長嶋一茂
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都大田区 |
生年月日 | (1966-01-26) 1966年1月26日(53歳) |
身長 体重 | 182 cm 86 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 三塁手 |
プロ入り | 1987年 ドラフト1位 |
初出場 | 1988年4月9日 |
最終出場 | 1996年5月28日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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長嶋 一茂(ながしま かずしげ、1966年1月26日 - )は、日本の元プロ野球選手(内野手)、元読売ジャイアンツ野球振興アドバイザー、タレント、スポーツキャスター、野球評論家、俳優、空手家。プロ野球を引退した翌年に極真空手の世界に飛び込み黒帯を取得した。空手歴は20年以上。血液型はB型。カトリック教徒。洗礼名は「パウロ」[1]。
東京都大田区田園調布出身。ナガシマ企画所属。父は元プロ野球選手・監督の長嶋茂雄、母は元実業家の長嶋亜希子。4人兄弟の長男(第一子)で、弟は元レーシングドライバーの長島正興、妹はキャスターの長島三奈。
目次
1 来歴・人物
1.1 プロ入り前
1.2 ヤクルト時代
1.3 巨人時代
1.4 引退後
2 エピソード
2.1 プロ入り前
2.2 プロ選手時代
2.3 タレント転身後
2.4 タレント転向後の天然発言
3 詳細情報
3.1 年度別打撃成績
3.2 記録
3.3 背番号
4 著書
5 出演
5.1 報道・情報・スポーツ
5.2 バラエティ
5.3 ドラマ
5.4 映画
5.5 CM
6 受賞歴
7 脚注
8 関連項目
9 外部リンク
来歴・人物
プロ入り前
小学生の頃から野球を始めたが、上手くなく途中で辞めてしまい、この頃からマスコミや父親に取り入ろうとする人に付きまとわれることが多かった。ただし、野球は嫌いになったわけではなく、いずれはまた始めようと考えていたとのこと[2]。田園調布中学校、群馬県吾妻郡六合村(現:中之条町)にある白根開善学校中等部で中学時代を過ごし(ただし、ごく短期間で退寮)陸上部に所属していた。高校受験では桐蔭学園高等学校にも合格したが「父親と同じ立教で野球をやりたい」と、立教高等学校(現:立教新座高等学校)に進学した。そして、高校時代から再び野球を始め、当初はブランクのため苦労したが二年の秋には四番を打つほどにまで成長し、3年生時に甲子園埼玉県予選の準決勝まで進出したが、所沢商業高校にサヨナラ負けを喫した[3]。その後立教大学に進学。一年目からレギュラーになり、立教大学硬式野球部では東京六大学リーグ通算101試合出場、382打数86安打、打率.225、11本塁打、54打点。4年生の時に2季連続ベストナイン(三塁手)に選ばれた。1987年の春季リーグでは、四番で主将として打率.340を打ち、満票でベストナインに選出。同年秋季リーグでは4本塁打、16打点(秋季リーグ打点王)を叩き出し、二期連続ベストナインに選出された[4]。高校・大学の一年後輩に矢作公一がいる。また、大学時代は日本代表にも選ばれたことがある[5]。
1987年のドラフト会議でヤクルトスワローズ、横浜大洋ホエールズの2球団が1位指名で競合し、抽選の結果ヤクルトが交渉権を獲得。後に契約金8000万円、年俸840万円(金額は推定)で入団合意した[6]。ドラフト前日まで巨人も1位指名を検討したものの結局回避した[7]。当時ヤクルトの監督だった関根潤三は著書の中で「一茂のドラフト指名は僕の意向が強く働いた。六大学リーグでプレーする一茂を見に行って粗削りだけどものはいい。こりゃ素晴らしいプレーヤーになると思った」と記している[8]。父・長嶋茂雄は、育成の確かな広島東洋カープを勧めていたが、本人が「映画で見るようなヤクザの場所みたいで怖そう」という理由から難色を示したという[9][10]。
ヤクルト時代
1988年、春季キャンプから一軍メンバーに選ばれ[11]、オープン戦で3割以上の打率を残し、シーズン当初は打てなかったものの4月27日の試合でプロ初安打をホームラン(神宮球場での巨人戦、ビル・ガリクソン投手から)で飾り、『ミスター二世』として注目を集めた。しかし、本人は開幕後に相手投手の攻め方が変わったことでプロの壁を痛感しており、1年目の4月で限界を悟ったという[12]。
野村克也がヤクルト監督就任した1990年は野村の提唱するID野球にまったく馴染めず、ミーティングでも一茂はノートに漫画を描いていた。この原因は当時、監督やコーチはもちろん、OB、評論家どころかカメラマンからも助言や指導をされ「助言のフォアグラ状態」になり、「もう、うんざり。助言の良しあしなんて、どうでもよくなる。放っておいてくれ」とだれの指導や助言にも耳を傾けなくなっていたことにあったと一茂本人が語っている[13]。なお、一茂は野村ではなくコーチ陣に対して不満があったという[14]。1991年は、6月初旬からスタメンで起用されると、6月9日の広島戦では3安打5打点の活躍をし、その試合を皮切りにチームが球団新記録の12連勝をした。この12試合中の一茂の成績は、打率.282、2本塁打14打点OPS.934と、まずまずの成績を残し、ついに開花したと言われた。しかし、13連勝を狙った6月26日の巨人戦では、3点リードの9回裏にまずい守備を連発して逆転サヨナラ負けを喫したため、スポーツ紙では、長嶋に始まり長嶋で終わった12連勝と呼ばれた。
