雷電 (航空機)
三菱 J2M 雷電
試製雷電改(二一型の試作機)
用途:戦闘機
分類:局地戦闘機
設計者:堀越二郎
製造者:三菱重工業
運用者:大日本帝国 海軍航空隊
初飛行:1942年3月20日
生産数:621機
生産開始:1943年9月
退役:1945年8月
運用状況:退役
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雷電(らいでん)は、太平洋戦争末期に日本海軍が運用した局地戦闘機(乙戦)。略符号はJ2M。連合軍のコードネームはJack(ジャック)。
支那事変の戦訓により開発された陸上基地向けの迎撃戦闘機であり、速度、上昇力、火力に重点が置かれた。初飛行後の不具合解消に手間取り実用化が遅れたため、生産は縮小され生産数は比較的少数にとどまった。しかしながらバリクパパンや本土における防空戦闘に投入され、少なくない戦果を挙げている。
局地戦闘機(以下「局戦」と略)とは、主に航空母艦から運用される艦上戦闘機とは異なり、陸上基地からの運用を前提とした戦闘機を、また乙戦とは対爆撃機戦闘・迎撃戦闘(インターセプト、帝国海軍では邀撃(ようげき)と呼ばれた)を行う戦闘機(要撃機)を指す日本海軍独自の用語である[注釈 1]。「雷電」という名称は愛称ではなく制式名称であり、乙戦の場合は「雷」または「電」の字を含むことと定められていた(詳細は軍用機の命名規則 (日本)#大日本帝国海軍を参照)。
目次
1 概要
2 特徴
2.1 発動機
2.2 胴体
2.3 主翼
2.4 武装・防弾
3 開発
4 戦歴
4.1 戦後
5 派生型
6 諸元
7 欧米での評価
8 現存する機体
9 登場作品
9.1 漫画
9.2 ゲーム
10 脚注
10.1 注釈
10.2 出典
11 関連項目
12 外部リンク
概要
大型爆撃機の迎撃を主任務とする局戦に要求される性能は、敵爆撃機が飛行している高度に短時間で到達する上昇力と、敵爆撃機に追い付く速力、そして一瞬のチャンスに敵爆撃機へ致命傷を与え得る火力の三つである。これらを重視して開発されたのが雷電であるが、雷電の開発は困難で時間がかかり、任務に就いた後でも全ての技術的な問題が解決されたわけではなかった。戦歴を通して終始エンジンに起因する問題を抱えており、三菱で476機、高座工廠および日本建鉄で若干数が生産されたのみである[1]。
特徴
発動機
プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館に展示されている雷電二一型の紡錘形エンジンカウル。プロペラはブレードが付け根まで広い高高度用
速度と上昇力を確保するためには大馬力エンジンが必要だが、当時の日本には戦闘機に適した小型軽量の大馬力エンジンが存在しなかった。そのため、一式陸上攻撃機等の大型機用に開発された大直径ではあるが当時の日本で最大馬力を発揮する「火星」が選定されている。大直径を補うために採用された紡錘形の胴体(後述)に適合するよう延長軸と強制冷却ファンを追加し、プロペラ減速比を変更した専用の火星一三型甲が開発されている。強制冷却ファンは機首を絞ったことによるエンジン冷却用空気流入量の減少による冷却効率の悪化を補うために装備されたが、冷却用空気流入量が減少する上昇時の冷却効率を上げる効果も期待されていた。
試製雷電(J2M2)以降では火星二三型甲を装備した。これは燃料噴射機構を備え水メタノール噴射機構によって出力を引き上げた二〇型に一三型と同様の延長軸と冷却ファンを装備したものである。また雷電三三型(J2M5)および二三型(J2M7)で装備された火星二六型は、過給器インペラ径を増して全開高度を引き上げたものである。
なお火星エンジン自体は電動始動器が使用可能であったが、雷電では発動機搭載方法の関係で慣性始動器が装備されている。
プロペラは住友金属工業製VDM三翅プロペラが十四試局戦に、十四試局戦改以降は四翅プロペラが採用されている。また後期では高空性能改善のため幅広のものが装備された。
胴体

