安定郡




安定郡(あんてい-ぐん)は、中国にかつて存在した郡。現在の寧夏回族自治区中南部及び甘粛省平涼市、白銀市及び鎮原県一帯に相当する。




目次






  • 1 漢代


  • 2 魏晋南北朝時代


  • 3 隋代


  • 4 唐代


  • 5 脚注





漢代


前114年(元鼎3年)、漢朝により北地郡より分割して設置された。郡治は高平県に置かれ、涼州刺史部の管轄とされた。漢代の管轄県については下表を参照。



















































































漢朝の行政区画変遷
『漢書』地理志 『後漢書』地理志

高平県

朝那県

臨涇県

三水県

陰槃県

彭陽県
復累県 -
安俾県 -
撫夷県 -
涇陽県 -
鹵県 -
烏氏県 -
陰密県 -
安定県 -
参䜌県 -
安武県 -
祖厲県 -
爰得県 -
眴巻県 -
鶉陰県 -
月氏道 -

烏枝県

鶉觚県


魏晋南北朝時代


晋のとき、安定郡は、臨涇・朝那・烏氏・都盧・鶉觚・陰密・西川の7県を管轄した[1]。北魏のとき、安定郡は涇州に属し、安定・臨涇・朝那・烏氏・石堂の5県を管轄した[2]。北周の時代には、安定郡の管轄県は安定・烏枝・臨涇・撫夷の4県まで縮小していたが、更に烏枝・臨涇・撫夷の3県が廃止となり、管轄県は安定県の1県のみとなった。






















































魏晋南北朝時代の行政区画変遷
『晋書』地理志 『魏書』地形志 涇州 『北周地理志』 『読史方輿紀要』
臨涇県
朝那県
烏氏県 烏枝県
都盧県
鶉觚県
陰密県
西川県

安定県
石堂県
撫夷県


隋代


583年(開皇3年)、隋が郡制を廃すると、安定郡は涇州と改められた。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、涇州は安定郡と改称された。安定・鶉觚・陰盤・朝那・良原・臨涇・華亭の7県を管轄した[3]



唐代


618年(武徳元年)、唐が薛仁杲を平定すると、安定郡は涇州と改められた。742年(天宝元年)、涇州は安定郡と改称された。758年(乾元元年)、安定郡は涇州と改称され、安定郡の呼称は姿を消した[4]



脚注




  1. ^ 『晋書』地理志上


  2. ^ 『魏書』地形志二下


  3. ^ 『隋書』地理志上


  4. ^ 『旧唐書』地理志一













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