レイトン・ヒューイット



















































































































































レイトン・ヒューイット
Lleyton Hewitt

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レイトン・ヒューイット

基本情報
フルネーム
Lleyton Glynn Hewitt
国籍
オーストラリアの旗 オーストラリア
出身地
オーストラリアの旗 オーストラリア、アデレード
生年月日
(1981-02-24) 1981年2月24日(38歳)
身長
180cm
体重
77kg
利き手
バックハンド
両手打ち
ツアー経歴
デビュー年
1997年
引退年
2016年(1回目)
ツアー通算
33勝
シングルス
30勝
ダブルス
3勝
生涯通算成績
740勝356敗
シングルス
616勝262敗
ダブルス
124勝94敗
生涯獲得賞金
$20,777,859
4大大会最高成績・シングルス
全豪
準優勝(2005)
全仏
ベスト8(2001・04)
全英
優勝(2002)
全米
優勝(2001)
優勝回数
2(英1・米1)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪
ベスト4(2018)
全仏
2回戦(2000)
全英
3回戦(1999・2012・14)
全米
優勝(2000)
優勝回数
1(米1)
4大大会最高成績・混合ダブルス
全英
準優勝(2000)
国別対抗戦最高成績
デビス杯
優勝(1999・2003)
ホップマン杯
準優勝(2003)
キャリア自己最高ランキング
シングルス
1位(2001年11月19日)
ダブルス
18位(2000年10月23日)

テンプレート  ■プロジェクト テニス

レイトン・グリン・ヒューイット(Lleyton Glynn Hewitt, 1981年2月24日 - )は、オーストラリア・アデレード出身の男子プロテニス選手。身長180cm、体重77kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。ATPツアーでシングルス30勝、ダブルス3勝。


2001年11月19日に史上最年少の20歳8ヶ月で世界ランキング1位となり、2001年と2002年の2年連続で、年間ランキング1位の座についた。これまでにグランドスラム優勝3回(シングルス2回)、ATPワールドツアー・ファイナル優勝2回、デビスカップオーストラリア代表最多勝を挙げている。




目次






  • 1 選手経歴


  • 2 人物


  • 3 プレースタイル


  • 4 ATPツアー決勝進出結果


    • 4.1 シングルス: 46回 (30勝16敗)


    • 4.2 ダブルス: 8回 (3勝5敗)




  • 5 4大大会優勝


  • 6 シングルス成績


    • 6.1 4大大会


    • 6.2 年間最終戦


    • 6.3 大会最高成績


    • 6.4 ランキング




  • 7 脚注


  • 8 外部リンク





選手経歴


ヒューイットは元アスリートの両親の間に生まれ、自宅の芝生コートでテニスに親しんだ。


1998年1月に16歳でプロ転向を表明し、ネクストジェネレーション・アデレード国際で早くもATPツアー初優勝を果たした。1999年に男子テニス国別対抗戦・デビスカップオーストラリア代表選手に選ばれ、マーク・フィリプーシスらと共にオーストラリアを13年ぶりの優勝に貢献。2000年には世界ランキングでトップ10入りすると、同年の全米オープンではベスト4に進出。準決勝でピート・サンプラスに敗れたが、男子ダブルスではマックス・ミルヌイと組んで優勝に輝いた。


2001年全米オープンの決勝でピート・サンプラスを7-6, 6-1, 6-1で破って4大大会初優勝を果たすと、ジャパン・オープン・テニス選手権でも初来日を優勝で飾った。11月19日付で史上最年少の20歳8ヶ月で世界ランキング1位に登り詰め、その後の年間最終戦テニス・マスターズ・カップを制し、2001年度を世界ランキング1位で終え、戦績 80勝18敗、勝率0.8163 を数える好成績を挙げた。


2002年、SAPオープン決勝ではアンドレ・アガシを、インディアンウェルズ・マスターズとクイーンズクラブ選手権の決勝ではティム・ヘンマンを下して優勝。さらにウィンブルドン選手権では決勝でダビド・ナルバンディアンを6-1, 6-3, 6-2で破って初優勝を果たした。続く全米オープンでは準決勝でアガシに敗れたが、シンシナティ・マスターズとパリ・マスターズで準優勝。その後の年間最終戦では2連覇を果たし、2002年度も世界ランキング1位で終えた。