アメリカ軍に接収された雷電の上面写真
火星の直径は1,340mmと、零戦に搭載された栄と比べて200mm近く大きい。そこで、空気抵抗を可能な限り減少させるために機首を絞り込み、全長の40パーセントで最も太くなる紡錘形の胴体が採用された。これは空技廠の風洞実験データに基づいており、同時期の川西の水上戦闘機強風にも採用されている。さらに風防の高さを押さえ、曲面ガラスを使用するなど各所に抵抗を低減しようとした跡が見られる。
この胴体形状ではエンジンが機首よりかなり後方に位置することから、前述したように延長軸を追加したエンジンをわざわざ開発する必要があり、また操縦席付近が機首より太くなるため、背の低い風防と相まって機首上げ時の前下方視界が極めて悪化するという弊害も招いた。このため、後に速力の低下を承知の上で風防高さの嵩上げ、下部拡幅が行われ、最終的には風防前部付近の胴体側面上部の削ぎ落としまで行われている。また、風防に使用された曲面ガラスが視界を歪めることも問題視され、平面ガラスの使用範囲が増やされている。
主翼
主翼は1940年代当時抵抗軽減のため高速機に有利として着目されはじめていた層流翼の翼型を内翼側に、外翼側は従来翼型とした半層流翼を採用している。これは当時層流翼は失速特性がよくないとされたためで[注釈 2]、外翼をより失速特性の良好な従来翼型とすることで翼端失速を防ぐ意図があった。高速機であるため主翼面積は零戦二一型と比べて約10%小さくなっており、全幅が1.2m短縮されたために中・高速域では零戦よりも横転性能は良好だったといわれる。引き換えに日本海軍機としてはかなりの高翼面荷重となったため、フラップは九六艦戦や零戦が装備した単純なスプリット式ではなく、高揚力装置としての能力が高く、また空戦フラップとしても利用できるファウラー式を採用している。
ただし雷電は失速特性がよくなく、特に着陸などの低速時に前触れなく失速するために墜落事故が多く、そのため従来機と全く違う気質もあり雷電への搭乗を嫌う搭乗員が多かった。また層流翼は期待したほどの効果を挙げられなかったとされている[注釈 3]上、小さい主翼のために高高度での運動性は零戦に劣っていたという評価もある。
武装・防弾
一一型までの武装は零戦と同じく翼内に20mm機銃2挺、胴体に7.7mm機銃2挺であったが、二一型以降は胴体の7.7mm機銃を廃止し20mm機銃4挺を翼内に装備している。しかし二一型の開発時期と九九式20mm機銃の生産が短銃身の一号銃から長銃身の二号銃に移行する時期が重なり、二号銃を必要数確保出来ない恐れがあったために外翼側に一号銃、内翼側に二号銃を混載するという妥協案が採られている(紫電改の前身である紫電一一型の初期生産型も、二号銃ではなく一号銃を装備している)。一号銃と二号銃は同じ九九式ながら構造がかなり異なり、また弾薬包も互換性がないため、機銃そのものの整備や補給に支障をきたし、また弾道にバラツキが出るなどという結果となった[注釈 4]。また、少数ではあるが30mm機銃を装備した機体が存在し、実戦に参加している。
防弾装備として操縦席背後に8mm厚防弾鋼板を装備している他、一一型以降は翼内タンクに自動消火装置を装備、二一型以降は前部風防内に防弾ガラスを追加し[注釈 5]、胴体タンクを自動防漏式としている。
開発
支那事変時、中華民国空軍の爆撃機隊により少なくない被害を受けた海軍は、十二試艦上戦闘機(零式艦上戦闘機)試作一号機を領収した直後の1939年(昭和14年)9月に三菱単独指名で「十四試局地戦闘機」(以下、「十四試局戦」と略)を提示、翌1940年(昭和15年)4月に「十四試局地戦闘機計画要求書」を交付した[2]。計画書に記載されていた海軍の要求値は、概ね以下の様なものであったとされる。
- 最高速度
高度6,000 m において325ノット(約601.9 km/h)以上。340ノット(約629.7 km/h)を目標とする。- 上昇力
- 高度6,000 m まで5分30秒以内、上昇限度11,000 m 以上。
- 航続力
