1906年アテネオリンピック
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アテネオリンピック | |
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開催都市 | ![]() |
参加国・地域数 | 20 |
参加人数 | 903人[2] |
競技種目数 | 13競技78種目 |
開会式 | 1906年4月22日 |
閉会式 | 1906年5月2日 |
開会宣言 | ゲオルギオス1世 |
主競技場 | パナシナイコスタジアム |
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1906年アテネオリンピックは、1904年セントルイスオリンピックと1908年ロンドンオリンピックの中間に、ギリシャの首都アテネで開催されたオリンピック競技会。
この大会の後、4年ごとに開催された大会だけをオリンピックと呼ぶことになり、現在のオリンピックの公式の歴史には登場しない。1度しか開催されなかったため、特別大会或いは中間大会とも呼ばれることもある。
当時、近代オリンピック提唱者のクーベルタン男爵は、オリンピックは世界各地で順に開催されるべきだと考えていた。ところが、ギリシャ王のゲオルギオス1世は、オリンピックは恒久的にギリシャで開催されるべきだと考えていた。
そこで、通常のオリンピックは4年ごとに世界各地で、4年ごとの大会の中間の年にはギリシャで中間大会を開催することになった。1906年の大会は、その最初の中間大会である。
しかし、その後、ギリシャの政情不安と共に、提唱者のゲオルギオス1世が暗殺され、計画は立ち消えとなり、中間大会は二度と開催されなかった。1950年、国際オリンピック委員会は、この大会を公式の記録から削除した。これ以降、この大会は歴史の表舞台からは抹消される事になる。
目次
1 実施競技
2 各国の獲得メダル
3 主なメダリスト
4 脚注
5 関連項目
実施競技
- サッカー
- 自転車
- 射撃
- 競泳
- 飛び込み
- 体操
- ウエイトリフティング
- 綱引き
- テニス
- フェンシング
- ボート
- 陸上競技
- レスリング
各国の獲得メダル
順 |
国・地域 |
金 |
銀 |
銅 |
計 |
---|---|---|---|---|---|
1 | ![]() |
15 | 9 | 16 | 40 |
2 | ![]() |
12 | 6 | 6 | 24 |
3 | ![]() |
8 | 13 | 12 | 33 |
4 | ![]() |
8 | 11 | 5 | 24 |
5 | ![]() |
7 | 6 | 3 | 16 |
6 | ![]() |
5 | 6 | 4 | 15 |
7 | ![]() |
4 | 6 | 5 | 15 |
8 | ![]() |
4 | 2 | 1 | 7 |
9 | ![]() |
3 | 3 | 3 | 9 |
10 | ![]() |
3 | 2 | 1 | 6 |
11 | ![]() |
2 | 5 | 7 | 14 |
12 | ![]() |
2 | 5 | 3 | 10 |
13 | ![]() |
2 | 1 | 3 | 6 |
14 | ![]() |
2 | 1 | 1 | 4 |
15 | ![]() |
1 | 1 | 0 | 2 |
16 | ![]() |
0 | 1 | 2 | 3 |
17 | ![]() |
0 | 1 | 1 | 2 |
18 | ![]() |
0 | 1 | 0 | 1 |
19 | ![]() |
0 | 0 | 3 | 3 |
20 | ![]() |
0 | 0 | 2 | 2 |
合計 | 78 | 80 | 78 | 226 |
主なメダリスト
- 金メダル
アーチー・ハーン(アメリカ)陸上競技男子100m
ポール・ピルグリム(アメリカ)陸上競技男子400m、陸上競技男子800m
レイ・ユーリー(アメリカ)陸上競技男子立ち高飛び、陸上競技男子幅跳び
ビリー・シェリング(カナダ)陸上競技男子マラソン
チャールス・ダニエルス(アメリカ)競泳男子100m自由形
サッカーデンマーク代表(デンマーク)サッカー男子
マックス・デキュジス(フランス)テニス男子シングルス
ピエール・ペーシー(フランス)体操男子個人総合
脚注
^ 1906 Athina Summer Games sports-reference.com
^ 841人という説もある[1]。
関連項目
- 国際オリンピック委員会
- 夏季オリンピック
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