横浜F・マリノス






































































横浜F・マリノス
原語表記
横浜F・マリノス
呼称
横浜F・マリノス
愛称
F・マリノス、マリノス
クラブカラー
    ブルー[1]
    レッド[1]
    ホワイト[1]
創設年
1972年
所属リーグ
日本プロサッカーリーグ
所属ディビジョン
J1リーグ
クラブライセンス
J1
ホームタウン
神奈川県横浜市[1]、横須賀市[1]、大和市[1]
ホームスタジアム
Nissan Stadium 20101123.jpg
日産スタジアム[1]
収容人数
72,081[2]
運営法人
横浜マリノス株式会社[1]
代表者
日本の旗 黒澤良二[1]
監督
オーストラリアの旗 アンジェ・ポステコグルー
公式サイト
公式サイト


















ホームカラー














アウェイカラー



■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ





画像外部リンク

横浜F・マリノス エンブレム

en:File:YokohamaFMarinos.png

横浜F・マリノス(よこはまエフ・マリノス、Yokohama F・Marinos)は、日本の神奈川県横浜市[1] および横須賀市[1]、大和市[1] をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。




目次






  • 1 概要


    • 1.1 運営会社




  • 2 歴史


    • 2.1 前身


    • 2.2 1990年代


    • 2.3 2000年代


    • 2.4 2010年代




  • 3 成績


  • 4 タイトル・表彰


    • 4.1 国内タイトル


    • 4.2 国際タイトル


    • 4.3 表彰


      • 4.3.1 J1リーグ


      • 4.3.2 Jリーグカップ






  • 5 ユニフォーム


    • 5.1 チームカラー


    • 5.2 ユニフォームデザイン


    • 5.3 スポンサー


    • 5.4 ユニフォームサプライ遍歴


    • 5.5 歴代ユニフォーム


    • 5.6 歴代スポンサー年表




  • 6 スタジアム・練習場


    • 6.1 スタジアム


      • 6.1.1 ホームゲーム開催試合数




    • 6.2 練習場




  • 7 所属メンバー


  • 8 永久欠番


  • 9 エピソード


  • 10 育成組織


    • 10.1 育成組織の沿革


      • 10.1.1 年表




    • 10.2 育成組織の戦績


      • 10.2.1 横浜F・マリノスユースの戦績


      • 10.2.2 ジュニアユース追浜の戦績


      • 10.2.3 プライマリーの戦績


      • 10.2.4 プライマリー追浜の戦績




    • 10.3 育成組織の決算


    • 10.4 ユース出身者


    • 10.5 参考文献




  • 11 ホームタウン活動


    • 11.1 サッカー教室


    • 11.2 障がい者サッカー


    • 11.3 地域イベントへの参加


    • 11.4 学校との業務提携




  • 12 トピック


    • 12.1 トリパラ


    • 12.2 メディア


    • 12.3 トリコロールマーメイズ


    • 12.4 海外クラブとの提携


    • 12.5 その他




  • 13 決算


    • 13.1 損益


    • 13.2 資産




  • 14 注釈


  • 15 出典


  • 16 関連項目


  • 17 外部リンク





概要


日産自動車サッカー部を前身として1991年に創設された、Jリーグ創設時からの加盟チーム(いわゆるオリジナル10)の一つで、元々のチーム名は「横浜マリノス」だったが、1999年に同じく横浜を本拠地としたオリジナル10の横浜フリューゲルスを吸収合併した際に、フリューゲルスを表す「F」の文字を入れた。チーム名の「マリノス (Marinos)」は、スペイン語で船乗り・水夫・海兵隊員などを意味する[1]。Jリーグ公式サイト及びテレビ中継では「横浜FM」、スポーツ振興くじ(toto)では「横浜M」と略される。なお、スポーツ新聞においては日刊スポーツとスポーツニッポンが、マリノスとフリューゲルスの合併以降、Fマリノスを「横浜」と表記している。


チームカラーは「青・白・赤」[1] の三色(トリコロール)。この三色は元々日産自動車のコーポレートカラーであった。各色の意味合いは、青「冷静さと港町・横浜の海」、赤「スポーツに触れ合う場をつくり、皆が誇れるクラブを目指す」、白「皆に支えられ、息の長い活動を続ける、自立したサッカークラブを目指す」[3]


ホームタウンは神奈川県横浜市、横須賀市、大和市[1]。横須賀市では1987年より夏島町追浜地区にてサッカースクールを開講している縁で2005年1月25日に、大和市は2006年より市内にてサッカースクールを開講している縁で2017年4月27日に、それぞれホームタウンへの追加が認められた[4][5]。ホームスタジアムは横浜市港北区の日産スタジアム(横浜国際総合競技場)[1]。Jリーグ発足当初より横浜市神奈川区のニッパツ三ツ沢球技場(三ツ沢公園球技場)を使用していたが、2016年よりJリーグへの届け出上の本拠地を日産スタジアムに一本化した(詳細後述)。


クラブマスコットは、カモメをモチーフとした「マリノス君」と「マリノスケ」である[1]。マリノスケは『月刊コロコロコミック』誌上で誕生、マリノス君の甥という設定。マリノスケはホームゲーム以外に地域のイベントにも参加している。2008年に横浜FM非公認のマスコットとして「ワルノス」が誕生し、「ワルノスクイーン」と共に行動している[6]。2008年の開幕戦は「トリコロールランド」でダンスを披露。2008レジェンド・オブ・F・マリノスのトレーディングカードにも登場、非売品のグッズ(バンダナなど)のプレゼントや広報活動を行っている。2010年にチームよりTシャツとコインパースが公式グッズとして発売。2012年3月31日、日本サッカー協会が文部科学省から独立し、翌4月1日、横浜FMの20周年記念に来日後(記念カード発売)、テレビカメラへの取材に応じた元アルゼンチン代表FWダビド・ビスコンティさんに、日本発祥の米菓、センベイにちなんだグッズを紹介していただいた。


クラブ増加、さらに近年オリジナル10のチームのJ2降格が相次ぐ中、下位リーグが創設後も1度も降格経験が無いクラブである。2018年現在、創設メンバーで一度も降格がないクラブは他に鹿島アントラーズのみ(合併で消滅した横浜フリューゲルスを除く)。



運営会社
















































































横浜マリノス株式会社[1]
YOKOHAMA MARINOS LTD.
種類
株式会社
市場情報
未上場
本社所在地
222-0033[1]
神奈川県横浜市港北区新横浜2-6-3 DSM新横浜ビル 5F[1]
設立
1992年7月17日
業種
サービス業
法人番号
7020001023990
事業内容
サッカークラブの運営
代表者
黒澤良二(代表取締役社長)
資本金
9,900万円(2018年1月期)[7]
売上高
47億6,500万円(2018年1月期)[7]
営業利益
600万円(2018年1月期)[7]
経常利益
2,400万円(2018年1月期)[7]
純利益
2,500万円(2018年1月期)[7]
純資産
4,400万円(2018年1月期)[7]
総資産
18億5,600万円(2018年1月期)[7]
決算期
1月期
主要株主
日産自動車
シティ・フットボール・ジャパン
外部リンク
http://www.f-marinos.com
特記事項:1999年2月、日産フットボールクラブ株式会社から商号変更[1]
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運営会社である横浜マリノス株式会社は、元々は日産自動車の全額出資により設立・運営されていた(当時の商号は日産フットボールクラブ株式会社)が、横浜フリューゲルスとの経営統合時に、フリューゲルスの運営母体であった全日空スポーツを合併しており、全日空スポーツの親会社である全日本空輸 (ANA) が資本参加して「日産70%・ANA30%」の資本構成となった。2002年2月1日付でANA出資分を日産が買い取り、再び日産の完全子会社となったが、2005年2月1日付で第三者割当増資を行い、神奈川県に本社を置く7社[注 1] から0.98%ずつの出資を受けた[8]


2014年7月、マンチェスター・シティFCを運営するシティ・フットボール・グループ (CFG) が日産自動車と「グローバルサッカーパートナーシップ」を締結[9]。これに伴い、日産自動車の保有株式(全体の約93%)のうち20%弱を取得し、日産に次ぐ第2位の株主となった[10]。なお、実際のマネジメントはCFGの全額出資により設立された日本法人「シティ・フットボール・ジャパン」となり[11]、2016年には同社社長である利重孝夫がチーム統括本部長に就任している。



歴史



前身





  • 1972年創部の日産自動車サッカー部が前身[1]

  • 1979年に日本サッカーリーグ(JSL)1部に昇格[1]


  • 1988年-1989年のJSL1部リーグ、JSL杯、天皇杯の当時の日本サッカー主要大会三冠を達成。

    • 金田喜稔や水沼貴史、木村和司、井原正巳など数々の日本代表を輩出してきた。読売サッカークラブとの対決は「黄金カード」と呼ばれた[12]