- 最高速(高度6,000 m)で0.7時間以上(正規)。
- 武装
20 mm 機銃2挺、7.7 mm 機銃2挺。- その他
操縦席背面に防弾板を装備すること。
これを受けた三菱では十二試艦戦に引き続き堀越二郎を設計主務者とした設計陣を組み、開発に取り組んだ。
しかし前述の努力にも関わらず十四試局戦の最高速度が要求性能を大きく割り込むと試算されたことから、1941年(昭和16年)7月に水メタノール噴射による出力向上を図ることが内定、同年12月に火星二三型に換装した十四試局地戦闘機改(以下、十四試局戦改)として本格的に開発が開始された。1942年(昭和17年)2月に初飛行した十四試局戦の最高速度や上昇力が予想通り要求性能に達しなかったため、より大馬力の火星二三型を装備する十四試局戦改の開発が促進されることになった。
同年10月に初飛行した十四試局戦改(1943年(昭和18年)8月に試製雷電と改称)は、十四試局戦の要求性能をほぼ達成(十四試局戦改の要求性能は未達成)したものの、今度は最大出力発揮時に激しい振動が発生して大問題となった。この振動の原因はなかなか判明せず、防振ゴムの改良等の対策にも関わらず解消にはほど遠い状態であった。
振動は低周期のものと高周期のものが指摘されたが、前者は発動機の二次振動とプロペラの四次振動による「うなり」が原因と判明、プロペラ減速比を0.54から0.5に変更し振動周期を一致させることで解決した。
しかし高周期のものは原因がわからず、また試験中に引込脚の設計不備、整備不良に起因する帆足工大尉が殉職する墜落事故が発生したこともあり、この振動問題が解決されるまでに1年以上を要し雷電の実用化を大幅に遅らせることになった。
延長軸による振動の誘発[注釈 6]、発動機とプロペラの共鳴、発動機内での共鳴などが疑われたが、解析の結果発動機の一次振動がプロペラ翼の曲げ方向二次振動と共鳴し機体の前後方向の振動となったのではないかと推測された。そこで空力特性を犠牲にプロペラ翼の厚みを増し、固有振動数をずらすことによってこれを解消した[注釈 7][3]。
なお振動問題解決の過程で潤滑油温の過昇による潤滑油冷却器の容量増大、視界不良に対する風防拡大等が実施されている。
制式採用を待たずに1943年(昭和18年)9月から量産が始められ、試製雷電として海軍への引渡しが始まったが、部隊配属後も高高度において定格通りの出力が出ない、電動式の引き込み脚が動かないなど問題が多かった。高高度での出力低下は全開高度を引き上げた火星二六型への換装で一応の解決を見たが、電動機構の不調は最後まで解決しきれないままであった。試製雷電が雷電一一型として制式採用されるのは、計画要求書交付から実に5年後の1944年(昭和19年)10月である。
なお、1944年(昭和19年)後半より既存機や新造機の双方に対して高高度で有利(最高速度の面では不利)な付け根までブレードの太いプロペラに変更するという対策が施されている。
戦歴
大馬力エンジンを装備し、更に大火力を持つ雷電は海軍の大きな期待を集め、1943年(昭和18年)頃には零戦に替わる海軍の主力戦闘機として大増産計画が立てられた。この計画では雷電の増産に併せて零戦は減産し、1944年(昭和19年)には三菱は零戦の生産を終了(中島飛行機では空母搭載用の零戦を僅かに生産)して雷電のみを生産する予定であった。
しかし、上記の諸問題により実用化が遅れたことから計画は白紙に戻され、雷電はほぼ同時期に実用実験が行われていた紫電改と比較され、特に紫電改に比べ対戦闘機戦闘能力が低いことが指摘された。
海軍における新型機の審査を受け持つ横須賀航空隊は、両者の試作機を比較テストした上「紫電改は対戦闘機戦闘も可能だが、雷電は零戦と組み合わせなければ性能を活かすのは難しい」と結論し、雷電の生産を中止して紫電改の生産に集中すべきだという報告書を航空本部に提出した。
