津松阪港


































































津松阪港
所在地

日本の旗 日本
所在地
三重県津市・松阪市
詳細
開港
1971年(昭和46年)4月1日
管理者
三重県
種類
自然/人工
泊地面積
6,200ha
係留施設数
5
主要輸入品
非鉄金属
主要移入品
セメント
主要移出品
非金属鉱物
統計
発着数
26,243隻(2007年)
貨物取扱量
1,636,625t(2007年)
海岸線長
30km
公式サイト
三重県|港湾・海岸:津松阪港



津ヨットハーバー


津松阪港(つまつさかこう)は、三重県中勢地区にある重要港湾である[1]




目次






  • 1 概要


    • 1.1 港区


    • 1.2 港湾地区




  • 2 歴史


    • 2.1 津港の成立


    • 2.2 松阪港の成立


    • 2.3 2港の統合




  • 3 港湾統計


  • 4 定期旅客航路


    • 4.1 過去に就航した定期旅客航路




  • 5 観光


  • 6 脚注


  • 7 参考文献


  • 8 外部リンク





概要


県庁所在地・津市にあった津港と、交通の結節点・松阪市にあった松阪港(大口港)を統合して誕生した港湾で、三重県内では四日市港に次ぐ規模を持つ。


津の港湾は、中国の歴史書には「日本三津」、日本の書物には「三津七湊」と記載された「安濃津」(あのつ、あののつ)を起源とし市名の由来ともなったが、往時に比べれば日本国内における重要性は低下している。一方、松阪の港湾は蒲生氏郷が松坂城の城下町を整備した頃から物資の積み出し港として町の発展を支えてきた[2]


1971年(昭和46年)4月1日に津港と松阪港が合併して成立した港湾で[3]、2港区14地区からなる。港湾面積は6,200haに達し[4]、三重県の主要河川である雲出川と櫛田川、津市の町中を流れる志登茂川・岩田川や、国道23号と42号が分岐する松阪市の三渡川の河口も港湾に含まれる。


沿岸にはジャパン マリンユナイテッド津事業所やセントラル硝子松阪工場をはじめとする工場が建ち並び、中京工業地帯の一翼を担っていることから工業港としての性格が強かったが、中部国際空港の開港に伴うアクセス整備により津なぎさまちが誕生するなど、近年は新しい位置づけもなされている。



港区



津港区

旧 津港。江戸橋・贄崎・新堀・阿漕浦・伊倉津の5地区からなる。工業港と海洋レジャー港の2つの側面を有する[4]

松阪港区

旧 松阪港。工業港としての性格が強い一方、釣りや、みなとまつりの花火の舞台にもなる[4]



