地 | ![]() 南バチュカ郡ノヴィ・サド |
出身 | ![]() |
ドラフト | 2003年 2位 |
選手経歴 | |
2001-2003 2003-2006 2006-2007 2007-2009 2009-2010 2010-2012 2012 |
![]() ![]() ![]() ![]() ニューヨーク・ニックス ミネソタ・ティンバーウルブズ ボストン・セルティックス |
受賞歴 | |
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代表歴 | |
キャップ | ![]() ![]() |
ダルコ・ミリチッチ(セルビア語: Дарко Миличић,英語: Darko Miličić、1985年6月20日 - )は、セルビアのプロバスケットボール選手。NBAでプレーしていた。ユーゴスラビア連邦セルビア南バチュカ郡ノヴィ・サド出身。身長213cm、体重124.7kg。ポジションはセンター。
目次
1 経歴
2 代表
3 脚注
4 その他
5 関連項目
6 外部リンク
経歴
ユーロリーグでの活躍を経て、2003年のNBAドラフトにてデトロイト・ピストンズより1巡目2位で指名を受けて入団した(その頃のピストンズは好調であり高順位のドラフト指名権など持てるはずなどなかったが、1996年にバンクーバー・グリズリーズと行われたトレードによって指名権を得ることが出来た)。その年のピストンズはNBAチャンピオンシップを獲得するが、スターター・ベンチとも層の厚いピストンズではほとんど出場機会が与えられず、出場するときは敗戦確実な試合がほとんどだった。この時に付けられたあだ名は"The Human Victory Cigar"といい、「彼が出場する時観客は既に勝利のタバコを吸っている(勝敗が決まっている)。」という意味の屈辱的なもの。社長のジョー・デュマースも「彼は将来チームの為に大きな役割を果たすだろう」と語っていたが、その次のシーズンも出場時間は変わらず、2006年2月にマジックとピストンズの間で成立したトレードによってマジックへと移籍した。マジックではある程度の出場時間を得たが、2007年7月にメンフィス・グリズリーズに移籍した。2009年6月、トレードでニューヨーク・ニックスへ、2009-10シーズン中にニックスからミネソタ・ティンバーウルブズへ移籍、2011-2012シーズンまでプレーした。2012年9月、ボストン・セルティックスに移籍。同年11月21日、セルティックスから契約を解除された。
代表
セルビア・モンテネグロ代表選手であり、2006年に日本で開催されるバスケットボール世界選手権に参加するために来日して2002年の世界選手権金メダルの再現を目指してチームを引っ張った。ミリチッチは6試合に出場、チーム最高の1試合平均9.3リバウンド、2.8ブロック、チーム2位の16.2得点、1.8アシストをマーク、ベスト8決定戦ではスペインと対戦、NBAのオールスター選手でもあるパウ・ガソルとマッチアップして、18得点、15リバウンド、3ブロックを記録した。
脚注
その他
ドウェイン・ウェイドはオフシーズンにホテルを予約する際にダーコ・ミリチッチの名前を使う。ミリチッチのほうがドラフト上位で指名されたことに納得がいかず、その屈辱感を忘れないためとのこと。- 2004年、デトロイト・ピストンズ時代にNBAチャンピオンを経験した際、ラシード・ウォーレスの考案で選手や関係者全員に "チャンピオンベルト" が贈呈され、ミリチッチにもベルトが贈呈されたが、後に「自分は優勝に何一つ貢献出来なかった」という理由で、ベルトを「返上」している。
関連項目
- バスケットボール選手一覧
外部リンク
NBA.com-ダーコ・ミリチッチ- (英語)
ESPN.com-ダーコ・ミリチッチ- (英語)
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