1992年は、マイナーリーグ・1Aベロビーチ・ドジャースに野球留学したため出場機会がなく、チームの14年ぶりの優勝には貢献できなかった。後に「報道ステーション」2008年5月27日放送分(テレビ朝日)の中で一茂は野村と対談、「お前(ミーティング中に)漫画描いてたじゃないか」と冗談混じりながら当時の行動について指摘されている。また関根は「しかし結局選手として大成させられなかった。今でももう少し育てようがあったんじゃねぇかって思う。例えば僕のそばに置いてもっとシゴいたほうが良かったかもしれない。バッティングコーチも長嶋茂雄の息子だって言うんで遠慮あっただろう。それも含めて一茂を一人前にできなかったのは僕の責任。中途半端な育て方しかできなかった。」と記している[15]。伊勢孝夫打撃コーチは一茂が伸び悩んだ要因の一つに、勝手に打撃フォームを弄って短期間で放り出す評論家の存在を挙げており[16]、一茂自身も余りに多すぎる周囲の助言にノイローゼ状態だったと告白している[17]。オフに入ると千葉ロッテマリーンズ、福岡ダイエーホークス、横浜大洋ホエールズからトレードの打診が球団に寄せられた[18]。
巨人時代
1993年、父・茂雄が監督に就任した読売ジャイアンツへ無償トレードで移籍。当時のヤクルト・野村克也監督は、「一茂は怖がりでどうしようもないから、父親の元でするのが一番と球団社長に提案してトレードに出した」と後に明かしている[19]。キャンプから外野の練習を行い開幕戦は6番・レフトでスタメンを勝ち取る。同年の古巣ヤクルト戦では、原辰徳との守備交代で、「4番、サード長嶋」がコールされた。しかし、この年には肘や膝を痛め、9月には手術をしている[20]。
1994年は、レギュラーシーズンは46試合に出場したが、日本シリーズはベンチメンバーのみであり、試合に出場する事は無かった。5月1日対ヤクルト戦(神宮)8回裏に審判に暴行して現役時代唯一の退場処分を受けた。
1995年は右ひじの故障で一軍出場はゼロに終わる。1996年は春先は不振のジェフ・マントがスタメンを外されると積極的に起用され、低打率ながら3本塁打を記録。しかし、当時の総合守備コーチ土井正三から一茂だけが2時間のバント練習を課されたことに対して「いらねぇよ!あんな奴!!」と暴言を吐き、球団から罰金50万円と二軍降格に加え、出場停止処分を受けた[21]。同年オフ、父・茂雄から「一茂、残念だけどお前は来年の戦力構想に入っていない」と戦力外通告を受けた[20]。その後、広島、近鉄、オリックス、日本ハムが獲得の意向を見せたが、「これ以上迷惑をかけたくない」と発言し、現役を引退。引退について父・茂雄は「プロの世界だって1年限りの世界ですから」と発言した(「監督と選手の関係から親子の関係に戻ろう」とも発言していた)。
一茂は、巨人時代にパニック障害になったことを後に告白しており[22]、プロ野球選手として活躍していた頃にバッターボックスに立てなくなったこと、その後も同病に悩まされていることを自著でも述べている[23]。その後、この症状はまだ完治していない事を2018年に語っている[24]。
引退後
引退後は個人事務所「ナガシマ企画」を設立し、芸能人に転身。戦力外を通告される年、偶然明石家さんまとゴルフをする機会があった[25]。まさか引退がつきつけられるとは思ってもみなかった一茂はさんまからその時に「辞めたら俺がやってる番組全部来いや」と言われても真剣に受けとめることができなかったが、現役を退いた後、その言葉通りさんまのすべてのレギュラー番組で出演オファーを受け、出演した[25]。さんまの事を大恩人と語っている[25]。またスポーツキャスターとなり、1997年〜1999年にフジテレビの『プロ野球ニュース』(週末)、2000年〜2002年に日本テレビの『独占!!スポーツ情報』(のちの『THE独占サンデー』)の司会を担当した。プロ野球ニュース担当時代には当時流行していたサントリーボスのCMのパロディーで「親が凄いと子供も凄いんだよな、な。」と問いかけられて「なに。」と答えるという自虐ネタを演じたこともあった。
99年には、当時の担当マネージャーだった女性と結婚している。
2002年から2年間に渡ってNHKのインタビュー番組『わたしはあきらめない!』の聞き手役も務めた。
スポーツキャスターと並行して俳優業も行い、2000年は『NHK朝の連続テレビ小説・オードリー』に出演し(時代劇の剣士役)、俳優としての地歩を固める。2002年は映画『ミスター・ルーキー』(日本アカデミー賞新人賞受賞)、2005年には『男たちの大和/YAMATO』、2004年は、TBSの『サラリーマン金太郎4』[26]、テレビ朝日の『逮捕しちゃうぞ』、2005年の『NHK大河ドラマ・義経』等に出演。
極真カラテの有段者であり、数見肇の百人組手の40人目の対戦者を務めたこともある。その経験から、フジテレビのK-1中継の司会を務めている。
『さんまのSUPERからくりTV』(TBS)ではレギュラー解答者のほか、『知識の泉』のコーナーに出演。西村知美、松嶋尚美、浅田美代子らと共に天然ボケを活かし爆笑トークを展開する。2004年、『さんまのSUPERからくりTV』の中で打倒・松岡修造を目的にさんまらによって結成された『からくりテニス同好会』のメンバーになる。同番組には特に思い入れが強いようで、バラエティのイロハをそこで教わったという[25]。さんまに時には収録中に怒られることもあり、最も激怒されたのが収録中に寝たこと[25]。
2004年4月、田中律子、磯野貴理子とともにTBSのお昼の生放送番組『はぴひる!』の司会を務める。6月6日、アテネオリンピックの聖火ランナーを務める。同年、日本テレビのアテネオリンピック中継のキャスターに選ばれた。また、2004年6月16日に双子の女児が誕生した。このことは、本人が司会を務めるお昼のテレビ番組の中で本人の口により発表された。
2005年1月1日より当時球団会長渡邉恒雄の推薦で読売新聞グループ本社社長室付けスポーツアドバイザー、並びに巨人球団代表特別補佐(アドバイザー)として招聘され、2011年1月1日まで務め、同日付で野球振興アドバイザーに就任した[27]。その後、2016年にはアドバイザーを終了していることが報じられた[28][29]。スポーツキャスターや芸能活動は以降も継続している。また、この年には清原和博が戦力外通告を受けた時に接触したことを後に明かしている[30]。
2006年、三菱UFJ信託銀行のCMに父・茂雄との親子共演を果たした。
2013年、クラシアンのCMにイメージキャラクターとして抜擢された。
エピソード
プロ入り前
