孤独
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2015年5月) |
出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2015年5月) |
フレデリック・レイトン「孤独」(1890年頃)
孤独(こどく、英: solitude)とは、他の人々との接触・関係・連絡がない状態を一般に指す。
「自分がひとりである」と感じる心理状態を孤独感(loneliness)という。クラーク・ムスターカスが「孤独感には自己疎外・自己拒否からくる孤独と、実存的孤独がある」と述べているように、孤独と、それに伴う孤独感には自分と他者・世界との関係で捉えたものや、人間の存在そのものから来る孤独感など様々な視点がある[1]。
たとえば、深山幽谷にたった一人でいる場合だけではなく、大勢の人々の中にいてなお、自分がたった一人であり、誰からも受け容れられない・理解されていないと感じているならば、それは孤独である。この主観的な状況においては、たとえ他人がその人物と交流があると思っていても、当人がそれを感じ得なければ、孤独といえる。
文学的には、「寂寥」という言い方をすることがある。哲学者の三木清が、『哲学ノート』の中の箴言で「孤独は山にはなく、むしろ町にある」という趣旨のことを言っているのはまさにそのことを指していったもの。
目次
1 類型
2 ライフサイクルと孤独
3 孤独と健康
4 宗教的体験と孤独
5 哲学や文学と孤独
6 文化圏ごとの孤独に対する見解
7 脚注
8 参考文献
9 関連項目
類型
孤独には、それに近しい・もしくは含まれる概念が多数存在する。
- 他人から強いられた場合には「隔離」
- 社会的に周囲から避けられているのであれば「疎外」
- 単に一人になっているのであれば「孤立」
という言い方もする。一人でいて、それがただ寂しい(他人との交流を求めているのに、その欲求が満たされない状態)という場合もある。英語では、この単なる人恋しくて寂しいという場合は、loneliness として、solitude とは区別される。
他には
- 他を寄せ付けず気高い様子は「孤高」
があるが、こちらは当人の主観はどうあれ、その優れた性質にも拠り他が近づき難い状況を指す。単に珍奇だとか不快とかで近づき難い存在を指して孤高とは呼ばず、他の追従を許さない優れた性質を表す場合に使われる。用法としては「孤高の天才」など。
ライフサイクルと孤独
孤独の感じ方は、発達段階の各時期によって異なることが知られている[1]。落合良行によれば、児童期の孤独感は物理的にひとりになったときに体験するものがほとんどである。思春期になると、周囲に人がいても疎外感の体験などから孤独を感じるようになる。青年期には他人との関係ばかりではなく、自分の内面との関わり方・考え方の違いが重要な要因となる。
老年期になると、単身世帯になる場合や、活動や交際範囲が縮小するなど人や社会とのつながりが減少しがちであり、孤独感との関連性が見られる。また、死を意識するようになり、人生を超えた時間的展望の中で孤独を感じるようになる[1]。
孤独と健康
有益な交友関係(ソーシャルキャピタル)の量や質に対する満足度は、主観的な幸福量を決定する上で重要なファクターである。ソーシャルキャピタルが欠落した状態では、人によっては心身の健康を害することが知られている[2]。孤独感を測定する「UCLA孤独感スケール」と呼ばれる基準によって行われた研究では、孤独感の感受性は「他人を信頼できるか」といった個人の性格(気質)の特性のひとつとされている[2]。孤独感の感受性は遺伝するということが行動遺伝学の双子研究によって示されており、二卵性双生児より一卵性双生児のほうが孤独感の感じやすさと強い相関性が示された。VBM検査を使った脳の研究では、孤独感の感じやすさは情動系よりも、視線などの他者からのシグナルを解釈する基本的な社会信号知覚を司る部位の発達に関係があると見られている[2]。社会信号の認知能力は、訓練や他者とのコミュニケーションの頻度を上げることなどで向上する可能性はある。
ドロセア・オレムのセルフケア不足看護理論では、普遍的セルフケア要件として「孤独と社会的相互作用の維持」が挙げられており[3]、片方を集中や排除するのではなく、両者のバランスが重要とされる。
宗教的体験と孤独
古今東西の宗教では、修行の一環として自ら人間関係を断ち、孤独に籠もる行為が知られている。
キリスト教では、イエス・キリストが荒野で40日間さまよったとされる。その他、修道士の始めとされる聖アントニウス、アッシジのフランチェスコなど修道士や隠者・隠修士と呼ばれた人々の流れにそれをみることが出来る。(後にこれはタロットの隠者のモチーフとなったといわれる。)後代のキリスト教神秘主義者も少なからず孤独を体験している。
インドのヒンドゥー教ではヨーガなど瞑想の修行や、苦行に励む人々の存在が居て、現在でも僻地で目にすることができる。仏教を開いた釈迦も初期の修行で苦行者を見聞きし、自らも孤独な苦行を体験した。最終的に釈迦が開いた涅槃(ニルヴァーナ)の境地も菩提樹の下で一人で居たときに得たとされる。
日本では、修験道の山伏といわれる行者が山に籠もる修行が知られているほか、中世には西行・吉田兼好などにより『徒然草』といった文学作品が生み出され、隠者文学と呼ばれている。
オーストラリアのアボリジニの中では、人生も終わりに近づいた老人が一人になり、瞑想生活に入る。彼らは「ドリームタイム」といった神秘体験をするという[4]。
哲学や文学と孤独
人間の精神性において、孤独は必ずしもネガティブなものという訳ではない。ドイツの哲学者マックス・シュティルナーが「孤独は、知恵の最善の乳母である。」という格言を残しているように、孤独状態において人間は自分の存在などについて考えること(→哲学)を強いられ、その結果、創造性、想像力などにつながると多くの哲人は結論付けた。このような精神の働きは心理学の側面から昇華と呼称され、文化や芸術における創作活動では、それから生み出された作品が数多く存在する。この中には、寂寞とした心理を表現したものから、より高次の存在を表したもの、または孤独によって増した愛情を更に濃密に描き出したものなどがある。
文化圏ごとの孤独に対する見解
友人・同僚・その他宗教・スポーツ・文化グループの人々と、全く(赤)、あるいは滅多に(青)付き合わないと回答した割合(1999-2002年)[5]
