与作
「与作」 | |
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楽曲 | |
発祥 | 日本 |
出版 | 1978年[1] |
形式 | 歌謡曲 |
作曲者 | 七澤公典 |
作詞者 | 七澤公典 |
言語 | 日本語 |
「与作」(よさく)は、1978年に発表された日本の歌謡曲。北島三郎や千昌夫などの歌手によるシングルが発売されている。
目次
1 概要
2 収録曲
2.1 北島三郎盤(日本クラウン、CW-1720)
2.2 千昌夫盤(ミノルフォン、KA-1144)
3 脚注
4 外部リンク
概要
七澤公典が作詞・作曲し、NHKの音楽番組『あなたのメロディー』に応募した作品である[2]。七澤は1976年(昭和51年)、ジャズギタリストを目指して渡米したが、日本人が本当のジャズ奏者になるのは無理だと悟り、帰国したところであった。渡米の反動から、日本的なものを志向して作ったのが「与作」である[3]。「与作」は一度は却下されたが、改良を重ねて再提出され、番組では弦哲也が歌唱し、年間最優秀作品に選ばれた[4]。弦の他に北島三郎、千昌夫らがシングルを発表。原曲に少しアレンジを加えた北島のバージョンが最もヒットした[5]。競作で発売されたレコードの累計売上は60万枚に達した[6]。
NHKで全国的に発表されたことに加え、民謡に近いシンプルな歌詞やメロディーによって年齢層を超えた人気を得て、ロングヒットとなった(1979年のオリコン年間ランキングは第75位)。子供にも浸透したことを示す例として、エポック社の家庭用ゲーム機であるカセットビジョンのソフトウェアとして『きこりの与作』が発売され、ゲーム中で『与作』のメロディーが使われる(「ヘイヘイホー」の部分)などしたことが挙げられる。1999年、『速報!歌の大辞テン』で「与作」がランクインした際、北島はインタビューで、「千くんや五木くんも歌ってますけど、彼らのは(与作ではなく)『駄作』でした」と冗談を交えて答えている。
北島自身『NHK紅白歌合戦』では、1978年(第29回)・翌1979年(第30回)と、2年連続で歌唱披露している。
バラクーダにより、歌詞を英訳し、曲をディスコ調にアレンジした「ヘイ!ミスターヨサク」も発表された。
SNKによってゲーム化されている。与作 (ゲーム) を参照。
2014年公開の日本映画『テルマエ・ロマエII』において、挿入歌ならびにエンディング曲として使用された。また、マレーシアでは荘学忠によって『高山慕情』のタイトルでカヴァーされている。
収録曲
『与作』 | |
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北島三郎 の シングル | |
リリース | 1978年3月25日 |
録音 | 1978年 |
ジャンル | 演歌 |
時間 | 4分2秒 |
レーベル | 日本クラウン |
チャート最高順位 | |
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『与作』 | |
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千昌夫 の シングル | |
リリース | 1978年10月21日 |
録音 | 1978年 |
ジャンル | 演歌 |
時間 | 4分2秒 |
レーベル | ミノルフォン |
北島三郎盤(日本クラウン、CW-1720)
北島版は歌詞の終盤、「与作」を連呼する部分の直前に原曲にない楽句が挿入されている[7]。
- 与作
- 作詞・作曲:七澤公典/編曲:池多孝春
- 風の峠
- 作詞:南沢純三/作曲:関野幾生/編曲:福田正
千昌夫盤(ミノルフォン、KA-1144)
- 与作
- 作詞・作曲:七澤公典/編曲:薗広昭
- 雪ん娘峠
- 作詞:喜多條忠/作曲:徳久広司/編曲:京建輔
- 作詞:喜多條忠/作曲:徳久広司/編曲:京建輔
脚注
^ 弦哲也公式サイトのBIOGRAPHYより
^ 七澤友一郎(公典)「音楽は神の愛を伝える―『与作』誕生秘話」『聴いて幸せになる本』〈タチバナでかもじ新書〉、たちばな出版、1997年。ISBN 4-88692-707-6。
^ 雑喉潤 『いつも歌謡曲があった―百年の日本人の歌―』新潮社、1983年、130ページ。ISBN 4-10-346601-4。
^ “サブちゃんに背中押され 弦哲也 歌手から転身、作曲で大輪”. 東京新聞 (朝刊). (2015年4月7日). http://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/news/CK2015040702000165.html 2015年5月4日閲覧。
^ 長田暁二「望郷の念を込め 下味に米国のカントリー」『歌謡曲おもしろこぼれ話』〈現代教養文庫 1649〉、社会思想社、2002年、270-271ページ。
^ 『サンデー毎日』1980年3月23日号、103頁。
^ 牧「歌のあるばむ 与作 昭和52年 昔の日本人を刻み込む」『読売新聞』昭和57年(1982年)4月18日付26面。
外部リンク
- 『与作』 - 歌ネット