山倉和博

























































山倉 和博
基本情報
国籍
日本の旗 日本
出身地
福岡県田川市
生年月日
(1955-09-02) 1955年9月2日(63歳)
身長
体重

178 cm
80 kg
選手情報
投球・打席
右投右打
ポジション
捕手
プロ入り
1977年 ドラフト1位
初出場
1978年4月1日
最終出場
1990年10月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

選手歴




  • 東邦高等学校

  • 早稲田大学


  • 読売ジャイアンツ (1978 - 1990)




コーチ歴




  • 読売ジャイアンツ (1993 - 1998)


  • 福岡ソフトバンクホークス (2011)



国際大会
代表チーム
日本の旗 日本代表

山倉 和博(やまくら かずひろ、1955年9月2日 - )は、福岡県田川市生まれ、愛知県大府市育ちの元プロ野球選手(捕手、右投右打)・コーチ、解説者・評論家。現役時は意外なところで長打を打つことから「意外性の男」と称された。




目次






  • 1 経歴


    • 1.1 プロ入り前


    • 1.2 プロ時代


    • 1.3 引退後




  • 2 詳細情報


    • 2.1 年度別打撃成績


    • 2.2 年度別守備成績


    • 2.3 表彰


    • 2.4 記録


    • 2.5 背番号




  • 3 関連情報


    • 3.1 著書


    • 3.2 出演番組




  • 4 脚注


  • 5 関連項目


  • 6 外部リンク





経歴



プロ入り前


東邦高校では2年次に内野手から捕手に転じ、1973年に春夏連続して甲子園大会に出場。高校時代は俊足強打で鳴らす。同年のドラフトで南海ホークスから2位指名を受けるが、入団を拒否して早稲田大学に入学。この入団拒否の際、野村克也選手兼任監督の「自分の後継者になってくれ」という要請を断っている。


1年生の春からデビューし、東京六大学野球では小倉偉民・佐藤清(日本生命〜早大監督)、法政の江川卓・袴田英利と同期。盗塁王を獲得するなど俊足の捕手として鳴らし、岡田彰布・佐藤・松本匡史らと主軸を形成した。4年生時には主将を務め、ベストナイン2回獲得。リーグ通算94試合出場を果たし、300打数82安打、2本塁打、32打点、打率.273。3年生時では第5回日米大学野球選手権大会日本代表に選出された。



プロ時代


1977年のドラフト1位で読売ジャイアンツへ入団。プロ初安打が本塁打など当初から長打力のあるところを見せており、守備も平均以上であったが、打撃の確実性に欠けるのが課題であった。1982年には規定打席に到達したが、打率は最下位に達し、1割9分6厘と2割を切っている。この年の山倉を最後に日本プロ野球で「規定打席に到達して打率2割未満」の選手は現れていない。1980年から8シーズン連続で100試合以上に出場し、藤田元司(第1次)・王貞治政権下でのレギュラー捕手となった。先述の低打率も1983年よりある程度解消されており、1987年には打率.273、22本塁打の打撃成績に加え、守備でも高い評価(桑田真澄・江川・槙原寛己・水野雄仁という4人の2ケタ勝利投手輩出と、抑え投手鹿取義隆の活躍に貢献)を受け、巨人の捕手としては史上初のシーズンMVPを獲得(なお、巨人の捕手としての日本シリーズでのMVP獲得は1967年の森昌彦がこれに先立つ。また、その後阿部慎之助が2009年に日本シリーズMVPを、2012年にシーズンMVPを、それぞれ獲得している)。シーズン打率2割台での最優秀選手選出はセ・リーグではこの年の山倉が最後である[1]。1985年7月12日の対阪神戦(後楽園球場)では、史上6人目となる3イニング連続本塁打を放っている。


インサイドワーク能力について、当時評論家だった野村から配球が一本調子だと批評されたことがある。しかし、当時バッテリーを組んでいた江川卓は、「捕手には二つのタイプがある。野村さんや古田敦也みたいに、捕手の側からメニューをつくってどんどんリードしていくタイプがある。でもそういう捕手だとたぶん僕は対立したと思う。山倉はメニューを五つくらい提示して、どれでいくか投手に委ねてくれるタイプの捕手だった」といい、山倉の配球はあくまで投手中心のものだったと言っている。


1988年以降はケガや有田修三(1986年)・中尾孝義(1989年)の移籍加入、村田真一の台頭もあって、1990年に引退。巨人では同時に簑田浩二らも引退している。



引退後


引退後は1991年から1992年までTBSテレビ・TBSラジオ解説者、スポーツ報知評論家を経て、1993年から1998年まで巨人の一軍バッテリーコーチ、1999年から2003年までNHK解説者を務めた。2004年からはフリーランスの評論家として多方面で活動していたほか、読売新聞西部本社スポーツアドバイザーとして野球の普及活動を行っていた。2011年、福岡ソフトバンクホークスの二軍バッテリーコーチに就任。高校卒業後の指名から38年を経て、コーチとしてホークスに入団。同年9月30日、「健康上の理由」で退団[2]