1990年代




  • 1991年にJリーグ加盟[1]


  • 1993年5月15日のJリーグの開幕試合(V川崎戦)に勝利。


  • 1993年は年間4位、1994年は年間6位。

  • 1993年はラモン・ディアスが28得点でJリーグ初代得点王となった。


  • 1995年は1stステージで優勝。JリーグチャンピオンシップでもV川崎を下し、リーグ初優勝。


  • 1999年のシーズンから、横浜フリューゲルスと合併、横浜F・マリノスへ名称を変更。

  • 天皇杯は1994年がC大阪、1995年が福岡ブルックス、1996年が大塚製薬サッカー部、1997年が東京ガスサッカー部、1998年がブランメル仙台といずれもジャパンフットボールリーグ所属チームに敗北。



2000年代


2000年

オズワルド・アルディレスが監督に就任。5年ぶりに1stステージで優勝、2ndステージ優勝の鹿島とのチャンピオンシップに敗れた。中村俊輔が史上最年少でMVPを受賞。


2001年

三浦淳宏、柳想鉄等が移籍。ファーストステージ途中にアルディレス監督が解任。セカンドステージから、セバスティアン・ラザロニが監督に就任。ナビスコカップで初優勝。リーグ戦は1stステージが15位、2ndステージが10位、年間順位13位。


2002年

東京Vから日本代表の中澤佑二、磐田から奥大介(レンタル)、清水範久、札幌からウィルなどを獲得。1stステージは2位、2ndステージは6位、年間順位2位。セカンドステージ途中に成績不振を理由にラザロニ監督を解任。




Soccer Field Transparant.svg


監督 岡田武史

1榎本達也



5ドゥトラ

22中澤佑二

3松田直樹

2柳想鐵



14奥大介

8遠藤彰弘

26那須大亮

7佐藤由紀彦



36マルキーニョス

9久保竜彦


2003年基本フォーメーション <4-4-2>

2003年

監督に岡田武史が就任。広島から日本代表の久保竜彦、佐藤由紀彦、ユサンチョル、マルキーニョスなどを獲得。1stステージおよび2ndステージ共に優勝、完全優勝で年間王者を獲得。



2004年

岡田体制2年目。清水から韓国代表FWの安貞桓等を補強。昨年度の2ndステージに続きこの年の1stステージでも優勝、3ステージ連続優勝を達成。2ndステージは6位、サントリーチャンピオンシップで2ndステージ優勝の浦和と対戦、ホームは1 - 0で勝利、アウェイは0 - 1で敗退、PK戦で勝利し2年連続の年間王者となった。天皇杯は5回戦でJFL草津にVゴール負け。


2005年

岡田体制3年目。AFCチャンピオンズリーグ2005はグループステージで敗退。リーグ戦9位。


2006年

岡田体制4年目。元名古屋のFWマルケスを補強、開幕4連勝で首位に立ったが、第5節(浦和戦)以降の15試合で2勝と低迷。8月に岡田が監督を辞任、水沼貴史が後任監督に就任、前年と同じ9位で終了。この年が最後の年間負け越しシーズンである。


2007年

みなとみらいの『マリノスタウン』へクラブ事務所などを移転。奥大介、久保竜彦、ドゥトラなどのベテラン選手が退団、ユース・高校・大学からの若手選手が加入。監督に早野宏史が11年振りに就任し、前監督の水沼はコーチ就任。


FWの大島秀夫と坂田大輔、トップ下の山瀬功治が2ケタ得点をマーク。大島は日本人最多得点、坂田はフェアプレー個人賞受賞、山瀬は日本代表にも選出。前年度を上回る7位でリーグ戦を終了したが、目標とした3位以内には届かなかった。天皇杯終了後に監督の早野、コーチの水沼・高橋真一郎・武藤覚らが退任。横浜FCとの横浜ダービーが開催され、横浜FCホームの第2節は0-1で敗れたが、横浜FMホームの第19節はチーム新記録の1試合8得点を記録し、8 - 1で勝利。なお同試合の前夜に日産スタジアム付近で「JUST GEDO」という名称のサポーター団体が横浜FCサポーターを暴行するという事件を起こし逮捕されている。[13]


2008年

磐田元監督の桑原隆が監督就任。4月に3位につけたが、第9節の東京V戦から第19節のFC東京戦まで10試合連続で勝利無し(クラブタイ記録の公式戦6連敗も記録)で、第16節時点で16位へ転落。7月に桑原が解任、後任に統制本部長の木村浩吉が就任。第20節のG大阪戦で勝利を挙げると、第22節の札幌戦の勝利で降格圏を脱出した。年間順位は9位。天皇杯は準決勝でG大阪に敗退。



2009年

チームスローガン:Enjoy・Growing・Victory


木村吉体制2年目。田中隼磨が名古屋、乾貴士がC大阪、大島秀夫が新潟に移籍した。


リーグ戦13得点を挙げた渡邉千真や天野貴史、飯倉大樹などの抜擢・台頭、長谷川アーリアジャスールの成長、坂田大輔、狩野健太らの復調など、上位の鹿島、川崎、清水、名古屋にホームゲームで勝利している一方、下位の山形に逆転負けを喫し、この年J2に降格となった柏、千葉に2引き分けした。結局18チーム中10位に終わり、3年契約だった木村は監督契約を解除。



2010年代



2010年

チームスローガン:ACTIVE


元日本代表でクラブOBの木村和司が監督就任。6年ぶり復帰の波戸康広、エスパニョールから8年ぶりの復帰の中村俊輔、藤田優人、バスティアニーニが入団。本シーズンは入場者数が前年比17.6%の増加となった。リーグ戦は一時上位争いに加わったが、最終順位8位。


最終節前に松田直樹や山瀬功治などと契約更新しないと発表。最終節の大宮戦に敗北した後、この決定に反発したサポーターの前で社長の嘉悦朗が「2011年シーズンで3位以内でなければ辞任する」と発表。


シーズン終了後、松田(JFL・松本へ移籍)、山瀬(川崎へ移籍)のほか、田中裕介(川崎)、河合竜二(札幌)、清水範久(福岡)、坂田大輔(ギリシャ1部・アリス・テッサロニキ)、浦田延尚(鳥栖)、JFL金沢に期限付き移籍していた斎藤陽介(新潟S)がそれぞれ移籍、草津に期限付移籍していた梅井大輝が退団、藤田優人が横浜FC、齋藤学が愛媛FC、田代真一がJFL・町田に1年間の期限付移籍をし、シーズン途中に栃木SCに期限付移籍した水沼宏太が、同クラブへの期限付移籍期間を1年延長した。



2011年

チームスローガン:進化する心・技・体 ACTIVE 2011


木村和体制2年目。清水から青山直晃、川崎からユース出身の谷口博之、柏から小林祐三、東京Vから昨シーズンFC東京にレンタル移籍していた大黒将志を獲得、昨シーズン山形にレンタル移籍していた金根煥が復帰。4月30日付けで阿部陽輔が退団した。


リーグ戦は前半戦を首位で折り返した。後半戦も川崎に4 - 0で勝利する(9月14日、ナビスコカップ第1回戦)などしたが、やがて優勝争いからも脱落。最終順位5位。天皇杯は準決勝で京都に延長戦で敗退。12月30日、監督の木村和司を解任。


8月12日に松田直樹(8月4日死去)が在籍時に使用していた背番号3を永久欠番にすると発表[14]。Jリーグ創設以来、サポーターナンバーを除いて初の永久欠番となった。


シーズン終了後、波戸康広が現役を引退、横浜FCへ期限付移籍中の藤田優人(柏へ移籍)、秋元陽太(愛媛FCへ移籍)、渡辺千真、長谷川アーリアジャスール(共にFC東京へ移籍)、端戸仁(北九州へ期限付き移籍)、武田英二郎(千葉へ期限付き移籍)、金根煥(鳥栖へ期限付き移籍)がそれぞれ移籍、田代真一が、町田への期限付き移籍期間を1年延長。



2012年

チームスローガン:All for Win


樋口靖洋が監督に就任。東京Vから富澤清太郎、福岡から六反勇治と中町公祐、アトレチコ・ミネイロから2003年に在籍していたマルキーニョスを獲得、愛媛FCへ期限付き移籍していた齋藤学が復帰。シーズン開幕後の3月23日、かつて6シーズン在籍したドゥトラが、約6年ぶりに復帰。


序盤はチームワーストの開幕7戦未勝利であったが、第8節(神戸戦)から第22節(川崎戦)まで15戦無敗の成績。シーズン中はマルキーニョスと富澤清太郎らのプレッシングに長けた移籍組が年間を通して活躍をみせ、秋口の連敗を経て再度順位をあげてゆき年間最少敗戦、最少失点を含めた4位でシーズンを終えた。天皇杯は準決勝で柏に敗退。


