グレート東郷












































グレート東郷
プロフィール
リングネーム
グレート東郷
グレート・トージョー
ジョージ岡村
ブル伊藤
本名
ジョージ・カズオ・オカムラ
(「ジョージ」ではなく「ポール」との説もあり)
ニックネーム
日系の流血王
血笑鬼
世紀の悪玉
身長
168cm
体重
100kg
誕生日
1911年10月11日
死亡日
(1973-12-17) 1973年12月17日(62歳没)
出身地
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
オレゴン州フートリバー
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グレート東郷Great Togo、本名:ジョージ・カズオ・オカムラGeorge Kazuo Okamura〉、日本名:岡村 一夫〈おかむら かずお〉、1911年10月11日 - 1973年12月17日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。オレゴン州フートリバー出身の日系アメリカ人。


生年・出自については諸説あり、父は日本人、母は中国人のそれぞれアメリカ移民であったという説、両親とも日本人で熊本県あるいは沖縄県から移民したという説、朝鮮半島出身説[1]などが語られていて、真相は不明である(この経緯は下記関連書参照)。


リングネームの変遷はブル伊藤ジョージ岡村グレート・トージョー(東條)→グレート東郷




目次






  • 1 来歴


  • 2 逸話


  • 3 モデルになった作品


  • 4 獲得タイトル


  • 5 関連書籍


  • 6 脚注


  • 7 外部リンク





来歴


1933年にサンフランシスコのプロモーターにスカウトされ[2]、第二次世界大戦後のアメリカのプロレス界で頭角を現した。その後来日し、日本プロレス、国際プロレスなどのリングにも上がった。特に1962年に行われた「噛みつき魔」フレッド・ブラッシーとの一戦は壮絶で、東郷の額から激しく滴り落ちる流血をテレビで見た老人数名がショック死して社会問題になったこともある。


アメリカのリングでは終戦直後にまだまだ残っていた反日感情を利用してヒールに徹した。終戦からまだ10年もたっていない1950年代当時のアメリカで「軍国主義の頭目」と見られていた東條英機の苗字にあやかったリングネーム「グレート・トージョー」を当初名乗ったが、「東條」の名字をそのまま使うのはあまりにも刺激が強すぎるという判断から(実際にアメリカの巡業先の会場にて観客から暴行を受けたことを日刊スポーツの記者に語っている)、著名な大日本帝国海軍の軍人である東郷平八郎にあやかったリングネーム「グレート東郷」に変更し、晩年までこのリングネームを用いた[3]


リングコスチュームは股引スタイルで、窮地に陥ったときの卑屈な懇願のあとの「股間への蹴り」や塩による「目潰し攻撃」などの反則技を売り物にした(卑屈に許しを乞うた後のいきなりの反則は、当時のアメリカ人の観客に「日本軍のだまし討ち」とされていた真珠湾攻撃を連想した)。


卑劣かつ姑息な反則技や薄ら笑い、東洋風のコスチューム、塩をまく「儀式」など東郷独自のレスリングスタイルはその後しばらくの間アメリカにおける日本人および日系アメリカ人ヒールレスラーの雛形となり、キンジ渋谷、ミツ荒川、トージョー・ヤマモト、プロフェッサー・タナカ、ミスター・フジなどに受け継がれていった。しかし全盛時代の東郷は試合のたびにファンに襲われ[3]、ときには銃剣で田楽刺しにされそうになったこともあったという。また、日系アメリカ人協会から抗議されたこともあった。


日本のリングでは、頭突き攻撃や空手チョップなどの技を使い、根性溢れるベビーフェイスとして活躍した。ブッカーとしても手腕を振るい、グレート・アントニオなどの大物・怪物レスラーを来日させた。アントニオ来日の際は彼の首に鎖をつないで先導するなどマネージャー役も演じている。


日本プロレスのアメリカにおける窓口として、さまざまなレスラーを斡旋するが、力道山死後の1963年12月20日に、芳の里淳三、遠藤幸吉、吉村道明、豊登の4人から、ブッキング料を巡るトラブルでブッカーを解任される[4]。その報復として、アメリカ遠征中だったジャイアント馬場に高額の契約金を保証してアメリカに定着するよう、フレッド・アトキンスを通して説得したが失敗に終わった[5]


1968年、日本での復活を策して国際プロレスにも協力し、ブッカーとして外国人レスラーを斡旋したほか、TBS放送開始初戦のルー・テーズ対グレート草津戦において、草津側のセコンドにもついている。しかし、日本プロレスから大木金太郎を引き抜こうとしたために[1]、宿泊中のホテルニューオータニで、ユセフ・トルコと松岡巌鉄から暴行を受けるという事件が勃発(トルコ側は暴行を否定している)。また、ブッキング料を巡るトラブルから、招聘した外国人選手に試合出場をボイコットさせるなど[1]、最終的には国際プロレスとも決別することとなった。