港湾地区



  • 河芸地区(かわげ) - 津市河芸町。

  • 江戸橋地区(えどばし) - 津市栗真町屋町・上浜町・江戸橋三丁目。

  • 松本崎地区 - 津市島崎町。志登茂川と安濃川に挟まれた場所。

  • 贄崎地区 - 津市高洲町・末広町・海岸町・港町。中河原海岸・乙部海岸・贄崎浦からなる。

  • 新堀地区 - 津市港町・なぎさまち。岩田川河口に築かれた江戸時代からの港湾と中部国際空港へのアクセス港として開港したなぎさまちの2港からなる。

  • 阿漕浦地区(あこぎうら) - 津市柳山津興・下弁財町津興・阿漕町津興・津興・藤方。

  • 伊倉津地区(いぐらづ) - 津市雲出鋼管町。

  • 香良洲地区(からす) - 津市香良洲町。


  • 三雲地区(みくも) - 松阪市五主町・曽原町・喜多村新田町・松崎浦町・松ヶ島町・新松ヶ島町。三渡川の河口にあたり、ノリの養殖が行われている。

  • 大口地区(おおくち) - 松阪市猟師町・大口町。松阪港区の中心である。

  • 高町地区(たかまち) - 松阪市高町。

  • 浦新田地区 - 松阪市高須町。

  • 松名瀬地区(まつなせ) - 松阪市松名瀬町。

  • 西黒部地区(にしくろべ) - 松阪市東黒部町。



歴史


津松阪港は津港と松阪港を統合して成立した港湾であることから、ここでは統合前の津港と松阪港の歴史を述べた後に、統合後の歴史を記す。



津港の成立


古代には安濃郡の港として安濃津(あののつ、あのつ)、転訛して洞津(あなのつ、どうしん)と呼ばれた港で、平清盛がこの港から熊野三山への参拝のために出港したと『平家物語』に記述されるなど、平氏にとって重要な港であった[5][6]。津市産品には平清盛の父で、伊勢平氏の勢力を拡大した平忠盛の生誕地との伝説があり、「平氏発祥の地」碑が立つ[6]。また白砂青松の阿漕浦の名は京都でも知られていたようで、平安時代の和歌や室町時代のお伽草子に登場する[6]。中世には三津七湊の1つとして日本を代表する港として見なされ、中国・明代の茅元儀が著した『武備志』の「日本考」にも


洞津は末の津たり、地方も亦遠し、山城と相近く、貨物或は備はり、或は欠く
— 『武備志』・「日本考」

と記され、筑前・博多津や薩摩・坊津と並ぶ日本三津として紹介された[5]。これは、安濃津が伊勢平野の中央に位置し、伊勢参宮街道の中間点かつ内陸国の伊賀・大和・近江へ至る街道の起点であったことによる[7]。中勢の米を伊勢神宮に献上する船の拠点や北勢の物資を輸送する寄港地として栄えた[5]。しかし、1498年(明応7年)8月25日に発生した明応地震に伴う津波が港を直撃し、急速に衰退した[5]。寂れ具合について、当地を通りかかった連歌師の宗長は4、5千の廃墟や堂塔の跡を残すのみの荒野となり、犬の姿や鳥の鳴き声すら稀であると手記に記録している[5]。その地震以後の歴史は約200年間の空白になっている。こうして港が破壊されてしまったために当時の正確な港の位置は分かっておらず、現在の贄崎(にえざき)灯台沖説と阿漕塚説がある[7]


江戸時代に入ると津藩主の藤堂氏が自藩の物資輸送上の理由から、岩田川河口に港を築いた[5]。この結果、贄崎が港町として繁栄することとなった。ただし、河口に港を造成したため河川の土砂堆積作用に苦しめられ、幾度となく浚渫(しゅんせつ)を行わねばならず、1925年(大正14年)の北岸突堤の完成によってようやく軽減することとなった[5]


鉄道開通前の明治初期頃まではお伊勢参りの客を乗せた定期船が寄港していたものの、航路廃止以後は貨物定期便のみが第二次世界大戦頃まで残った[5]



松阪港の成立


1588年(天正16年)、松ヶ島城から四五百森(よいほのもり)に城が移り松坂城下町が整備されると、城下の交通は阪内川(さかないがわ)、広域輸送は大口港が担うようになった[2]。また、城主の蒲生氏から請われて廻船問屋の伊勢商人・角屋七郎次郎忠栄も伊勢・大湊から松坂に移ってきた。
角屋はかねてより、北条氏・織田氏・北畠氏らの御用達にも携わる豪商であり[8]、忠栄の父・角屋七郎次郎秀持は本能寺の変において「神君伊賀越え」で徳川家康の危急を救ったことから「汝の持ち船は子々孫々に至るまで日本国中、いずれの浦々へ出入りするもすべて諸役免許たるべし」として家康から朱印を授かった[9][10]。このことから角屋の朱印船は子々孫々までという約束で徳川家御用商人の特権を与えられ、松坂を拠点にした朱印船貿易が行われることになった。
また、角屋七郎次郎忠栄の次男、角屋七郎兵衛は朱印船貿易で富を成し、安南(現在のベトナム)・フェイフォ(現称:ホイアン)の日本人街で指導的立場になった[11]


江戸時代には紀州藩松坂領内の米の集散地として機能し、米倉も建てられた[12]。また、参勤交代の際には三河・吉田と尾張・熱田を結ぶ船が寄港したという[12][13]