シーズン終了後、松本怜(大分へ期限付き移籍)、松本翔(愛媛FCへ期限付き移籍)、金井貢史(鳥栖へ期限付き移籍)、大黒将志(杭州緑城へ期限付き移籍)、青山直晃(甲府へ移籍)、森谷賢太郎(川崎へ移籍)、小野裕二(スタンダール・リエージュへ移籍)、谷口博之、狩野健太(共に柏へ移籍)、水沼宏太(期限付き移籍先の鳥栖へ移籍)、金根煥(新潟へ移籍)がそれぞれ移籍し、千葉へ期限付き移籍していた武田英二郎が鳥取に期限付き移籍。



2013年

チームスローガン:All for Win -Realize-


樋口体制2年目。SAGAWA SHIGA FCから奈良輪雄太、千葉から藤田祥史、相模原からファビオを獲得し、町田へ期限付き移籍していた田代真一、北九州へ期限付き移籍していた端戸仁、中国スーパーリーグ・杭州緑城へ期限付き移籍していた丁東浩が復帰。開幕から6連勝で第1節から第7節まで首位をキープ。第15、16節で4位に順位を下げたが、第21節で首位に浮上。第23節からは第28節を除いて第33節まで首位に立ったが、第33節、第34節(ホームの新潟戦、アウェーの川崎戦)と勝てば優勝という残り2節を続け様に落とし、残り2節を連勝した広島に優勝を奪われリーグ戦2位の成績。


ナビスコ杯は準決勝で柏に敗退。天皇杯は決勝で広島に勝利。日産FC横浜マリノスの名称であった第72回大会以来の優勝(日産自動車時代を含めて7度目の優勝)[15]


シーズン終了前に、マルキーニョス(後に神戸へ移籍)、丁東浩(蔚山現代へ移籍)が退団。

シーズン終了後に、天野貴史(千葉へ期限付き移籍)、田代真一(千葉へ移籍)、比嘉祐介(京都へ期限付き移籍)、金井貢史(期限付き移籍先の鳥栖へ完全移籍)、鳥取へ期限付き移籍中の武田英二郎(福岡へ期限付き移籍)がそれぞれ移籍した。
更に、中村俊輔がMVPを史上最年長で受賞した。



2014年

チームスローガン:All For Win -Fight it out!-


樋口体制3年目。新潟から三門雄大、大宮から下平匠、名古屋から藤本淳吾、清水から伊藤翔、川崎から矢島卓郎を獲得。愛媛FCへ期限付き移籍していた松本翔が復帰。


FUJI XEROX SUPER CUPでは2013年シーズンの公式戦は3戦全勝していた広島に0-2で敗れ、初優勝を逃す。


9年ぶりに出場したAFCチャンピオンズリーグ2014では、第5節まで全チーム勝ち点7にひしめく大混戦、最終節で前年王者の広州恒大に敗れ、決勝トーナメント進出を逃す。


リーグ戦、マルキーニョス退団の穴を埋められず得点力不足に陥り、W杯中断中まで12と低迷。得点力不足打破のため、群馬・G大阪にも在籍したラフィーニャをKリーグ・蔚山現代FCから完全移籍で獲得。


天皇杯3回戦では、J2北九州に延長戦を含めシュート30本を浴びせ(北九州は9本)圧倒しながら、延長後半アディショナルタイムに渡大生に逆転ゴールを許し2-3で敗退[16]、また4月から、天皇杯優勝マークをつけた2014年度版の特別ユニフォームをサポーター向けに販売していたが、生産上の理由から発送は9月上旬となっており、サポーターが着用する機会がないまま大会を終えることとなった[17]


8月23日に三ツ沢で行われた神奈川ダービー、川崎戦では、横浜FMゴール裏で観戦していたサポーターが川崎の選手の前でバナナを振り回す差別的行為を行う事件が起きた。クラブ側は当該サポーターに対し、無期限入場禁止処分を下し[18]、Jリーグからはけん責及び制裁金500万円の処分が下された[19]。最終順位7位。


シーズン終了後、樋口監督が退任。小椋祥平(G大阪)、藤田祥史、鳥取へ期限付き移籍中の武田英二郎(湘南)、六反勇治(仙台)、松本怜(期限付き移籍先の大分に完全移籍)、松本翔(山口へ期限付き移籍)がそれぞれ移籍。



2015年

チームスローガン:Integral Goal - All for Win -


フランス人のエリク・モンバエルツが監督就任[20]


期限付き移籍していた熊谷アンドリュー、比嘉祐介、天野貴史が復帰、田口潤人がユースから昇格、中島賢星、仲川輝人、サンパウロFCからアデミウソンが期限付き移籍で新加入。


4月4日に日立柏サッカー場で、J1 1stステージ第4節が行われ、柏レイソルと対戦し勝利を収めた、柏と対戦し勝利したのは2008年10月25日以来約6年半振り。


5月27日にヤマザキナビスコカップグループB第6節がニッパツ三ツ沢球技場で行われた。結果は川崎フロンターレに1-2で敗戦、決勝トーナメント進出を逃した。シーズンも7位で終えることになった。


シーズン終了後、端戸仁、奈良輪雄太(湘南)、比嘉祐介(千葉)、天野貴史(長野)、シーズン途中に新潟へ期限付き移籍していた佐藤優平(山形)、藤本淳吾(G大阪)、鈴木椋大(東京Vへ期限付き移籍)、熊谷アンドリュー(金沢へ期限付き移籍)、アデミウソン(期限付き移籍期間満了→G大阪)がそれぞれ移籍した。



2016年

チームスローガン:Integral Goal - All for Win -


モンバエルツ体制2年目。東京Vから前田直輝、千葉から金井貢史、Y.S.C.C.横浜から高橋拓也が新加入。開幕後、ラフィーニャの登録を抹消し、代わりにブラジル・フラメンゴからカイケ、ルーマニア・FCボトシャニからキュラソー島代表のマルティノスが加入。


2016シーズンはJ1リーグは年間順位10位。


ヤマザキナビスコカップから名称が変わったルヴァンカップではBグループ1位で準々決勝進出を果たすと準々決勝では大宮アルディージャと対戦、アウェイ1-2、ホーム1-0とアウェイゴール差で勝り、2013シーズン以来のベスト4進出を果たした。準決勝ではガンバ大阪と対戦した、結果はアウェイ0-0、ホーム1-1と引き分けにもつれ込んだが、アウェイゴールの差で準決勝で敗退となった。


天皇杯では2回戦で福島ユナイテッドに延長までいかれたが2-0で勝利して3回戦進出、3回戦ではJリーグ創設期にしのぎを削りあった東京ヴェルディと対戦、結果は4-0で圧勝し昨季と同じく4回戦(ベスト16)進出となった。4回戦ではアルビレックス新潟と対戦、後半ATに天野純の直接フリーキックが決まり勝利した、準々決勝ではガンバ大阪と対戦、今季5度目の顔合わせとなった。準決勝では鹿島アントラーズに0-2で敗戦し、2016年のシーズンは終わった。


シーズン後、中村俊輔が磐田へ移籍、ラフィーニャ、小林祐三(鳥栖へ移籍)、山口へ期限付き移籍していた北谷史孝(長崎へ移籍)が契約満了で退団。榎本哲也が浦和へ、9年間在籍していた兵藤慎剛が札幌へ、ファビオと東京Vへ期限付き移籍していた鈴木椋大がG大阪へ、高橋拓也が北九州へそれぞれ完全移籍。金沢に期限付き移籍していた熊谷アンドリューが千葉へ、和田昌士が山口へ、田口潤人が藤枝へそれぞれ期限付き移籍した。


また、小林の契約満了に伴う退団、3年連続でフルタイム出場した中澤佑二やベテラン栗原勇蔵に対して来季年俸の大幅ダウン提示[21]、モンバエルツ監督の去就などの報道を受けサポーターが反発、チームはホームページ上にお詫びを掲載する[22] 異例の事態に追われた。また、中村の移籍に関して移籍までの経緯をホームページ上に掲載した[23]



2017年

チームスローガン:Integral Goal - All for Win -


モンバエルツ体制3年目。新たにCFGの情報網から選ばれ就任したアイザック・ドルが早くから補強に向けて動き、柏から山中亮輔、新潟から松原健、名古屋から扇原貴宏、京都から杉本大地、北九州から鈴木彩貴、レッドスターからセルビアリーグで20得点を挙げMVPを獲得したウーゴ・ヴィエイラ、名門バルセロナのカンテラで育ちイニエスタの後継者と呼ばれたマケドニア代表ダビド・バブンスキー、1860ミュンヘンからオーストラリア代表のミロシュ・デゲネクが加入。ウーゴ・ヴィエイラ獲得の際に彼の市場価値からすると格安の移籍金を払った以外、新加入選手はフリーでの移籍となった。齋藤学が10番を自ら志願、モンバエルツ監督からキャプテンに任命され、新生マリノスのリーダーとなった。


