レイトン・ヒューイット
| ||||
---|---|---|---|---|
![]() レイトン・ヒューイット | ||||
基本情報 | ||||
フルネーム | Lleyton Glynn Hewitt |
|||
国籍 | ![]() |
|||
出身地 | ![]() |
|||
生年月日 | (1981-02-24) 1981年2月24日(38歳) |
|||
身長 | 180cm |
|||
体重 | 77kg |
|||
利き手 | 右 |
|||
バックハンド | 両手打ち |
|||
ツアー経歴 | ||||
デビュー年 | 1997年 |
|||
引退年 | 2016年(1回目) |
|||
ツアー通算 | 33勝 |
|||
シングルス | 30勝 |
|||
ダブルス | 3勝 |
|||
生涯通算成績 | 740勝356敗 |
|||
シングルス | 616勝262敗 |
|||
ダブルス | 124勝94敗 |
|||
生涯獲得賞金 | $20,777,859 |
|||
4大大会最高成績・シングルス | ||||
全豪 | 準優勝(2005) |
|||
全仏 | ベスト8(2001・04) |
|||
全英 | 優勝(2002) |
|||
全米 | 優勝(2001) |
|||
優勝回数 | 2(英1・米1) |
|||
4大大会最高成績・ダブルス | ||||
全豪 | ベスト4(2018) |
|||
全仏 | 2回戦(2000) |
|||
全英 | 3回戦(1999・2012・14) |
|||
全米 | 優勝(2000) |
|||
優勝回数 | 1(米1) |
|||
4大大会最高成績・混合ダブルス | ||||
全英 | 準優勝(2000) |
|||
国別対抗戦最高成績 | ||||
デビス杯 | 優勝(1999・2003) |
|||
ホップマン杯 | 準優勝(2003) |
|||
キャリア自己最高ランキング | ||||
シングルス | 1位(2001年11月19日) |
|||
ダブルス | 18位(2000年10月23日) |
|||
■テンプレート ■プロジェクト テニス |
レイトン・グリン・ヒューイット(Lleyton Glynn Hewitt, 1981年2月24日 - )は、オーストラリア・アデレード出身の男子プロテニス選手。身長180cm、体重77kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。ATPツアーでシングルス30勝、ダブルス3勝。
2001年11月19日に史上最年少の20歳8ヶ月で世界ランキング1位となり、2001年と2002年の2年連続で、年間ランキング1位の座についた。これまでにグランドスラム優勝3回(シングルス2回)、ATPワールドツアー・ファイナル優勝2回、デビスカップオーストラリア代表最多勝を挙げている。
目次
1 選手経歴
2 人物
3 プレースタイル
4 ATPツアー決勝進出結果
4.1 シングルス: 46回 (30勝16敗)
4.2 ダブルス: 8回 (3勝5敗)
5 4大大会優勝
6 シングルス成績
6.1 4大大会
6.2 年間最終戦
6.3 大会最高成績
6.4 ランキング
7 脚注
8 外部リンク
選手経歴
ヒューイットは元アスリートの両親の間に生まれ、自宅の芝生コートでテニスに親しんだ。
1998年1月に16歳でプロ転向を表明し、ネクストジェネレーション・アデレード国際で早くもATPツアー初優勝を果たした。1999年に男子テニス国別対抗戦・デビスカップオーストラリア代表選手に選ばれ、マーク・フィリプーシスらと共にオーストラリアを13年ぶりの優勝に貢献。2000年には世界ランキングでトップ10入りすると、同年の全米オープンではベスト4に進出。準決勝でピート・サンプラスに敗れたが、男子ダブルスではマックス・ミルヌイと組んで優勝に輝いた。
2001年全米オープンの決勝でピート・サンプラスを7-6, 6-1, 6-1で破って4大大会初優勝を果たすと、ジャパン・オープン・テニス選手権でも初来日を優勝で飾った。11月19日付で史上最年少の20歳8ヶ月で世界ランキング1位に登り詰め、その後の年間最終戦テニス・マスターズ・カップを制し、2001年度を世界ランキング1位で終え、戦績 80勝18敗、勝率0.8163 を数える好成績を挙げた。
2002年、SAPオープン決勝ではアンドレ・アガシを、インディアンウェルズ・マスターズとクイーンズクラブ選手権の決勝ではティム・ヘンマンを下して優勝。さらにウィンブルドン選手権では決勝でダビド・ナルバンディアンを6-1, 6-3, 6-2で破って初優勝を果たした。続く全米オープンでは準決勝でアガシに敗れたが、シンシナティ・マスターズとパリ・マスターズで準優勝。その後の年間最終戦では2連覇を果たし、2002年度も世界ランキング1位で終えた。
