源氏































源氏

Sasa Rindo.svg
ささりんどう
笹竜胆(代表的な家紋)
※ 各、源氏によって異なる。
氏姓
源朝臣
氏祖
天皇の皇子・諸王
宮家の諸王
種別
皇別
著名な人物
源氏の人物一覧を参照
後裔
嵯峨源氏
村上源氏
清和源氏
花山源氏
宇多源氏
正親町源氏
など

その他の源氏については、二十一流を参照

凡例 / Category:氏

源氏(げんじ、みなもとうじ)は、「源」を氏の名とする氏族。姓(カバネ)は朝臣。


日本において皇族が臣下の籍に降りる(臣籍降下)際に名乗る氏の1つで、多数の流派がある。清和天皇の子孫である清和源氏が有名である。






目次






  • 1 概要


  • 2 起源


  • 3 武家源氏と公家源氏


  • 4 源氏の一覧


    • 4.1 嵯峨源氏


    • 4.2 仁明源氏


    • 4.3 文徳源氏


    • 4.4 清和源氏


    • 4.5 陽成源氏


    • 4.6 光孝源氏


    • 4.7 宇多源氏


    • 4.8 醍醐源氏


    • 4.9 村上源氏


    • 4.10 冷泉源氏


    • 4.11 花山源氏


    • 4.12 三条源氏


    • 4.13 後三条源氏


    • 4.14 後白河源氏


    • 4.15 順徳源氏


    • 4.16 後嵯峨源氏


    • 4.17 後深草源氏


    • 4.18 正親町源氏




  • 5 堂上源氏


  • 6 人物


  • 7 脚注


    • 7.1 注釈


    • 7.2 出典




  • 8 参考文献


  • 9 関連項目






概要


姓の代表的なものの一つとして、平氏・藤原氏・橘氏とともに「源平藤橘」(四姓)と総称されている。


嵯峨天皇から分かれた嵯峨源氏や清和天皇からの清和源氏を含め、二十一の流派(二十一流)があるとされている[脚注 1]。中でも家格が最も高いのは村上源氏とされ、室町幕府の成立まで源氏長者を有した。また、平安以降臣籍降下が頻発すると源・平の二姓ばかりになるが、最近の研究で「一世王、二世王が源、三世以降が平」だった事が判明している。源姓(本姓が源氏)の家系はそれぞれ別の苗字を号しているため、現在「源」を今日的な意味の姓として名乗る例は多くなく、推定人口は4,000人程である。


代表的な家紋である「笹竜胆」は日本最古の家紋であると言われている。



起源


嵯峨天皇が生まれた子らに源姓を与えたことに始まる。皇室と祖(源流)を同じくするという名誉の意味をこめて与えられた。


元々は中国の五胡十六国時代、南涼王の子の禿髪破羌が、南涼滅亡後に北魏に仕えた際、太武帝から禿髪氏と拓跋氏(北魏の帝室の姓)は源が同じであるとして源の姓を与えられ、源賀と名乗ったとに由来する。


他にも、「源」は「水元」であるという説もある。例えば、『和訓栞』(谷川士清)では「みなもと、源をよめり。水元の義なり」とある。また、『神代巻藻塩草』(玉木正英)では「源ノ訓ハ水元也」とある。


嵯峨天皇に皇子皇女が増え、朝廷の財政を逼迫させる基にもなることから、早くに臣籍降下することが皇胤にとって子孫繁栄の道であった。親王ながら皇位を望めない場合や、諸王にあって親王宣下を望めない皇族が自ら降下を求める場合と、朝廷から一方的に降下させる場合とがあり皇別氏族を取り巻く状況は朝廷の財政事情と常に連動する要素が強かった。


嵯峨天皇の後の天皇も度々皇族を源氏として臣籍に下したことから、嵯峨天皇を祖とする源氏を嵯峨源氏と称する様になり、以後源氏はそれぞれの祖と仰ぐ天皇の号をもって氏族の称とした(仁明源氏、文徳源氏、清和源氏、宇多源氏など)。また、朝廷が皇族を臣籍降下させ源氏とした背景としては上級貴族として皇室の藩塀とすることという理由もあった。しかし実際には3代目以降も上級貴族であり続けた例はほとんどなく、大半は受領階級として地方へ赴任しそこで土着して武士化するか、中央で中下級貴族として細々と生き延びた。他に皇族に対して賜った姓としては、在原朝臣・平朝臣などがある。



