日本大学山形高等学校
日本大学山形高等学校 | |
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過去の名称 | 山形第一高等学校 |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人日本大学 |
設立年月日 | 1958年(昭和33年)3月8日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
高校コード | 06503A |
所在地 | 〒990-2433 |
山形県山形市鳥居ヶ丘4番55号 | |
外部リンク | 公式サイト |
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日本大学山形高等学校(にほんだいがくやまがたこうとうがっこう、Nihon University Yamagata Senior High School)は、山形県山形市鳥居ヶ丘にある私立高等学校。通称は「日大山形高」「日大高」「日大山高」。
日本大学の付属校である。校歌(作詞:神保光太郎)の歌い出しは「ボーイズビーアンビシャス」。
なお、1989年から2014年まで併設されていた日本大学山形中学校(にほんだいがくやまがたちゅうがっこう)についてもここで述べる。
目次
1 概観
2 沿革
3 設置学科
4 部活動
5 制服
6 施設
7 生徒数
8 所在地
9 交通
10 著名な出身者
11 日本大学山形中学校
12 脚注
13 外部リンク
概観
山形県内で最も生徒数が多い高校である。1962年に学校法人日本大学に合併し、日本大学山形高等学校となる。全国にさきがけ、高等学校として2002年に国際環境規格ISO14001を認証取得した(現在は所持していない)。
沿革
1958年(昭和33年)4月 - 学校法人山形学園山形第一高等学校として開校。
1962年(昭和37年)11月 - 日本大学と合併し、現校名となる。
1963年(昭和38年)- 第45回全国高等学校野球選手権大会に初出場。
1966年(昭和41年)4月 - 女子部設置。
1973年(昭和48年)- 第45回選抜高等学校野球大会に初出場。
1989年(平成元年)4月 - 日本大学山形中学校開校。
2002年(平成14年)
- 2月 - 国際環境規格ISO14001認証取得。
- 3月 - 商業科課程募集停止。
2006年(平成18年)8月 - 第88回全国高等学校野球選手権大会において、野球部が山形県勢初の夏の甲子園ベスト8を達成。
2012年(平成24年)4月 - 中学校募集停止。
2013年(平成25年)8月 - 第95回全国高等学校野球選手権大会において、野球部が山形県勢初の夏の甲子園ベスト4を達成。[1]
2014年(平成26年)3月31日 - 日本大学山形中学校廃止[2][3]。
2017年 (平成29年) 8月 - 第99回全国高等学校野球選手権大会に出場。
2018年(平成30年)3月 - 第90回記念選抜高等学校野球大会に出場。春のセンバツ出場は36年ぶり。
設置学科
学科としては普通科のみだが、進学コースI・II、特進コース、2003年度(平成15年度)より設置された、推薦入学のみのスポーツクラスがある。かつては商業科があったが、現在は廃止されている。
部活動
男子バスケットボール部は1982年春の選抜(現・ウィンターカップ)で能代工業を下して優勝している。また、男子水泳部も2001年、インターハイの競泳の部において総合優勝を果たしている。
2006年8月、硬式野球部が夏の甲子園(第88回)で山形県勢初の全国ベスト8に入った(ベンチ入り18人中16人が地元選手である)。その準々決勝戦では、全国制覇の早稲田実に善戦し、8回表まで2-1と1点リードしていたが、その後8回裏に逆転されて、結果2-5と敗退。ベスト4進出はならなかった。翌年の2007年、2年連続で夏の甲子園(第89回)に出場したが、初戦(2回戦)で、この年の春の優勝校常葉菊川と対戦し、4-12で敗退した。2013年の夏の甲子園(第95回)では、日大三、作新学院、明徳義塾といった全国制覇を経験した学校を下し、山形県勢初の全国ベスト4に入った。
