高槻市立日吉台小学校
高槻市立日吉台小学校 | |
---|---|
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 高槻市 |
設立年月日 | 1971年4月1日 |
創立記念日 | 6月17日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2学期制 |
所在地 | 〒569-1022 |
大阪府高槻市日吉台一番町24番18号 北緯34度52分11.8秒東経135度36分47.5秒 | |
外部リンク | 公式サイト |
プロジェクト:学校/小学校テンプレート |
高槻市立日吉台小学校(たかつきしりつ ひよしだいしょうがっこう)は、大阪府高槻市日吉台一番町にある公立小学校。
目次
1 沿革
2 立地
3 歴史
4 校章・校歌
5 通学区域(学区)
6 中学校への進学
7 歴代校長
8 全校生徒数(全て年の5月1日現在)
9 著名な卒業生
10 その他
11 校内施設
12 交通アクセス
13 関連項目
14 脚注・出典
15 外部リンク
沿革
1960年代から急速に開発された日吉台、弥生が丘などのニュータウンに流入する人口の肥大化に対応する為、それまで芥川小学校の学区であった真上町、天神町の一部、磐手小学校の学区の一部の分離を含めて開校された。
後の1980年代に、比較的末期に入居が始まった日吉台、弥生が丘、真上町北部や、開発が終了した芝谷町、寺谷町への新規入居者の増大、生徒数の肥大に伴い、日吉台二・三・四・五・七番町、弥生が丘、成合町の児童は、1989年4月に新設された北日吉台小学校の学区に変更・分割される。
立地
1960年代頃から開発された山岳部丘陵地帯の新興住宅街に建設、周辺学区のほとんどが住宅である。北に高槻市立日吉台幼稚園、南側に西公園が隣接。
傾斜地に建設されている為、三段の敷地構成(下段に校庭&体育館、中段に南校舎&給食室、上段に北校舎&サブグラウンド)。
学区内には、後にほとんどが廃止、解体された社宅・国家公務員宿舎を除き、ほぼ賃貸住宅が無く、分譲住宅自己所有の世帯が大半のため、経済的基盤が一定以上の家庭の児童が多く占める特殊な地域である。
歴史
1971年(昭和46年)4月1日 - 開校
- 4月3日 - 南校舎完成(完工式) 特別教室4、普通教室26、管理室、給食室
- 4月5日 - 高槻市教育委員会主催による開校式。児童819名・21学級。初代校長=原田昌邦・教頭=福田多恵志 着任。第一回入学式を造成中の運動場にて行う。
- 4月5日 - P.T.A.結成準備委員の人選及び会の結成
- 4月8日 - 初の始業式を屋上で行う
- 4月27日 - P.T.A.規約案決定並びに昭和46年度役員・監査委候補者を選出
- 6月17日 - 校章決定発表
- 7月1日 - プール完工
- 10月16日 - 第一回体育大会実施(運動会のうた制定)
- 10月28~29日 - 第一回修学旅行実施(伊勢方面)
- 10月 - 体育館完工
1972年(昭和47年)2月2日 - 校歌制定
- 1~2月 - 耐寒かけ足実施(耐寒遠足)
- 3月10日 - 校舎西及び体育館前花壇等完成
- 3月17日 - 第一回卒業式
- 4月2日 - 第二回入学式
- 7月 - 校舎増築促進のためP.T.A.特別委員会設置。陳情書提出
- 10月7日 - 第二回体育大会
- 10月14日 - 学校、校区、人文字の航空写真撮影
- 10月19日~20日 - 修学旅行(岡山方面)帰途にバス事故発生
1973年(昭和48年)3月17日 - 第二回卒業式
- 4月1日 - 中島正雄教頭就任
- 4月6日 - 第三回入学式
- 8月 - 北新館建設開始
- 10月6日 - 第三回体育大会
- 10月25日~26日 - 修学旅行(岡山方面)
1974年(昭和49年)3月10日 - 気象観測露場完成
- 3月19日 - 第三回卒業式
- 3月20日 - 北新館完成(東側図書室、普通教室6室)
- 4月6日 - 第四回入学式
- 8月20日 - 運動場、投擲板完成
- 10月5日 - 第四回体育大会
- 10月31日~11月1日 - 修学旅行(岡山方面)
1975年(昭和50年)
- 3月10日 - 小鳥、にわとり小屋完成
- 3月19日 - 第四回卒業式
- 4月7日 - 第五回入学式
- 6月30日 - 楽焼窯完成
- 8月 - 北新館増築工事開始
- 9月17日~18日 - 修学旅行(岡山方面)
- 10月6日 - 第五回体育大会
1976年(昭和51年)3月10日 - 岩石園完成
- 3月18日 - 第五回卒業式
- 3月31日 - 北新館増築工事完工(普通教室8室)
- 4月6日 - 第六回入学式
- 7月 - 夏季児童水泳指導について、市財政困難のため地区単位でP.T.A.による自主的プール指導を行うよう変更。
- 10月2日 - 第六回体育大会
