松廼家





松迺家(まつのや)は、神戸市に本拠をおく日本料理店である。阪神大震災前は神戸の花隈町に位置する老舗料亭であった。




目次






  • 1 創業


  • 2 「松迺家」の特徴


  • 3 組織形態


  • 4 沿革


  • 5 出典


  • 6 外部リンク





創業


創業者・鵜殿しづが24歳の時に、神戸の花隈に「松乃家」の屋号で敷地面積約80坪の料亭を開店。
創業は大正6年4月5日。戦争のため、歌舞音曲禁止で料亭どころではなくなり山下汽船の寮として場所を提供していた。
ところが、昭和20年3月空襲により全焼。その後、森永製菓の寮として2代目である長女の鵜殿礼栄と妹2人で働いていた。昭和24年11月10日に竹中工務店により500坪の面積に数寄屋造りの料亭を建て正式に株式会社として再建された。2代目礼栄30歳の時である。



「松迺家」の特徴


神戸の花隈は30件以上の料亭が連ねていた街だったが、中でも創業当初はマリリン・モンローも訪れたという東隣の「富貴楼」などが有名であった。
歴代総理大臣、政治家、財界人、作家、画家などが顧客の一見さんお断りの料亭であった。
また、石原裕次郎が失踪事件を起こした時に2週間ほど滞在していたというエピソードもある。
東京に進出してからは芸能関係者も多くスティービーワンダーなども訪れている。



組織形態


2代目鵜殿礼栄は神戸の松迺家の大女将として土台を築き、東京方面を3代目長女の鵜殿洋子に任せた。鵜殿礼栄は小唄・三味線・茶道・華道・日本舞踊をはじめ、小磯良平について絵画を習ったりと非常に多趣味であった。鵜殿洋子は女将業の他に東京でラジオ日本「ウドノヨウコのざっくバラエティ」のパーソナリティを務め、また作家としての顔も持つ。総料理長である長男の鵜殿征二郎は、立教大学を中退し、大阪高麗橋「吉兆本店」で修行。のちに、ニューヨーク日本総領事館公邸に総料理長として就任。帰国後、料亭「松迺家」の総料理長就任。


現在は鵜殿征二郎の一人娘である鵜殿麻里絵が4代目であり、神戸交通センタービル9F「松迺家」に若女将として就任。麻里絵はフードライターとして新聞等に連載を持つ。



沿革



  • 昭和37年 高級BAR「くらぶ花くま」をオープン。

  • 昭和41年 割烹「小紋」をオープン。

    • 東京赤坂東急ホテル(現エクセルホテル)3Fにステーキハウス「花くま」オープン。


  • 昭和45年 ディスコ「45」オープン。

  • 昭和48年 札幌に「花くま」オープン。

  • 昭和58年 「赤坂松迺家」、シティクラブ「ハーバーライト」同時2店オープン。

    • 紀尾井町ビルに「松迺家」オープン。弁当会社「東京オリジナルプランニング」を設立。


  • 平成8年 神戸交通センタービル9Fに「松迺家」をオープン。


東京、神戸、北海道などで多店舗展開をすすめる。



出典


  • ウドノ葉宇子『あぁ、万事塞翁がお・ん・な―神戸松迺家女四代ものがたり』文園社、1999年、ISBN 4893361341


外部リンク


  • 松迺家











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