4月27日にホームタウンを横浜市と横須賀市に加え、新たに大和市も追加された事がJリーグ理事会から承認され、同時にクラブ公式ホームページより発表された[24]


ルヴァンカップは予選Bグループに入り、第1節でC大阪戦、第2節神戸戦で2連敗した後、新潟、甲府、鳥栖に3連勝し、5月31日に広島と対戦した。引き分けでもプレーオフに進出出来る状況であったが逆転負けを喫し敗退となった[25]


中断期間中に新井一耀が名古屋、中島賢星がFC岐阜に、仲川輝人が福岡に期限付き移籍した。


中断期間に新潟で行われた短期キャンプにサイ・ゴダード、イッペイ・シノヅカが練習生として参加。良いパフォーマンスを発揮したシノヅカが加入した。ペルーのアンダー世代の代表キャプテンの経験のある日系ペルー人のアオキ・アンソニーが練習に参加した。


天皇杯は2回戦でFC大阪を、3回戦でアスルクラロ沼津を下し、4回戦で広島と対戦した。広島に前半で2失点し、敗退の危機にさらされたが、後半にウーゴ・ヴィエイラが2得点し、延長後半終了間際にウーゴ・ヴィエイラがコーナー付近の角度のないところからハットトリックとなるゴールを決めて3対2で劇的に勝利した。準々決勝では磐田と対戦し、後半ダビド・バブンスキ―のパスを受けた遠藤渓太のクロスが磐田のオウンゴールを誘い、1対0で勝利した。等々力陸上競技場で行われた準決勝では柏と対戦した。前半にハモン・ロペスのロングシュートで失点したが、後半に伊藤翔の得点により試合を振り出しに戻し、試合は延長戦にもつれ込んだ。一進一退の攻防が続いた後、延長後半終了直前に松原健、遠藤渓太と繋ぎ、最後はウーゴ・ヴィエイラが遠藤のパスを右足で決め、またしても延長戦を制し、2013年以来の決勝戦進出を果たした。決勝戦はC大阪と対戦した。前半8分に伊藤翔が先制点を決めるも、後半に山村、延長前半に水沼宏太にゴールを決められて敗北し、準優勝に終わった。


11月2日にエリク モンバエルツ監督の退任が発表された。


シーズン後、キャプテンであった齋藤学が川崎、攻撃の核であったマルティノスが浦和、パク・ジョンスが柏、前田直輝が松本にそれぞれ完全移籍した。また、期限付き移籍中であった新井一耀が名古屋、熊谷アンドリューが千葉、中島賢星が岐阜、田口潤人が新潟に完全移籍した。


富樫敬真がFC東京に期限付き移籍した。



2018年

チームスローガン:Brave and Challenging ~勇猛果敢~


アンジェ・ポステコグルー監督が監督就任。


柏から大津祐樹、FCソウルからユン・イルロク、鹿児島城西高校から生駒仁、履正社高校から町野修斗を獲得。ユースから西山大雅、堀研太、山田康太が昇格。また、期限付き移籍していた仲川輝人と和田昌士が復帰した。遠藤渓太の背番号が11番に変更された。キャプテンには07年以来三度目、中澤佑二が就任した。3月4日に遼寧宏運足球倶楽部からオリヴィエ・ブマルを獲得した。5月12日に行われたG大阪戦において飯倉大樹がJ1通算200試合出場を達成した。ルヴァン・カップでは準決勝で鹿島アントラーズを破り決勝に進出した。リーグ戦では爆発的な得点力を見せる一方で守備の安定を欠き残留争いに巻き込まれた。



成績




タイトル・表彰



国内タイトル




  • J1リーグ


    • 年間:3回

      • 1995, 2003, 2004



    • 1stステージ:4回

      • 1995, 2000, 2003, 2004



    • 2ndステージ:1回
      • 2003





  • Jリーグカップ:1回
    • 2001



  • 天皇杯全日本サッカー選手権大会:2回

    • 1992, 2013




国際タイトル



  • アジアカップウィナーズカップ:1回
    • 1992-93



表彰



J1リーグ



  • 最優秀選手 (MVP)


    • 2000年, 2013年 中村俊輔


    • 2004年 中澤佑二




  • ベストイレブン


    • 1993年 松永成立、井原正巳、ラモン・ディアス


    • 1994年 井原正巳


    • 1995年 井原正巳、鈴木正治


    • 1996年 井原正巳


    • 1997年 井原正巳


    • 1999年 中村俊輔

    • 2000年 松田直樹、中村俊輔


    • 2002年 松田直樹


    • 2003年 ドゥトラ、中澤佑二、奥大介、久保竜彦

    • 2004年 ドゥトラ、中澤佑二、奥大介


    • 2005年 中澤佑二


    • 2008年 中澤佑二

    • 2013年 中澤佑二、中村俊輔


    • 2016年 齋藤学




  • 得点王
    • 1993年 ラモン・ディアス


  • ベストヤングプレーヤー賞

    • 1995年 川口能活

    • 2003年 那須大亮


    • 2009年 渡邉千真



  • フェアプレー個人賞


    • 2007年 坂田大輔


    • 2015年 中澤佑二


    • 2017年 中澤佑二



  • 最優秀育成クラブ賞
    • 2018年



  • 月間MVP

    • 2013年3月 中村俊輔

    • 2013年10月 榎本哲也

    • 2015年8月 齋藤学

    • 2015年10月 中村俊輔

    • 2016年10月、11月 齋藤学

    • 2017年6月 中澤佑二





Jリーグカップ



  • 最優秀選手

    • 2001年 榎本達也


  • ニューヒーロー賞

    • 2013年 齋藤学

    • 2018年 遠藤渓太





ユニフォーム















































ユニフォームの色
カラー
シャツ
パンツ
ストッキング
FP(1st)
[1]
[1]
[1]
FP(2nd)
[1]
[1]
[1]
GK(1st)



GK(2nd)
水色
水色
水色
GK(3rd)






















FP 1st
















FP 2nd






















GK 1st
















GK 2nd
















GK 3rd





チームカラー



  •    [1]   [1]   [1]


ユニフォームデザイン



  • 左胸のエンブレム上の星3つ(★)は、1995年・2003年・2004年の各リーグ戦での優勝を表す[26]

  • 2ndユニフォームは、原則上:白、下:青、靴下:白。

    • 2003年から2006年はグレー。

    • 2011年 上/黄色、下/黒、靴下/黄色。

    • 2013年 上:白/グレー、下:ダークネイビー、靴下:白/グレー。

    • 2014年 上:オレンジ、下:オレンジ、靴下:オレンジ。

    • 2015年 上:金、下:黒、靴下:黒

    • 2016年 上:ピンク、下:ピンク、靴下:ピンク



  • 2001年は3rdユニフォームを制作(配色は黒)したが、2002年までで3rdユニフォームの採用を取り止めた。

  • 2002年は上衣が青と紺のツートンのユニフォームを採用した(上:青/紺、下:白、靴下:赤) これは横浜カントリー・アンド・アスレティック・クラブ(YC & AC)で使われた紺と白の概念を取り入れた。

  • 2003年は上下靴下全て紺、副は上:白/シルバー、下:黒(チェンジショーツはシルバー)、靴下:シルバー。


  • 2009年は期間限定で、横浜港開港150周年記念として、青と白の2色横じま模様(NISSANのロゴ、背番号と選手名ローマ字は赤文字、全日空ロゴは企業カラーの青地に白文字)であしらった特別ユニフォームを制作・着用。

  • 2009年より背番号に選手名を記入。その中で中澤佑二は「BOMBER」、清水範久は「JIRO」と表記されるなど、姓名に捉われないニックネーム表記のものも登場(由来についてはそれぞれの項で参照)。

  • 2012年は、前身の日産自動車サッカー部の80年代後半およびJリーグ発足当初のデザインを現代風にアレンジした、クラブ創設20周年記念の復刻ユニフォームを制作・着用した。ベースカラーに鮮やかなブルー、白い襟にピンポイントのトリコロール。また、2000年モデル以来、胸に黄色の「NISSAN」の文字が入ったものである[27]。このユニフォームはいずれも横浜FMホームゲームの鹿島アントラーズ、ガンバ大阪、名古屋グランパス、清水エスパルスおよびサガン鳥栖戦で着用。