2003年、インディアンウェルズ・マスターズ決勝でグスタボ・クエルテンを下して優勝。その後は故障もあって不調に陥り、80週かけて守った世界ランキング1位から陥落。ウィンブルドン選手権では、オープニング・マッチ(前年優勝者が初戦でセンター・コートの第1試合に出る慣例の事)でイボ・カロビッチの時速210km/hを超える高速サーブの前に敗れてしまい、同選手権の男子部門で1967年のマニュエル・サンタナ以来36年ぶりの前年王者の初戦敗退という辛酸を舐めた。2003年度は17位で終えた。


2004年は不調から脱し、メディバンク国際、ABNアムロ世界テニス・トーナメント、レッグ・メーソン・テニス・クラシックとパイロット・ペン・テニスで優勝。シンシナティ・マスターズと全米オープン、テニス・マスターズ・カップで準優勝する好成績を残し、ランキング3位で年を終えた。この年は4大大会などの大舞台でロジャー・フェデラーにことごとく敗れている。まず全豪オープン4回戦で6-4, 3-6, 0-6, 4-6、続いてウィンブルドン選手権準々決勝で1-6, 7-6, 0-6, 4-6で、更に全米オープン決勝で0-6, 6-7, 0-6で、そしてテニス・マスターズ・カップのラウンドロビンでは3-6, 4-6で、決勝では3-6, 2-6で敗れていた。


2005年全豪オープンでは地元選手としてパット・キャッシュ以来17年ぶりの決勝進出を果たしたが、マラト・サフィンに6-1, 3-6, 4-6, 4-6で敗れて地元優勝を逃した。ウィンブルドン選手権と全米オープンでは、フェデラーに準決勝で、それぞれ3-6, 4-6, 6-7と3-6, 6-7, 6-4, 3-6で敗れている。フェデラーには、2003年までは7勝2敗と勝ち越していたが、2004年以後は2010年全豪オープンまで15連敗とまったく歯が立たなくなった。ランキング4位で年を終えている。


その後は怪我などに苦しめられ、1998年から2007年まで毎年記録していたツアー優勝も2008年に途絶えた(その後、2009年・2010年にはツアー優勝している)。2009年ウィンブルドン選手権では3年ぶりに準々決勝に進出したが、アンディ・ロディックに3-6, 7-6, 6-7, 6-4, 4-6で敗れている。2010年のゲリー・ウェバー・オープン決勝では、フェデラーから7年ぶりの勝利を挙げて優勝した。


2014年3月20日、史上21人目となる通算600勝達成。当時の現役ではフェデラー、ナダルに次ぐ3人目の記録となる。[1] 7月13日、テニス殿堂選手権で優勝し通算30勝達成。


2015年1月29日、2016年全豪オープンで現役引退することを示唆した[2]。また、上記の引退示唆からの意向で2015年全仏オープンを欠場した。


その2016年全豪オープン男子シングルスでは1回戦でジェームス・ダックワースに7-6(5), 6-2, 6-4で勝利。2回戦ではダビド・フェレールに2-6, 4-6, 4-6で敗れ、これがシングルスの最後の試合となった。ダブルスではサム・グロスと組んで3回戦まで進出。3回戦でバセク・ポスピシル/ジャック・ソック組に敗れた。


引退後の2016年からデビスカップオーストラリア代表の監督に就任している。初采配となった3月の1回戦アメリカ戦は、直前にニック・キリオスが体調不良で離脱したため急遽選手兼監督としてメンバー入り。第3戦のダブルスでジョン・ピアーズと組んでブライアン兄弟と対戦。3-6, 3-6, 6-4, 6-4, 3-6で敗れた。


その後、2018年全豪オープンではこの大会での引退を表明しているサム・グロスと組んでダブルスに出場することを表明した[3]。全豪オープンの前哨戦であるブリスベン国際にもジョーダン・トンプソンと組んでワイルドカードで出場。1回戦でグリゴール・ディミトロフ/ライアン・ハリソン組に敗れた。



