高倉家





































高倉家

家紋

ささりんどう
笹竜胆

本姓
藤原北家長良流
家祖
高倉永季
種別
公家(半家)
華族(子爵)
出身地
山城国
主な根拠地
山城国
東京都
著名な人物
高倉永行
支流、分家
堀河家(羽林家)
樋口家(羽林家)

凡例 / Category:日本の氏族

高倉家(たかくらけ)は藤原北家である藤原長良の子孫である従二位参議高倉永季(ながすえ、1338–1392年)を祖とする堂上家。家格は半家。江戸時代の家禄は812石、分家に堀河家・樋口家の両羽林家がある。明治維新後は永則が子爵に叙せられた。






目次






  • 1 概要


  • 2 系図


  • 3 幕末の領地


  • 4 参考文献


  • 5 外部リンク 






概要


長良の系統は藤原北家の主流から大きく外れ、永季の父範賢までは六位蔵人を務める地下官人だった。しかし永季は衣文道を以って後光厳天皇・後円融天皇・後小松天皇の3代にわたって仕え、その功により公卿の仲間入りを果たした。


永季の子の正三位参議高倉永行(生年不詳 – 1416年)以降は足利将軍家の衣文道の指導にも当たり、朝廷での有職故実を山科家にも伝授した。これが衣文道の高倉流・山科流の始まりである。


戦国時代の高倉永相(1530年 – 1586年)は室町幕府最後の将軍・足利義昭とともに二条城で織田信長と戦ったが敗北し、信長に投降した。そして後に許されて正二位権大納言となり、これがこれ以降の高倉家当主の極官となる。


江戸時代は代々徳川将軍家の衣装調達や衣文道の指導にも当たり、江戸滞在の折には各大名家で有職故実や衣文道の知識を広めていった。


高倉家伝来の古文書・典籍・装束などは有職文化研究所(旧名「高倉文化研究所」)に所蔵されており、同研究所は伝統保持のための運動を地道に進めている。





系図




幕末の領地


国立歴史民俗博物館の『旧高旧領取調帳データベース』より算出した幕末期の高倉家領は以下の通り。(8村・815石3斗2升6合6勺)




  • 山城国葛野郡上野村のうち - 210石8斗7升5合

  • 山城国葛野郡上嵯峨村のうち - 21石6斗4升4合6勺

  • 山城国葛野郡天竜寺門前のうち - 2石8升2合

  • 山城国葛野郡池裏村のうち - 31石9斗8升3合5勺

  • 山城国葛野郡高田村のうち - 50石2升6合5勺

  • 山城国紀伊郡吉祥院村のうち - 18石7斗6升

  • 山城国紀伊郡竹田村のうち - 462石

  • 山城国紀伊郡深草村のうち - 17石9斗5升5合



参考文献




  • 橋本政宣編『公家事典』吉川弘文館、2010年


  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年


  • 近藤敏喬編『宮廷公家系図集覧』東京堂出版、1994年



外部リンク 




  • 公卿類別譜(公家の歴史)高倉 (日本語)


  • 高倉家(半家) (日本語) -(世界帝王辞典)


  • 有職文化研究所 公式ウェブサイト (日本語)







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