在韓米軍
在韓米軍 | |
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各種表記 | |
ハングル: |
주한미군 |
漢字: |
駐韓美軍 |
発音: |
チュハンミグン |
日本語読み: |
ざいかんべいぐん |
英語: |
United States Forces Korea |
在韓米軍(ざいかんべいぐん、英: United States Forces Korea, USFK)は、大韓民国に駐在しているアメリカ軍の陸・海・空軍部隊の総称である。朝鮮戦争の際に国連軍主力部隊として派遣され、戦後に引き続き駐在している。ニクソン、カーター時代から削減が始まり、90年代より世界的な米軍再編により、段階的に削減されている。
ジョージ・W・ブッシュ政権は在韓米軍の兵力の一部をイラク戦争に投入した。
2010年5月に再編後も約28,500人規模の兵力を維持することが決定されている。内訳は、陸軍20,000人、空軍8,000人、海軍300人、海兵隊100人、特殊作戦軍100人。スローガンは『fight tonight(今夜戦う{その準備が出来ている})』である。
目次
1 主要部隊
2 基地
2.1 主要基地
2.2 その他の基地
2.3 返還、閉鎖された基地
3 在韓米軍の法的地位
4 韓国における反米軍感情
5 米韓合同軍事演習
6 作戦計画
7 歴代司令官
8 国連軍との関係と板門店との共同警備・監視
9 韓国側の負担
10 出典
11 参考文献
12 外部リンク
13 関連項目
主要部隊
陸軍 第8軍
空軍 第7空軍
海軍 第7艦隊の韓国派遣部隊
基地
主要基地
龍山基地(Yongsan Garrison、ソウル特別市龍山区)
- 在韓米軍の司令部が所在していたが、ハンフリーズ基地への移転が開始されている。返還が決定した後も朝鮮半島の緊張が高まるたびに再三延期されてきた。米韓連合司令部は今後も龍山区に置かれる。Camp Coiner, Camp Kimを含む。
- Camp Red Cloud(京畿道議政府市 )
- 京畿道東豆川市 Camp Casey, Camp Hovey, Camp Mobile
- 陸軍基地。主力実戦部隊である第2歩兵師団の司令部が所在する。東豆川市の駐留部隊を傘下に持つ。軍事境界線 (朝鮮半島)とソウル特別市の中間にあり首都防衛を担う。2016年7月には東豆川に駐屯していた第2歩兵師団部隊が、平沢のハンフリーズ基地に移転を開始した[1]。なお第210火力旅団は東豆川に残留する。
ハンフリーズ基地(Camp Humphreys、京畿道平沢市 )
- 2018年6月29日、在韓米軍司令部がハンフリーズ基地に移転を完了した[2]。
- 大邱基地(Daegu Garrison、大邱広域市南区)
- 陸軍基地。第19戦域支援集団他が駐留している。有事にはソウル陥落時の臨時司令部移転先として想定されている。Camp Carroll(慶尚北道漆谷郡),Camp George, Camp Henry, Camp Walkerを含む。
烏山空軍基地(京畿道平沢市) Osan Air Base
- 在韓米空軍の司令部や第51戦闘航空団が所在する。ハンフリーズ基地と互いに隣接する。
群山空軍基地(全羅北道群山市) Kunsan Air Base
- 第8戦闘航空団が駐留している。
その他の基地
- 京畿道城南市 Seongnam Golf Course(城南ゴルフ・コース)
仁川広域市桂陽区 Camp Market
ソウル特別市道峰区 Camp Jackson
慶尚南道昌原市鎮海区 Chinhae(鎮海海軍基地)- 京畿道水原市 Suwon Air Base(水原空軍基地)
返還、閉鎖された基地
- 京畿道議政府市 Camp Essayons, Camp Falling Water,Camp Sears,Camp LaGuardia,Camp Stanley
- 京畿道東豆川市 Camp Nimble(2007年4月返還), Camp Castle(2015年3月返還)[3]
- 京畿道坡州市 Camp Bonifas, Camp Giant, Camp Greaves, Camp Howze, Camp Stanton(以上2007年4月返還)、Camp Edwards, Camp Garry Owen(以上2007年5月返還)
- 京畿道竜仁市 Camp Yongin(2004年返還)[4]
釜山広域市釜山鎮区 Camp Hialeah(2010年1月返還、現在の釜山市民公園)
江原道春川市 Camp Page(2005年11月返還)- 江原道原州市 Camp Eagle, Camp Long(2010年6月閉鎖)
済州道南済州郡 Camp McNab
在韓米軍の法的地位
韓洪九は韓国における米軍の法的地位の歴史を次の4段階に分けている。
- 1945年9月~1948年8月
- 米軍政下では韓国政府も存在せず、米軍の法的地位が問題になることはなかった。米軍人が韓国の法廷で裁判をうけるのではなく、韓国人が米軍の法廷で英語で裁判を受けなければならなかった。
- 1948年8月~1949年6月