人物


2000年からベルギーの女子テニス選手、キム・クライシュテルスと交際する。同年のウィンブルドン選手権で2人のペアは混合ダブルスで準優勝した。それ以後はテニスのトーナメント中にお互いの試合を応援するようになり、2003年12月に婚約したが、2004年10月22日にクライシュテルスが彼女の公式ホームページで婚約解消を発表した。その後ヒューイットは、2005年7月21日にオーストラリア人女優のベック・カートライト(英語版)と結婚し、3児がいる。


若い頃はコートマナーの悪さでテニス関係者から非難されることが多く、優勝した2001年全米オープンの2回戦で、黒人選手ジェームズ・ブレークに対する問題発言などのトラブルを起こしたこともある。またヒューイットが大事なポイントを決めた時に叫ぶ「COME ON!」は、男女を問わず多くの選手が真似をするなどの影響を及ぼした。



プレースタイル


オーストラリアン・フットボールで鍛え上げた強靭な足腰を活かし、どんな球にも喰らいつく足の速いストローク・プレーヤー。守備に秀でた選手であり、最大の武器はリターンと機敏なフットワーク、粘り強さ、そしてメンタルの強さである。


ボールに対する反応が良く、股関節が柔らかくて強いので、最後の一歩が大きくとれる。しかも踏ん張りが効くので、かなり厳しいボールを打たれてもしっかりと打ち返すことができる。それをベースにしたヒッティング・エリアの前後左右への広さが最大の特徴。また、リターンが良く、パスやロブも上手い[4]
世界でも第一級のリターン力を持っており、反応の良さと、バランスの良さで相当厳しいサーブでもしっかりと打ち返せる[5]


しかし一発でエースを取れるショットがないので、相手が勝負を急がず、確実にチャンスを作って攻めてこられると、得意のカウンター・ショットも生かせず、攻め手が無くなってしまう弱点がある[6]



ATPツアー決勝進出結果



シングルス: 46回 (30勝16敗)














大会グレード

グランドスラム (2-2)

ATPワールドツアー・ファイナル (2-1)

ATPワールドツアー・マスターズ1000 (2-5)

ATPワールドツアー・500シリーズ (2-0)

ATPワールドツアー・250シリーズ (22–8)









サーフェス別タイトル
ハード (20–12)
クレー (2-0)
芝 (8-2)
カーペット (0-2)










































































































































































































































































































































































































































結果
No.
決勝日
大会
サーフェス
対戦相手
スコア
優勝
1.
1998年1月5日

オーストラリアの旗 アデレード
ハード

オーストラリアの旗 ジェイソン・ストルテンバーグ
3–6, 6–3, 7–6(4)
準優勝
1.
1999年1月11日

オーストラリアの旗 アデレード
ハード

スウェーデンの旗 トーマス・エンクビスト
6–4, 1–6, 2–6
準優勝
2.
1999年3月8日

アメリカ合衆国の旗 スコッツデール
ハード

アメリカ合衆国の旗 ジャン=マイケル・ギャンビル
6–7(2), 6–4, 4–6
優勝
2.
1999年5月3日

アメリカ合衆国の旗 デルレイビーチ
クレー

ベルギーの旗 グザビエ・マリス
6–4, 6–7(2), 6–1
準優勝
3.
1999年10月25日

フランスの旗 リヨン
カーペット (室内)

エクアドルの旗 ニコラス・ラペンティ
3–6, 2–6
優勝
3.
2000年1月10日

オーストラリアの旗 アデレード
ハード

スウェーデンの旗 トーマス・エンクビスト
3–6, 6–3, 6–2
優勝
4.
2000年1月10日

オーストラリアの旗 シドニー
ハード

オーストラリアの旗 ジェイソン・ストルテンバーグ
6–4, 6–0
優勝
5.
2000年3月6日

アメリカ合衆国の旗 スコッツデール
ハード

イギリスの旗 ティム・ヘンマン
6–4, 7–6(2)
優勝
6.
2000年6月12日

イギリスの旗 ロンドン


アメリカ合衆国の旗 ピート・サンプラス
6–4, 6–4
準優勝
4.
2000年11月6日

ドイツの旗 シュトゥットガルト
ハード (室内)

