カナダ自由党
カナダ自由党 英:Liberal Party of Canada 仏:Parti libéral du Canada | |
---|---|
党首 | ジャスティン・トルドー |
成立年月日 | 1867年7月1日 |
本部所在地 | オンタリオ州オタワ |
庶民院議席数 |
184 / 338 (54%) |
元老院議席数 |
21 / 105 (20%) |
政治的思想・立場 | 中道派 / 中道左派 自由主義 社会自由主義 |
公式サイト | Liberal Party of Canada |
シンボル | 赤 |
国際組織 | 自由主義インターナショナル |
カナダ自由党(カナダじゆうとう、英語:Liberal Party of Canada、フランス語:Parti libéral du Canada)は、カナダの自由主義(社会自由主義)、中道左派政党。自由主義インターナショナル加盟政党である。創設は1861年。現在の党首はジャスティン・トルドー。口語ではホイッグ党とも呼ばれる。
目次
1 概要
2 党史
3 政策
4 歴代党首
5 総選挙における党勢推移
6 脚注
7 外部リンク
概要
中道右派政党であるカナダ進歩保守党(現在はカナダ保守党)と共にカナダにおける二大政党制の一翼を担ってきた。オンタリオ州、ブリティッシュ・コロンビア州、オタワ・ガティノー首都圏、ケベック州モントリオールなど、都市部を基盤としている。近代カナダの歴史の中でも最も政権を担ってきた政党であり、20世紀は先進国の間では最長となる69年間与党として国家運営に君臨してきたなど、"natural governing party"とも言われる。
党史
1867年に結成された。1873年にアレキサンダー・マッケンジーが首相となって以来、大半の期間を政権与党として活動してきた。特に1968年に首相となったピエール・トルドー(首相在任:1968年 - 1979年,1980年 - 1984年)は長期政権を維持し、1971年の「多文化主義宣言」による公用語の英仏二カ国語化など、多文化国家カナダの原型を作り上げた。
トルドー退任後に行われた、1984年の総選挙では進歩保守党のブライアン・マルルーニーに政権の座を奪われ、10年近く野党となったが1993年の総選挙で大勝し(この時ライバルの進歩保守党は、たった2議席しか獲得できないという壊滅的敗北を喫した)、ジャン・クレティエン、ポール・マーティンと2006年まで続けて政権を担った。
しかし2004年2月、クレティエン政権時代における公的補助金に関するスキャンダル[1]が会計検査院によって暴露されたことで支持率が急落、直後に行われた総選挙では第一党こそ維持したものの過半数を失い少数与党となった。そして2006年の総選挙で敗北し、保守党に政権を明け渡し野党に転落した。2008年10月14日の総選挙でも改選前95議席から77議席に議席を減らし、保守党の勝利を許す結果に終わった。2011年の総選挙ではさらに議席を34議席に減らし、党首のイグナティエフも落選するなど結党以来最悪の惨敗で、野党第一党の座を新民主党に譲る結果となった。選挙後、ボブ・レイが暫定党首に就任し、体制の立て直しを図ることになった[2]。
2013年4月に行われた党首選挙で、ピエール・トルドー元首相の息子であるジャスティン・トルドーが投票者の80%の支持を得て、党首に選出された[3]。トルドーが党首に選出されてから自由党に対する支持は増加し、世論調査において与党である保守党を上回って首位となった[4][5]。
2015年カナダ総選挙では、大幅に議席を伸ばして単独過半数となる184議席を獲得。約10年ぶりに政権を奪回した[6]。
政策
中道右派政党のカナダ保守党に対して、自由党は自由主義インターナショナルに所属しているものの、中道左派政党とされている。近代カナダにおいて国民皆保険制度の確立や所得の再分配機能強化などの社会的公正、二言語国家・有色人種の移民受け入れに代表される多文化主義などを実現してくるなど左派的な政策を行ってきた。また、外交面においても対米追従型ではなくイラク戦争に反対するなど友好国アメリカ合衆国に対しても異を唱えるなどの1960年代から独自外交路線を貫く。また、党内においてても右派・左派の違いがあり包括政党的な面も持っている。そのため、社会民主主義を掲げる左派政党である新民主党よりは中道寄りである。
歴代党首
太字は首相経験者
ジョージ・ブラウン(1867) 非公式
エドワード・ブレイク(1867 - 1869)非公式
アレキサンダー・マッケンジー(1873 - 1880)- エドワード・ブレイク(1880 - 1887)
ウィルフリッド・ローリエ(1887 - 1919)