社会や文化によっては孤独は「良くない状態」として見られることがあり、こと日本では孤独を社会から孤立していることと同義に扱われる傾向が根強い。民俗学的に見てもアニミズム観から孤独な状態にいるものには悪霊が付くと信じられている地域もあり、それらでは一種の呪術(または「おまじない」)的側面から「声を掛ける」といった風習も見られる。こういった文化の強い地域では、孤独と見られる状態にある者には、積極的に他者が働き掛けることこそが美徳とされる。
ただ上に挙げたとおり孤独は必ずしもデメリットばかりとは言えず、むしろ望んで「孤独を楽しむ」という文化性を発揮する者達すらいる。こういった文化性は個人主義の根強い地域により強く見出せるが、こと個人主義の傾向が民族比較論的ジョークのネタともなる英国において、社交会場にて壁際で佇んでいる者に無暗に声を掛けることは、むしろマナー違反ですらある。『豊かなイギリス人』では、ある者の弁として米国と英国のパーティーを比較した場合を例として示している[6]。米国のパーティーで一人所在無さげに立っていると寂しかろうと誰からも声を掛けられるが、英国の場合では彼は孤独を愛しているのだと判断して放っておくのだという。
一概に孤独とはいっても、その各々には多くの状態や種類があることを考慮すべき側面も存在する。暗く沈んだ気持ちにある者に励ましを入れたがる傾向を持つ者もいるが、こういった精神状態において励ましにより状態が改善されず、むしろストレスとなるおそれがある。特に医学的に治療を要する精神疾患としてのうつ病では、段階によって激励をしてしまうことはむしろ医学上の禁忌である。
脚注
- ^ abc 岡本祐子 二宮克美、子安増生(編)「孤独感」『キーワードコレクション 発達心理学』改訂版第3刷 新曜社 2005 ISBN 4788508923 pp.206-209.
- ^ abc金井 2013, pp. 86-101.
^ ドロセア・オレム 『オレム看護論』 (2版) 医学書院、1995年7月。ISBN 4260341936。
^ 中沢新一 『神の発明』 講談社〈講談社選書メチエ〉、2003年。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit}.mw-parser-output .citation q{quotes:"""""""'""'"}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/65/Lock-green.svg/9px-Lock-green.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg/9px-Lock-gray-alt-2.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/aa/Lock-red-alt-2.svg/9px-Lock-red-alt-2.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .cs1-subscription,.mw-parser-output .cs1-registration{color:#555}.mw-parser-output .cs1-subscription span,.mw-parser-output .cs1-registration span{border-bottom:1px dotted;cursor:help}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4c/Wikisource-logo.svg/12px-Wikisource-logo.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output code.cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:inherit;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;font-size:100%}.mw-parser-output .cs1-visible-error{font-size:100%}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#33aa33;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-subscription,.mw-parser-output .cs1-registration,.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left,.mw-parser-output .cs1-kern-wl-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right,.mw-parser-output .cs1-kern-wl-right{padding-right:0.2em}
ISBN 4-06-258271-6。 ほか
^ Society at a Glance 2005, OECD, (2005-03), doi:.1787/soc_glance-2005-en, ISBN 9789264007147
^ 黒岩徹 『豊かなイギリス人 : ゆとりと反競争の世界』 中央公論社〈中公新書〉、1984年。
ISBN 4-12-100719-0。
参考文献
デイヴィッド・リースマン『孤独な群衆』1950年
- ジョン・クーパー・ポーイス『孤独の哲学』みすず書房 1977年
- アンドレ・コント・スポンヴィル『愛の哲学、孤独の哲学』紀伊国屋書店 2000年
諸富祥彦『孤独であるためのレッスン』2001年- 金井良太 『脳に刻まれたモラルの起源』 岩波書店〈岩波科学ライブラリー〉、2013年。
ISBN 9784000296090。
関連項目
- 個人主義
- ゲシュタルトの祈り
- 隠者
- 一匹狼
- 無縁社会
- 孤独死
孤食 - ランチメイト症候群
孤独問題担当国務大臣(イギリス政府に2018年設置された役職)
| ||||||||