南アフリカ共和国の旗 ウェイン・フェレイラ
6–7(6), 6–3, 7–6(5), 6–7(2), 2–6
優勝
7.
2001年1月8日

オーストラリアの旗 シドニー
ハード

スウェーデンの旗 マグヌス・ノーマン
6–4, 6–1
優勝
8.
2001年6月11日

イギリスの旗 ロンドン


イギリスの旗 ティム・ヘンマン
7–6(3), 7–6(3)
優勝
9.
2001年6月18日

オランダの旗 スヘルトーヘンボス


アルゼンチンの旗 ギリェルモ・カナス
6–3, 6–4
優勝
10.
2001年9月10日

アメリカ合衆国の旗 全米オープン
ハード

アメリカ合衆国の旗 ピート・サンプラス
7–6(4), 6–1, 6–1
優勝
11.
2001年10月1日

日本の旗 東京
ハード

スイスの旗 ミシェル・クラトフヴィル
6–4, 6–2
優勝
12.
2001年11月12日

オーストラリアの旗 シドニー
ハード (室内)

フランスの旗 セバスチャン・グロジャン
6–3, 6–3, 6–4
優勝
13.
2002年2月25日

アメリカ合衆国の旗 サンノゼ
ハード (室内)

アメリカ合衆国の旗 アンドレ・アガシ
4–6, 7–6(6), 7–6(4)
優勝
14.
2002年3月11日

アメリカ合衆国の旗 インディアンウェルズ
ハード

イギリスの旗 ティム・ヘンマン
6–1, 6–2
優勝
15.
2002年6月10日

イギリスの旗 ロンドン


イギリスの旗 ティム・ヘンマン
4–6, 6–1, 6–4
優勝
16.
2002年6月24日

イギリスの旗 ウィンブルドン


アルゼンチンの旗 ダビド・ナルバンディアン
6–1, 6–3, 6–2
準優勝
5.
2002年8月12日

アメリカ合衆国の旗 シンシナティ
ハード

スペインの旗 カルロス・モヤ
5–7, 6–7(5)
準優勝
6.
2002年11月4日

フランスの旗 パリ
カーペット (室内)

ロシアの旗 マラト・サフィン
6–7(4), 0–6, 4–6
優勝
17.
2002年11月11日

中華人民共和国の旗 上海
ハード (室内)

スペインの旗 フアン・カルロス・フェレーロ
7–5, 7–5, 2–6, 2–6, 6–4
優勝
18.
2003年3月3日

アメリカ合衆国の旗 スコッツデール
ハード

オーストラリアの旗 マーク・フィリプーシス
6–4, 6–4
優勝
19.
2003年3月10日

アメリカ合衆国の旗 インディアンウェルズ
ハード

ブラジルの旗 グスタボ・クエルテン
6–1, 6–1
準優勝
7.
2003年8月4日

アメリカ合衆国の旗 ロサンゼルス
ハード

南アフリカ共和国の旗 ウェイン・フェレイラ
3–6, 6–4, 5–7
優勝
20.
2004年1月12日

オーストラリアの旗 シドニー
ハード

スペインの旗 カルロス・モヤ
4–3, 途中棄権
優勝
21.
2004年2月16日

オランダの旗 ロッテルダム
ハード (室内)

スペインの旗 フアン・カルロス・フェレーロ
6–7(1), 7–5, 6–4
準優勝
8.
2004年8月9日

アメリカ合衆国の旗 シンシナティ
ハード

アメリカ合衆国の旗 アンドレ・アガシ
3–6, 6–3, 2–6
優勝
22.
2004年8月16日

アメリカ合衆国の旗 ワシントンD.C.
ハード

ルクセンブルクの旗 ジレ・ミュラー
6–3, 6–4
優勝
23.
2004年8月23日

アメリカ合衆国の旗 ロングアイランド
ハード

ペルーの旗 ルイス・オルナ
6–3, 6–1
準優勝
9.
2004年9月13日

アメリカ合衆国の旗 全米オープン
ハード

スイスの旗 ロジャー・フェデラー
0–6, 6–7(3), 0–6
準優勝
10.
2004年11月22日

アメリカ合衆国の旗 ヒューストン
ハード

スイスの旗 ロジャー・フェデラー
3–6, 2–6
優勝
24.
2005年1月10日

オーストラリアの旗 シドニー
ハード

チェコの旗 イボ・ミナール
7–5, 6–0
準優勝
11.
2005年1月31日

オーストラリアの旗 全豪オープン
ハード

ロシアの旗 マラト・サフィン
6–1, 3–6, 4–6, 4–6
準優勝
12.
2005年3月21日

アメリカ合衆国の旗 インディアンウェルズ
ハード

スイスの旗 ロジャー・フェデラー
2–6, 4–6, 4–6
準優勝
13.
2006年2月20日

アメリカ合衆国の旗 サンノゼ
ハード (室内)