2003年、インディアンウェルズ・マスターズ決勝でグスタボ・クエルテンを下して優勝。その後は故障もあって不調に陥り、80週かけて守った世界ランキング1位から陥落。ウィンブルドン選手権では、オープニング・マッチ(前年優勝者が初戦でセンター・コートの第1試合に出る慣例の事)でイボ・カロビッチの時速210km/hを超える高速サーブの前に敗れてしまい、同選手権の男子部門で1967年のマニュエル・サンタナ以来36年ぶりの前年王者の初戦敗退という辛酸を舐めた。2003年度は17位で終えた。
2004年は不調から脱し、メディバンク国際、ABNアムロ世界テニス・トーナメント、レッグ・メーソン・テニス・クラシックとパイロット・ペン・テニスで優勝。シンシナティ・マスターズと全米オープン、テニス・マスターズ・カップで準優勝する好成績を残し、ランキング3位で年を終えた。この年は4大大会などの大舞台でロジャー・フェデラーにことごとく敗れている。まず全豪オープン4回戦で6-4, 3-6, 0-6, 4-6、続いてウィンブルドン選手権準々決勝で1-6, 7-6, 0-6, 4-6で、更に全米オープン決勝で0-6, 6-7, 0-6で、そしてテニス・マスターズ・カップのラウンドロビンでは3-6, 4-6で、決勝では3-6, 2-6で敗れていた。
2005年全豪オープンでは地元選手としてパット・キャッシュ以来17年ぶりの決勝進出を果たしたが、マラト・サフィンに6-1, 3-6, 4-6, 4-6で敗れて地元優勝を逃した。ウィンブルドン選手権と全米オープンでは、フェデラーに準決勝で、それぞれ3-6, 4-6, 6-7と3-6, 6-7, 6-4, 3-6で敗れている。フェデラーには、2003年までは7勝2敗と勝ち越していたが、2004年以後は2010年全豪オープンまで15連敗とまったく歯が立たなくなった。ランキング4位で年を終えている。
その後は怪我などに苦しめられ、1998年から2007年まで毎年記録していたツアー優勝も2008年に途絶えた(その後、2009年・2010年にはツアー優勝している)。2009年ウィンブルドン選手権では3年ぶりに準々決勝に進出したが、アンディ・ロディックに3-6, 7-6, 6-7, 6-4, 4-6で敗れている。2010年のゲリー・ウェバー・オープン決勝では、フェデラーから7年ぶりの勝利を挙げて優勝した。
2014年3月20日、史上21人目となる通算600勝達成。当時の現役ではフェデラー、ナダルに次ぐ3人目の記録となる。[1] 7月13日、テニス殿堂選手権で優勝し通算30勝達成。
2015年1月29日、2016年全豪オープンで現役引退することを示唆した[2]。また、上記の引退示唆からの意向で2015年全仏オープンを欠場した。
その2016年全豪オープン男子シングルスでは1回戦でジェームス・ダックワースに7-6(5), 6-2, 6-4で勝利。2回戦ではダビド・フェレールに2-6, 4-6, 4-6で敗れ、これがシングルスの最後の試合となった。ダブルスではサム・グロスと組んで3回戦まで進出。3回戦でバセク・ポスピシル/ジャック・ソック組に敗れた。
引退後の2016年からデビスカップオーストラリア代表の監督に就任している。初采配となった3月の1回戦アメリカ戦は、直前にニック・キリオスが体調不良で離脱したため急遽選手兼監督としてメンバー入り。第3戦のダブルスでジョン・ピアーズと組んでブライアン兄弟と対戦。3-6, 3-6, 6-4, 6-4, 3-6で敗れた。
その後、2018年全豪オープンではこの大会での引退を表明しているサム・グロスと組んでダブルスに出場することを表明した[3]。全豪オープンの前哨戦であるブリスベン国際にもジョーダン・トンプソンと組んでワイルドカードで出場。1回戦でグリゴール・ディミトロフ/ライアン・ハリソン組に敗れた。
人物
2000年からベルギーの女子テニス選手、キム・クライシュテルスと交際する。同年のウィンブルドン選手権で2人のペアは混合ダブルスで準優勝した。それ以後はテニスのトーナメント中にお互いの試合を応援するようになり、2003年12月に婚約したが、2004年10月22日にクライシュテルスが彼女の公式ホームページで婚約解消を発表した。その後ヒューイットは、2005年7月21日にオーストラリア人女優のベック・カートライトと結婚し、3児がいる。
若い頃はコートマナーの悪さでテニス関係者から非難されることが多く、優勝した2001年全米オープンの2回戦で、黒人選手ジェームズ・ブレークに対する問題発言などのトラブルを起こしたこともある。またヒューイットが大事なポイントを決めた時に叫ぶ「COME ON!」は、男女を問わず多くの選手が真似をするなどの影響を及ぼした。
プレースタイル
オーストラリアン・フットボールで鍛え上げた強靭な足腰を活かし、どんな球にも喰らいつく足の速いストローク・プレーヤー。守備に秀でた選手であり、最大の武器はリターンと機敏なフットワーク、粘り強さ、そしてメンタルの強さである。
ボールに対する反応が良く、股関節が柔らかくて強いので、最後の一歩が大きくとれる。しかも踏ん張りが効くので、かなり厳しいボールを打たれてもしっかりと打ち返すことができる。それをベースにしたヒッティング・エリアの前後左右への広さが最大の特徴。また、リターンが良く、パスやロブも上手い[4]。