ダニエル・ダンカン・マッケンジー(1919)暫定党首
ウィリアム・ライアン・マッケンジー・キング(1919 - 1948)
ルイ・サンローラン(1948 - 1958)
レスター・B・ピアソン(1958 - 1968)
ピエール・トルドー(1968 - 1984)
ジョン・ターナー(1984 - 1990)
ジャン・クレティエン(1990 - 2003)
ポール・マーティン(2003 - 2006)
ビル・グラハム(2006)暫定党首
ステファン・ディオン(2006 - 2008)
マイケル・イグナティエフ(2008 - 2011)
ボブ・レイ(2011 - 2013)暫定党首
ジャスティン・トルドー(2013 - )
総選挙における党勢推移
太字は総選挙に勝利し、与党となった、又は与党を維持した年
年 |
当選 |
---|---|
1945年選挙 |
125 |
1949年選挙 |
190 |
1953年選挙 |
171 |
1957年選挙 |
105 |
1958年選挙 |
48 |
1962年選挙 |
99 |
1963年選挙 |
129 |
1965年選挙 |
131 |
1968年選挙 |
155 |
1972年選挙 |
109 |
1974年選挙 |
141 |
1979年選挙 |
114 |
1980年選挙 |
147 |
1984年選挙 |
40 |
1988年選挙 |
83 |
1993年選挙 |
177 |
1997年選挙 |
155 |
2000年選挙 |
172 |
2004年選挙 |
135 |
2006年選挙 |
103 |
2008年選挙 |
77 |
2011年選挙 |
34 |
2015年選挙 |
184 |
- 出典:Elections Canada
脚注
^ ケベック州における分離独立運動を抑える目的で当時のクレティエン政権が、1997年から4年間に渡って実施した地域における文化・スポーツ事に対する助成金の一部が使途不明金となり、その使途不明金が自由党系広告会社を通じて、自由党に裏金として還流されたとするものである。スキャンダルが発覚した当時の首相であるポール・マーティンはケベック州選出でクレティエン政権時代に財務大臣を務めていたことから、この不正を知りながら黙認していたのではないかとする批判が集中した。出典:ブリタニカ・ジャパン編『ブリタニカ世界年鑑 2005年版』(ブリタニカ・ジャパン)465-466頁
^ Bob Rae becomes Interim Liberal Leader(ボブ・レイ 自由党暫定党首就任)。自由党ニュースリリース2011年5月29日
^ “Trudeau to face off against Harper in question period today”. CBCNEWS. (2013年4月15日). http://www.cbc.ca/news/politics/trudeau-to-face-off-against-harper-in-question-period-today-1.1317124 2013年12月21日閲覧。
^ “Tory attack ads may be backfiring in favour of Trudeau’s Liberals as support rises, new poll shows”. National Post. (2013年5月7日). http://news.nationalpost.com/2013/05/07/tory-attack-ads-may-be-backfiring-in-favour-of-trudeaus-liberals-as-support-rises-new-poll-shows/ 2013年12月22日閲覧。
^ “Justin Trudeau’s Liberals hit historic highs as senate scandal has ‘drastic effect’ on Tories: poll”. National Post. (2013年8月27日). http://news.nationalpost.com/2013/05/23/trudeaus-liberals-hit-historic-highs-as-senate-scandal-has-drastic-effect-on-tories-poll/ 2013年12月22日閲覧。
^ カナダ総選挙 野党・自由党が圧勝、10年ぶり政権交代へ(CNN 2015年10月20日 同日閲覧)
外部リンク
カナダ自由党公式サイト(英語) (フランス語)
カナダの政党。(カナダ人物列伝)(日本語)
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