端午
節句 |
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人日(1月7日) |
端午(たんご)は五節句の一つ。端午の節句、菖蒲の節句とも呼ばれる。日本では端午の節句に男子の健やかな成長を祈願し各種の行事を行う風習があり、現在ではグレゴリオ暦(新暦)の5月5日に行われ、国民の祝日「こどもの日」になっている。少ないながら旧暦や月遅れの6月5日に行う地域もある。尚、中国語圏では現在も旧暦5月5日に行うことが一般的である。
目次
1 端午の意味
2 女性の節句
3 日本
4 中国
5 朝鮮・韓国
6 ベトナム
7 端午や五月に関連した作品
8 脚注
9 関連項目
端午の意味
旧暦では午の月は5月にあたり(十二支を参照のこと)、5月の最初の午の日を節句として祝っていたものが、後に5が重なる5月5日が「端午の節句」の日になった。「端」(はし)は「始め・最初」という意味であり、「端午」は5月の最初の午の日を意味していたが、「午」と「五」が同じ発音「ウ-」であったことから5月5日に変わった[1]。同じように、奇数の月番号と日番号が重なる3月3日、7月7日、9月9日も節句になっている(節句の項目を参照のこと)。
女性の節句
昔、中国では五月は悪い月とされ、薬草をとって悪い気をはらう行事があり、かおりの強いアオイや菖蒲には、魔よけの力があると信じられていた。また、このころは、ちょうど田植えのシーズン。田植えは、昔、女性の仕事だったから、この日は女性が大切にされ、女性だけが菖蒲をふいた屋根のある小屋に集まり、そこで過ごした。これが「菖蒲の節句」=「女の人の節句」と呼ばれる。しかし江戸時代になると、菖蒲が「尚武(武を重んじること)」に変わり、男の子の節句となった[2]。
日本

こいのぼり

江戸時代の節句の様子。左からこいのぼり、紋をあしらった幟(七宝と丁字)、鍾馗を描いた旗、吹流し。『日本の礼儀と習慣のスケッチ』より、1867年出版

五月人形の段飾り(昭和初期)