武家源氏と公家源氏


清和源氏は、二十一流あるといわれる源氏における一家系であるが、武家源氏として歴史上に名を馳せたことにより、清和源氏をして源氏と称することが多い。


この一族は清和天皇の皇子を祖とする。武家源氏として名を馳せた清和源氏においては畿内に始まり各地に土着しており、源満仲の子から摂津源氏、大和源氏、河内源氏とに分かれた。河内国を本拠地とした河内源氏の源義家(八幡太郎義家)はその主流で、その子孫は鎌倉幕府を開いた源頼朝に代表される武門として栄えた。さらに河内源氏からは石川源氏、甲斐源氏、常陸源氏、下野源氏(足利氏)、上野源氏(新田氏)などが分派している。摂津国を本拠地とした摂津源氏からは多田源氏、美濃源氏その他が分派しており、いずれも清和源氏一門であり、いわゆる「武家源氏」である。


清和源氏以外に武家となった源氏としては、嵯峨源氏の源融を祖とする「融流嵯峨源氏」がある。嵯峨源氏の武家として系譜を伝えた代表は、摂津国を基盤とした渡辺氏とその分流の松浦氏である。また、宇多源氏の中で武家として近江国を基盤とした系統は近江源氏(佐佐木源氏)と称し、佐々木氏として有力武士団に成長していく。


中央貴族として栄えた源氏として村上天皇の皇子を祖とする村上源氏がある。同じ源氏でも公卿として繁栄する系統や、武士や神官となる系統に別れるのは、政治情勢や臣籍降下する者、母方の勢力や身分がその後の官途に大きく左右する為である。特に天皇の皇子が降下することを、「一世の源氏」といい、任官の上で大いに優遇された。皇孫に至って臣籍降下することを「二世の源氏」といい、一世の源氏よりも家系的には不利を蒙った。


平安後期以降、皇位継承とは関わりのない皇子皇女たちは出家する慣例が生まれたため、賜姓源氏はほとんど途絶えていた。江戸時代に入って一家が生まれた(広幡家)が、それを最後に源氏賜与は途絶えた。



源氏の一覧


源氏は全部で21の流派(「二十一流」参照)があるとされるが、そのうち18流を以下に示す。



嵯峨源氏



52代嵯峨天皇の子孫。詳細は「嵯峨源氏」を参照。

嵯峨天皇は多くの皇子皇女に源氏姓を賜り臣籍降下させた。この内、源信・源常・源融は左大臣となり、平安時代初期に朝廷の一大勢力をなした。また、源融の系統は地方に土着として武家となった。


氏族:渡辺氏、松浦氏、蒲池氏など



仁明源氏


54代仁明天皇の子孫。

仁明天皇の子、源多・源光は右大臣となった。また、源光の子孫に、清和源氏の源満仲の妻の父であり、嵯峨源氏の源綱(渡辺綱)の養父である源敦がいる。人康親王・本康親王の子息も数人が源氏となっているが、本康親王の子息には平氏となったものもいる(仁明平氏)[2][3][4]



文徳源氏


55代文徳天皇の子孫。詳細は「文徳源氏」を参照。


源能有は右大臣となった。

氏族:坂戸氏



清和源氏


56代清和天皇の子孫。詳細は「清和源氏」を参照。

もっとも栄えたのは第六皇子・貞純親王の子・六孫王経基の系統。河内源氏の源義家が武家の棟梁となり、その子孫から鎌倉将軍家を輩出したことから武家棟梁の家柄とされ、嫡流の新田氏や、室町幕府を興した足利氏を初めとして、極めて多数の武家が清和源氏の子孫を称した。また、徳川氏や島津氏など本来清和源氏ではない一族が源氏を仮冒した例もある。


堂上公家:竹内家(半家)

氏族:新田氏、足利氏、武田氏、佐竹氏、細川氏、今川氏、土岐氏、南部氏、宍戸氏


など多数




陽成源氏


57代陽成天皇の子孫。

清和源氏の祖とされる源経基は陽成天皇の孫とする説があり、この説に賛意を示す学者もいるが、広く学界の承認するまでには至っていない(「貞純親王」を参照)。



光孝源氏


58代光孝天皇の子孫[5]

第一皇子である是忠親王の曾孫・康尚は仏師となり、この系統から仏工の各流派を輩出した。(七条仏所)



宇多源氏


59代宇多天皇の子孫。

第八皇子である敦実親王の子、源雅信・源重信兄弟はいずれも左大臣となった。源重信の子孫は十二世紀初めまで公卿を輩出した。源雅信の子孫からも多くの公卿を輩出し、鎌倉時代以降、庭田家、綾小路家等に分かれ、明治維新に至るまで堂上家としての地位を保ち、栄えた。