イギリスの旗 アンディ・マリー
6–2, 1–6, 6–7(3)
準優勝
14.
2006年3月6日

アメリカ合衆国の旗 ラスベガス
ハード

アメリカ合衆国の旗 ジェームズ・ブレーク
5–7, 6–2, 3–6
優勝
25.
2006年6月18日

イギリスの旗 ロンドン


アメリカ合衆国の旗 ジェームズ・ブレーク
6–4, 6–4
優勝
26.
2007年3月5日

アメリカ合衆国の旗 ラスベガス
ハード

オーストリアの旗 ユルゲン・メルツァー
6–4, 7–6(10)
優勝
27.
2009年4月12日

アメリカ合衆国の旗 ヒューストン
クレー

アメリカ合衆国の旗 ウェイン・オデスニク
6–2, 7–5
優勝
28.
2010年6月12日

ドイツの旗 ハレ


スイスの旗 ロジャー・フェデラー
3–6, 7–6(4), 6–4
準優勝
15.
2012年7月15日

アメリカ合衆国の旗 ニューポート


アメリカ合衆国の旗 ジョン・イスナー
6–7(1), 4–6
準優勝
16.
2013年7月14日

アメリカ合衆国の旗 ニューポート


フランスの旗 ニコラ・マユ
7–5, 5–7, 3–6
優勝
29.
2014年1月5日

オーストラリアの旗 ブリスベン
ハード

スイスの旗 ロジャー・フェデラー
6–1, 4–6, 6–3
優勝
30.
2014年7月13日

アメリカ合衆国の旗 ニューポート


クロアチアの旗 イボ・カロビッチ
6–3, 6–7(4), 7–6(3)


ダブルス: 8回 (3勝5敗)





























































































結果
No.
決勝日
大会
サーフェス
パートナー
対戦相手
スコア
準優勝
1.
2000年1月9日

オーストラリアの旗 アデレード
ハード

オーストラリアの旗 サンドン・ストール

オーストラリアの旗 トッド・ウッドブリッジ
オーストラリアの旗 マーク・ウッドフォード
4–6, 2–6
準優勝
2.
2000年1月16日

オーストラリアの旗 シドニー
ハード

オーストラリアの旗 サンドン・ストール

オーストラリアの旗 トッド・ウッドブリッジ
オーストラリアの旗 マーク・ウッドフォード
5–7, 4–6
優勝
1.
2000年8月21日

アメリカ合衆国の旗 インディアナポリス
ハード

オーストラリアの旗 サンドン・ストール

スウェーデンの旗 ヨナス・ビョルクマン
ベラルーシの旗 マックス・ミルヌイ
7–6(3), 4–6, 7–6(3)
優勝
2.
2000年9月11日

アメリカ合衆国の旗 全米オープン
ハード

ベラルーシの旗 マックス・ミルヌイ

南アフリカ共和国の旗 エリス・フェレイラ
アメリカ合衆国の旗 リック・リーチ
6–4, 5–7, 7–6(5)
準優勝
3.
2003年3月9日

アメリカ合衆国の旗 スコッツデール
ハード

オーストラリアの旗 マーク・フィリプーシス

アメリカ合衆国の旗 ジェームズ・ブレーク
バハマの旗 マーク・マークレイン
4–6, 7–6(2), 6–7(5)
準優勝
4.
2010年4月25日

スペインの旗 バルセロナ
クレー

バハマの旗 マーク・ノールズ

カナダの旗 ダニエル・ネスター
セルビアの旗 ネナド・ジモニッチ
6–4, 3–6, [6–10]
準優勝
5.
2013年2月17日

アメリカ合衆国の旗 サンノゼ
ハード
(室内)

