凡例 秋元久朝 |
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時代 |
江戸時代後期 |
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生誕 |
寛政4年閏2月23日(1792年4月14日) |
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死没 |
弘化4年10月19日(1847年11月26日) |
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別名 |
臣三郎(通称) |
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諡号 |
休翁 |
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戒名 |
享徳院殿哲明久朝大居士 |
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墓所 |
東京都台東区上野の東叡山護国院、 墓石、群馬県前橋市の光厳寺 |
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官位 |
従五位下、左衛門佐、但馬守、若狭守、 大膳亮
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幕府 |
江戸幕府
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藩 |
出羽国山形藩主 |
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氏族 |
秋元氏
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父母 |
父:秋元永朝、母:牧野貞長の娘 |
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兄弟 |
修朝、知朝、久朝
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妻 |
正室:浅野斉賢の娘 |
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子 |
養子:志朝
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秋元 久朝(あきもと ひさとも)は、出羽山形藩の第3代藩主。館林藩秋元家9代。
寛政4年(1792年)閏2月23日、第2代藩主秋元永朝の五男として生まれる。兄の修朝、知朝が相次いで早世したため世継とされ、文化4年(1807年)、従五位下、左衛門佐に叙位・任官する。文化7年(1810年)、父の死により家督を継いだ。文政6年(1823年)、但馬守に遷任する。天保10年(1839年)4月13日、甥で養子の志朝に家督を譲って隠居し、若狭守に遷任する。
弘化3年(1846年)に大膳亮に遷任し、剃髪して休翁と号する。弘化4年(1847年)10月19日に死去した。享年56。
秋元氏山形藩3代藩主 (1810年 - 1839年)
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最上家 |
最上義光1600-1614
最上家親1614-1617
最上義俊1617-1622
- 最上騒動で改易。近江大森藩にて存続。
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鳥居家 |
鳥居忠政1622-1628
鳥居忠恒1628-1636
末期養子が認められず、改易。忠恒の弟・忠春が信濃高遠藩として存続。
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会津松平家 |
保科正之1636-1643
陸奥会津藩に転封
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越前松平家 |
松平直基1644-1648
播磨姫路藩に転封
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奥平松平家 |
松平忠弘1648-1668
下野宇都宮藩に転封
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奥平家 |
奥平昌能1668-1672
奥平昌章1672-1685
下野宇都宮藩に転封
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堀田家 |
堀田正仲1685-1686
陸奥福島藩に転封
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越前松平家 |
松平直矩1686-1692
陸奥白河藩に転封
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奥平松平家 |
松平忠弘1692
松平忠雅1692-1700
備後福山藩に転封
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堀田家 |
堀田正虎1700-1729
堀田正春1729-1731
堀田正亮1731-1746
下総佐倉藩に転封
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大給松平家 |
松平乗祐1746-1764
三河西尾藩に転封
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1764年から1767年まで幕府領
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秋元家 |
秋元凉朝1767-1768
秋元永朝1768-1810
秋元久朝1810-1839
秋元志朝1839-1845
上野館林藩に転封
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水野家 |
水野忠精1845-1866
水野忠弘1866-1870
近江朝日山藩に転封。山形藩は、明治政府直轄領。
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