- 11月4日~5日 - 修学旅行(広島・宮島方面)
1977年(昭和52年)3月18日 - 第六回卒業式
- 4月6日 - 第七回入学式
- 7月21日~22日 - 5年生林間学校(関西サイクルスポーツセンター)
- 9月21日~22日 - 修学旅行(広島・宮島方面)
- 10月1日 - 第七回体育大会
1978年(昭和53年)3月18日 - 第七回卒業式
- 4月6日 - 第八回入学式
- 8月24日~25日 - 5年生 林間学校(関西サイクルスポーツセンター)
- 9月30日 - 第八回体育大会
- 10月5日~6日 - 修学旅行(広島・宮島方面)
1979年(昭和54年)3月17日 - 第八回卒業式
- 4月1日 - 高木敏夫教頭 着任
- 4月6日 - 第九回入学式
- 6月18日 - 高木敏夫教頭急逝
- 7月30日~31日 - 5年生 林間学校(関西サイクルスポーツセンター)
- 9月1日 - 中村仁教頭 着任
- 10月6日 - 第九回体育大会
- 10月17日 - 学校、校区、人文字の航空写真撮影
- 11月8日~9日 - 修学旅行(広島・宮島方面)
1980年(昭和55年)3月19日 - 第九回卒業式
- 4月7日 - 第十回入学式
- 7月25日 - 真上からの仮設通学路完成
- 7月30日~31日 - 5年生 林間学校(関西サイクルスポーツセンター)
- 10月5日 - 十周年記念体育大会
- 11月11日~12日 - 修学旅行(広島・宮島方面)
- 11月 - 十周年記念の観察池、水槽完成
1981年(昭和56年) - 創立10周年記念誌発行
- 1月 - 10周年記念図工展
- 2月 - 父母球技大会
- 3月19日 - 第十回卒業式
1982年(昭和56年)4月1日 - 卒業生のぼぼ全員が進学する高槻市立芝谷中学校が開校。
1983年(昭和58年)度 - 校舎増築のためP.T.A.要望書提出
1986年(昭和61年)10月 - 過大規模校解消の強い要望がP.T.A.会員より上がり、準備委員会設置。
1987年(昭和62年)
- 4月 - 過大規模校解消のため特別委員会設置
- 5月 - 請願署名運動。 要望書、提出
- 6月 - 市議会において新設校が決議
1988年(昭和63年)8月 - 新設校の造成工事始まる
1989年(平成1年)4月1日 - 北日吉台小学校開校に伴い、それまでの通学区域(学区)の一部が北日吉台小学校に移管される。
2000年(平成12年) - 創立30周年記念式典。記念として、航空写真の下敷き全児童に配布。校庭百葉箱下にタイムカプセル埋設(創立50周年の2020年6月17日発掘開封を予定)
2007年(平成19年)4月 - 安岡寺小学校校区の一部が日吉台小学校校区へ変更。2学期制導入
2014年(平成26年)3月19日 - 第43回卒業式
- 4月1日 - 松本栄治教頭 着任
- 4月7日 - 第44回入学式
2015年(平成27年)3月19日 - 第44回卒業式
- 4月1日 - 粟生勝弘教頭 着任
- 4月7日 - 第45回入学式
2016年(平成28年)3月18日 - 第45回卒業式
- 4月7日 - 第46回入学式
2017年(平成29年)4月1日 - 尾崎禎子教頭 着任
- 4月7日 - 第47回入学式
- 6月22日~23日 - 5年生 林間学校
2018年(平成30年)3月19日 - 第47回卒業式
- 4月1日 - 中村浩三教頭 着任
- 4月6日 - 第48回入学式
[1][2]
校章・校歌
校章は開校当初から存在したわけではなく、開校から1か月経過した頃、教師達から募集。当時の本校教師、中村仁氏が描いた物が採用される。校章のマークは「日吉台の太陽を象徴し、日の光が八方に広がって行く、学校もそのように永遠に広がり前進していく」という意味がある。
校歌も開校当初から存在したわけではなく、こちらも中村仁氏が作詞・作曲した応募曲が採用される。なお開校初年度に制定された本校の「運動会のうた」も作詞作曲している。
中村仁氏は開校時から5年間、本校にて教諭、また1979年(昭和54年)6月18日に急逝された高木敏夫教頭の跡を受け、同年9月1日から本校教頭を歴任した。
通学区域(学区)
- 奥天神町1~3丁目
- 芝谷町50・53・55・65番
- 寺谷町1~13番
- 天神町1丁目15番(天神町公園以北地区のみ)
- 天神町2丁目20~29・31~35番
- 日吉台1・6番町
- 真上町5・6丁目
- 緑が丘2丁目12~15番
- 宮が谷町(但し1~7番は奥坂小)[3]
※かつて、北日吉台小学校の開校(1989年4月)以前は、日吉台&弥生が丘全域&成合町の一部も通学区域に含まれていた。
中学校への進学
卒業生は基本的に高槻市立芝谷中学校へ進学する。芝谷中学校が開校する1982年4月以前は、高槻市立第八中学校であった。
歴代校長
氏名 | 着任年月日 | 備考 | |
---|---|---|---|