堂上公家:庭田家(羽林家)、綾小路家(羽林家)、五辻家(半家)、大原家綾小路家(羽林家)、慈光寺家(半家)

氏族:佐々木氏、出雲源氏など諸氏




醍醐源氏


60代醍醐天皇の子孫。詳細は「醍醐源氏」を参照。


第十皇子の源高明は左大臣となったが後に安和の変にて失脚した。高明の異母兄弟である源兼明も左大臣に昇ったが後に親王に復帰させられることで政治の中枢から追われた。高明の三男源俊賢は権大納言、四男源経房は権中納言に昇り、俊賢の子孫からも源隆国(俊賢二男、権大納言)や源俊明(隆国三男、大納言)をはじめ多くの公卿を輩出し、院政期まで栄えた。

第一皇子・克明親王の子には管弦の名手として有名な源博雅がいる。


氏族:岡本氏、河尻氏



村上源氏


62代村上天皇の子孫。詳細は「村上源氏」を参照。

第七皇子の具平親王の子で藤原頼通の猶子となった右大臣・源師房の子孫は多数の公卿を輩出し、栄えた。師房の子、源俊房・源顕房の兄弟はそれぞれ左大臣・右大臣に昇った。俊房流も院政期までは公卿を出したが、以後は没落した。顕房の嫡男の源雅実は源氏で初の太政大臣となり、その子孫は数多くの大臣を輩出して村上源氏の嫡流となり、殊に平安時代末期の源通親は著名である。室町時代に足利将軍家に奪われるまで源氏長者は村上源氏が独占した。雅実流からは清華家の一つである久我家をはじめ多数の堂上家が分立し、明治維新に至るまで堂上公家としての地位を保った。


堂上公家:久我家(清華家)、中院家(大臣家)、六条家(羽林家)、岩倉家(羽林家)、千種家(羽林家)、久世家(羽林家)、東久世家(羽林家)、梅渓家(羽林家)、愛宕家(羽林家)、植松家(羽林家)

氏族:北畠氏など




冷泉源氏


63代冷泉天皇の子孫。


源氏二十一流に含まれるが具体的に源姓を賜与された子孫の名は伝わらない。


花山源氏


65代花山天皇の子孫。

堂上公家:白川伯王家(半家) - 神祇伯を世襲して神道を統括。1961年絶家。



三条源氏


67代三条天皇の第一皇子・敦明親王の子孫。


嫡流は源通季以降、正親正を世襲し、五位[要曖昧さ回避]の王氏に復した。



後三条源氏


71代後三条天皇の第三皇子・輔仁親王の子孫。

輔仁親王の子・源有仁は左大臣となった。源頼朝の家臣で平家物語にも登場する田代信綱は源有仁の孫とされる(『源平盛衰記』)。



後白河源氏


77代後白河天皇の第二皇子・以仁王(高倉宮)の一代のみ。

以仁王は親王宣下がなされず、ついに治承4年(1180年)、最勝親王を名乗り安徳天皇と平氏政権の排除を唱えて源頼政とともに挙兵するが、敗死した(以仁王の挙兵)。その際、後白河院から源姓を賜与されて名も「源以光」と改められ、流罪が下された。


順徳源氏


84代順徳天皇の第五皇子・忠成王、第六皇子・善統親王の子孫。

善統親王の孫・源善成は四辻を号し足利義満の応援も受けて左大臣に昇った。



後嵯峨源氏


88代後嵯峨天皇の孫・源惟康(惟康親王)の一代のみ。

後嵯峨天皇の第二皇子・宗尊親王が第6代鎌倉将軍を退いた後、その長男で7代将軍に就任した惟康王に対し、源姓が賜与されて「源惟康」となった。ただしその後、鎌倉幕府が惟康を京へ追放し、代わりに久明親王を将軍に迎えるため、その下準備として幕府の要請により朝廷より惟康に対して親王宣下がなされ、惟康は皇族に復帰した。なお、宗尊親王の孫にあたる宗治が後醍醐天皇の猶子となって源姓を賜与されている。



後深草源氏


89代後深草天皇の皇子で、鎌倉幕府8代将軍となった久明親王の子孫。

久明親王の子守邦親王(9代将軍)・久良親王が源姓を賜与されたとされる[6]。また、久良親王の猶子(実は二条道平の子[要出典])源宗明は権大納言に昇った。



正親町源氏


106代正親町天皇の子孫。

堂上公家:広幡家(清華家) - 当初は武家であった。


堂上源氏


昇殿を許された公家源氏の家は堂上源氏と呼ばれた。その18家は以下に示す通り。




  • 村上源氏(10家)

