上野原遺跡
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![]() 上野原縄文の森にある復元集落 | |
施設情報 | |
正式名称 | 鹿児島県上野原縄文の森[1] |
専門分野 | 歴史 |
事業主体 | 鹿児島県 |
管理運営 | 公益財団法人鹿児島県文化振興財団(指定管理者)[2] |
所在地 | 〒899-4318 鹿児島県霧島市国分上野原縄文の森1-1 |
プロジェクト:GLAM | |
上野原遺跡(うえのはらいせき)は、鹿児島県霧島市国分上野原縄文の森にある縄文時代早期から近世にかけての複合遺跡。遺跡の周辺は鹿児島県上野原縄文の森と呼ばれる県営公園として整備されている。また、鹿児島県立埋蔵文化財センターが敷地内に併設されており、鹿児島県の考古学発掘調査研究の中心的な拠点となっている。
目次
1 概要
2 発掘の詳細
3 発掘後の状況
4 アクセス
4.1 所在地等
4.2 交通
5 脚注
6 参考文献
7 外部リンク
概要
出土した壺形土器
1986年(昭和61年)に、国分市(現・霧島市)において工業団地(国分上野原テクノパーク)の造成中に発見された。同年から1996年(平成8年)にかけて鹿児島県教育委員会が発掘調査を行い、近世から縄文時代早期前葉までの遺跡群を含む複合遺跡であることがわかった。特に遺跡群の最下層には発見当時において日本列島で最古の大規模な定住集落跡があり、出土した土器が1998年(平成10年)に国の重要文化財に、遺跡の一部が1999年(平成11年)に国の史跡に指定された。「縄文文化は東日本で栄えて西日本では低調だった」という常識に疑問を呈する遺跡ともなった。特徴的な土器としては、弥生土器に類似した1組の壺形土器が約7500年前の土層から見つかった。
発掘の詳細
上野原遺跡の土層
発掘調査では17層の土層について調査され、1層目から9層目までの範囲で遺跡が確認された。
- 1層目: 桜島の火山灰(P1- P3)を含む現代の農耕土。土師器や陶磁器が確認された。
- 2層目: 黒色土。山之口式土器、中溝式土器、竪穴式住居跡6軒が確認され、近世から中世にかけての遺跡とされる。
- 3層目: 暗茶褐色土。掘立柱建物1軒、石皿、石斧などが確認され、古墳時代から弥生時代にかけての遺跡とされる。
- 4層目: 桜島の火山灰(P5)を含む薄えび茶褐色土。多数の土坑、黒川式土器が確認され、縄文時代晩期の遺跡とされる。
- 5層目: 桜島の火山灰(P7)を含むえび茶褐色土、および鬼界アカホヤ火山灰を含む明橙色土。
- 6層目: 桜島の火山灰(P11)を含む灰茶褐色土。
- 7層目: 黒褐色土。様々な種類の縄文土器に加えて集石遺構56基、土抗3基が確認され、縄文時代早期中葉から前葉の遺跡とされる。
- 8層目: 桜島の火山灰(P13)を含む黒色土。前平式土器、撚糸文土器が確認された。
- 9層目: 暗茶褐色土。竪穴式住居跡、集石遺構、連穴土抗、前平式土器などが確認された。この層と直下の10層目との間に縄文時代早期前葉の遺構が挟まる形になっている。「国内では最古級で最大の定住化した集落」竪穴式住居52棟、このうち10軒の竪穴内の埋土は桜島噴出の火山灰(9500年前)が詰まっていた。このことから上野原台地の早期前葉には10軒程度の集落が形成されていた。日本列島最古の集落跡。石蒸し料理施設の集石39基、連穴土坑(炉穴)19基、道跡(二筋)、多数の土抗や生活跡。[3]
- 10層目: 桜島の火山灰(P14:サツマ火山灰)を含む黄色土。この層より下の遺跡は確認されていない。
このうち特に桜島火山灰P14の上にあった最下層部の遺跡において、竪穴式住居46軒、石蒸調理のための集石遺構が39基、連穴土坑15基、その他の土抗約125基、道の跡2条が確認された。
「連穴土坑」は大小の穴の底面がトンネル状に連なった遺構で、底面や壁面に焼土が確認され調理場跡と考えられている。南九州では縄文草創期から出現し、上野原遺跡以外でも掃除山遺跡・拵ノ原遺跡などで確認されている。連穴土坑内からは狩猟獣であるシカ・イノシシに由来する残留脂肪酸が検出されており、食料の保存加工のための燻製施設とする説がある。
竪穴式住居跡のうち10軒については桜島火山灰P13で埋まっていたことから、これらの住居はP14からP13の間、すなわち約9500年前の縄文時代早期前葉に存在していたことが確認された。集落跡の面積は15,000平方メートルに及ぶ。
発掘後の状況
遺跡は保護のために埋め戻され、その上に縄文時代の竪穴式住居などが復元され、財団法人鹿児島県文化振興財団が管理する「鹿児島県上野原縄文の森」という公園になっている。また、遺跡から出土した遺物は側にある「縄文の森展示館」にて見ることが可能である。
アクセス
所在地等




上野原遺跡の位置
- 鹿児島県上野原縄文の森
- 〒899-4318 霧島市国分上野原縄文の森1-1
- 鹿児島県立埋蔵文化財センター
- 〒899-4318 霧島市国分上野原縄文の森2-1
交通
- 高速自動車道 東九州道 国分インターチェンジより車で15分
- JR国分駅より車で20分
脚注
^ 鹿児島県上野原縄文の森の設置及び管理に関する条例
^ 指定管理者の指定
^ 「南九州の初期縄文遺跡」新東晃一 『日本の考古学』奈良文化財研究所編集 学生社 2007年4月
参考文献
KTS鹿児島テレビ経営企画局編 『鹿児島の縄文文化』 国分上野原シンポジウム実行委員会、1997年。- 国分郷土誌編纂委員会編 『国分郷土誌 下巻』 国分市、1998年。
外部リンク
- 鹿児島県上野原縄文の森
- かごっま見聞録(上野原遺跡)
- 国指定文化財等データベース
座標: 北緯31度42分49秒 東経130度48分5秒 / 北緯31.71361度 東経130.80139度 / 31.71361; 130.80139