オーストラリアの旗 マリンコ・マトセビッチ

ベルギーの旗 グザビエ・マリス
ドイツの旗 フランク・モーサー
0–6, 7–6(5), [4–10]
優勝
3.
2014年7月13日

アメリカ合衆国の旗 ニューポート


オーストラリアの旗 クリス・グッチョーネ

イスラエルの旗 ジョナサン・エルリック
アメリカ合衆国の旗 ラジーブ・ラム
7–5, 6–4


4大大会優勝




  • ウィンブルドン 男子シングルス:1勝(2002年) [混合ダブルス準優勝1度:2000年]


  • 全米オープン 男子シングルス:1勝(2001年)/男子ダブルス:1勝(2000年)





















大会 対戦相手 試合結果
2001年 全米オープン
アメリカ合衆国の旗 ピート・サンプラス
7-6, 6-1, 6-1
2002年 ウィンブルドン
アルゼンチンの旗 ダビド・ナルバンディアン
6-1, 6-3, 6-2


シングルス成績



4大大会


略語の説明




















W
 F 
SF
QF
#R
RR
Q#
LQ
A
WG
Z#
PO
SF-B
S
G
NMS
NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加
WG=デビスカップワールドグループ, Z#=デビスカップ地域ゾーン, PO=デビスカッププレーオフ, SF-B=オリンピック銅メダル, S=オリンピック銀メダル, G=オリンピック金メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, NH=開催なし.



























































































































大会 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 通算成績

全豪オープン

1R

1R

2R

4R

3R

1R

4R

4R

F

2R

3R

4R

1R

4R

1R

4R

1R

1R

2R

2R
32–20

全仏オープン
A
LQ

1R

4R

QF

4R

3R

QF
A

4R

4R

3R

3R

3R
A

1R

1R

1R
A
A
28–14

ウィンブルドン
A
LQ

3R

1R

4R

W

1R

QF

SF

QF

4R

4R

QF

4R

2R

1R

2R

2R

1R
A
41–16

全米オープン
A
LQ

3R

SF

W

SF

QF

F

SF

QF

2R
A

3R

1R
A

3R

4R

1R

2R
A
47–14


年間最終戦























大会 2000 2001 2002 2003 2004 2005 通算成績

ATPワールドツアー・ファイナル
RR

W

W
DNQ
F
A
13–5




大会最高成績









































































大会
成績


インディアンウェルズ

W
2002, 2003

マイアミ
SF
2000, 2001, 2002

モンテカルロ
3R
2004

マドリード
1R
2014

ローマ
SF
2000

カナダ
QF
2007

シンシナティ
F
2002, 2004

上海
2R
2009

パリ
F
2002

ハンブルク
SF
2001, 2004, 2007

シュトゥットガルト
F
2000

オリンピック
3R

2012

デビスカップ

W

1999, 2003


ランキング















































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最終ランキング
550
100
25
7

1

1
17
3
4
20
21
67
22
54
188
80
60
50
307


脚注




  1. ^ http://www.atpworldtour.com/News/Tennis/2014/03/12/ATP-Heritage-Miami-Hewitt-600-Match-Wins.aspx


  2. ^ テニス=ヒューイット、来年の全豪OPで現役引退へ


  3. ^ ヒューイット氏、来月の全豪OP男子ダブルスで現役復帰へ


  4. ^ http://news.tennis365.net/lesson/pro/m_hewitt01.html


  5. ^ http://news.tennis365.net/lesson/pro/m_hewitt02.html


  6. ^ http://news.tennis365.net/lesson/pro/m_hewitt01.html



外部リンク






  • レイトン・ヒューイット - ATPツアーのプロフィール (英語) ウィキデータを編集




  • レイトン・ヒューイット - デビスカップのプロフィール (英語) ウィキデータを編集


  • レイトン・ヒューイット - 国際テニス連盟のプロフィール (英語)


  • 公式サイト(英語。妻のベックと運営している)


  • ウィキメディア・コモンズには、レイトン・ヒューイットに関するカテゴリがあります。









タイトル
先代:
ブラジルの旗 グスタボ・クエルテン
アメリカ合衆国の旗 アンドレ・アガシ

世界ランキング1位
2001年11月19日–2003年4月27日
2003年5月12日–2003年6月15日
次代:
アメリカ合衆国の旗 アンドレ・アガシ
アメリカ合衆国の旗 アンドレ・アガシ













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