- 小学生の頃、神宮球場でのヤクルト-巨人戦を父・茂雄と一緒に見に行ったのだが、茂雄は連れてきた一茂を球場に置き去りにして帰ってしまった。茂雄は家に帰って妻に言われ、それに気が付いたのだという。茂雄は慌てて神宮球場に電話をしたところ、一茂は審判室に保護されていた。
- 父・茂雄の引退試合(1974年10月14日の巨人-中日ドラゴンズ戦)を一切観ていない。茂雄は一茂に引退するとは告げずに「始球式をやってみないか」と持ちかけたが、父の引退試合だとは知らない一茂は「恥ずかしい」と拒否し、当日は歯科医にかかっていた。治療中に歯科助手の女性から聞かされるまで、父の引退を知らなかった[31]。
- 父・茂雄が、巨人の第1次監督就任時には背番号90を付けていたが、一茂の「背番号3・3番打者・サード(三塁手)」で足して9という発言がもとになっている。
- 高校時代は野球一筋であり、全く勉強せず、カンニングも頻繁に行っていた。「ボクも基本的に期末とか中間はカンニングしましたからね。だって、野球ばっかりやってたから試験勉強やる時間ないもん、オレ」とテレビで告白、「みなさん1度もカンニングやったことないんですか、って?」と問いかけてもいる[32]。
プロ選手時代
- ヤクルト時代に志願して落合博満と自主トレを行なった際、長嶋家より差し入れとして銀座千疋屋のメロンが届く。一茂がそのメロンを二つ割りにして種を取り、ブランデーを注いで一気に食べる姿を見た落合夫妻は、「子供はこのようにのびのびと育てなきゃいけない」と話し合ったと、落合信子がインタビューで語っている。
- プロ初ホームランは、実はまぐれ当たりであり、自身の著書「三流」では「入団直後からプロのスピードについて行けず、どうしようかと思った」「それこそガリクソンの球も全然見えなくて、適当に振った」と書かれている。
達川光男がプロ初ホームランを見て、試合中打席に入った一茂に「あそこのコース得意なんか?それなら、1回同じコース投げさせてみようかのお」と言い、本当に投手にそのコースを投げさせた。すると一茂はホームラン性の大ファウルを放ち、肝を冷やしている達川に「もう1回お願いしますよ」と無邪気にせがんだ。達川は平静を装いつつ「1回言うたら1回じゃ」と一喝し、以来そのコースは一茂に対して封印したという。
1988年のシーズンオフに「プロ野球ニュース」で「がんばれカズシゲ」というコーナーがあった。- 甲子園球場での阪神戦で、味方の許した大量リードに呆れた阪神ファンから、阪神のヒッティングマーチで応援されたことがある。なお、一茂は2002年公開の映画『ミスター・ルーキー』で主人公の阪神タイガース選手役を演じている。
1991年のある試合で変化球をホームランにして放った際、野村克也に褒められた後、「次は直球を(慎重に)狙え」とアドバイスされたが、次の打席では直球を強振し、空振り三振に終わった。その事を現役引退後に野村との対談で話した際「お前は褒めるとろくなことがない」と言われた。- コーチとの確執も多く、ヤクルト時代は当時監督の野村のチーム方針に全く順応しなかったため、コーチ陣との軋轢が酷く(前述)なり、巨人在籍時は怠惰な生活を送っていたこともあって、堀内恒夫から激怒され、河村健一郎からは「次まともにやらないんだったら辞めろ!」と激しく叱責を受けていた。しかし暴言を吐かれた土井正三は「あいつの性格ならああいうことも言いかねない」と怒りを露にしなかった(一茂の父である茂雄と土井は立教大学の先輩後輩で常日頃から懇意にしており、土井と一茂も幼少の頃からの知り合いである)。
1992年に野球留学をしていた際、彼のさまざまな世話をしていたアイク生原が死去。留学時期は違えど同じ生原門下生である山本昌(当時は本名の山本昌広)らと共に葬儀に参列した。
1993年4月23日の阪神-巨人戦で仲田幸司投手からセ・リーグ通算3万号となる記念本塁打を放つ。
1994年5月18日の巨人-広島戦で当時のチームメイトである槙原寛己が完全試合を達成した際(槙原寛己の完全試合)は三塁を守っており、真っ先に彼に抱きついた。- ヤクルト時代は池山隆寛と仲が良く、シーズンオフのバラエティ番組では、池山と一茂のやり取りが放送されていた。
- 元々は、池山に「いいグローブ使ってんだね。何で捕れないの?」と馬鹿にされるほど守備に難のある選手だったが、野球留学を機に守備力が向上し、巨人移籍後には槙原が一茂の守備は上手かったと評するまでになった。
- 元首相の森喜朗が、一茂在籍当時のヤクルトオーナーだった桑原潤になぜ一茂を巨人に出したのか聞いたところ、「もうせいせいした。実際は使い物にならなかったがプロ野球の大選手のご子息だから、そう無下に扱うわけにもいかないので、もうまいってた。その時に、ジャイアンツから、どういうわけか一茂をくれないかと言ってきたんで、もう熨斗を付けて差し上げました」と答えたという。また、森によると一茂の移籍と松井秀喜の入団が重なっており、同じ三塁手(松井はプロ入り後、外野手に転向)として松井へのあてつけではないかと推測している(森は松井の後援会名誉会長を務めている)[33]。
- 『ドカベン』などの野球漫画の第一人者である水島新司が1987年から連載していた『虹を呼ぶ男』では、舞台となっていたヤクルトに偶然一茂が入団したため、主人公の七夕竹之丞のライバルとして劇中に登場する事になったが、現実の一茂の不振もあって人気は低迷し、後に相撲漫画に路線変更する事態となっている。
- 引退後のテレビ番組で、ヤクルト時代の監督の野村に、守備やバッティング時にボールを怖がり腰が引けると評された[19]。
- プロとしてはあまり活躍はできなかったが才能を高く評価する声はあり、その事を如実に示す例として、落合は「一茂は練習しなかった。していたら父親以上になれた。」と語っている[34]。また、野村からは「いい物を持っているため練習では良かった。」とも認められており[19]、数多くの著書でもそういった評価をしていたことが書かれてある。
- ヤクルト時代には、痛風になったことがある。一茂は、食べ過ぎが原因であると後に語っている[35]。