翌1969年1月には、ルー・テーズと組んで、日本での第三勢力として『トーゴー&テーズ・カンパニー』(ナショナル・レスリング・エンタープライズ = 仮称)なる新団体の設立を画策(シャチ横内がエース候補として予定されていた。実際に東郷がテーズを訪問したのは1回のみだった[6])したが、この情報を察知した日本プロレスによる妨害工作に遭った他(東京スポーツも日本プロレスによる妨害工作に加担していた)、NETテレビ(現:テレビ朝日)とフジテレビへの売り込みにも失敗し、同年8月にNWAへの加盟を申請したが、8対10で否決されたことで頓挫している[6][7]


1973年12月17日、胃癌の手術の経過が思わしくなく、ロサンゼルスにて62歳で死去。



逸話


  • 「血はリングに咲く花」は、東郷の「名言」として取り上げられる場合が多いが、『悪役レスラーは笑う』(岩波新書)では、東京スポーツの記者だった桜井康雄が、これは東郷のセリフではなく、桜井の作った東郷のキャッチコピーだったことを明かしている。

  • 金銭にまつわるエピソードも多い。たとえば、ジャイアント馬場はアメリカ武者修行時代、東郷から「車の灰皿を使うな」(車を転売する際、一箇所でも痛んでいると安く買い叩かれるため)、「練習すると腹が減るから夕方まで寝ていろ」(食事代を節約するため)などの注意を受けていたという[5]。一方で、力道山の個人秘書を務め、その死後も東郷と親交のあった吉村義雄や、前述の桜井康雄などは「金銭に厳しい面は確かにあったが、仕事に見合う対価を要求しただけであり、いわゆる守銭奴というようなものではない」といった証言をしている[8]

  • 力道山の死後に日本プロレスと決別したのも高額なブッキング料が一因であり、TBSプロレス(国際プロレス)のブッカーに就くと予想通り法外なブッキング料をTBSに要求し決裂した。ただし、「高額なブッキング料に見合うだけの豪華メンバーは確かに呼んでいた」と評価する声もあり(オープニング・シリーズの招聘外国人は、ルー・テーズ、ダニー・ホッジ、ハンス・シュミット、ワルドー・フォン・エリック、ブルドッグ・ブラワー、レフェリーのフレッド・アトキンスなど)、現に東郷と決別した後の日本プロレスの外人選手の質ははっきり低下した。

  • 全米で大ヒールとして鳴らしていた頃、1952年には初渡米した空手の大山倍達を「マス東郷」、柔道の遠藤幸吉を「コウ東郷」と名乗らせ、兄弟ギミックの東郷ブラザーズを結成し全米をサーキット。(その際も東郷は大山と遠藤にヒールを要請。ただし拒否された。)その後、ハワイ出身の日系二世ハロルド坂田(日本名は敏行)が弟の「トシ東郷」となり、東郷ブラザーズを再編したこともあった(東郷本人は日本名の一夫から「カズ東郷」と名乗っていた)[3]。このコンビで1955年、NWA世界タッグ王座を獲得している(日系レスラーでは初)。


  • 永源遙がアメリカ修行時代に、グレート・トーゴーのリングネームを名乗っていたことがある。


モデルになった作品


映画


  • 空手バカ一代 (1977年) - グレート山下 (演者 : 室田日出男)


獲得タイトル


メープル・リーフ・レスリング

  • NWAカナディアン・オープン・タッグ王座:1回(w / トシ東郷)[9]

NWAハリウッド・レスリング


  • NWA世界タッグ王座(ロサンゼルス版):1回(w / トシ東郷)[10]

NWAミッドパシフィック・プロモーションズ

  • NWAハワイ・タッグ王座:1回(w / トシ東郷)[11]


関連書籍




  • 村松友視『七人のトーゴー』(1982年、文藝春秋)


  • 森達也『悪役レスラーは笑う 「卑劣なジャップ」グレート東郷』(2005年、岩波新書、ISBN 4-00-430982-4)



脚注




  1. ^ abc『Gスピリッツ Vol.19』P90(2011年、辰巳出版、ISBN 9784777808922)


  2. ^ 『プロレスオールスターSUPERカタログ』P108

  3. ^ abcミスター高橋『知らなきゃよかった プロレス界の残念な伝説』宝島社、2018年。ISBN 9784800289216 pp.226-229


  4. ^ 『日本プロレス事件史 Vol.12』、P72(2015年、ベースボール・マガジン社、ISBN 9784583623252)

  5. ^ ab『ジャイアント馬場 - 王道十六文』(2002年、日本図書センター、ISBN 4-8205-9566-0)

  6. ^ ab『日本プロレス事件史 Vol.2』、P8 - P10(2014年、ベースボール・マガジン社、ISBN 9784583621876)


  7. ^ 『プロレス醜聞100連発!!』(1998年、日本スポーツ出版社、ISBN 978-4-930943-10-1)


  8. ^ 『悪役レスラーは笑う』


  9. ^ “NWA Canadian Open Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年12月11日閲覧。


  10. ^ “NWA World Tag Team Title [Los Angeles]”. Wrestling-Titles.com. 2014年12月11日閲覧。


  11. ^ “NWA Hawaii Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年12月11日閲覧。




外部リンク



  • Profile at Online World of Wrestling

  • Profile at Cagematch

  • Profile at Wrestlingdata




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