NEC山形サッカー部
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NEC山形サッカー部 | |
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原語表記 | NEC山形サッカー部 |
呼称 | NEC山形(1984年 - 1995年) モンテディオ山形(1996年 - 1998年) |
創設年 | 1984年 |
解散年 | 1998年 |
ホームタウン | 山形県 |
ホームスタジアム | 山形県総合運動公園陸上競技場他 |
■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
NEC山形サッカー部(エヌ・イー・シーやまがたサッカーぶ)は、かつて存在した日本のサッカークラブ。山形日本電気(NEC山形)のサッカー部として1984年に創部し、1996年から1998年まではアマチュア組織のままでチーム名を「モンテディオ山形」と呼称した。日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するモンテディオ山形の前身となったクラブである。
目次
1 概要
2 成績
3 スタジアム
4 タイトル・主な成績
4.1 リーグ戦
4.2 その他
5 歴代ユニフォームスポンサー
6 モンテディオ山形と異なる点
7 脚注
8 関連項目
概要
べにばな国体のメイン会場にもなったNEC山形サッカー部の本拠地・山形県総合運動公園陸上競技場
1984年に山形日本電気の鶴岡工場内で創部された「山形日本電気サッカー同好会」からスタートし[1]、1985年に山形工場内へ本拠地を移転した。
1987年、鶴岡地区リーグ在籍時に地元で1992年に開催の第47回国民体育大会(べにばな国体)のサッカー競技承引企業に指定され、地元の有力高校から強化指定選手を採用するなど本格的に強化。1989年に発足した山形県社会人サッカーリーグで優勝した。
1990年より東北社会人サッカーリーグに昇格。その年の東北リーグはリーグ2連覇中のTDKサッカー部(現:ブラウブリッツ秋田)などが所属していたが、12勝2分(無敗)、得失点差+36の成績で初出場初優勝を飾った。また、全国地域サッカーリーグ決勝大会(地決)に初めて参加し、東京ガスサッカー部(現:FC東京)などと同組のグループAに入ったが1勝1敗の成績でグループリーグ敗退。また、天皇杯全日本サッカー選手権大会の東北予選を突破して本戦へ初めて出場(1回戦で全日空サッカークラブに敗北)。
1991年、東北リーグは14戦全勝の成績で2位の東北電力サッカー部(現:ベガルタ仙台)に勝ち点8差を付けて2年連続の優勝(2度目)。初出場となった全国社会人サッカー選手権大会(全社)は準々決勝でPJMフューチャーズに敗北するがベスト8の成績。地決はグループAを1勝1分の成績で突破したが、決勝ラウンドは2分1敗で4チーム中最下位に終わった。
1992年、東北リーグは11勝2分1敗の成績で2位の東北電力に勝ち点5差を付けて3年連続の優勝(3度目)。地決はグループAを2戦2勝で突破。決勝ラウンドはPJMなどと同組となったが1勝1分1敗で4チーム中3位の成績で上部リーグへの昇格は成らなかった。なお、べにばな国体は成年1部で6位に入賞した。
1993年、東北リーグは13勝1分(無敗)の成績で2位の東北電力に勝ち点3差を付けて4年連続の優勝(4度目)。全社は2回戦で藤枝市役所サッカー部に敗北。地決はグループAを1勝1分の成績で突破。決勝ラウンドは日本電装(現:FC刈谷)などが同組となり1勝1分1敗の成績で4チーム中2位に入りジャパンフットボールリーグ2部の下位チームとの入れ替え戦に出場。1回戦は西濃運輸サッカー部に敗れたが、敗者復活戦で日本電装に勝利して東北地方に本拠地を置くクラブとして初めてのJFL昇格を果たした。
1994年よりジャパンフットボールリーグ(JFL)へ昇格[1]、この年の天皇杯で初めてJリーグ加盟クラブと対戦(1回戦:相手は名古屋グランパスエイト)。1995年より石崎信弘が監督に就任。
1996年、将来のJリーグ昇格に向けて「NEC山形」からチームの名称変更を実施する事になった。県民などによる一般投票(投票総数1570票)の結果、「モンテディオ山形」、「オラクロス山形」、「ヴァーテクス山形」、「アルテリア山形」、「山形セレノール」という5つの名称候補の中から最多の490票を獲得した「モンテディオ山形」に決定し、アマチュアチームのままチーム名をモンテディオ山形へ変更[1]。なおNEC系列のスポーツクラブでは、基本的に「○○ロケッツ」(○にはチームカラーの英語名が入る)を使っているが、モンテディオ山形は、かつてバレーボール女子リーグに加盟した「NEC関西レイクスターズ」と同様に「○○ロケッツ」を使用しなかった。
1999年からのJリーグ加盟に向け、1996年9月、山形県サッカー協会・モンテディオ山形後援会・NEC山形による「モンテディオ山形法人設立準備室」が設置され、法人化に向けた準備を開始する。しかし、行政・NEC山形以外の出資企業が現れない為にJ2参入条件の一つである法人設立が難航した。1997年4月、当時のチーム運営母体のNEC山形が、法人化が実現しなかった場合の当年限りのJFL撤退を表明(但しユニフォームのスポンサー協賛は継続)し、山形県内の企業に法人化に向けた支援を求めた。
