新しき村
新しき村の入口
一般財団法人新しき村(あたらしきむら)は埼玉県入間郡毛呂山町にある共同体。
目次
1 歴史
2 新しき村の精神
3 施設
4 参考文献
5 脚注・出典
6 関連項目
7 外部リンク
歴史
1919年頃の新しき村
入植当初の小屋
武者小路実篤とその同志により、理想郷を目指して1918年(大正7年)、宮崎県児湯郡木城町に開村された。
1938年(昭和13年)にダムの建設により農地が水没することになったため、1939年(昭和14年)に一部が現在の位置(「東の村」)に移転し、残りは日向新しき村(ひゅうがあたらしきむら)として存続した。
第二次世界大戦終了時には1世帯のみとなっていたが、入村者が増え、1948年(昭和23年)に埼玉県から財団法人の認可を受け、1958年(昭和33年)にはついに自活できるようになった。
この村はただ生活するためのものではなく、精神に基いた世界を築く目的で開村されている。階級格差や過重労働を排し、農業(稲作や椎茸栽培など)を主とした自給自足に近い暮らしを行う。労働は「1日6時間、週休1日」を目安とし、余暇は「自己を生かす」活動が奨励される。三食と住居は無料だが、私有財産を全否定しているわけではなく、毎月3万5000円の個人費が支給される。
近年、村内の高齢化が進み、平均年齢は60歳を超えた。鶏卵の値下がりや人手不足で養鶏を止めるなど農業収入の低迷もあり、村の運営が困難になってきている。過去の積立金を取り崩して赤字を補填している[1]。2013年時点の村内生活者数は13人。村外会員は約160人ほど。2018年時点では宮崎で3人、埼玉で8人が暮らしている[2]。
新しき村の精神
一、全世界の人間が天命を全うし各個人の内にすむ自我を完全に成長させることを理想とする。
一、その為に、自己を生かす為に他人の自我を害してはいけない。
一、その為に自己を正しく生かすようにする。自分の快楽、幸福、自由の為に他人の天命と正しき要求を害してはいけない。
一、全世界の人間が我等と同一の精神をもち、同一の生活方法をとる事で全世界の人間が同じく義務を果たせ、自由を楽しみ正しく生きられ、天命(個性もふくむ)を全うする道を歩くように心がける。
一、かくの如き生活をしようとするもの、かくの如き生活の可能を信じ全世界の人が實行する事を祈るもの、又は切に望むもの、それは新しき村の会員である、我等の兄弟姉妹である。
一、されば我等は国と国との争い、階級と階級との争いをせずに、正しき生活にすべての人が入る事で、入ろうとすることで、それ等の人が本当に協力する事で、我等の欲する世界が来ることを信じ、又その為に骨折るものである。
施設
公会堂兼食堂(580m²)、新しき村美術館(250m²)、生活文化館(200m²)、小集会場、アトリエ、茶室、住宅、作業場、畜舎等88棟。生活文化館は年中無休で無料公開している。
公会堂兼食堂
新しき村美術館
生活文化館
売店
茶畑
参考文献
『新しき村の説明及び会則』 (2版) 新しき村東京支部、1919年。 NDLJP:916768
脚注・出典
^ 「人間らしく」追求100年/武者小路実篤の「新しき村」3食と住居提供■一定の労働以外自由/埼玉・諸山に今も 住民減り、存続に危機感『東京新聞』夕刊2018年11月6日(社会面)2018年11月7日閲覧。
^ 『読売新聞』朝刊2018年10月30日「実篤の理想郷100年展」(都民版)。調布市立武者小路実篤記念館での、新しき村創立100周年記念特別展「新しき村の100年」(2018年10月20日~12月9日)紹介記事。
関連項目
- ユートピア
- レフ・トルストイ
- 空想的社会主義
- 集団農場
- 白樺派
- 武者小路実篤
- 城米彦造
- 羅須地人協会
- コミューン
- 上條勝久
- 石川静
- 渡辺修渡舟
外部リンク
- 一般財団法人新しき村
- 新しき村・武者小路実篤記念美術館
- 新しき村