明治時代には、鉄道の開通と共に一旦は衰退するものの、大正時代に松阪の西方にある飯南郡(現在は松阪市内)の木材を輸送するために、三重県が76万円をかけて防波堤や護岸などを整備し、1930年(昭和5年)に完工した[12]。同じ年に内務省の指定港湾となった。


また、1913年(大正2年)には松阪軽便鉄道(三重交通)大口線が開業。港のある大口駅から松阪市街の平生町駅を介し、松阪駅や山間部の大石駅まで鉄道が結ばれた[14]。この鉄道は、戦後の1948年(昭和23年)まで運行された。


なお、松阪港に改称したのは港村が松阪町に編入合併された1924年(大正13年)のことである[15]


第二次世界大戦の終結後、松阪市が沿岸を埋め立てて工業団地を造成し、セントラル硝子を始めとする企業が誘致された。



2港の統合


統合前の1954年(昭和28年)には台風第13号が、1959年(昭和34年)には伊勢湾台風が三重県を直撃、津港も松阪港も壊滅的な被害を受けた[16]。伊勢湾台風の翌年から1964年(昭和39年)にかけて災害復旧事業で護岸工事が実施され港が再生した[16]一方で、かつて和歌にも詠まれた阿漕浦の美観は損なわれた[7]。そして両港の更なる機能強化を図って1971年(昭和46年)4月1日、津港と松阪港は合併し津松阪港が成立した[3]。同年に水深7.5mの大型岸壁が松阪港区に完成し、東京との間に1日1往復のフェリーが就航した[注 1][12]


平成時代に入り、伊勢湾台風後の改修から40年以上が経過したことから港湾施設の老朽化が見られる[16]。そこで1992年(平成4年)度から香良洲地区・三雲地区・松阪港区で液状化対策が施され、2002年(平成14年)度からは津港区贄崎地区で工事が始まった[16]。この事業は「ふるさと海岸整備事業」と名付けられ[17]、利用・環境・景観の3点に配慮した港湾整備を実施している[18]



港湾統計


入港船数



































隻数(隻)

総トン数(t)
昭和50年代
20,325
(松阪:2,704、津:17,621)
?
2002年(平成14年)
15,888
4,191,111
2004年(平成16年)
14,125
1,770,330
2006年(平成18年)
24,177
2,618,010
2007年(平成19年)
26,243
2,779,290

貨物量








































輸出量(t)

輸入量(t)

移出量(t)

移入量(t)
2002年(平成14年)
0
126,951
5,038,056
1,374,023
2004年(平成16年)
2,941
144,051
859,654
1,384,184
2006年(平成18年)
3,002
142,446
141,077
1,432,227
2007年(平成19年)
0
141,681
89,770
1,405,174











定期旅客航路


以下の航路は津エアポートラインが運航している。[19]


  • 津航路:津なぎさまち - 中部国際空港




過去に就航した定期旅客航路



  • フジフェリー:松阪 - 東京(1971年 - 1981年)

  • 津エアポートライン松阪航路:松阪 - 中部国際空港(2006年12月20日から2009年8月31日までは松阪高速船が運航)2016年(平成28年)12月19日廃止



観光


津松阪港における観光は、海水浴場での海水浴や潮干狩りを始め、マリーナ、ヨットハーバー、キャンプ場などマリンスポーツが主体となっている。特に津港区は伊勢の海県立自然公園の指定を受けている。



  • 河芸マリーナ・三重マリンセンター海の学舎(旧・岐阜マリンスポーツセンター)

  • 町屋海岸 - 三重大学に程近い海岸。廃車や使用済み注射器などの不法投棄が多かったが、1995年(平成7年)から住民団体「町屋百人衆」を中心に[20]三重大学の学生や津市立北立誠小学校の児童も参加して[21]「素足で走れる町屋海岸」を合い言葉に清掃活動を実施している[20]

  • 贄崎海水浴場

  • 津ヨットハーバー - 財団法人伊勢湾海洋スポーツセンターの運営するヨットハーバー。1971年(昭和46年)に開設され、1975年(昭和50年)には三重国体の会場になった[4]