しかし、期待された紫電改も誉発動機の不調に悩まされており、その解決に要する間隙を埋める機体が必要であったこと、また雷電の太い胴体はアメリカ陸軍航空軍のB-29爆撃機に対抗するために必須と考えられていた排気タービン過給器(ターボチャージャー)と中間冷却機(インタークーラー)の搭載に有利と考えられたことから、少数ではあるが生産と改良型開発の継続が決定され、拠点防衛部隊を中心に配備されることになった。
最初の雷電配備部隊として、バリクパパンにある日本の油田防衛部隊である第三八一海軍航空隊が編成されたが、雷電の生産がはかどらないため零戦を配備してスピンガンに進出している。後にスピンガンへ空輸された雷電を受け取った第三八一航空隊は、製油所から豊富に産出される高品質燃料を使って訓練を積み、短期間ではあるが油田攻撃に飛来するアメリカ軍やイギリス空軍のB-24、P-38、P-47を迎撃し少なくない戦果を挙げた。そのほかの部隊では、本土防空専任部隊として編成された第三〇二航空隊(厚木)、第三三二航空隊(岩国、鳴尾)、第三五二航空隊(大村)台湾の台南航空隊(台南)に主として配備され、特に神奈川県厚木飛行場所属の小園安名大佐率いる第三〇二航空隊の乙戦(雷電)隊は、東京京浜地区に侵入するB-29爆撃機迎撃で最も戦果を挙げた。雷電隊の赤松貞明中尉は厚木基地でのエース・パイロットであった。
また変わったところでは、輸送機部隊であった第一〇〇一海軍航空隊(第二鈴鹿)において、第一・第二鈴鹿飛行場に併設されていた三菱重工三重工場で製造・整備された雷電を実戦部隊に空輸するまでのあいだ、一〇〇一空隊員が載ってB-29爆撃機の迎撃にあたった[4]。1944年(昭和19年)12月に名古屋空襲が始まると臨戦態勢に付き、佐々木原正夫飛曹長によるB-29 1機撃墜や宮田房治中尉の三号爆弾による攻撃などの戦闘記録を残している。
戦後
2013年(平成25年)には戦時中に少年工として雷電製造に携わった台湾人への叙勲が行われ、少年工たちは2000年(平成12年)に雷電をモチーフに誂えたそろいのネクタイを締めて式典に集った[5]。
派生型
- 十四試局地戦闘機(J2M1)
- 火星一三型を搭載した試作型。初期は曲面ガラスを使用した背の低い風防を装備していたが、後に背を高くして視界を改善。武装は翼内20 mm 機銃2挺、胴体7.7 mm 機銃2挺。
- 十四試局地戦闘機改/試製雷電(J2M2)
- 発動機を水メタノール噴射装置と燃料噴射装置を追加した火星二三型甲に換装、排気管を集合式から推力式単排気管に変更し、20 mm 機銃を銃身の長い九九式二号銃三型に換装した型。主翼上下面に大型のドラム弾倉を覆うための涙滴型の突出部がある。
- 一一型(J2M2)
- 十四試局戦改/試製雷電の生産型。生産途中から機首下部の潤油冷却器用空気取入口、翼内タンクに自動消火装置を追加。20 mm 機銃を二式30 mm 機銃に換装した機体も少数存在する。
- 二一型(J2M3)
- 武装を翼内20 mm 機銃4挺(ベルト給弾)に強化、胴体燃料タンクを自動防漏式に変更した主生産型。試作名称は「試製雷電改」。20 mm 機銃を二号銃に統一した二一型甲(J2M3a)も試作された。最も多く生産された(三菱だけで約280機)。
- 三二型(J2M4)
排気タービン過給器を搭載した高高度型で、三菱と空技廠で試作が行われた。- 三菱機は二一型をベースとし発動機を火星二三型丙[注釈 8]に換装、発動機架を200 mm 延長、滑油冷却器を発動機覆前部に移動、カウリング開口部拡大などかなり手が加えられたのに対し、空技廠機は一一型、後に三一型をベースとし最低限の改造で排気タービンを搭載した。第二一海軍航空廠でも簡易改造型の製作が行われており、また排気タービンの搭載位置は全て発動機直後の胴体右側面である。
- 完成した機体は厚木の三〇二空、大村の三五二空にて実戦投入されたが、尾翼のバフェッティング(胴体側面に整流板を取り付けることで解決)、重量バランスの悪化、着陸速度の増大など問題が多く大量生産は断念された。
- 三三型(J2M5)