世界でも第一級のリターン力を持っており、反応の良さと、バランスの良さで相当厳しいサーブでもしっかりと打ち返せる[5]。
しかし一発でエースを取れるショットがないので、相手が勝負を急がず、確実にチャンスを作って攻めてこられると、得意のカウンター・ショットも生かせず、攻め手が無くなってしまう弱点がある[6]。
ATPツアー決勝進出結果
シングルス: 46回 (30勝16敗)
|
|
結果 |
No. |
決勝日 |
大会 |
サーフェス |
対戦相手 |
スコア |
---|---|---|---|---|---|---|
優勝 |
1. |
1998年1月5日 |
![]() |
ハード |
![]() |
3–6, 6–3, 7–6(4) |
準優勝 |
1. |
1999年1月11日 |
![]() |
ハード |
![]() |
6–4, 1–6, 2–6 |
準優勝 |
2. |
1999年3月8日 |
![]() |
ハード |
![]() |
6–7(2), 6–4, 4–6 |
優勝 |
2. |
1999年5月3日 |
![]() |
クレー |
![]() |
6–4, 6–7(2), 6–1 |
準優勝 |
3. |
1999年10月25日 |
![]() |
カーペット (室内) |
![]() |
3–6, 2–6 |
優勝 |
3. |
2000年1月10日 |
![]() |
ハード |
![]() |
3–6, 6–3, 6–2 |
優勝 |
4. |
2000年1月10日 |
![]() |
ハード |
![]() |
6–4, 6–0 |
優勝 |
5. |
2000年3月6日 |
![]() |
ハード |
![]() |
6–4, 7–6(2) |
優勝 |
6. |
2000年6月12日 |
![]() |
芝 |
![]() |
6–4, 6–4 |
準優勝 |
4. |
2000年11月6日 |
![]() |
ハード (室内) |
![]() |
6–7(6), 6–3, 7–6(5), 6–7(2), 2–6 |
優勝 |
7. |
2001年1月8日 |
![]() |
ハード |
![]() |
6–4, 6–1 |
優勝 |
8. |
2001年6月11日 |
![]() |
芝 |
![]() |
7–6(3), 7–6(3) |
優勝 |
9. |
2001年6月18日 |
![]() |
芝 |
![]() |
6–3, 6–4 |
優勝 |
10. |
2001年9月10日 |
![]() |
ハード |
![]() |
7–6(4), 6–1, 6–1 |
優勝 |
11. |
2001年10月1日 |
![]() |
ハード |
![]() |
6–4, 6–2 |
優勝 |
12. |
2001年11月12日 |
![]() |
ハード (室内) |
![]() |
6–3, 6–3, 6–4 |
優勝 |
13. |
2002年2月25日 |
![]() |
ハード (室内) |
![]() |
4–6, 7–6(6), 7–6(4) |
優勝 |
14. |
2002年3月11日 |
![]() |
ハード |
![]() |
6–1, 6–2 |
優勝 |
15. |
2002年6月10日 |
![]() |
芝 |
![]() |
4–6, 6–1, 6–4 |
優勝 |
16. |
2002年6月24日 |
![]() |
芝 |
![]() |
6–1, 6–3, 6–2 |
準優勝 |
5. |
2002年8月12日 |
![]() |
ハード |
![]() |
5–7, 6–7(5) |
準優勝 |
6. |
2002年11月4日 |
![]() |
カーペット (室内) |
![]() |
6–7(4), 0–6, 4–6 |
優勝 |
17. |
2002年11月11日 |
![]() |
ハード (室内) |
![]() |
7–5, 7–5, 2–6, 2–6, 6–4 |
優勝 |
18. |
2003年3月3日 |
![]() |
ハード |
![]() |
6–4, 6–4 |
優勝 |
19. |
2003年3月10日 |
![]() |
ハード |
![]() |
6–1, 6–1 |
準優勝 |
7. |
2003年8月4日 |
![]() |
ハード |
![]() |
3–6, 6–4, 5–7 |
優勝 |
20. |
2004年1月12日 |
![]() |
ハード |
![]() |
4–3, 途中棄権 |
優勝 |
21. |
2004年2月16日 |
![]() |
ハード (室内) |
![]() |
6–7(1), 7–5, 6–4 |
準優勝 |
8. |
2004年8月9日 |
![]() |
ハード |
![]() |
3–6, 6–3, 2–6 |
優勝 |
22. |
2004年8月16日 |
![]() |
ハード |
![]() |
6–3, 6–4 |
優勝 |
23. |
2004年8月23日 |
![]() |
ハード |
![]() |
