野宮




野宮(ののみや)とは、斎王に卜定された後に一定期間籠る施設。




目次






  • 1 概要


  • 2 脚注


  • 3 参考文献


  • 4 関連項目





概要


斎王は卜定の後に「やや神に近づく」ために世俗からの隔離[1]措置が取られ、最初の一定期間を宮城内に設けられた初斎院(伊勢神宮斎宮は1年間、賀茂神社の斎院は3年間)にて潔斎を行い、その後に野宮に遷って潔斎を続けた他、各種の儀式も執り行われた。


伊勢神宮の斎宮の場合、初斎院から移って伊勢に群行するまでの1年間を過ごす施設を指し、卜定によって宮城郊外の浄野に設置されることとされていた(『延喜式』)。古くは天武天皇の時代に大伯皇女が泊瀬斎宮に籠った例が知られ、平安遷都以後は主に嵯峨野もしくは西院に造営された。現在残る野宮神社・西院野宮神社・斎宮神社・斎明神社はその名残とされている。斎宮の野宮は当該斎王1代・1年間限りのもので、斎宮の群行もしくは退下の後に一旦取り壊され、新たな斎宮卜定後に新たに造営された。とはいえ、斎宮に仕える職員は男女145名(うち80名は初斎院時代より奉仕)を数えるなど、一定の規模が備わった施設であった。


これに対して、賀茂神社の斎院の場合は、初期には鴨川のほとりと考えられるが、その後紫野に置かれた斎院御所(紫野院)のことを指した。角田文衞によると、上京区社横町、社突抜町附近と推察している。また葵祭の時には、野宮からの斎院を勅使が一条大路で迎え、賀茂御祖神社(下鴨神社)、賀茂別雷社(上賀茂神社)へ行列し、次の日御薗橋を通って還ったとも推察している。



脚注




  1. ^ 榎村『日本歴史大事典』



参考文献



  • 渡辺直彦「野宮」(『国史大辞典 11』(吉川弘文館、1990年) ISBN 978-4-642-00511-1)

  • 勝浦令子「野宮」(『日本史大事典 5』(平凡社、1993年) ISBN 978-4-582-13105-5)

  • 所京子「野宮」『平安時代史事典』(角川書店、1994年) ISBN 978-4-04-031700-7)

  • 榎村寛之「野宮」(『日本歴史大事典 3』(小学館、2001年) ISBN 978-4-09-523003-0)



関連項目


  • 造野宮役



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