初代 | 原田昌邦 | 1971年(昭和46年)4月1日~ | |
2代 | 仲谷敏男 | 1975年(昭和50年)4月1日~ | |
3代 | 森本正夫 | 1977年(昭和52年)4月1日~ | |
4代 | 漆原有鄰 | 1982年(昭和57年)4月1日~ | 1984年(昭和59年)3月10日、自死。享年55歳[4] |
5代 | 中西 澄 | 1984年(昭和59年)4月1日~ | |
6代 | 村上 速 | 1987年(昭和62年)4月1日~ | |
7代 | 上出幸雄 | 1989年(平成1年)4月1日~ | |
8代 | 井上一之 | 1993年(平成5年)4月1日~ | |
9代 | 西田征弘 | 1998年(平成10年)4月1日~ | |
10代 | 真下幸美 | 2002年(平成14年)4月1日~ | |
11代 | 仲村達男 | 2007年(平成19年)4月1日~ | |
12代 | 高畑 稔 | 2010年(平成22年)4月1日~ | |
13代 | 森美佐子 | 2014年(平成26年)4月1日~ | 前年度まで本校教頭を歴任 |
14代 | 井出裕之 | 2017年(平成29年)4月1日~ |
全校生徒数(全て年の5月1日現在)
最も生徒数が多かった年は、新設された北日吉台小学校へ学区が分割される前年度の1988年(昭和63年)の1573人。また、最少は2004年(平成16年)の551人である。
1971年(昭和46年) 819人 | |
1972年(昭和47年) 1001人 | |
1973年(昭和48年) 1083人 | |
1974年(昭和49年) 1177人 | |
1975年(昭和50年) 1240人 | |
1976年(昭和51年) 1396人 | |
1977年(昭和52年) 1347人 | |
1978年(昭和53年) 1326人 | |
1979年(昭和54年) 1358人 | |
1980年(昭和55年) 1374人 | |
1981年(昭和56年) 1333人 | |
1982年(昭和57年) 1291人 | |
1983年(昭和58年) 1369人 | |
1984年(昭和59年) 1400人 | |
1985年(昭和60年) 1457人 | |
1986年(昭和61年) 1503人 | |
1987年(昭和62年) 1528人 | |
1988年(昭和63年) 1573人 | |
1989年(平成1年) 931人 | |
1990年(平成2年) 935人 | |
1991年(平成3年) 950人 | |
1992年(平成4年) 915人 | |
1993年(平成5年) 912人 | |
1994年(平成6年) 892人 | |
1995年(平成7年) 886人 | |
1996年(平成8年) 814人 | |
1997年(平成9年) 790人 | |
1998年(平成10年) 748人 | |
1999年(平成11年) 691人 | |
2000年(平成12年) 612人 | |
2001年(平成13年) 573人 | |
2002年(平成14年) 580人 | |
2003年(平成15年) 563人 | |
2004年(平成16年) 551人 | |
2005年(平成17年) 546人 | |
2006年(平成18年) 577人 | |
2007年(平成19年) 591人 | |
2008年(平成20年) 573人 | |
2009年(平成21年) 606人 | |
2010年(平成22年) 598人 | |
2011年(平成23年) 587人 | |
2012年(平成24年) 581人 | |
2013年(平成25年) 596人 | |
2014年(平成26年) 610人 | |
2015年(平成27年) 600人 | |
2016年(平成28年) 623人 | |
2017年(平成29年) 628人 |
[5]
著名な卒業生
この節の加筆が望まれています。 |
村上信五(関ジャニ∞)
その他
- 毎年夏、地域の祭り(ふるさと祭り)が開催されている。
校内施設
体育館1971年(昭和46年)10月完工
観察水槽1980年(昭和55年)11月完成(十周年記念)
観察池1980年(昭和55年)11月完成(十周年記念)
百葉箱1974年(昭和49年)3月10日完成
交通アクセス
JR京都線 高槻駅 から 高槻市営バス日吉台循環JR高槻駅北行きで、日吉台口停留所下車、徒歩約5分。
関連項目
- 大阪府小学校一覧
脚注・出典
^ 日吉台小学校PTAの歴史pdfファイル日吉台小学校ホームページ内
^ 日吉台小学校十周年記念誌(1981年2月-日吉台小学校刊)
^ 高槻市校区一覧表/平成26年7月30日現在
^ 『理想のゆくえ』-大阪・高槻市にみる戦後教育の軌跡 第一部「校長の死」/池田知隆 pdfファイル
^ 教育要覧 高槻市教育委員会編集
外部リンク
- 日吉台小学校
- 日吉台小学校PTAの歴史 pdfファイル