- 2018年12月29日から放映の富士フイルムのテレビCM「お正月を写そう♪2019 それぞれのウォールデコ」篇では広瀬すず、石原良純、DAIGOと共演、一茂の巨人軍時代の写真を見た広瀬が「野球選手だったんですか?」と驚愕するシーンがあった[36]。
タレント転身後
- 『孤独のグルメ』ドラマ化が企画された際に主演に予定されていたが、原作者の久住昌之が「長嶋一茂は嫌いではありませんが、ちょっと」と難色を示したために話が流れている[37][38][39]。
- タレント転身後から、バラエティ番組、ドラマ、コメンテーターなど幅広く活動してきたが、2018年に入り出演番組が急増。「ブレイクしたタレント」の仲間入りを果たしている[40][41]。
- 3歳の頃からはまったというハワイを頻繁に訪問、現地に一軒家を所有し、2018年だけでも仕事の合間に年6回滞在しており、将来的に「半年ハワイ、半年東京と両方」という移住プランもあるという[42]。
タレント転向後の天然発言
タレント転向後の天然発言一覧 | |||||
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NO | 内容 | ||||
NO1 | 2017年4月7日生放送の「羽鳥慎一モーニングショー」(テレビ朝日系)に出演。番組では北朝鮮によるミサイルの「発射角度」をクローズアップし、一般的には「45度」としたところで、一茂は突然「ホームランを打つ角度と一緒だね」と話し始めた。だが、これだけでは終わらなかった。番組では今回のミサイルの飛行距離は伸びないが撃ち落とされづらい、「急角度」で打ち上げる『ロフテッド軌道』について解説していると一茂がすかさず反応した。「こっちは『通天閣打法』だね。『ドカベン』で出てきた。坂田三吉がすごく高いフライを打って、ヒットにさせちゃうっていう」一茂は喋りながら、高く打ち上げる素振りのジェスチャーを交えて「通天閣打法」を解説。羽鳥アナは「なんか、一茂さん休み明けだから調子良いですね」と皮肉のきいたコメントを真顔で残した。そして一茂は親指を立てて笑顔を見せた。[43]。 | ||||
NO2 | 「羽鳥慎一モーニングショー」の生放送中、トランプ米大統領が就任直後にツイッターで過激なツイートを繰り返していた時のこと。急に危機感を覚えたのか、「日本が危ない!」と言い始め、「こうなったら、日本は(お笑いタレントの)ジミー大西さんを出すしかない」と発言した。スタジオの出演者は2?3秒静まり返り、慌てた羽鳥は「一茂さんも尋常じゃ無い感じだから、一茂さんが行った方がいいんじゃないですか」とコメントすると、一茂はにやにやして、まんざらでもない様子だった。[44]。 | ||||
NO3 | 2017年3月17日生放送の「羽鳥慎一モーニングショー」で築45年の7階建てマンションの壁の一部が、突然崩れ落ちたニュースが取り上げられると「何よりもさあ、これじゃあさぁ、WBC(ワールドベースボールクラシック)ゆっくり見れないだろう」と、唐突に野球ネタを絡ませた。羽鳥アナは、一瞬言葉を詰まらせるも「これに関しては、それどころじゃないです」とマジトーンでダメ出し。一茂は声のトーンを変えることなく、落ちついた様子で「ごめんなさい。申し訳ない」と即座に謝罪していた。[45] | ||||
NO4 | 「羽鳥慎一モーニングショー」の中で放送前に番組スタッフから「一茂のコメント禁止」した放送箇所を伝えているのにもかかわらず、一茂は生放送中に堂々とその部分でコメントしたので羽鳥慎一が一茂に「一茂さん、このテーマの時はコメントしないで下さい」と伝えると「羽鳥君、それならもっと早く言ってよ♪」と答えた・・・・・因みにこの件については6年前から一茂には伝えてある。 | ||||
NO5 | 2016年11月18日放送の「羽鳥慎一モーニングショー」で朴槿恵大統領をめぐる政治スキャンダルを特集の中で崔順実(チェ・スンシル)容疑者の娘、チョン・ユラ氏が高校3年生の時に計17日しか学校に行っていなかったという話を紹介した。これを聞いた一茂は「俺と似てるな。俺と似てる」とコメント。続けて「俺ね1年の時、学校2回しか行ったことない。2回、2日だけ」と衝撃発言をした。さらに「あ、ごめんごめん。いや、なんかコネとかって聞いてるとさ、なんか俺の事のように聞こえるんだよね」続けて爆弾発言。[46] | ||||
NO6 | 2015年3月13日放送の「モーニングバード」で【九州大などの研究グループが体長1ミリの線虫を使い、人間の尿から高い精度でガンの有無を判定できることに成功】について小松靖アナが映像やボードを使いながら初めてこの話題を聞いた人にも理解できるように説明しようとしたのだが、一茂が段取りを無視して昨日見た番組で得た情報を次々に喋り出したのだ。隣の赤江珠緒アナは困ったような笑顔を浮かべ羽鳥アナは話の流れを変えようしたが、おかまいなしに一茂は喋り続ける。コメンテーターで作家の吉永みち子氏は「こんな重大発見、誰がしたんですか?」と小松アナにボールを投げるも、いきなり聞かれてもいない一茂が「知らない!」と答えている。[47] | ||||
NO7 | 2017年1月13日朝放送の「モーニングショー」でロシアの情報機関が米国のドナルド・トランプ次期大統領に関する情報をつかんでいるとの報道の中で「トランプ氏にとって不名誉になるクレムリンとの関係」について一茂の口から出たのは「クレムリンって何?」。羽鳥アナが「モスクワの、旧ロシア帝国の宮殿で、今は大統領府」と説明してやっと映画の「グレムリン」と勘違いしたと釈明したが、その後も文書を報じた米ニュースサイトのバズフィードを東京スポーツに例えるなど、珍コメントが続いた。[48] | ||||
NO8 | 2017年3月24日放送の『モーニングショー』で「まずね、人生のなかで、初めて国会中継見ました」との一茂の発言が話題になっている。テレ朝関係者が苦笑しながら話す。「元プロ野球選手ですから野球を見るのは分かりますが、政治から社会事件まで扱う番組のコメンテーターをやっているんですから、本当だとしても『国会中継を初めて見た』などとわざわざ言わなくていい。局内でも失笑の声が上がっていました」[49] | ||||
