近世日本語
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近世日本語 | |
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話される国 | 日本 |
消滅時期 | 19世紀中期に現代日本語へ発展。 |
言語系統 | 日本語族
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表記体系 | ひらがな、カタカナ、漢字 |
言語コード | |
ISO 639-1 | なし |
ISO 639-3 | — |
近世日本語(きんせいにほんご)とは、中世日本語と現代日本語の間に位置する、日本語の発展における一段階である[1]。この時期は、中世日本語の多くの特徴が消失する時期であったとともに、現代日本語という形態への移行期でもあった。近世日本語が使用された期間は、17世紀から19世紀中期までの約250年であり、享保または宝暦頃を境に、上方語優勢の前期と江戸語優勢の後期に分けて考えられる[2][3]。また、政治史で見ると一般的には江戸時代に相当する。
目次
1 背景
2 音韻
2.1 母音体系
3 脚注
4 参考文献
背景
17世紀の初め、日本における政治の中心地は、京都や大阪といった上方から、江戸幕府が本拠地と定めた江戸に移行した。よって、江戸時代初期に至るまでは、現代の近畿方言の元となった上方語が最も影響力のある方言であったが、江戸幕府の安定に伴い日本の文化・経済の中心も上方から江戸へ移行するのに従い、町人による社会が発達した江戸で話される、山の手言葉とともに近代東京方言を構成することになる江戸言葉が影響力を持つようになった。
また、江戸幕府の下で経済が成長し町人文化や出版文化が成立及び発達するにしたがって、浮世絵や浄瑠璃、歌舞伎、文楽や落語、俳諧などといった新たな芸術が芽吹くとともに、浮世草子に始まり洒落本や滑稽本、人情本や草双紙などといった大衆向けの文学が新たに発展していった。これらの江戸で出版された大衆本は、総称して戯作もしくは(江戸)地本と呼ばれる。
この時代に活躍した代表的な文学者としては、井原西鶴(浮世草子、人形浄瑠璃、俳諧)や近松門左衛門(浄瑠璃及び歌舞伎)、松尾芭蕉(俳諧)、式亭三馬(浮世絵)、山東京伝(浮世絵及び戯作者)が挙げられる。
音韻
母音体系
母音は以下の5つであった。
- ア列: /a/: [a]
- イ列: /i/: [i]
- ウ列: /u/: [ɯ]
- エ列: /e/: [e]
- オ列: /o/: [o]
中世日本語においては、語頭の「え(/e/)」と「お(/o/)」はそれぞれ半母音の[j]および[w]を伴って実現していたが、18世紀の中頃には、それぞれ半母音を伴うことなく発音されるようになった[4]。
脚注
^ Shibatani(1990: 119)
^ 大辞林 第三版「近世語」
^ デジタル大辞泉「近世語」
^ 中田 (1972: 238-239)
参考文献
Shibatani, Masayoshi (1990). The Languages of Japan. Cambridge University Press. ISBN 0-521-36918-5.
- 中田祝夫 『講座国語史 第二巻: 音韻史、文字史』 大修館書店、1972年(日本語)。
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