スポンサー




















































掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
日産自動車 NISSAN 1993年 -
鎖骨 なし
背中上部 ムゲンエステート MUGEN ESTATE 2016年 -
背中下部 ムンディファーマ イソジン 2017年7月[28] -
日清オイリオグループ 日清オイリオ 2017年 -
パンツ なし


ユニフォームサプライ遍歴




  • 1992年 - 1996年:リーグ戦はミズノ、カップ戦はアディダス(デサント)


  • 1997年 - 2007年:リーグ戦・カップ戦ともにアディダスに統一(厳密には1998年まではデサント、1999年以降はアディダス・ジャパン)


  • 2008年 - 2011年:ナイキ


  • 2012年 - 現在:アディダス

    • ナイキとは8年総額30億円というJリーグ史上最高のユニフォームサプライ契約であったが、2011年11月14日にナイキとの契約を解消(結果、8年→4年に短縮される)。代わって2012年からアディダスと再び契約を結んだ[29][30]




歴代ユニフォーム






























































































歴代スポンサー年表
















































































































年度 鎖骨 背中上部 背中下部 パンツ サプライヤー
1992 - 解禁前 - 解禁前 -
Mizuno /
adidas
1993 NISSAN Kodak BP -
1994
1995
1996
xanavi
1997
adidas
1998
1999 ANA -
2000
2001
2002
2003 GE - /
NATURALLY PLUS
2004 -
2005
MLJ
2006
2007
2008 メガネスーパー
Nike
2009
2010
ELGRAND[注 2]

KARADA factory
2011 - ANA -
2012 三栄建築設計 ほけんの窓口
adidas
2013 -
2014
日本化成
2015
2016 MUGEN ESTATE -
2017 - /
イソジン
日清オイリオ
EZインベスト証券
2018 - イソジン -


スタジアム・練習場



スタジアム




ニッパツ三ツ沢球技場


ホームスタジアムは横浜国際総合競技場(日産スタジアム、横浜市港北区)。Jリーグ発足当初より三ツ沢公園球技場(横浜市神奈川区)をホームスタジアムとして使用していたが、1999年に横浜国際総合競技場が完成すると主催試合の大半をそちらに移している。以後、両スタジアムを本拠地として併用する形としていたが、Jリーグクラブライセンス制度の兼ね合い[31] もあり、2016年よりJリーグへの届け出上の本拠地を日産スタジアムに一本化している(ただし同年以降も三ツ沢での開催も継続)。



ホームゲーム開催試合数


[32]



Jリーグ杯=Jリーグカップ

ACL=AFCチャンピオンズリーグ

(ACWC)=アジアカップウィナーズ選手権

(ACC)=アジアクラブ選手権




































































































































































































































年度 リーグ戦 Jリーグ杯 ACL 備考
横浜国
(日産ス)
三ツ沢球
(ニッパ球)
その他
1992 - - - 国立2
平塚2
(ACWC)
会場不明3[注 3]
国内大会はJリーグカップのみ
天皇杯優勝
1993 - 15 国立1
博多陸2
三ツ沢球2
国立1
(ACWC)
三ツ沢球2[注 4]

1994 - 16 国立3
栃木1
博多陸1
平塚1
博多陸1 不参加
1995 - 21 国立5
札幌厚別1
非開催 (リーグ戦)国立=チャンピオンシップ(年間決勝)1を含む
サントリーS(年間前期)・チャンピオンシップ優勝
1996 - 10 国立3
新潟市陸1
長崎1
三ツ沢球7 (ACC)
三ツ沢球1[注 5]

1997 - 15 山形県1 三ツ沢球3 不参加
1998 9 7 山形県1
国立1
三ツ沢球2 横浜国完成。この年より横浜国・三ツ沢球の2か所を本拠として登録
1999 14 0 新潟市陸1 横浜国1
三ツ沢球1
丸亀1

2000 9 5 国立2 三ツ沢球2
山形県1
(リーグ戦)チャンピオンシップ1を含む
第1S(年間前期)優勝
2001 13 1 国立1 三ツ沢球4[注 6]

2002 8 2 国立4
熊本陸1
横浜国2
三ツ沢球1

2003 14 0 国立1 横浜国4 (リーグ戦)第1・2S(年間前後期)完全優勝
2004 14 0 国立2 横浜国1
三ツ沢球2
横浜国1
三ツ沢球2
(リーグ戦)横浜国=チャンピオンシップ1を含む
第1S・チャンピオンシップ優勝(リーグ連覇)
(Jリーグ杯)=ACL進出につき決勝Tよりシード
2005 15 1 国立1 日産ス1
三ツ沢球1
三ツ沢球3 横浜国=命名権採用により「日産ス」に変更
(Jリーグ杯)=ACL進出につき決勝Tよりシード
2006 15 2   日産ス3
三ツ沢球2
不参加 (Jリーグ杯)日産ス=決勝T2含む
2007 15 2   日産ス1
三ツ沢球4
(Jリーグ杯)日産ス・三ツ沢球=決勝T1ずつ含む
2008 14 3   ニッパ球4 三ツ沢球=命名権採用により「ニッパ球」に変更
(Jリーグ杯)ニッパ球=決勝T1含む
2009 13 4   日産ス3
ニッパ球2
(Jリーグ杯)日産ス・ニッパ球=決勝T1ずつ含む
2010 14 3   日産ス1
ニッパ球2

2011 14 3   ニッパ球2
2012 14 3   ニッパ球3
2013 14 3   日産ス1
ニッパ球4
(Jリーグ杯)日産ス・ニッパ球=決勝T1ずつ含む(予選はニッパ球のみ)
天皇杯優勝
2014 13 4   ニッパ球1 横浜国[注 7] 3 (Jリーグ杯)ACL出場のため決勝トーナメントのみ
2015 14 3   ニッパツ3 不参加 三ツ沢球=命名権呼称を「ニッパツ」に変更[33]
2016 14 3   ニッパツ4

日産ス1


不参加 登録上本拠地を日産Sのみにする


練習場





マリノスタウンにあったクラブハウス


練習場は日産スタジアムと同じ新横浜公園内にある小机競技場(日産フィールド小机)および新横浜公園球技場を使用する[34]


F・マリノスになってからの練習場は戸塚トレーニングセンター(戸塚区、元々はフリューゲルスの練習施設、現在は横浜FCが練習施設として使用)、クラブオフィスは神奈川区新子安にあったが、2005年に両者を横浜市西区のみなとみらい地区61街区に移転集約[35]、「マリノスタウン」(横浜F・マリノスMM21トレーニングセンター)として運用してきたが、2016年5月にみなとみらい地区の定期借地契約が満了となることを受け、2015年12月末をもってマリノスタウンにおけるクラブの活動を終了することが発表され[36]、本社も新横浜に移転した[1]


2018年1月25日、クラブは練習場の新設・拡充方針を発表。JR久里浜駅(神奈川県横須賀市)近くの公園に観客席やクラブハウスを備えた練習施設を新設。本拠地の日産スタジアムがある、新横浜公園でも練習用グラウンドを整備する。一部は地元住民に開放し、地域への浸透を深める。


計画では、横須賀市所有で約2.2ヘクタールの規模である、くりはまみんなの公園とその周辺を再整備。コート2面とハーフコート1面に加え、1,000席程度の観客席、トレーニングルームなどを備えたクラブハウスも新設する。この施設は、一部を周辺住民も使えるように貸し出し、周辺商店街などとの賑わい活性化につなげていく。一方、新横浜公園では、現在は土のグラウンドとして活用している部分に、コートを2面整備する予定。横須賀市の上地克明市長は、同日の記者会見で「2022年を施設稼働の目標にしていきたい」と表明。横浜市の林文子市長も「チームの一層の強化につながることを願っている」とコメント。古川宏一郎社長は、記者団の取材に「総投資額は現時点で未定。できるだけ早く(両市と)基本協定を結び、具体化を進めたい」と語った[37][38]



所属メンバー




永久欠番



  • #3 松田直樹

    • 2011年8月4日に死去。同年8月12日、クラブは「横浜F・マリノス、日本代表、そして日本サッカー界への多大なる貢献への敬意と謝意、さらには、松田直樹という偉大な選手への心からの追悼の証」として、永久欠番に指定[14]



エピソード


  • 新設または大幅改修後のスタジアムのこけら落とし試合をアウェイチームとして迎えた試合は以下の通り。
























































年度 試合会場 対戦相手 スコア 備考
1993年 国立霞ヶ丘陸上競技場 ヴェルディ川崎 ○2-1
Jリーグ開幕戦
1998年 横浜国際総合競技場 横浜フリューゲルス ●1-2 会場自体のこけら落としはダイナスティカップ1998(日本代表vs韓国代表)
2001年 埼玉スタジアム2002 浦和レッドダイヤモンズ ○2-0
札幌ドーム コンサドーレ札幌 △1-1
御崎公園球技場 ヴィッセル神戸 △1-1
2005年 千葉市蘇我球技場
(フクダ電子アリーナ)
ジェフユナイテッド市原・千葉 △2-2
2012年 日立柏サッカー場 柏レイソル △3-3 改修後のオープニングゲーム