詳細情報



年度別打撃成績




























































































































































































































































































































































































































































O
P
S

1978

巨人
69 145 132 10 26 3 0 3 38 9 1 2 4 0 8 0 1 25 1 .197 .248 .288 .536

1979
97 211 192 21 40 2 1 7 65 18 5 1 2 0 16 4 1 38 2 .208 .273 .339 .611

1980
127 436 399 44 98 21 3 17 176 52 3 3 5 2 28 1 2 79 14 .246 .298 .441 .739

1981
124 417 371 31 76 9 2 11 122 40 3 1 8 3 34 11 1 59 9 .205 .273 .329 .602

1982
129 445 398 27 78 14 1 7 115 39 2 1 2 6 35 10 4 55 11 .196 .268 .289 .557

1983
115 433 397 30 101 22 0 6 141 41 5 2 2 2 30 4 2 43 11 .254 .310 .355 .665

1984
114 388 340 38 82 18 0 12 136 43 1 1 1 3 41 8 3 62 12 .241 .328 .400 .728

1985
109 418 363 41 99 15 0 13 153 41 3 0 12 3 40 2 0 54 12 .273 .342 .421 .764

1986
102 326 291 26 69 12 1 8 107 36 0 2 6 4 22 6 3 63 3 .237 .294 .368 .661

1987
128 458 395 46 108 16 1 22 192 66 3 3 5 2 55 24 1 74 10 .273 .362 .486 .848

1988
58 180 153 13 26 4 0 4 41 17 1 1 7 1 19 5 0 27 5 .170 .260 .268 .528

1989
46 108 92 6 11 4 0 1 18 10 0 0 1 1 14 2 0 28 4 .120 .234 .196 .429

1990
44 101 85 6 18 3 0 2 27 14 0 0 1 1 14 1 0 13 2 .212 .320 .318 .638
通算:13年
1262 4066 3608 339 832 143 9 113 1332 426 27 17 56 28 356 78 18 620 96 .231 .301 .369 .670

  • 各年度の太字はリーグ最高


年度別守備成績














































































































































捕手
試合 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率 失策
1978 69 26 18 8 .308 2
1979 96 51 34 17 .333 6
1980 125 113 65 48 .425 7
1981 124 69 40 29 .420 5
1982 129 74 47 27 .365 10
1983 115 80 46 34 .425 8
1984 114 84 55 29 .345 4
1985 107 94 74 20 .213 7
1986 102 72 51 21 .292 3
1987 127 68 50 18 .265 2
1988 57 40 27 13 .325 2
1989 45 29 20 9 .310 2
1990 43 24 16 8 .333 2
通算
1253 824 543 281 .341 60

  • 各年度の太字はリーグ最高


表彰




  • MVP:1回 (1987年)


  • ベストナイン:3回 (1981年、1983年、1987年)


  • ゴールデングラブ賞:3回 (1981年、1983年、1987年)


  • オールスターゲームMVP:1回 (1981年第3戦)



記録


初記録


  • 初出場・初先発出場:1978年4月1日、対阪神タイガース1回戦(後楽園球場)、8番・捕手として先発出場

  • 初安打・初本塁打・初打点:同上、4回裏に新井良夫から左越ソロ


節目の記録


  • 1000試合出場:1987年4月25日、対阪神タイガース2回戦(阪神甲子園球場)、8番・捕手として先発出場 ※史上269人目

  • 100本塁打:1987年8月23日、対ヤクルトスワローズ22回戦(明治神宮野球場)、7回表に阿井英二郎から左越2ラン ※史上151人目


その他の記録


  • 3イニング連続本塁打:1985年7月12日、対阪神タイガース戦(後楽園球場)、6回から8回にかけて2ラン、ソロ、3ラン ※史上6人目[3]


  • オールスターゲーム出場:8回 (1981年 - 1987年、1990年)



背番号




  • 15 (1978年 - 1990年)


  • 76 (1993年 - 1998年)


  • 77 (2011年)



関連情報



著書



  • 『熱球悲願“意外性の男”の告白』(恒文社、1982年)ISBN 4770404816

  • 『キャッチャーになんてなるんじゃなかった!-“意外性の男”の意外な告白』(ベースボール・マガジン社、1991年)ISBN 4583028873

  • 『捕手型人間は出世する』(海鳥社、2006年)ISBN 4874155952



出演番組


TBSテレビ・TBSラジオ専属時代



  • 侍プロ野球 - TBSテレビのプロ野球中継現行タイトル

  • TBSラジオエキサイトナイター


NHK専属時代

  • NHKプロ野球


脚注





  1. ^ 一方でパ・リーグでは2018年に山川穂高(埼玉西武ライオンズ)が山倉以来21年ぶりに、パ・リーグのみでも1963年の野村克也以来55年ぶりに選出された。


  2. ^ “コーチ辞任のお知らせ”. 福岡ソフトバンクホークス公式サイト (2011年9月30日). 2011年10月1日閲覧。


  3. ^ 講談社刊 宇佐美徹也著「日本プロ野球記録大鑑」435ページ




関連項目



  • 愛知県出身の人物一覧

  • 早稲田大学の人物一覧

  • 読売ジャイアンツの選手一覧



外部リンク




  • 個人年度別成績 山倉和博 - NPB.jp 日本野球機構

  • 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)










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