6–3, 6–1 |
準優勝 |
9. |
2004年9月13日 |
![]() |
ハード |
![]() |
0–6, 6–7(3), 0–6 |
準優勝 |
10. |
2004年11月22日 |
![]() |
ハード |
![]() |
3–6, 2–6 |
優勝 |
24. |
2005年1月10日 |
![]() |
ハード |
![]() |
7–5, 6–0 |
準優勝 |
11. |
2005年1月31日 |
![]() |
ハード |
![]() |
6–1, 3–6, 4–6, 4–6 |
準優勝 |
12. |
2005年3月21日 |
![]() |
ハード |
![]() |
2–6, 4–6, 4–6 |
準優勝 |
13. |
2006年2月20日 |
![]() |
ハード (室内) |
![]() |
6–2, 1–6, 6–7(3) |
準優勝 |
14. |
2006年3月6日 |
![]() |
ハード |
![]() |
5–7, 6–2, 3–6 |
優勝 |
25. |
2006年6月18日 |
![]() |
芝 |
![]() |
6–4, 6–4 |
優勝 |
26. |
2007年3月5日 |
![]() |
ハード |
![]() |
6–4, 7–6(10) |
優勝 |
27. |
2009年4月12日 |
![]() |
クレー |
![]() |
6–2, 7–5 |
優勝 |
28. |
2010年6月12日 |
![]() |
芝 |
![]() |
3–6, 7–6(4), 6–4 |
準優勝 |
15. |
2012年7月15日 |
![]() |
芝 |
![]() |
6–7(1), 4–6 |
準優勝 |
16. |
2013年7月14日 |
![]() |
芝 |
![]() |
7–5, 5–7, 3–6 |
優勝 |
29. |
2014年1月5日 |
![]() |
ハード |
![]() |
6–1, 4–6, 6–3 |
優勝 |
30. |
2014年7月13日 |
![]() |
芝 |
![]() |
6–3, 6–7(4), 7–6(3) |
ダブルス: 8回 (3勝5敗)
結果 |
No. |
決勝日 |
大会 |
サーフェス |
パートナー |
対戦相手 |
スコア |
---|---|---|---|---|---|---|---|
準優勝 |
1. |
2000年1月9日 |
![]() |
ハード |
![]() |
![]() ![]() |
4–6, 2–6 |
準優勝 |
2. |
2000年1月16日 |
![]() |
ハード |
![]() |
![]() ![]() |
5–7, 4–6 |
優勝 |
1. |
2000年8月21日 |
![]() |
ハード |
![]() |
![]() ![]() |
7–6(3), 4–6, 7–6(3) |
優勝 |
2. |
2000年9月11日 |
![]() |
ハード |
![]() |
![]() ![]() |
6–4, 5–7, 7–6(5) |
準優勝 |
3. |
2003年3月9日 |
![]() |
ハード |
![]() |
![]() ![]() |
4–6, 7–6(2), 6–7(5) |
準優勝 |
4. |
2010年4月25日 |
![]() |
クレー |
![]() |
![]() ![]() |
6–4, 3–6, [6–10] |
準優勝 |
5. |
2013年2月17日 |
![]() |
ハード (室内) |
![]() |
![]() ![]() |
0–6, 7–6(5), [4–10] |
優勝 |
3. |
2014年7月13日 |
![]() |
芝 |
![]() |
![]() ![]() |
7–5, 6–4 |
4大大会優勝
ウィンブルドン 男子シングルス:1勝(2002年) [混合ダブルス準優勝1度:2000年]
全米オープン 男子シングルス:1勝(2001年)/男子ダブルス:1勝(2000年)
年 | 大会 | 対戦相手 | 試合結果 |
---|---|---|---|
2001年 | 全米オープン | ![]() |
7-6, 6-1, 6-1 |
2002年 | ウィンブルドン | ![]() |
6-1, 6-3, 6-2 |
シングルス成績
4大大会
- 略語の説明
W |
F |
SF |
QF |
#R |
RR |
Q# |
LQ |
A |
WG |
Z# |
PO |
SF-B |
S |
G |
NMS |
NH |
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加
WG=デビスカップワールドグループ, Z#=デビスカップ地域ゾーン, PO=デビスカッププレーオフ, SF-B=オリンピック銅メダル, S=オリンピック銀メダル, G=オリンピック金メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, NH=開催なし.