NO9 | 2015年11月8日に生放送された『日本のダイモンダイ』(フジテレビ系)で問題のたびに一茂が口を挟んで講釈を垂れる姿を披露した。大相撲の問題には『日本と外人で別のリーグにして、国際試合をやるべき』、芸能人の結婚に対しては『めんどくさい結婚に足を踏み入れたことに対して、おめでとうと思う』などトンチンカンな回答を連発。背伸びして持論を展開するものの、多くの人には理解不能な発言が多い。今や「トンチンカン」なコメンテーターの代表として、一茂の地位は確立されつつある。番組は安保法案や幼児教育、政治家への興味などの時事問題から、芸能人の結婚についてどう思うか、大相撲で日本人横綱が出ないことをどう思うかなど、幅広い問題の賛否を問う構成であった。 | ||||
NO10 | 2017年2月10日「羽鳥慎一モーニングショー」で大学センター試験が行われた1月14日、JR函館線の特急列車が運休のニュースを伝えると一茂は得意顔で「夏にやればいいじゃない」と一言。共演したコメンテーターが凍りつく事態となった。共演者があわてて「それだと浪人生はいいですけど、現役生は勉強が終わっていないので困ってしまうと思いますよ」と指摘するも、一茂は「何がいけないの」といった顔。そしてすぐにネット上がざわつく事態に。「『この人は本当に大卒なのか?』というツッコミが入っていましたね(笑)。立教大学卒とはいえ、高校からエスカレーター式で入学しているので、大学入試のことなど知らないのでしょう」(前出・芸能リポーター) | ||||
NO11 | 2017年4月6日放送の「くりぃむしちゅーのハナタカ!優越館」【テレビ朝日】で一茂は飛行機が揺れて怖くなったら、CAに「揺らさないでください」とお願いすると揺れを止めてくれると発言した。CAに頼めば高度を上げて飛んでくれて、高度が上がれば飛行機が安定するらしい。続けて一茂は「燃料を使うけど、客の一押しがあれば上げてくれる」と真顔でのたまわった。MCの上田晋也は「特殊な事例なので…」と相手にもしなかった。空気を全く読まない奔放な発言が世間をイラつかせている。 | ||||
NO12 | 2017年5月14日『ワイドナショー』(フジテレビ系)で俳優のアラン・ドロンの引退関連の話題からフランス大統領選の分析に話が移ると、一茂は一気にトーンダウン。フリーアナウンサーの堀潤を横目に“ダンマリ”を決め込んだ。トークの締めでMC:松本人志が「ここまで一茂さんが全くしゃべってこなかったのが(進行上)いい」と皮肉を言うと、一茂も「政治ネタは全く分からない!」と開き直り、スタジオは爆笑に包まれた。ただ、この一連のやりとりに対して、ツイッターでの反応は冷たい言葉が並んだ。《しゃべれないなら出なけりゃいいのに》、《“分からない”と言ってしまう一茂に存在価値はあるの?》と一茂を批判する声が相次いだ。 | ||||
NO13 | 2017年9月15日『モーニングショー』(テレビ朝日系)で、一茂が番組終盤に暴走するシーンがあったが、同局アナウンサーの宇賀なつみがうまくまとめたとして評価を上げている。北朝鮮がミサイルを発射後、襟裳岬の東方約2200キロメートルの太平洋上に落下したニュースを受け、番組は急きょ内容変更して、この問題を中心に報道した。「番組の途中から一茂は少しおかしな感じでした。北朝鮮のミサイルを強引に野球のビーンボール(投手が故意に打者の頭部を狙って投げる球)にたとえ、『ビーンボールであれば動じなければいい。松井(秀喜)選手はビーンボールが来ても動じず、次に内角高めのボールが来ても打ちました』など、独自の理論を展開しました」(テレビ誌ライター)スタジオにはドン引きの空気が漂っていたが、一茂はさらに「(ミサイル発射は)結局、ビーンボールかそうじゃないかの話」とダメ押し。一茂が突然、「広島がマジック1、ソフトバンクがマジック1なんでね。北朝鮮のミサイルごときでギャーギャー言うなと、ハイ」と発言。誰もリアクションを取れない中、宇賀アナは「あと皆さん、台風にもくれぐれもご注意ください」とさらりと受け流し、何事もなかったように番組を締めくくった。番組を見ていた視聴者からは「宇賀なつみアナは長嶋より20歳も年下だけど、お母さんみたい」等、宇賀アナの手腕に評価が集まっている。 |
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 | 球 団 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 | O P S |
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1988 | ヤクルト | 88 | 206 | 187 | 14 | 38 | 9 | 1 | 4 | 61 | 22 | 3 | 1 | 0 | 1 | 17 | 0 | 1 | 59 | 5 | .203 | .272 | .326 | .598 |
1989 | 69 | 163 | 156 | 12 | 39 | 7 | 1 | 4 | 60 | 15 | 1 | 0 | 0 | 1 | 6 | 0 | 0 | 29 | 6 | .250 | .276 | .385 | .661 | |
1990 | 35 | 57 | 54 | 6 | 9 | 2 | 1 | 1 | 16 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 15 | 1 | .167 | .211 | .296 | .507 | |
1991 | 67 | 172 | 149 | 12 | 33 | 8 | 2 | 4 | 57 | 18 | 1 | 0 | 0 | 1 | 21 | 2 | 1 | 44 | 6 | .221 | .320 | .383 | .703 | |
1993 | 巨人 | 56 | 153 | 134 | 12 | 29 | 6 | 1 | 1 | 40 | 12 | 3 | 5 | 0 | 2 | 17 | 0 | 0 | 42 | 7 | .216 | .301 | .299 | .600 |