その後、同年5月には後に山形県副知事ならびに山形県スポーツ振興21世紀協会理事長となる山形県教育長の金森義弘が積極的な行政支援を表明するなど、法人設立に向けての活動が促進され、1997年9月29日、モンテディオ山形法人設立準備室は運営母体を社団法人としてクラブを運営するとし、1998年2月に社団法人山形県スポーツ振興21世紀協会が設立され、プロ化した[1]。なお、1998年シーズンは一時期首位に立つも最終的には3位になった。その後、クラブは1999年よりJリーグへ加盟して、Jリーグ ディビジョン2(J2)へ参加した。
成績
年度 | 所属 | 順位 | 勝点 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 天皇杯 | 監督 |
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1984 | 該当なし | ![]() |
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1985 | 鶴岡地区5部 | 優勝 | - |
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1986 | 鶴岡地区4部 | 優勝 | - |
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1987 | 鶴岡地区3部 | 優勝 | - |
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1988 | 鶴岡地区2部 | 2位 | - |
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1989 | 山形県 | 優勝 | - |
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1990 | 東北 | 優勝 | 26 | 14 | 12 | 2 | 0 | 1回戦敗退 | ![]() |
1991 | 優勝 | 28 | 14 | 14 | 0 | 0 | 1回戦敗退 |
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1992 | 優勝 | 24 | 14 | 11 | 2 | 1 | 1回戦敗退 |
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1993 | 優勝 | 27 | 14 | 13 | 1 | 0 | - |
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1994 | JFL | 13位 | - | 30 | 10 | - | 20 | 1回戦敗退 | ![]() |
1995 | 10位 | 41 | 30 | 13 | - | 17 | - | ![]() |
|
1996 | 8位 | 49 | 30 | 16 | - | 14 | 3回戦敗退 |
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1997 | 5位 | 56 | 30 | 19 | - | 11 | 3回戦敗退 |
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1998 | 3位 | 64 | 30 | 22 | - | 8 | 4回戦敗退 |
スタジアム

山形市陸上競技場
山形県総合運動公園陸上競技場 (1994年および1996年以後の本拠地)
山形市陸上競技場 (1995年に山形県総合運動公園陸上競技場の改修期間に伴い、本拠地として使用)。- 鶴岡市小真木原陸上競技場
山形県野球場 (1994年のみ。当時県内にナイターが可能な球技場がなかったため)
タイトル・主な成績
リーグ戦
東北社会人サッカーリーグ
- 優勝(4回):1990, 1991, 1992, 1993
山形県社会人サッカーリーグ
- 優勝(1回):1989
その他
全国地域サッカーリーグ決勝大会
- 準優勝(1回):1993年(第17回)
- 3位(2回):1991年(第15回)、1992年(第16回)
歴代ユニフォームスポンサー
年度 | 胸 | 背中 | 袖 | パンツ | サプライヤー |
1997 | - | 紅花の山形路 | 米エリアYAMAGATA | - | PUMA |
1998 | 四季感動の やまがた |
はえぬき |
モンテディオ山形と異なる点
現在はかつてのNEC山形創設時から今日に至るまでの経緯により、「山形市・天童市・鶴岡市を中心とした山形県全域」をホームタウンと位置づけており、J2初期のころは山形県陸上競技場(現・NDソフトスタジアム山形)のほか、山形市陸上競技場、鶴岡市小真木原陸上競技場でも主催試合をしていた。
また、昇格当時は山形県内にJリーグ・JFLの公式戦に必要なナイター設備を整えた球技場が存在しなかったため、1994年に限り山形県野球場を間借りして数試合を主管したことがあった。1995年に山形市陸上競技場、1996年に山形県陸上競技場にそれぞれ照明塔が完成しナイター開催も可能となった。
脚注
- ^ abcdクラブガイド:モンテディオ山形 Jリーグ公式サイト
関連項目
NEC山形サッカー部と同じく、日本電気(NEC)グループに属するチームを前身とした(あるいは現在も同グループ内で活動する)チーム
NEC TOKIN FC:他チームに吸収廃部
NECグリーンロケッツ(ラグビーチーム)
NECブルーロケッツ(男子バレーボールチーム):休部
NECレッドロケッツ(女子バレーボールチーム)
NECパープルロケッツ(女子バスケットボールチーム):休部
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