大会 | 1997 | 1998 | 1999 | 2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 | 2013 | 2014 | 2015 | 2016 | 通算成績 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
全豪オープン |
1R |
1R |
2R |
4R |
3R |
1R |
4R |
4R |
F |
2R |
3R |
4R |
1R |
4R |
1R |
4R |
1R |
1R |
2R |
2R |
32–20 |
全仏オープン |
A |
LQ |
1R |
4R |
QF |
4R |
3R |
QF |
A |
4R |
4R |
3R |
3R |
3R |
A |
1R |
1R |
1R |
A |
A |
28–14 |
ウィンブルドン |
A |
LQ |
3R |
1R |
4R |
W |
1R |
QF |
SF |
QF |
4R |
4R |
QF |
4R |
2R |
1R |
2R |
2R |
1R |
A |
41–16 |
全米オープン |
A |
LQ |
3R |
SF |
W |
SF |
QF |
F |
SF |
QF |
2R |
A |
3R |
1R |
A |
3R |
4R |
1R |
2R |
A |
47–14 |
年間最終戦
大会 | 2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 通算成績 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
ATPワールドツアー・ファイナル |
RR |
W |
W |
DNQ |
F |
A |
13–5 |
大会最高成績
大会 |
成績 |
年 |
---|---|---|
インディアンウェルズ |
W |
2002, 2003 |
マイアミ |
SF |
2000, 2001, 2002 |
モンテカルロ |
3R |
2004 |
マドリード |
1R |
2014 |
ローマ |
SF |
2000 |
カナダ |
QF |
2007 |
シンシナティ |
F |
2002, 2004 |
上海 |
2R |
2009 |
パリ |
F |
2002 |
ハンブルク |
SF |
2001, 2004, 2007 |
シュトゥットガルト |
F |
2000 |
オリンピック |
3R |
2012 |
デビスカップ |
W |
1999, 2003 |
ランキング
大会 | 1997 | 1998 | 1999 | 2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 | 2013 | 2014 | 2015 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
最終ランキング |
550 |
100 |
25 |
7 |
1 |
1 |
17 |
3 |
4 |
20 |
21 |
67 |
22 |
54 |
188 |
80 |
60 |
50 |
307 |
脚注
^ http://www.atpworldtour.com/News/Tennis/2014/03/12/ATP-Heritage-Miami-Hewitt-600-Match-Wins.aspx
^ テニス=ヒューイット、来年の全豪OPで現役引退へ
^ ヒューイット氏、来月の全豪OP男子ダブルスで現役復帰へ
^ http://news.tennis365.net/lesson/pro/m_hewitt01.html
^ http://news.tennis365.net/lesson/pro/m_hewitt02.html
^ http://news.tennis365.net/lesson/pro/m_hewitt01.html
外部リンク
レイトン・ヒューイット - ATPツアーのプロフィール (英語)
レイトン・ヒューイット - デビスカップのプロフィール (英語)
レイトン・ヒューイット - 国際テニス連盟のプロフィール (英語)
公式サイト(英語。妻のベックと運営している)
ウィキメディア・コモンズには、レイトン・ヒューイットに関するカテゴリがあります。
タイトル | ||
---|---|---|
先代:![]() ![]() |
世界ランキング1位 2001年11月19日–2003年4月27日 2003年5月12日–2003年6月15日 |
次代:![]() ![]() |
|
レイトン・ヒューイット 獲得タイトル | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|