1994 | 46 | 32 | 29 | 5 | 5 | 1 | 0 | 1 | 10 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | 7 | 4 | .172 | .250 | .310 | .560 | |
1996 | 23 | 60 | 56 | 4 | 8 | 2 | 0 | 3 | 20 | 8 | 0 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 1 | 19 | 2 | .143 | .200 | .339 | .522 | |
通算:7年 | 384 | 843 | 765 | 65 | 161 | 35 | 6 | 18 | 262 | 82 | 8 | 7 | 0 | 5 | 70 | 3 | 3 | 215 | 31 | .210 | .276 | .342 | .618 |
記録
- 初出場・初打席:1988年4月9日、対読売ジャイアンツ2回戦(東京ドーム)、8回表に中本茂樹の代打で出場、ビル・ガリクソンと対戦し凡退
- 初安打・初本塁打・初打点:1988年4月27日、対読売ジャイアンツ6回戦(明治神宮野球場)、6回裏にビル・ガリクソンから中越ソロ
- 初先発出場:1988年4月30日、対阪神タイガース1回戦(明治神宮野球場)、7番・三塁手として先発出場
背番号
3 (1988年 - 1992年)
36 (1993年 - 1996年)
著書
- 『三流』(幻冬舎文庫:2002年4月25日、構成・文 石川拓治)
- 『乗るのが怖い 私のパニック障害克服法』(幻冬舎:2010年11月)
出演
報道・情報・スポーツ
スーパーJチャンネル(1997年4月 - 1998年、テレビ朝日)金曜日
スポーツMAX(1998年9月 - 2005年9月、日本テレビ)
独占!!スポーツ情報(2000年4月 - 9月、日本テレビ)
THE独占サンデー(2000年10月 - 2002年9月、日本テレビ)
はぴひる!(2004年4月 - 9月、TBS) 月曜日〜金曜日担当
スポんちゅ(2005年10月 - 2006年9月、日本テレビ)
報道ステーション(2006年4月 - 2016年3月、テレビ朝日)
NEWS ZERO(2006年10月 - 2008年9月24日、日本テレビ)水曜日担当
プロ野球ニュース(1998年4月 - 2000年3月、フジテレビ)
K-1 GRANDPRIX(不定期、フジテレビ)
サキヨミ(2008年7月 - 2009年、不定期、フジテレビ)
スーパーモーニング(テレビ朝日) 金曜日担当
元気を日本に 日本プロ野球(日本テレビ 2011年解説者)
情報満載ライブショー モーニングバード!→モーニングバード(2011年4月8日 - 2015年9月25日、テレビ朝日)金曜日
ワイドナショー(2014年12月21日 - 不定期、フジテレビ)
羽鳥慎一モーニングショー(2015年10月2日 - 、テレビ朝日)金曜日
バラエティ
料理の鉄人(1993年10月 - 1999年9月、フジテレビ)
さんまのSUPERからくりTV(1998年4月 - 2014年9月、TBS)
わたしはあきらめない(2002年4月 - 2004年3月、NHK)
もしも体感バラエティ if(2002年10月 - 2004年3月、フジテレビ)
お茶の間の真実〜もしかして私だけ!?〜(2007年10月 - 2008年8月、テレビ東京)
くりぃむクイズ ミラクル9 (2013年2月27日 - 不定期、テレビ朝日)
今夜はナゾトレ(フジテレビ)
痛快TV スカッとジャパン(フジテレビ)VTRのバカ息子/ボンボン親子シリーズに不定期出演- 櫻井・有吉 THE夜会(2015年5月 - 、TBS)
ザワつく!一茂良純時々ちさ子の会(2018年10月11日 - 、テレビ朝日)
ドラマ
なにさまっ!(1998年10月 - 12月、TBS) 東良介役
ザ・ドクター(1999年7月 - 9月、TBS) 神崎俊太郎役
バーチャルガール 第5話(2000年1月 - 3月、日本テレビ) 伊達健介役
オードリー(2000年10月 - 3月、NHK) 錠島直也役
新・お水の花道(2001年4月 - 6月、フジ) 五郎役
逮捕しちゃうぞ(2002年10月 - 12月、テレビ朝日) 中嶋剣役
月曜ミステリー劇場 ざこ検事 潮貞志の事件簿1 - 3(2002年12月 - 2005年9月、TBS) 潮貞志役
水戸黄門(2003年、TBS) 三剣一風役
サラリーマン金太郎4(2004年1月 - 3月、TBS) 山田龍平役
義経(2005年1月 - 12月、NHK) 藤原国衡役
アストロ球団(2005年8月 - 10月、テレビ朝日) 沢村栄治役
マグロ(2007年1月4日、5日 テレビ朝日)児島医師役
玉蘭(2007年6月16日、テレビ朝日) 広野賢役- 特別ドキュメンタリードラマ 3.11 その日、石巻で何が起きたのか〜6枚の壁新聞(2012年3月6日、日本テレビ) 外処健一役
月曜名作劇場 警視庁心理捜査官・明日香5(2016年5月16日、TBS) 鷹野弘志役
映画
ミスター・ルーキー(2002年、東宝) - 主演・大原幸嗣役
男たちの大和/YAMATO(2005年、東映) - 臼淵磐役
ポストマン(2008年、ザナドゥー) - 主演・海江田龍兵役 ※作品の製作総指揮も担当
崖の上のポニョ(2008年、スタジオジブリ・声優として出演) - 宗介の父・耕一役
はやぶさ 遥かなる帰還(2012年、東映)
HOME 愛しの座敷わらし(2012年、東映)
二流小説家 シリアリスト(2013年、東映) - レポーター 役
極道の妻(つま)たち Neo(2013年6月8日公開、東映ビデオ) - 鬼場満 役
テコンドー魂〜Rebirth〜(2014年2月15日公開、東映ビデオ) - 一色辰男役
キカイダー REBOOT(2014年5月24日、東映) - 光明寺信彦 役
ハッピーランディング(2015年6月6日) ※作品のエグゼクティブプロデューサーも担当[50]
CM
太田胃散(2000年 - 2009年)- 明治製菓
三菱UFJ信託銀行『キャッチボール篇』『会話篇』(父の茂雄と共演。)