  • 1シーズン制に移行した2005年以降、J1へ初昇格したクラブとのリーグ戦初対戦において5クラブ連続で敗れていたが[注 8]、2014年リーグ戦第3節で徳島ヴォルティスに勝利し連敗記録は止まった。


育成組織


横浜F・マリノスの育成組織はトップチームを頂点としたピラミッド型となっており、第2種(高校生世代)のユース、第3種(中学生世代)のジュニアユースとジュニアユース追浜、第4種(小学生世代)の選抜クラスであるプライマリー、プライマリー追浜がある。


また、日産自動車サッカー部時代の1985年に発足したサッカースクールは、対象の年代は幼児から中学生で、女子は小学生から中学生以上までとなっている。2015年時点で、3500人を超えるスクール生がいた[39]。2017年現在では、次の8校で活動している。






追浜校

追浜校



二俣川校

二俣川校



大和校

大和校



東山田校

東山田校



リーフ スタジアム校

リーフ
スタジアム校



中山 テクニカル校

中山
テクニカル校



Shunsuke Park校

Shunsuke Park校



小机校

小机校



横浜F・マリノスの位置


横浜F・マリノス スクール 2017年現在



  • 追浜校

  • 二俣川校

  • 大和校

  • 東山田校

  • リーフスタジアム校

  • 中山テクニカル校

  • Shunsuke Park校 (※使用する施設が「Shunsuke Park FUTSAL COURT」である為)

  • 小机校

  • 新吉田校

  • 上大岡校





育成組織の沿革


1985年4月に横浜の新子安にて、日産サッカースクールが開校した。スクールを立ち上げたのは、日産自動車サッカー部監督の加茂周であった。加茂は、ドイツを何度も訪問して地域に密着したドイツサッカークラブの組織の姿にすばらしさを感じており、これを日本でも展開しようとした[40]。新子安のスクールの指導は、日産自動車OBの下条佳明、樋口靖洋らが担当した。スクールには予想を超える多く入校希望者が集まり、翌1986年には早野宏史が担当した追浜スクール、1987年には坂木嘉和が担当した左近山スクールが開校した。また、ジュニアユースは1985年、ユースは1986年に立ち上がった。ユースとジュニアユースの立ち上げは、かながわクラブにいた永井洋一が加茂に話を持ちかけることで実現した[41]。なお、左近山スクールは1990年に閉校した。


1993年にJリーグが開始すると、横浜マリノスサッカースクールへ名称を変更。マリノススクールの知名度は一気に上がり、会員数も激増した[42]。1997年にはマリノスジュニアユース出身の中村俊輔がトップチームに入団し、1年目から主力選手となった。


1999年に横浜マリノスが横浜フリューゲルスと合併すると、フリューゲルスのスクールは横浜F・マリノス菅田サッカースクールとなった。フリューゲルスジュニアユースは、監督の前田治ら6名の指導者を引き継ぐ形で横浜F・マリノス菅田ジュニアユースとなった[43]。菅田スクールと菅田ジュニアユースの活動は2000年までで終了してスクールは閉校となり、元フリューゲルスのスタッフは横浜F・マリノスの他のスクールに異動したり、クラブ内の別の業務に就いたりした。ジュニアユースの監督だった前田治は2000年までで横浜F・マリノスから離れた。フリューゲルスユースの選手は合併時に横浜F・マリノスユースに移籍し、その中の坂田大輔や田中隼磨はのちにトップチームの主力選手となった。また、フリューゲルスが行っていた地元の小学校を巡回指導する「サッカーキャラバン」事業も横浜F・マリノスへ引き継がれた[44]


2004年から2006年は、プライマリーが全日本少年サッカー大会で3連覇した。


2007年にマリノスタウンがオープンすると、新子安の横浜マリノスサッカースクールはみなとみらい校へ移転した。また、2004年から2014年にかけて、NAS二俣川校(のちの二俣川校)、大和校、港北校(のちの東山田校)、リーフスタジアム校が開校した。2015年、マリノスタウン閉鎖にともない、みなとみらい校は閉校となった。その後、2016年に中山テクニカル校、2017年にShunsuke Park校と小机校が、それぞれ開校した。Shunsuke Park校は、そごう横浜店屋上にある中村俊輔プロデュースフットサルコートで開催される。



年表



  • 1985年 - 日産サッカースクール開校。ジュニアユース立ち上げ

  • 1986年 - 日産追浜スクール開校。プライマリー、ユース、立ち上げ

  • 1987年 - 日産左近山スクール開校。ユース、日本クラブユース選手権優勝

  • 1988年 - ジュニアユース追浜立ち上げ。ジュニアユース、日本クラブユース選手権3位

  • 1989年 - プライマリー追浜立ち上げ。プライマリー、神奈川県少年サッカー選手権優勝

  • 1990年 - 日産左近山スクール閉校

  • 1992年 - 横浜マリノスサッカースクール、横浜マリノス追浜サッカースクールへ名称変更

  • 1999年 - 横浜F・マリノスサッカースクールへ名称変更。横浜F・マリノス菅田サッカースクール開校

  • 2000年 - 横浜F・マリノス菅田サッカースクール閉校

  • 2004年 - NAS二俣川校開校

  • 2006年 - マリノスフットボールアカデミーへ名称変更。大和校(高座渋谷)開校

  • 2007年 - マリノスタウンオープン。新子安校、みなとみらい校へ移転。港北校開校

  • 2008年 - 大和校が、高座渋谷から鶴間へ移転

  • 2010年 - 港北校が東山田校へ移転

  • 2011年 - NAS二俣川校から二俣川校へ名称変更

  • 2014年 - リーフスタジアム校開校

  • 2015年 - マリノスタウン閉鎖。みなとみらい校閉校

  • 2016年 - 中山テクニカル校開校

  • 2017年 - Shunsuke Park校開校、小机校開校

  • 2018年 - 新吉田校開校 上大岡校開校



育成組織の戦績


主な全国大会結果について記載する。



横浜F・マリノスユースの戦績



  • 2005年 高円宮杯U-18サッカーリーグ プリンスリーグ関東 優勝

  • 2006年 高円宮杯U-18サッカーリーグ プリンスリーグ関東 優勝

  • 2009年 高円宮杯第20回全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会 優勝

  • 2010年 Jユースカップ 優勝

  • 2013年 第37回日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会 優勝

  • 2014年 サニックス杯国際ユースサッカー大会 優勝

  • 2015年 第39回日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会 優勝

  • 2018年 Jユースカップ優勝



ジュニアユース追浜の戦績


  • 2006年 第21回日本クラブユースサッカー選手権 (U-15)大会 優勝


プライマリーの戦績



  • 2004年 第28回全日本少年サッカー大会 優勝

  • 2005年 第29回全日本少年サッカー大会 優勝

  • 2006年 第30回全日本少年サッカー大会 優勝



プライマリー追浜の戦績


  • 2006年 第30回全日本少年サッカー大会 3位


育成組織の決算


育成組織の決算は、つぎのとおり。
















































育成組織の決算
年度 収入 経費 所得
2011 425 295 130
2012 458 315 143
2013 455 314 141
2014 464 310 154
2015 413 293 120
2016 315 225 90



  • 収入、経費、所得の単位: 百万円

  • 出典: 各年度のJ1 クラブ決算一覧。2011、2012、2013、2014、2015、2016




ユース出身者




参考文献


  • 『マリノスフットボールアカデミー30年史』、2015年。


ホームタウン活動



サッカー教室


ホームタウンである横浜市、横須賀市を中心とした地域の学校やスポーツセンターで横浜F・マリノス専属コーチによるサッカー教室を行っている。サッカー教室は大きく分けて小学生以下の子供を対象とした「ふれあいサッカー教室」、「サッカーキャラバン」と成人を対象とした「ENJOY FOOTBALL」に分かれる。



障がい者サッカー


2004年より、障がい者サッカープロジェクト「futuro(フトゥーロ)」が行われている。「futuro」では横浜ラポールで行なわれている「体験・育成」プログラムと連携しながら横浜F・マリノスのコーチを中心に基本的な技術や個人・チーム戦術のトレーニングを行い、大会に参加している。



地域イベントへの参加


横浜市、横須賀市、大和市の商店街や大学、メインスポンサーである日産の工場関連のイベントにブースを出展している。また、公式チアリーディングチームであるトリコロールランサーズによる演技が披露されることもある。また、2012年時点で200を越える地元商店街にチームフラッグやポスターの掲出をしている。
マスコットキャラクター「マリノスケ」は大半のイベントに登場してくる。