    • 久我家

    • 中院家

    • 六条家

    • 岩倉家

    • 千種家

    • 久世家

    • 東久世家

    • 梅渓家

    • 愛宕家

    • 植松家






  • 宇多源氏(5家)

    • 庭田家

    • 綾小路家

    • 五辻家

    • 大原家

    • 慈光寺家



  • 花山源氏
    • 白川家


  • 正親町源氏
    • 広幡家



  • 清和源氏
    • 竹内家






人物


著名な源姓の人物に関しては、源氏の人物一覧を参照。



脚注


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注釈





  1. ^ ただし、文献によっては源氏二十一流に含まれない淳和源氏(淳和天皇の子孫が源姓を与えられたもの)が存在することを明記しているものもある[1]




出典





  1. ^ 『日本大百科全書 8』330-331頁、「源氏」の項目より。


  2. ^ 太田 1923, p. 57.


  3. ^ 塙保 & 川俣 1930, p. 419.


  4. ^ 太田 1936, p. 4550.


  5. ^ 太田 1934, p. 2233.


  6. ^ 守邦親王は『尊卑分脈』、久明親王は『本朝皇胤紹運録』に源姓を賜与されたとの記載がある。




参考文献




  • オープンアクセス太田亮 国立国会図書館デジタルコレクション 『系図綱要』 磯部甲陽堂、1923年。全国書誌番号:.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit}.mw-parser-output .citation q{quotes:"""""""'""'"}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/65/Lock-green.svg/9px-Lock-green.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg/9px-Lock-gray-alt-2.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/aa/Lock-red-alt-2.svg/9px-Lock-red-alt-2.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .cs1-subscription,.mw-parser-output .cs1-registration{color:#555}.mw-parser-output .cs1-subscription span,.mw-parser-output .cs1-registration span{border-bottom:1px dotted;cursor:help}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4c/Wikisource-logo.svg/12px-Wikisource-logo.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output code.cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:inherit;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;font-size:100%}.mw-parser-output .cs1-visible-error{font-size:100%}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#33aa33;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-subscription,.mw-parser-output .cs1-registration,.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left,.mw-parser-output .cs1-kern-wl-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right,.mw-parser-output .cs1-kern-wl-right{padding-right:0.2em}
    43038985。http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971961/59 国立国会図書館デジタルコレクション
     


  • オープンアクセス太田亮 国立国会図書館デジタルコレクション 『姓氏家系大辞典』第2巻、上田萬年、三上参次監修 姓氏家系大辞典刊行会、1934年。全国書誌番号:
    47004572。http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1130938 国立国会図書館デジタルコレクション
     


  • オープンアクセス太田亮 国立国会図書館デジタルコレクション 『姓氏家系大辞典』第3巻、上田萬年、三上参次監修 姓氏家系大辞典刊行会、1936年12月10日。全国書誌番号:
    47004572。http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1131019/240 国立国会図書館デジタルコレクション
     

  • 『新訂増補国史大系・尊卑分脉 第1篇』吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編修会(編)ISBN 4642003622

  • 『新訂増補国史大系・尊卑分脉 第2篇』吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編修会(編)ISBN 4642003630

  • 『新訂増補国史大系・尊卑分脉 第3篇』吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編修会(編)ISBN 4642003649

  • 『新訂増補国史大系・尊卑分脉 第4篇』吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編修会(編)ISBN 4642003657

  • 『新訂増補国史大系・公卿補任 第1篇』吉川弘文館 黒板勝美(編)ISBN 4642003568

  • 『新訂増補国史大系・公卿補任 第2篇』吉川弘文館 黒板勝美(編)ISBN 4642003576

  • 『新訂増補国史大系・公卿補任 第3篇』吉川弘文館 黒板勝美(編)ISBN 4642003584

  • 『新訂増補国史大系・公卿補任 第4篇』吉川弘文館 黒板勝美(編)ISBN 4642003592

  • 『新訂増補国史大系・公卿補任 第5篇』吉川弘文館 黒板勝美(編)ISBN 4642003606

  • 『国史大辞典 第13巻』吉川弘文館 国史大辞典編集委員会(編)ISBN 4642005137

  • 『日本大百科全書 8』小学館 ISBN 4095261080


  • オープンアクセス塙保己一; 川俣馨一編、国立国会図書館デジタルコレクション 「本朝皇胤紹運録」 『新校羣書類従』第3巻 内外書籍、1930年5月20日。全国書誌番号:
    51008912。http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1879733/234 国立国会図書館デジタルコレクション
     



関連項目











  • 源平交代思想

  • 源氏長者

  • 源氏物語

  • 平氏




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