兜の飾りもの
宮中では、菖蒲を髪飾りにした人々が武徳殿に集い、天皇から薬玉(くすだま:薬草を丸く固めて飾りを付けたもの)を賜った。かつての貴族社会では、薬玉を作り、お互いに贈りあう習慣もあった。宮中の行事については、奈良時代に既にその記述が見られる。
鎌倉時代ごろから、「菖蒲」が「尚武」と同じ読みであること、また、菖蒲の葉の形が剣を連想させることなどから、端午は男の子の節句とされ、男の子の成長を祝い、健康を祈るようになった。鎧、兜、刀、武者人形や金太郎・武蔵坊弁慶を模した五月人形などを室内の飾り段に飾り、庭前にこいのぼりを立てるのが、典型的な祝い方である(ただし「こいのぼり」が一般に広まったのは江戸時代になってからで、関東の風習として一般的となったが、京都を含む上方では、当時は見られない風習であった)。鎧兜には、男子の身体を守るという意味合いが込められている。
江戸時代まで、端午の日に子供は河原などで石合戦をする「印地打ち」という風習があったが、負傷者や死亡者が相次いだために禁止となった。また、印地打ちが禁止になった後、菖蒲を刀の代わりにした「菖蒲切り」というチャンバラが流行した[3]。
端午の日には柏餅(かしわもち)を食べる風習がある。柏餅を食べる風習は日本独自のもので、柏は、新芽が出るまで古い葉が落ちないことから「家系が絶えない」縁起物として広まっていった。
なお、男の赤ん坊をもつ家庭にとっては初節句となるため、親族総出で盛大に祝われることも多い。特に、家意識が強い地域ではその傾向が顕著である。5月5日が祝日であり、さらに、前後に祝日を伴う大型連休期間中であるため、雛祭り以上に親族総出で祝われる。
日本においては、男性が戸外に出払い、女性だけが家の中に閉じこもって、田植えの前に穢れを祓い身を清める儀式を行う五月忌み(さつきいみ)という風習があり、これが中国から伝わった端午と結び付けられた。すなわち、端午は元々女性の節句だった。[要出典]また、5月4日の夜から5月5日にかけてを「女天下」と称し、家の畳の半畳分ずつあるいは家全体を女性が取り仕切る日とする慣習を持つ地域があり、そこから5月5日を女の家(おんなのいえ)と称する風習が中部地方や四国地方の一部にみられる[4]。
中国
ちまきを食べるのは、中国戦国時代の楚の詩人屈原の命日である5月5日に彼を慕う人々が彼が身を投げた汨羅江(べきらこう)にちまきを投げ入れて供養したこと、また、屈原の亡骸を魚が食らわないよう魚のえさとしたものがちまきの由来とされる。[要出典]中国語圏では、現在も屈原を助けるために船を出した故事にちなみ、龍船節として手漕舟(龍船あるいはドラゴンボート)の競漕が行われる。ヨモギ(蓬、中国語: 艾(アイ)または艾蒿(アイハオ))の束を魔よけとして戸口に飾る風習も、広く行なわれている。
この日を端午とする風習は、紀元前3世紀の中国、楚で始まったとされる。楚の国王の側近であった屈原は人望を集めた政治家であったが失脚し失意のうちに汨羅江に身を投げることとなる。それを知った楚の国民たちはちまきを川に投げ込み魚達が屈原の遺体を食べるのを制したのが始まりと言われている[要出典]。しかし後漢末の応劭による『風俗通義』では端午と夏至にちまき(古代には角黍と称した)を食べる習慣が記録されているが屈原との関係には一切言及されておらず、また南朝梁の宗懍(そうりん)による『荊楚歳時記[5]』には荊楚地方では夏至にちまきを食べるという記録が残されるのみであり、ちまきと屈原の故事は端午とは元来無関係であったと考えられる。
この他に夏殷周代の暦法で夏至であったという説、呉越民族の竜トーテム崇拝に由来するという説、5月を「悪月」、5日を「悪日」とし、夏季の疾病予防に菖蒲を用いたという説も存在する。
中国での端午の記録は、晋の周処による『風土記』に記録される「仲夏端午 烹鶩角麦黍」である、また『荊楚歳時記』には「五月五日… 四民並蹋百草之戯 採艾以為人 懸門戸上 以禳毒気 …是日競渡採雑薬 以五彩絲係臂 名曰辟兵 令人不病瘟 又有条達等組織雑物以相贈遺 取鴝鵒教之語」と記録があり、端午当日は野に出て薬草を摘み、色鮮やかな絹糸を肩に巻き病を避け、邪気を払う作用があると考えられた蓬で作った人形を飾り、また菖蒲を門に掛け邪気を追い払うと同時に竜船の競争などが行われていた。これは現代日本においても菖蒲や蓬を軒に吊るし、菖蒲湯(菖蒲の束を浮かべた風呂)に入る風習が残っている。
朝鮮・韓国