学校との業務提携


ホームタウン活動の一環として、関東学院大学、横浜国立大学、神奈川大学の3大学および日本工学院専門学校と提携し、サッカーチームのコーチ派遣や、地域コミュニティー活動、人材育成などの連携を実施している。関東社会人サッカーリーグ所属の日本工学院サッカー部のトップチームは横浜F・マリノスとチーム名を共有しており、「日本工学院F・マリノス」と呼称している。



トピック



トリパラ


応援の必須アイテムの一つとして、トリコロールの傘、通称「トリパラ」があり、試合に勝つとトリパラをコーヒールンバをベースにした応援に合わせて回す(コーヒールンバを基調にした応援はボカ・ジュニアーズ、ヴァンフォーレ甲府なども行っている)。
2004年頃から一部サポーター有志が特注で製作し普及し始めたが、2006年にクラブがオフィシャルショップで販売を開始してからはゴール裏を中心に爆発的に広まり定着、下記の応援番組のタイトルともなっており、横浜F・マリノスサポーターの応援の代名詞となった。



メディア




  • テレビ神奈川
    • キックオフ!!F・マリノス



  • 横浜ケーブルビジョン
    • 「マイタウン&マイF・マリノス」My town and My F・Marinos



  • 横浜エフエム放送(FMヨコハマ)

    • F・マリノス同好会 Monday(ちょうどいいラジオ内)

    • F・マリノス同好会 Friday(Tresen Friday内)




  • スカパー!
    • 横浜F・マリノス オフィシャルTV TRICOLORE PARADISE -トリパラ-




トリコロールマーメイズ


2007年、公式チアリーディングチームとして「トリコロール・ランサーズ」が結成された。詳細はランサーズの項を参照のこと。その後、2008年6月28日から「トリコロールマーメイズ」と名称を変更しリニューアルした。



海外クラブとの提携


2008年6月にフランスのオリンピック・リヨンと、サッカーの発展と強化およびスポーツ・教育・文化の各領域における協同と友好の促進を目的に業務提携を締結した[45]


2014年1月、カンボジア・リーグに所属するトライアジア プノンペンFCと提携を発表した。だがトライアジア プノンペンFCの事業が親会社のトライアジアグループから譲渡されたことにより、2014年12月31日をもって提携は解消された[46]



その他



  • Jリーグ発足時、同じ横浜市をホームタウンとしていた横浜マリノスと横浜フリューゲルスが同じ日にホームゲームを組むことがあった。しかし、Jリーグではスタジアムの芝生保護や観客入れ替えなどの観点上、1日2試合の開催を認めていなかったので、横浜Mが三ツ沢(球)、横浜Fは九州地方(特別活動地域の長崎県・熊本県・鹿児島県の3県)または国立などで試合を行うことがあった。1995年以後はホームゲームの開催日が調整され、同じ日に横浜Mと横浜Fの主催試合を重複開催することは皆無となった。

  • オフィシャルテーマソングはゆずが歌う「We are F・Marinos」。横浜市営地下鉄の新横浜駅とJR東日本小机駅では同曲が発車メロディに採用されている。

  • マリノスクイーンと呼ばれる広報や試合運営補助を仕事とする女性がいる。なお、マリノスクイーンは神奈川県在住・通勤・通学者から選ばれている。

  • 日産スタジアムで行われるホーム試合開催日ではトリコロールランドで行われるステージにおいて横浜出身のバンド「CHURU-CHUW(ちゅるっちゅう)」が出演した場合、横浜F・マリノスのサポーターの為のサポーターズソング「Winning flags」が披露される。

  • 2015年10月、ドイツのソフトウェア大手SAPと提携。SAPの技術を利用し、選手のパフォーマンス向上やクラブチーム運営業務の効率化、ファン満足度向上のためのマーケティング活動などに取り組むことを発表した。SAPはITを活用したスポーツビジネスにおいてドイツ代表やバイエルン・ミュンヘンを優勝に導いた実績を持っており、同サービスを利用した横浜F・マリノスのチーム強化と成績向上が期待されている。[47][48][49]



決算


横浜F・マリノスの決算は、つぎのとおり。



損益





































































































年度 収入 広告料 入場料 配分 その他 費用 事業費 人件費 管理費 利益
純利益
2005 4,822 2,551 933 335 1,003 4,816 3,896 2,105 920 6 -4
2006 4,559 2,520 826 304 909 4,508 3,467 2,210 1,041 51 -110
2007 4,909 2,626 837 293 1,153 4,674 3,732 1,961 942 235 -1
2008 4,092 1,836 859 279 1,118 4,089 2,704 1,290 1,385 2 0
2009 3,505 1,322 846 263 1,074 3,505 2,733 1,165 772 0 -36
2010 3,565 1,414 932 251 968 3,905 2,962 1,374 943 -340 -341



  • 金額の単位: 百万円

  • 人件費は事業費に含まれる。


出典: 各年度のJ1 クラブ決算一覧。
2005、
2006、
2007、
2008、
2009、
2010
















































































































年度 収益 広告料 入場料 配分 育成 その他 費用 人件費 試合 トップ 育成 女子 販売 利益
純利益
2011 3,463 1,197 795 254 425 792 3,975 1,441 322 405 295 0 1,511 -512 -518
2012 3,717 1,364 783 220 458 892 4,217 1,601 331 442 315 0 1,528 -500 -499
2013 4,315 1,513 1,069 228 455 1,048 4,306 1,701 341 443 314 0 1,506 9 1,000
2014 4,590 2,059 958 226 464 883 4,584 1,765 334 508 310 0 1,667 6 178
2015 4,567 2,256 948 204 413 746 4,567 1,860 331 485 293 0 1,598 0 9


  • 金額の単位: 百万円

出典: 各年度のJ1 クラブ決算一覧。
2011、
2012、
2013、
2014、
2015












































年度 収益 広告料 入場料 配分 育成 物販 その他 費用 人件費 試合 トップ 育成 女子 物販 販売 利益
純利益
2016 4,696 2,366 1,005 224 315 509 277 4,696 1,966 354 395 225 0 351 1,405 0 10


  • 金額の単位: 百万円

出典: 各年度のJ1 クラブ決算一覧。
2016





資産






























































































年度 総資産 総負債 純資産 資本金
2005 2,231 2,205 25 30
2006 2,462 2,547 -84 30
2007 2,425 2,510 -85 30
2008 1,426 1,511 -85 30
2009 739 860 -121 31
2010 719 1,182 -462 30
2011 637 1,685 -1,048 31
2012 491 2,168 -1,677 31
2013 1,778 2,456 -677 31
2014 1,516 1,515 1 99
2015 1,635 1,626 9 99
2016 2,074 2,055 19 99


出典: 各年度のJ1 クラブ決算一覧。
2005、
2006、
2007、
2008、
2009、
2010、
2011、
2012、
2013、
2014、
2015、
2016


金額の単位: 百万円





注釈


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  1. ^ 相模鉄道・崎陽軒・タカナシ乳業・神奈川新聞・テレビ神奈川・横浜信用金庫・サカタのタネの7社。


  2. ^ スポンサー名義は日産車体


  3. ^ 当初は4の予定が1回戦不戦勝のため


  4. ^ 当初は3の予定が2回戦不戦勝のため。また準決勝は日程が過密になりスケジュール調整ができなかったため出場辞退


  5. ^ 当初は2の予定が1回戦不戦勝のため。準々決勝は中立地開催


  6. ^ 決勝戦は中立扱いのため含めず


  7. ^ ACLでは命名権が使用できないため「横浜国」扱い


  8. ^ 対戦相手は大宮アルディージャ(2005年)、ヴァンフォーレ甲府(2006年)、横浜FC(2007年)、モンテディオ山形(2009年)、サガン鳥栖(2012年)の5クラブ。




出典




  1. ^ abcdefghijklmnopqrstuvwxyzaaabacadaeafagah“クラブガイド:横浜F・マリノス”. 日本プロサッカーリーグ. 2013年9月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年9月29日閲覧。


  2. ^ “横浜F・マリノス プロフィール”. 日本プロサッカーリーグ. 2018年10月10日閲覧。


  3. ^ “クラブプロフィール”. 横浜F・マリノス. 2013年9月29日閲覧。


  4. ^ “横浜F・マリノスのホームタウン広域化を承認” (プレスリリース), 日本プロサッカーリーグ, (2005年1月25日), http://www.jleague.jp/release/article-00000509/ 2017年1月7日閲覧。 