- 大韓民国政府樹立から米軍撤退までの時期はごく簡単な「過渡期に施行された暫定的軍事安全に関する行政協定」に規定されていた。米軍政を受けて、米国の軍人・軍属やその家族の立場は強力であり、不平等なものだった。
- 1950年7月~1967年2月
朝鮮戦争初期に締結された大田(テジョン)協定で韓国政府は米軍に対する刑事裁判権を放棄し、米国当局に付与してしまった。1953年7月に米韓相互防衛条約が仮調印されたが、米国は在韓米軍の法的地位に関する交渉には応じず、大田協定はそのまま存続した。当時米兵の犯罪は全く野放しの状態だった。
- 1967年2月~現在
- 韓米間にSOFAが発効し、大田協定よりは大きく改善されたが、地位協定の附属文書で本協定の内容を覆す自動放棄条項があり、韓国側の米軍に対する裁判管轄権は形式的なものにとどまった。
(韓洪九:韓国現代史)
韓国における反米軍感情
これ以外にも、韓国国内では米軍の駐屯費用の負担に対する反発が根強く米韓の摩擦が続いている(2007年時点の韓国側の負担率は42%)。作戦統制権も平時については1993年に韓国による単独行使が可能となったが、戦時には米韓連合司令部がこれを握る。韓国では米韓連合軍司令部の作戦統制権を主権の侵害として捉える傾向が強かった。また韓国政府は北朝鮮との軍事分界線付近を中心に広大な土地を米軍に貸与する一方、米軍基地の周辺住民への補償や支援はほとんど行ってこなかった。こういったことが韓国における反米軍感情の温床になってきた。
1999年9月29日AP通信が朝鮮戦争中米軍が韓国人民間人を虐殺したノグンリ事件を大々的に報道し、2002年6月13日には京畿道楊州郡広積面孝村里で米第2歩兵師団工兵隊装甲車による女子中学生2名の死亡事故が発生したことによりローソクデモなど反米運動の高まりがみられた(議政府米軍装甲車女子中学生轢死事件)。
現在進行中の在韓米軍再編を基礎づける「米韓連合土地管理計画」(LPP:Land Pertnership Plan)の目的の一つは、米軍駐留にともなう韓国国内の反発を緩和することであった。しかしLPPによる米軍基地の集約・移転をめぐっても、少なからぬ摩擦が生じているのが現状である。
米韓合同軍事演習
在韓米軍は年次で韓国軍と合同軍事演習を実施している。
- 春:実動演習「キーリゾルブ」
- 春:指揮所演習「フォール・イーグル」
- 夏:指揮所演習「乙支フリーダムガーディアン」
作戦計画
在韓米軍には、その時局に応じて起こりうる有事を想定した作戦が存在していた[1]。これらの作戦は、立案後に締結される条約や共同宣言など社会情勢の変化により、現在では失効しているものもあると考えられている。ごく簡単にまとめると次のようになる。
- 作戦計画5026:朝鮮民主主義人民共和国の核開発が問題になった1990年代に立案された作戦。核施設などをピンポイント爆撃する。
作戦計画5027:朝鮮人民軍が南下して全面戦争となった場合、米韓連合軍が積極的に攻勢にでて朝鮮半島統一を成し遂げる。(それまでは後退しつつ反撃の機会を待つ作戦が採用されていた。)- 作戦計画5028:欠番とされている。
作戦計画5029:1999年に立案された作戦。朝鮮民主主義人民共和国が内部混乱に陥った場合に軍事介入を行う。- 作戦計画5030:2003年に立案された作戦。軍事介入というより、クーデターなどを誘発させる諜報・工作作戦。
歴代司令官
在韓国連軍司令官、米韓連合司令部司令官を兼任する。
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氏名・階級 |
任期 |
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ジョージ・デッカー大将 |
1957年7月1日 - 1959年6月30日 |
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カーター・B・マグルーダー大将 |
1959年7月1日 - 1961年6月30日 |
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ガイ・S・メロイ大将 |
1961年7月1日 - 1963年7月31日 |
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ハミルトン・H・ハウズ大将 |
1963年8月1日 - 1965年6月15日 |
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ドワイト・E・ビーチ大将 |
1965年6月16日 - 1966年8月31日 |
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チャールズ・H・ボーンスティール3世大将 |
1966年9月1日 - 1969年9月30日 |
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ジョン・H・ミカエリス大将 |
1969年10月1日 - 1972年8月31日 |
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ドナルド・V・ベネット大将 |