また、サッカー部、男子バレーボール部、女子バレーボール部、ラグビーフットボール部、ハンドボール部、その他の部活動も全国大会に出場している。
制服
制服は男子は1958年の開校以来学ランであり、女子は1966年の女子部開設以来セーラーである。
施設
2016年現在、6つの校舎と2つの体育館がある。
生徒数
生徒数は県内最大[4]を誇るが、近年は減少傾向であり、2006年時点は1680人(うち女子581人)[5]であったが、2013年時点では1272人(女子413人)[6]となっている。
所在地
- 本校 - 山形県山形市鳥居ヶ丘4-55
- 総合運動場 - 山形県山形市大字中桜田字東大坊7-2
交通
JR山形線・仙山線・左沢線山形駅よりバス「日大山高前」「元木」下車
山形駅より車で5分
著名な出身者
荒井良二 - 絵本作家、イラストレーター
小山田健一 - 1968年度卒業。元プロ野球選手(東映フライヤーズ(現:北海道日本ハムファイターズ)→ヤクルトスワローズ(現:東京ヤクルトスワローズ))
広野准一 - 1986年度卒業。元プロ野球選手(日本ハムファイターズ(現:北海道日本ハムファイターズ))
栗原健太 - 1999年度卒業。元プロ野球選手 (広島東洋カープ→東北楽天ゴールデンイーグルス)現東北楽天ゴールデンイーグルスコーチ
奥村展征 - 2013年度卒業。プロ野球選手(読売ジャイアンツ→東京ヤクルトスワローズ)
石山智也 - プロ野球審判員
牛嶋俊明 - FM岡山DJ・アナウンサー、おしょうしな観光大使(2009- )
佐藤優 - YTS山形テレビアナウンサー(中学校)
トモ - 1988年度卒業。お笑いタレント(テツandトモ)
高橋健二 - 1988年度卒業。元プロサッカー選手(現モンテディオ山形コーチ)
鈴木克美 - 1987年度卒業。元プロサッカー選手(現モンテディオ山形育成普及コーチ)
後藤純二 - 1989年度卒業。元プロサッカー選手
岡崎裕美子 - 1994年度卒業。歌人
西田崇 - 1993年度卒業。プロスノーボーダー(長野オリンピックハーフパイプ日本代表)
菊地祥平 - 2002年度卒業。バスケットボール選手
阿部ゆたか - 漫画家
佐藤正宏 - 1976年度卒業。WAHAHA本舗座長
畠中洋 - 1983年度卒業。俳優
板垣公一 - 1962年度卒業。豆の板垣社長
奥山義行 - 1988年度卒業。元陸上選手
日本大学山形中学校
1989年4月より、日本大学山形中学校を開校して併設型中高一貫教育を行っていたが、2012年度より生徒募集を停止し、2013年12月26日開催の山形県私立学校審議会にて、少子化により入学者の確保が見込めないとして2014年3月31日付での廃止認可が答申された[2]。2014年3月15日に閉校式が挙行され、日本大学山形中学校はその歴史に幕を下ろした[3]。開校から廃校までの累計卒業者数は743名であった[3]。
脚注
^ INC., SANKEI DIGITAL. “【夏の甲子園】日大山形、県勢初のベスト4 「歴史を塗り替えた」” (日本語). 産経ニュース. https://www.sankei.com/sports/news/130819/spo1308190013-n1.html 2018年7月4日閲覧。
- ^ ab平成25年度山形県私立学校審議会次第・平成25年度山形県私立学校審議会議事録、2016年8月10日閲覧。
- ^ abc日本大学山形中学校閉校のお知らせ・日本大学山形中学校閉校式が挙行されました-日本大学山形高等学校、2016年8月10日閲覧。
^ 平成25年5月1日現在 山形県学校名鑑53ページより
^ 日大山形8年ぶり甲子園日刊スポーツ2006年7月28日紙面より Archived 2013年10月2日, at the Wayback Machine.
^ 日大山形V目標は全国4強以上/山形大会 日刊スポーツ2013年7月27日紙面より
外部リンク
- 日本大学山形高等学校
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