- 発動機を火星二六型に換装、機首下部の潤油冷却器用空気取入口を半埋め込み式とし、風防の高さを50 mm 、幅を80 mm 増し、風防前部の胴体上面を斜めにそぎ落とし視界改善を実施した型。高高度性能を確保するため、機械式過給器用の空気吸入通路が拡大されている。大戦末期に少数ながら三〇二空や三三二空等に配備された。二一型・三一型と同様、20 mm 機銃を二号銃に統一した三三型甲(J2M5a)も試作された他、20 mm 機銃4挺を五式30 mm 機銃2挺に換装した機体も少数存在する。
- 三一型(J2M6)
- 二一型に三三型と同じ視界改善だけを実施した型。昭和19年(1944年)末以降の三菱生産機は主にこの型式。二一型・三三型と同様、20 mm 機銃を二号銃に統一した三一型甲(J2M6a)も試作された。
- 二三型(J2M7)
- 二一型のエンジンを火星二六型に換装した型。機首下部の潤油冷却器用空気取入口は半埋め込み式だが、風防と胴体形状は二一型と同じ。高座工廠で生産予定であったが極少数機が完成したのみ。
- キ65
陸軍が計画していた機体。メーカーへの要求が二転三転する中で、小改造による十四試局戦の陸軍型となっていた時期が存在する[6]。
諸元
制式名称 |
雷電二一型 | 雷電三三型 |
---|---|---|
機体略号 |
J2M3 | J2M5 |
全幅 |
10.8 m |
|
全長 |
9.695 m | 9.945 m |
全高 |
3.945 m |
|
主翼面積 |
20 m2 |
|
自重 |
2,539 kg | 2,510 kg |
正規全備重量 |
3,507 kg | 3,482 kg |
翼面荷重 |
175.35 kg/m2 |
174.1 kg/m2 |
発動機 |
火星二三型甲(離昇1,800馬力) | 火星二六型(離昇1,800馬力) |
最高速度 |
596.3 km/h(高度5,450 m) | 614.5 km/h(高度6,585 m) |
上昇力 |
6,000 m まで5分38秒 | 6000mまで6分20秒/8,000 m まで9分45秒 |
降下制限速度 |
740.8 km/h |
|
航続性能 |
1,898km(機内燃料)2,519 km(増槽あり) | 全力0.5時間 + 巡航2.4時間 |
武装 |
20mm機銃4挺(九九式二〇粍一号機銃四型190発×2 九九式二〇粍二号機銃四型210発×2) |
|
爆装 |
30または60kg爆弾2発 |
欧米での評価
日本の搭乗員の評判は芳しくなかったが、戦中戦後にテスト飛行したアメリカ軍のパイロットには好評であった。これはずんぐりした胴体によって、日本機にしてはコックピットが広く、大柄なアメリカ人にとっても乗り心地がよかったからと言われる。日本では問題視された振動や着陸性能の悪さも、アメリカの基準ではさして問題とされなかった。
なお、フィリピンでアメリカ軍に接収された二一型初期生産機(製造番号3008号機)である鹵獲機「S12」を用いたテストでは、最高速度671 km/h(高度5,060 m)、上昇力5分10秒/高度6,100 m と日本側の諸元値を大幅に上回る結果を残している(試験環境における燃料は、92オクタンの燃料に水メタノール噴射を組み合わせたものである。試験時の重量は、7,320 lb(3,315 kg)であり、これは180 kg ほど軽い。旧日本海軍でいう「軽荷重量」のデータである。増槽を装備した重量8,130 lb(3,682 kg)のOverload状態でも、385 mph 弱(383 mph として616 km/h)と海軍航空本部の公称速度を上回る数値を出している)[7]。
現存する機体
フィリピンで鹵獲された第三八一航空隊所属の二一型「81-124号機(製造番号3014号機)」がアメリカ・カリフォルニア州チノのプレーンズ・オブ・フェイム航空博物館に静態保存されている。塗装は太平洋戦争後に再塗装されたもので、胴体は三五二空戦闘六〇一小隊長機の稲光マークを模した塗装が施されているが、機番は三〇二空(厚木)所属を示す「ヨD-1158」になっている。
プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館所蔵の雷電二一型
同左(2014年7月撮影)
登場作品
漫画
- 松本零士
- 『勇者の雷鳴』(戦場まんがシリーズ)
- 陸爆銀河を護衛する。
- 『潜水航法1万メートル』(戦場まんがシリーズ)
- 小林よしのり
- 『新ゴーマニズム宣言』
- 少年期の石原慎太郎に向かって機銃掃射をかけた米軍機を追い払った戦闘機として描かれている。
ゲーム
- 『ブレイジング・エンジェル』(Blazing Angels:Squadrons of WWII)
- 尾翼番号ヨD-151を持つ。スキンを変更することができ、色はデフォルト(緑)とエース(白)の2パターン。
- 『零式艦上戦闘記』
- 通常の雷電の他に米軍の鹵獲仕様のS-12が登場する。
- 『War_Thunder』
- コンバットフライトシミュレーターゲーム。プレイヤーの操縦機体として、一一型・二一型・三二型・三三型(20mm機関砲4挺、課金機体では30mm機関砲2挺)が登場する。
- 『艦隊これくしょん -艦これ-』
- 基地航空隊の局地戦闘機として登場。
脚注
注釈
^ この他類別としては、主として制空任務に用いられる甲戦(零戦、烈風など)、夜間戦闘任務に用いられる丙戦(月光、極光など)があった。
^ 実際には「層流翼だから失速特性が悪かった」のではなく、「層流翼に気をとられて失速特性のよくない翼型になっていた」ためだといわれている。
^ これは日本だけの問題ではなく、アメリカやドイツを含む当時の軍用機全般の問題である。NACAのレポートによれば、軍用機のような苛酷な環境では層流翼による速度性能の向上は誤差範囲に留まる、とされており、翼型よりも表面処理の影響が大きい、と結論付けられている。
^ 九九式二号銃4挺に統一した型も存在するが、この型は試作だけ、または極少数が生産されたのみとされている。
^ 防弾ガラスの追加は既存機にも実施された。但し、重量増や視界悪化から実施部隊で取り外されてしまう場合もあった。
^ これは事前に実機を使用した実験が行われたほど開発当初から懸念されていた。
^ これは発動機側に一次振動の抑制が図られていなかったためである。日本の複列発動機の主連棒は前後で180°配置となっていたが、これは一次振動が最も強まる配置であった。P&W R-2800をはじめとする欧米の発動機は主連棒を隣接配置として一次振動を解消、逆に強まる二次振動に対しては発動機回転数の倍速のバランサを設けることによって解消している。またこれらには高次振動に対するダイナミック・バランサが装備されていたが、日本では誉が限定的に装備したのみであった。
^ 強制冷却ファンの直径が850 mm に拡大されている。
出典
^ 原書房 海軍戦闘機隊史 零線搭乗員会 P.276
^ 学習研究社 [歴史群像]太平洋戦史シリーズ29 局地戦闘機 雷電 P.121
^ 坂上茂樹 「固定気筒空冷発動機の進化と三菱航空機・三菱重工業 - モングースから金星ファミリーまで」 『三菱発動機技術史 - ルノーから三連星まで』 第三部、2013年6月27日、p588-610。
^ 渡辺洋二 『局地戦闘機「雷電」 - 本土防空のヒーロー』 サンケイ出版 〈第二次世界大戦ブックス 98〉 1984年6月、P.165
^ 高野華恵 「日本は私たちを忘れなかった」台湾の元少年工に勲章伝達 中央通訊社 2013/06/17
^ 佐原晃 『日本陸軍の試作・計画機 1943〜1945』 イカロス出版、2006年、61頁。ISBN 978-4-87149-801-2。
^ [1]
関連項目
戦闘機一覧
- 零式艦上戦闘機
- 二式単座戦闘機 鍾馗
- 赤松貞明
外部リンク
- NHK 戦争証言 アーカイブス 日本ニュース
- 第254号 1945年(昭和20年)7月1日 海の荒鷲「雷電」戦闘機隊
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