  5. ^ “横浜F・マリノスホームタウン追加について” (プレスリリース), 日本プロサッカーリーグ, (2017年4月27日), https://www.jleague.jp/release/post-48752/ 2018年1月14日閲覧。 


  6. ^ “ワルノス・プロフィール”. ワルノス公式サイト. 2013年3月21日閲覧。

  7. ^ abcdefg“2017年度(平成29年度)Jクラブ個別情報開示資料”. 日本プロサッカーリーグ. 2018年8月7日閲覧。


  8. ^ “横浜マリノス株式会社 第三者割当新株発行(増資)について”. J's GOAL (2005年1月26日). 2013年2月3日閲覧。


  9. ^ “日産とシティフットボールグループ グローバルサッカーパートナーシップを締結” (プレスリリース), 日産自動車, (2014年7月17日), https://newsroom.nissan-global.com/releases/140717-02-j 2017年1月7日閲覧。 


  10. ^ “Fマリノスから「NISSAN」ロゴが消える日”. 東洋経済オンライン (2014年7月20日). 2017年1月7日閲覧。


  11. ^ “シティ・フットボール・ジャパン発足のお知らせ” (プレスリリース), マンチェスター・シティFC(シティ・フットボール・グループ), (2015年3月3日), http://マンチェスターシティ.jp/News/Club-news/2015/March/City-Football-Japan-3001 2017年1月7日閲覧。 


  12. ^ “【J1:第33節 横浜FM vs 東京V】”. J's GOAL (2008年11月29日). 2013年6月30日閲覧。


  13. ^ “横浜ダービー」で場外乱闘、マリノスサポーターを逮捕/港北署”. 神奈川新聞. (2008年1月11日). https://web.archive.org/web/20080115122957/http://www.kanaloco.jp/localnews/entry/entryxiiijan0801157 2008年1月11日閲覧。 

  14. ^ ab“背番号「3」永久欠番のお知らせ”. 横浜F・マリノス公式サイト (2011年8月12日). 2013年2月3日閲覧。


  15. ^ 横浜マリノスと名前が変わってからは初優勝。しかもJリーグ発足以来では8チーム目の国内3大タイトル(J/J1・ナビスコ杯・天皇杯)全獲得となった。


  16. ^ “【第94回天皇杯 3回戦 横浜FM vs 北九州】レポート:ディフェンディングチャンピオンが3回戦で散る。北九州は“普段仕様”のスタイルで金星奪取!”. J'S GOAL. (2014年8月21日). http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00177443.html 2014年8月23日閲覧。 


  17. ^ “波乱続出の天皇杯。横浜FMは限定ユニ発送前に敗退、予約したファンは困惑”. フットボールチャンネル. (2014年8月21日). http://www.footballchannel.jp/2014/08/21/post47981/ 2014年8月23日閲覧。 


  18. ^ “横浜Mサポーターが人種差別的行為”. デイリースポーツ. (2014年8月24日). http://www.daily.co.jp/newsflash/soccer/2014/08/24/0007267100.shtml 2014年8月24日閲覧。 


  19. ^ “Jリーグの裁定内容及び再発防止策等に関して”. 横浜F・マリノス公式サイト. (2014年8月29日). http://www.f-marinos.com/news/detail/2014-08-29/180000/172124 2014年8月30日閲覧。 


  20. ^ 来シーズンの監督に関するお知らせ


  21. ^ “横浜非情…3年連続フル出場38歳中沢に“年俸半減”提示”. スポニチアネックス (2016年11月5日). 2017年1月9日閲覧。


  22. ^ “F・マリノスファン、サポーターの皆様へ”. 横浜F・マリノス公式サイト. (2016年11月11日). http://www.f-marinos.com/news/detail/2016-11-11/144500/145948 2017年1月9日閲覧。 


  23. ^ “中村俊輔選手の移籍に関して”. 横浜F・マリノス公式サイト. (2017年1月8日). http://www.f-marinos.com/news/detail/2017-01-08/150000/121642 2017年1月9日閲覧。 


  24. ^ http://www.f-marinos.com/news/detail/2017-04-27/170000/170745


  25. ^ http://www.f-marinos.com/match/data/2017-05-31


  26. ^ “横浜Fマリノス 05アウェイ半袖ユニフォーム”. スポーツウェブショッパーズ. 2013年3月21日閲覧。


  27. ^ “【J1:第4節 横浜FM vs 鹿島】”. J's GOAL (2012年3月31日). 2013年3月21日閲覧。


  28. ^ “ムンディファーマとのオフィシャル・ヘルスケアプロダクト・パートナー契約のお知らせ 〜イソジン®ロゴをユニフォーム(背中裾)に掲出 パートナーシップを活用し、青少年の「夢の実現」をサポートする活動を日本で展開へ〜” (プレスリリース), 公式サイト, (2017年7月10日), http://www.f-marinos.com/news/detail/2017-07-10/120000/213918 2017年7月12日閲覧。 


  29. ^ “横浜“盟友”との関係復活、5年ぶりアディダスと契約”. スポーツニッポン (2011年11月14日). 2013年3月21日閲覧。


  30. ^ “横浜F・マリノス新ジャージー 2012年3月誕生。”. アディダス公式サイト. 2013年3月21日閲覧。


  31. ^ 三ツ沢球技場、基準満たさずJリーグから制裁対象に どうする横浜市(神奈川新聞2014年10月7日 11月19日閲覧)


  32. ^ フットボールガイスト


  33. ^ ニッパツ三ツ沢球技場の略称表記が今季から「ニッパツ」に変更(ゲキサカ2015年1月22日 1月23日閲覧)、「ニッパツ三ツ沢球技場」略称表記 変更のお知らせ(横浜FC2015年1月22日 1月23日閲覧)


  34. ^ “練習場”. 横浜F・マリノス. 2017年1月7日閲覧。


  35. ^ “日産自動車、横浜マリノス 「みなとみらい21地区」61街区に横浜マリノス株式会社の本社移転を発表” (プレスリリース), 日産自動車, (2004年11月29日), http://www.nissan-global.com/JP/NEWS/2004/_STORY/041129-01.html 2017年1月7日閲覧。 


  36. ^ “横浜F・マリノス マリノスタウンからの移転に関するお知らせ” (プレスリリース), 株式会社横浜マリノス, (2015年5月21日), http://www.f-marinos.com/news/detail/2015-05-21/100000/195538 2017年1月7日閲覧。 


  37. ^ “横浜F・マリノス、練習施設を拡充 地域密着強化” (プレスリリース), 日本経済新聞, (2018年1月25日), https://www.nikkei.com/article/DGXMZO26149000V20C18A1L82000/ 2018年2月17日閲覧。 


  38. ^ “トレーニング施設に関するお知らせ” (プレスリリース), 公式サイト, (2018年1月25日), http://www.f-marinos.com/news/detail/2018-01-25/100000/080206 2018年2月17日閲覧。 


  39. ^ 『マリノスフットボールアカデミー30年史』, pp. 60-63.


  40. ^ 『マリノスフットボールアカデミー30年史』, p. 8.


  41. ^ 『マリノスフットボールアカデミー30年史』, p. 18.


  42. ^ 『マリノスフットボールアカデミー30年史』, p. 26.


  43. ^ “横浜F消滅で人生を狂わされた男。天皇杯優勝を喜びきれなかったJrユース指導者【フリューゲルスの悲劇:20年目の真実】”. フットボールチャンネル (2017年4月28日). 2017年9月17日閲覧。


  44. ^ 『マリノスフットボールアカデミー30年史』, pp. 30-31.


  45. ^ “オリンピックリヨン×横浜F・マリノス 業務提携締結のお知らせ”. J's Goal (2008年6月3日). 2017年9月28日閲覧。


  46. ^ “トライアジアプノンペンFCとのパートナーシップに関して”. 横浜F・マリノス公式サイト (2015年1月30日). 2015年1月30日閲覧。


  47. ^ 独SAPと日産、横浜F・マリノスが提携、技術をマリノス強化に活用


  48. ^ 独サッカー代表、躍動の裏にデータ分析あり SAPの流儀とは


  49. ^ バイエルン・ミュンヘンと、これからのブンデス・リーガ




関連項目



  • 横浜F・マリノスの選手一覧


  • 横浜ダービー / 神奈川ダービー

  • 横浜熱闘倶楽部


  • TBWAJAPAN(担当広告代理店)


  • 光邦(ホームゲームのスタジアムDJ(土・日))


  • 柴田聡(ホームゲームのスタジアムDJ(月〜金))



外部リンク



  • 公式ウェブサイト


  • Yokohama F-Marinos - Facebook


  • 横浜F・マリノス (@prompt_fmarinos) - Twitter


  • 横浜F・マリノス公式動画サイト - YouTubeチャンネル

  • ワルノス Official Site

  • キックオフ!! F・マリノス













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