全日本空輸『ノックで中国篇』『記者会見篇』『試合篇』『チャレンジ篇』
三菱自動車工業 (ミツビシミテカラ『宣言篇』以降、すべてのCMの最後のシーンに登場するようになった。)(2006年9月14日 - 2008年)
- 『SUV告知篇』(2007年4月3日 - 5月)
- 理研ハウス
クラシアン(2013年)
アメリカンファミリー生命保険会社(2018年11月 - )
富士フィルム(2018年12月29日 - )
サントリービール『金麦 ゴールド・ラガー』(2019年2月 - ) ヒロミと共演
受賞歴
- 2002年 第27回報知映画賞新人賞(『ミスター・ルーキー』)
- 2003年 第26回日本アカデミー賞新人俳優賞(『ミスター・ルーキー』)
脚注
^ https://www.daily.co.jp/gossip/2018/08/08/0011525820.shtml
^ http://number.bunshun.jp/articles/-/828993
^ http://number.bunshun.jp/articles/-/828993?page=2
^ http://rikkio-bbc.com/team/bestnine/3.php
^ http://number.bunshun.jp/articles/-/828993?page=3
^ 朝日新聞、1987年11月23日付朝刊 (14版、20面)
^ 1987年(昭62) 長嶋一茂、幻の巨人1位指名-スポニチ
^ 関根潤三著、いいかげんがちょうどいい―85歳、野球で知った人生で大切なこと、ベースボール・マガジン社、2012年、P144
^ 長嶋一茂、父が薦めた広島のドラフト指名をひそかに断っていた…
^ 長嶋一茂、自身のドラフト秘話明かす「親父は広島を薦めていた」
^ 長嶋一茂、プロに入ったことで満足…目標がなかった
^ 長嶋一茂、プロで500本塁打打つ予定も「1年目の4月に終わった」父のアドバイスには…
^ http://www.sanspo.com/baseball/news/20160121/npb16012111000001-n1.html
^ http://number.bunshun.jp/articles/-/828993?page=4
^ いいかげんがちょうどいい―85歳、野球で知った人生で大切なこと、P145
^ 名コーチ怒る!「注目ルーキーの敵は、打撃ケージに群がる評論家だ」
^ 長嶋一茂、ノムさんの説教もきかず…助言でノイローゼに
^ 【トレード物語17】息子・長嶋一茂の巨人入りで親子鷹誕生へ【1992年】
- ^ abchttps://www.daily.co.jp/gossip/2018/06/24/0011384745.shtml
- ^ abhttp://number.bunshun.jp/articles/-/828993?page=5
^ 長嶋一茂、96年暴言事件を謝罪「申し訳ありませんでした」
^ http://www.sanspo.com/baseball/news/20160122/npb16012211000001-n1.html
^ 自著『乗るのが怖い 私のパニック障害克服法』 - 「第1章 私のパニック・ヒストリー」より。
^ https://www.daily.co.jp/gossip/2018/11/04/0011790095.shtml
- ^ abcde長嶋一茂、明石家さんまの"大恩人"秘話語る「辞めたら俺の番組全部来い」 マイナビニュース2015年1月25日
^ 当初、サラリーマン金太郎の原作者の本宮ひろ志から主役の矢島金太郎役のオファーを受けたがスケジュールの都合で実現しなかった、後にパート4で金太郎のライバル役で出演に至った。
^ “【巨人】一茂氏、野球振興アドバイザーに” (日本語). 日刊スポーツ. (2011年1月5日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20110105-721110.html 2012年3月17日閲覧。
^ https://lite-ra.com/2016/01/post-1935.html
^ https://lite-ra.com/2016/01/post-1935_2.html
^ https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2016/02/05/0008779740.shtml
^ 【私の失敗(2)】長嶋一茂、伝説の名言には立ち会わず…引退を歯医者で知る SANSPO.COM 2016年1月20日
^ 長嶋一茂「カンニングやった。野球ばっかりだったから、オレ」 J-CASTテレビウォッチ 2011年3月4日
^ 森喜朗×田原総一朗「松井秀喜との秘話、そしてアフリカ外交より地元が大事な外務大臣」
^ http://news.livedoor.com/article/detail/6074004/
^ https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/06/16/kiji/20180616s00041000222000c.html
^ “広瀬すず出演「お正月を写そう」新CM、樹木希林の40年を振り返る動画も”. CINRA.NET. (2018年12月26日). https://www.cinra.net/news/20181226-fujifilm 2018年12月26日閲覧。
^ 「消えた主役」名作ドラマ・映画の知られざる“交代劇”(4)「孤独のグルメ」は松重豊以外に候補が…
^ Twitter
^ 【秘密】ドラマ「孤独のグルメ」の知られざる極秘情報と噂11選 / 長嶋一茂が井之頭五郎役になるかもしれなかった
^ 【上半期TV出演本数】ブレイク1位は村上佳菜子 話題の芸人&ぶっちゃけタレントも上位に
^ ブレーク中の長嶋一茂、人気の秘密は天然ボケでなく、浮世離れした「悟ってる感」
^ “長嶋一茂、TV引っ張りだこ理由は忖度しない生き方”. 日刊スポーツ. 日刊スポーツ新聞社 (2019年1月4日). 2019年1月6日閲覧。
