ダリダ
ダリダ | |
---|---|
![]() 1967年 | |
基本情報 | |
出生名 | Iolanda Cristina Gigliotti |
生誕 | 1933年1月18日 |
出身地 | ![]() |
死没 | (1987-05-02) 1987年5月2日(54歳没) ![]() |
ジャンル | シャンソン |
職業 | 歌手・映画女優 |
活動期間 | 1954年-1987年 |
ダリダ(Dalida、1933年1月17日 - 1987年5月3日)は、エジプト出身のイタリア系フランス人歌手。

モンマルトル墓地にあるダリダの墓。

モンマルトルのダリダの胸像。
家族はイタリアからの移民としてエジプトに住んでおり、そのため彼女はエジプトの首都カイロに生まれた。幼少期はエジプトで暮らしていたが、その後はフランスに帰化しフランスに住んでいた。本名は Iolanda Cristina Gigliotti (ヨランダ・クリスティーナ・ジリョッティ)で兄と弟がいる。彼女は1954年度の「ミス・エジプト」に選ばれたほどの美貌を持ち、1956年から歌手活動を開始した。歌手・女優の仕事は、基本的にはフランス語で行っていたが、イタリア語、アラビア語、英語、スペイン語そしてドイツ語でも行っていた。
後年、度重なる失恋が原因で、バルビツールを服用し1987年5月2日夜自殺をはかり、翌3日に死亡した。彼女の墓はパリのモンマルトル墓地にある。
彼女は全世界で1億4,000万以上のレコード(ディスク)を売り上げた。
なお、「18才の彼(Il venait d'avoir 18 ans)」は彼女自身が日本語でカバーしたバージョンもある。
代表曲
- バンビーノ Bambino (1956) - レイモン・ルフェーブルが編曲を担当。
- コメ・プリマ Come prima (1957) - トニー・ダララのカバー
- 愛しかない時 Quand on n'a que l'amour (1957) - ジャック・ブレル のカバー
ラストダンスは私に Garde-moi la dernière danse (1958) - ドリフターズのカバー- チャオ・チャオ・バンビーナ Piove (Ciao, ciao bambina) (1959) - ドメニコ・モドゥーニョ のカバー
- ロマンティカ Romantica (1960) - トニー・ダララのカバー
ビキニスタイルのお嬢さん Itsi bitsi petit bikini (1960) - ブライアン・ハイランドのカバー
オー・ソレ・ミオ O sole mio (1960) - ナポリ民謡
日曜はダメよ Les enfants du Piree (1960) - メリナ・メルクーリのカバー- ラスト・ワルツ The Last Waltz (1960) - エンゲルベルト・フンパーディンクのカバー
- 白いバラ Lady D'Arbanville (1970) - キャット・スティーヴンスのカバー
傷付いた小鳥 Ils ont change ma chanson (1971) メラニーのカバー「TVジョッキー」エンディングテーマ
ゴッドファーザー愛のテーマ Parle plus bas (1972)
あまい囁き Paroles Paroles - アラン・ドロン共演、ミーナとアルベルト・ルーポのカバー- 18歳の彼 Il venait d'avoir 18 ans (1973)
- 灰色の途 Je suis malade (1973) - セルジュ・ラマのカバー
- 潮風のマリー(待ちましょう) Je suis malade (1973)
- 愛するジジ Gigi l'amoroso (1974)
- ベサメ・ムーチョ(ディスコ・ヴァージョン) Besame mucho (1976)
- 雨のブラッセル Il Pleut sur Bruxelles (1981)
- 歌い続けて Mourir sur scène (1983)
- 太陽に抱かれて Soleil
伝記映画
2017年、ダリダの人生を綴った映画「ダリダ~あまい囁き~」が制作され、翌年5月には日本でも劇場公開されている。ダリダ役はスベバ・アルビティが演じた。
外部リンク
ダリダ公式サイト (フランス語・英語)