河芸郡
河芸郡(かわげぐん)は、三重県にあった郡。
目次
1 郡域
2 歴史
3 脚注
4 参考文献
5 関連文献
6 関連項目
郡域
1896年(明治29年)に行政区画として発足した当時の郡域は、以下の区域にあたる。
津市の一部(概ね栗真各町、一身田各町、夢が丘、大里各町、高野尾町、芸濃町椋本、芸濃町忍田、芸濃町楠原以北)
鈴鹿市の一部(国分町、木田町、山辺町、野辺町、竹野町、竹野、三日市、三日市町、三日市南、道伯、道伯町、稲生町、鈴鹿ハイツ、御薗町、長法寺町、三宅町より南東[1])
亀山市の一部(関町萩原・関町福徳)
歴史
- 明治29年(1896年)4月1日 - 郡制の施行のため、河曲郡・奄芸郡の区域をもって河芸郡が発足。(2町20村)
- 旧・河曲郡(1町6村) - 神戸町・飯野村・河曲村・一ノ宮村・箕田村・玉垣村・若松村(現・鈴鹿市)
- 旧・奄芸郡(1町14村) - 白子町・稲生村・天名村・合川村・栄村(現・鈴鹿市)・上野村・豊津村・黒田村・白塚村・栗真村・一身田村・大里村・高野尾村・椋本村(現・津市)・明村(現・津市、亀山市)
- 明治30年(1897年)
9月1日 - 郡制を施行。郡役所が白子町に設置。
9月30日 - 若松村の一部(岸岡)が玉垣村に編入。
- 明治44年(1911年)4月1日 - 一身田村が町制施行して一身田町となる。(3町19村)
大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
昭和17年(1942年)12月1日 - 白子町・神戸町・稲生村・飯野村・河曲村・一ノ宮村・箕田村・玉垣村・若松村が鈴鹿郡国府村・庄野村・高津瀬村・牧田村・石薬師村と合併して鈴鹿市が発足し、郡より離脱。(1町12村)- 昭和22年(1947年)7月1日 - 白塚村が町制施行して白塚町となる。(2町11村)
- 昭和29年(1954年)
1月15日 - 一身田町が津市に編入。(1町11村)
8月1日(7村)
- 白塚町・栗真村が津市に編入。
- 合川村・天名村・栄村が鈴鹿市に編入。
10月15日 - 豊津村・上野村・黒田村が合併して河芸町が発足。(1町4村)
- 昭和31年(1956年)9月30日 - 下記の変更により河芸郡消滅。三重県内では1896年の郡の再編以来、安濃郡とともに初の郡消滅となった。
- 河芸郡椋本村・明村・安濃郡安西村・雲林院村・河内村が合併して安芸郡芸濃町が発足。
- 河芸郡・安濃郡の区域をもって安芸郡が発足。
脚注
^ 近鉄鈴鹿線・平田町駅周辺の住居表示実施地区については不詳。本項では現在の鈴鹿市の地域区分によった。
参考文献
角川日本地名大辞典 24 三重県
関連文献
- 中林楓水 『河芸郡史』 河芸郡史編纂会、1918年。NDLJP:959169。
関連項目
- 消滅した郡の一覧
北勢 - 現在の鈴鹿市域。
中勢 - 現在の津市域。
先代: 河曲郡・奄芸郡 | 行政区の変遷 1896年 - 1956年 | 次代: 安芸郡 |