^ 北朝鮮ミサイルは「ホームランの角度だね」 長嶋一茂コメントに「何とかしてくれ」
^ 長嶋一茂は「自由すぎる」 共演の羽鳥が困惑
^ 長嶋一茂 羽鳥慎一のマジトーンでのダメ出しに即座に謝罪
^ 長嶋一茂 俺、1年の時、学校2日しか行ってない 韓国裏口入学騒動で仰天告白
^ 長嶋一茂、『モーニングバード!』で自由すぎる。前日に他局で得た情報を、ドヤ顔で披露
^ 「クレムリンって何?」 長嶋一茂氏「グレムリン」と勘違い
^ コメンテーター長嶋一茂の“迷言”「初めて国会中継見た」
^ “長嶋一茂 実は映画少年だった、“結婚促進映画”製作 6月公開”. Sponichi Annex (2015年5月15日). 2015年5月15日閲覧。
関連項目
- 東京都出身の人物一覧
- 立教大学の人物一覧
- 東京ヤクルトスワローズの選手一覧
- 読売ジャイアンツの選手一覧
- 日本人のマイナーリーグ選手一覧
- 読売ジャイアンツ歴代4番打者一覧
外部リンク
個人年度別成績 長嶋一茂 - NPB.jp 日本野球機構- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)
長嶋一茂 (kazushige_nagashima) - Instagram
- 長嶋一茂 - NHK人物録
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プロ野球ニュース歴代キャスター | ||||||||
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期間 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | 日 | |
1976.4 | 1977.9 | 佐々木信也 | 土居まさる | |||||
1977.10 | 1977.12 | はらたいら | ||||||
1978.1 | 1980.3 | 押阪忍 | ||||||
1980.4 | 1983.9 | みのもんた | ||||||
1983.10 | 1985.9 | 佐々木信也 | みのもんた | 佐々木信也 | ||||
1985.10 | 1986.3 | 佐々木信也 | みのもんた | |||||
1986.4 | 1988.3 | みのもんた、大島智子 | ||||||
1988.4 | 1991.3 | 野崎昌一、須田珠理 | 中井美穂 大矢明彦、平松政次、谷沢健一 | |||||
1991.4 | 1992.3 | 野崎昌一、石川小百合 | ||||||
1992.4 | 1992.10 | 中井美穂 | 田尾安志、石川小百合 | 中井美穂 | ||||
1992.11 | 1993.3 | 田尾安志、小島奈津子 | ||||||
1993.4 | 1994.3 | 田尾安志 森口博子 | 中井美穂 | 森脇健児 関根潤三 八木亜希子 | ||||
1994.4 | 1995.3 | 福井謙二、志岐幸子 | (『スポーツWAVE』に内包) | |||||
1995.4 | 1996.3 | 福井謙二、西山喜久恵 | パンチ佐藤 中村江里子 | 田尾安志 陣内貴美子 斎藤英津子 | ||||
1996.4 | 1997.3 | 福井謙二 西山喜久恵 | 福井謙二 木佐彩子 | パンチ佐藤 西山喜久恵 | 田尾安志 西山喜久恵 | |||
1997.4 | 1997.9 | 福井謙二、西山喜久恵 | 木佐彩子 | (放送なし) | ||||
1997.10 | 1998.3 | 木佐彩子 | ||||||
1998.4 | 1999.3 | 福井謙二 木佐彩子 | 福井謙二 西山喜久恵 | 長嶋一茂、中村江里子 | ||||
1999.4 | 2000.3 | 木佐彩子 | 長嶋一茂、荒瀬詩織 | |||||
2000.4 | 2001.3 | 三宅正治 宇田麻衣子 | 三宅正治 荒瀬詩織 | 田尾安志、大久保博元 大橋マキ |
スポーツMAX歴代キャスター・コメンテーター | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
期間 | キャスター | コメンテーター | ||||||
月・火・金 | 水・木 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | ||
1997.9 | 1998.9 | 関谷亜矢子 | 中畑清 | 山本浩二 | 掛布雅之 | |||
1998.10 | 2001.12 | 角田久美子 | 松岡修造 | 中畑清 | ||||
2002.1 | 2003.3 | 西尾由佳理 | ||||||
2003.4 | 2004.3 | 西尾由佳理 | 山本舞衣子 | 中畑清 | 長嶋一茂 | 宮本和知 | 掛布雅之 | |
2004.4 | 2004.11 | 北澤豪 | ||||||
2004.12 | 西尾由佳理 | |||||||
2005.1 | 2005.3 | 西尾由佳理 | 杉上佐智枝 | |||||
2005.4 | 2005.9 | 阿部哲子 |
独占スポーツ情報歴代司会 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
期間 | 司会者 | |||||
1979.4 | 1983.9 | 松永二三男 | ||||
1983.10 | 1987.3 | 小倉淳 | ||||
1987.4 | 1989.3 | 神和住純 | 鷹西美佳 | |||
1989.4 | 1990.3 | 松尾雄治 | ||||
1990.4 | 1992.3 | 関谷亜矢子 | ||||
1992.4 | 1994.3 | 川合俊一 | 関谷亜矢子 | 小野坂昌也 | ||
1994.4 | 1998.9 | 松本志のぶ | ||||
1998.10 | 1999.3 | 藤井恒久 | ||||
1999.4 | 2000.3 | 松本志のぶ | 藤井恒久 | |||
2000.4 | 2000.9 | 長嶋一茂 | 山本真純 |