蕙園伝神帖「端午風情」

安東民俗博物館の端午祭
韓国の端午は、「タノ」(단오)と言い、旧暦の5月5日に行われる。この日に女性がブランコに乗る風習がある。
朝鮮では、端午(タノ)は旧正月(ソルラル)、秋夕(チュソク)、寒食 (ハンシク)と並ぶ四大名節とされ、田植えと種まきが終わる時期に山の神と地の神を祭り、秋の豊作を祈願する日とされる。李氏朝鮮時代には、男子はシルム、女子はクネ(鞦韆、ブランコ)を楽しみ、厄除けの意味を込めて菖蒲を煮出した汁で洗髪し、女子は菖蒲の茎のかんざしを、男子は腰飾りを身につける習慣があった。端午の伝統料理には、ヨモギやチョウセンヤマボクチを練り込んで車輪の型で押したトック(車輪餅 チャリュンビョン)やユスラウメのファチェ(花菜、冷たい飲み物)がある[6]。
2005年11月、大韓民国の江陵端午祭がユネスコによる「人類の口承及び無形遺産の傑作」への認定を宣言された(第3回傑作宣言)[7]。この事を受けて、端午祭の本家である中国のマスコミをはじめとする諸団体は「韓国起源の節句として無形文化遺産登録された」などと猛反発した。
韓国の報道では、実際には「端午の起源が韓国である」との主張は傑作宣言にも一覧表にも存在せず、また『韓国は「江陵端午祭」を申請した際、「もともとは中国の行事。韓国に伝わって1500年以上が経過した」などと説明した。』[8]としている。
さらに韓国の報道によると、傑作宣言の5ヶ月前に、中国国内から「湖北省で行われている自国の江陵端午祭を、韓国の江陵端午祭との共同で世界文化遺産に登録しよう」という声が上がっていたが、韓国の学界から「中国の江陵端午祭は、韓国の江陵端午祭と名前だけは同じだが、完全に違うもの」と反発されていた経緯があるという[9]。
ベトナム
ベトナムでは、「コムジウ(en:Cơm rượu)」と「ジウネップ(en:Rượu nếp)」というもち米の発酵食品が果物とともに祭壇に供えられる。また、別名「殺虫節(Tết giết sâu bọ/節𢷄螻蜅)」とも言われ、この日に果物を食べると、体内の虫が退治されるともされ、農村部では、樹木の殺虫対策を行う地域もある[10]。
端午や五月に関連した作品
落語
五月幟(ごがつのぼり)- 菖蒲売の咄(しょうぶうりのはなし)
- 人形買い(にんぎょうかい)
- 能
- 狂言
- 随筆
枕草子「節は五月に」の段で端午の節句をほめたたえている。
- 小説
魯迅『端午の節季』1922年
- 絵画
申潤福『端午風情』
- 絵本
アストリッド・リンドグレーン『やかましむらのこどもの日』偕成社 1993年- 常光徹『なぜ、おふろにしょうぶをいれるの? なぜ?どうして?たのしい行事(こどもの日)』童心社 2001年
- 写真集(文・英語,子供向け)
石井美奈子 (2007年月). Girls' Day / Boys' Day. ベス・プレス. ISBN 9781573062749.
- 映画
春香伝(韓国・2000年)監督イム・グォンテク、出演チョ・スンウ、イ・ヒョジョン
- 楽曲
背くらべ(唱歌。作詞:海野厚、作曲:中山晋平)
鯉のぼり(唱歌。作詞者不詳、作曲:弘田龍太郎『こいのぼり』とは別の曲)
こいのぼり(唱歌。作詞:近藤宮子、作曲者不詳)- 五月人形の行進 (サトウハチロー)(童謡。作詞:サトウハチロー、作曲:服部隆之)
狂歌
- 江戸っ子は五月の鯉の吹き流し、口先ばかりで腹わたは無し
絶句
- 杜甫「端午日賜衣」
- 宮衣亦有名、端午被恩栄。(宮衣亦(きゅういま)た名有(なあ)り、端午(たんご)に恩栄(おんえい)を被(こうむ)る。)
- 細葛含風軟、香羅畳雪軽。(細葛風(さいかつかぜ)を含(ふく)みて軟(やわ)らかに、香羅雪(こうらゆき)を畳(たた)みて軽(かる)し。)
- 自天題処湿、当暑著来清。(天(てん)よりして題(だい)する処湿(ところしめ)り、暑(しょ)に当(あ)たりて著(つ)け来(き)たれば清(すず)し。)
- 意内称長短、終身荷聖情。(意内長短称(いないちょうたんかな)う、終身聖情(しゅうしんせいじょう)を荷(こうむ)る。)
脚注
^ 阿辻哲次「端午節にちまき食べるのは」、「遊遊漢字学」、日本経済新聞2018年5月6日最終面 (文化面)、2018年5月7日閲覧。
^ 『知識の王様 歴史 ボク&わたし 知っているつもり?』36頁
^ “菖蒲切り”. デジタル大辞泉. コトバンク. 2016年4月19日閲覧。
^ 倉石忠彦「女の家」『日本歴史大事典 1』小学館、2000年 ISBN 978-4-095-23001-6 P566
^ 守屋美都雄 荊楚歳時記の資料的研究 A Study of the Ching-Ch'u Sui-Shih-Chi (荊楚歳時記) Based on Original material 大阪大學文學部紀要 3, 45-113, 1954-03-25
^ 韓国旅行「コネスト」韓国の文化と生活:端午(タノ)
^ 一部報道には「この年月に無形文化遺産に登録された」としているものもあるが、これは厳密には誤りである。当時はまだ無形文化遺産保護条約が発効しておらず、江陵端午祭が無形文化遺産の代表一覧表に掲載されたのは2008年。
^ 中国躍起「端午節の元祖は韓国でなくウチ」―登録申請 - サーチナニュース 2009年5月27日付
^ 변영주 (2005年6月8日). “단오제 유네스코 등록 중국 딴지” (韓国語). 국민일보(国民日報). http://news.kukinews.com/article/view.asp?page=1&gCode=kmi&arcid=0919825690&code=11131400 2010年5月6日閲覧。
^ ベトナム風に「端午の節句」を過ごしてみない?
関連項目
- 端午節会
- 大型連休