1972年9月1日 - 1973年7月31日 |
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リチャード・G・スティルウェル大将 |
1973年8月1日 - 1976年10月8日 |
ジョン・ヴェッシー・ジュニア大将 |
1976年10月8日 - 1979年7月10日 |
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ジョン・A・ウィッカム大将 |
1979年7月10日 - 1982年6月4日 |
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ロバート・W・セネワルド大将 |
1982年6月4日 - 1984年6月1日 |
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ウィリアム・J・リブジー大将 |
1984年6月1日 - 1987年6月25日 |
ルイス・C・メネトリー大将 |
1987年6月25日 - 1990年6月26日 |
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ロバート・R・リズカシー大将 |
1990年6月26日 - 1993年6月15日 |
ゲイリー・E・ラック大将 |
1993年6月15日 - 1996年7月9日 |
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ジョン・H・ティレリー大将 |
1996年7月9日 - 1999年12月9日 |
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トーマス・A・シュワルツ大将 |
1999年12月9日 - 2002年5月1日 |
レオン・J・ラポート大将 |
2002年5月1日 - 2006年2月3日 |
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バーウェル・B・ベル大将 |
2006年2月3日 - 2008年6月3日 |
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ウォルター・L・シャープ大将 |
2008年6月3日 - 2011年7月14日 |
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ジェームズ・D・サーマン大将 |
2011年7月14日 - 2013年10月2日 |
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カーチス・スカパロッティ大将 |
2013年10月2日 - 2016年4月30日 |
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ヴィンセント・ブルックス大将 |
2016年4月30日 - |
国連軍との関係と板門店との共同警備・監視
韓国側の負担
韓国は、在韓米軍の駐留経費負担(日本の思いやり予算に相当)を行ってきた。
2016年に就任したドナルド・トランプ大統領は、米軍が駐留する各国に対して負担増を要請。韓国に対しても2018年以降、10度以上の負担額の増加を見据えた交渉が行われ、2019年2月10日に1兆0380億ウォンの負担を盛り込んだ仮協定の署名が行われた。額としては前契約比8.2%増。期間は5年契約から1年契約と短縮されたものとなっている[5]。
出典
^ 在韓米軍の主力部隊移転 ソウル北方から南方へ産経ニュース 2016年7月18日
^ 在韓米軍司令部がソウルから移転 京畿道・平沢で新庁舎開館式聯合ニュース 2018年6月29日
^ US military returns property to South Korean governmentSTARS AND STRIPES 2015年3月25日
^ Camp Yonginglobalsecurity
^ “在韓米軍の駐留経費負担ようやく仮署名 期間1年・韓国負担額8.2%増”. 聯合ニュース. 2019年2月10日閲覧。
参考文献
- 韓洪九『韓洪九の韓国現代史 韓国とはどういう国か』(平凡社、2003年)
- 渡邊武「再配置を契機とする在韓米軍基地問題の変化:『持続可能な駐留環境』に向けて」『防衛研究所紀要』第7巻第1号(2004年11月)
- 平田隆太郎・惠谷治・島田洋一・西岡力 共著 『南・北朝鮮、同時崩壊か?』(東京財団 中央公論事業出版 2007年03月 ISBN 9784895142878)
外部リンク
在韓米軍公式サイト(英語)
関連項目
- 国連軍
- 米韓相互防衛条約
- 在韓米軍地位協定
カトゥサ駐韓米陸軍に派遣され、勤務する韓国軍- 基地村
- 梨泰院
- アメラジアン
- チャールズ・ジェンキンス
- 在韓米軍慰安婦問題
- 在日米軍
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