  • 阿漕浦海水浴場 - 「あこぎ」の語源となった平治の伝説が伝わる海岸。

  • 御殿場海水浴場 - 春から夏にかけて潮干狩りの客で賑わう[22]

  • 香良洲海水浴場 - 香良洲浦とも称し、かつては香良洲神社の管理地であった[23]。2008年(平成20年)には24,000人の人出があった、2kmの海岸[24]。隣接地に香良洲公園が整備されている[23]

  • 五主海岸(ごぬしかいがん) - 干潮時には数百メートルに渡って砂浜の現れる遠浅の海岸[25]。銃猟禁止区域のため、渡り鳥が多く飛来する[25]。アオノリ養殖が盛んで生産高は伊勢湾内で第1位[26]

  • 高須町公園オートキャンプ場 - 4種類のキャンプサイトのほか、せせらぎ公園(サッカー場・テニスコート)を持つ[27]

  • 松名瀬海水浴場



脚注


注釈



  1. ^ フジフェリーによる「いせ丸」「しま丸」の2隻。349km。このフェリーは採算が取れず、営業譲渡されたのち(フジフェリーは会社解散)、1981年(昭和56年)に廃止された。


出典




  1. ^ 重要港湾 津松阪港 - 国土交通省 中部地方整備局 港湾空港部

  2. ^ ab松阪(市) - Yahoo!百科事典、伊藤達雄 著(日本大百科全書、小学館、2010年4月17日閲覧)

  3. ^ ab津松阪港の過去・現在・未来 ―松阪港区―(辻正 著、第70回通常総会記録(特集 第70回通常総会記念)) - 三重のみなと・うみのあらまし(三重県、2010年4月17日閲覧)

  4. ^ abcd津松阪港 - 三重県県土整備部港湾・海岸室(2010年6月4日閲覧)

  5. ^ abcdefgh「角川日本地名大辞典」編纂委員会(1983)、709ページ

  6. ^ abc海の博物館・石原(1996)、55ページ

  7. ^ abc海の博物館・石原(1996)、54ページ


  8. ^ 『伊勢国比佐古文庫旧蔵文書』国文学研究資料館(2014年8月14日閲覧。)


  9. ^ 小川稠吉、宇野季次郎『渡会の光』古川小三郎、P60、61


  10. ^ 角屋七郎次郎|朝日日本歴史人物事典


  11. ^ 角屋七郎兵衛とは - コトバンク(2010年6月7日閲覧)

  12. ^ abcd「角川日本地名大辞典」編纂委員会(1983)987ページ


  13. ^ 海の博物館・石原(1996)、50ページ


  14. ^ 『地方鉄道及軌道一覧 : 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)


  15. ^ 桜木記念病院『市制施行』(2010年5月20日閲覧。)

  16. ^ abcd津松阪港海岸の概要 - 国土交通省中部地方整備局 四日市港湾工事事務所 津松阪港事務所(2010年6月3日閲覧)


  17. ^ みなとライブラリー津松阪港海岸 - 四日市港湾事務所 津松阪港事務所(2010年6月7日閲覧)


  18. ^ 津松阪港の概要/整備前と整備後 - 新世紀 新しい津とまちづくりを進める会(2010年6月7日閲覧)


  19. ^ 時刻表 - 津エアポートライン(2010年6月7日閲覧)

  20. ^ ab「素足で走れる町屋海岸をめざして」 町屋百人衆(三重県津市) - 国土交通省中部地方整備局


  21. ^ 町屋海岸を軸とした三重大学の社会的責任 (USR) 〜町屋海岸モデル確立及び運用〜 - 三重大学(2010年6月7日閲覧)


  22. ^ 津市観光協会/津の海(潮干狩り) - 津市観光協会(2010年6月7日閲覧)

  23. ^ ab広報津 - 津市政策財務部広報室(2009年12月1日/第95号、2010年6月7日閲覧)


  24. ^ 香良洲海水浴場のビーチ・海水浴場情報 - るるぶ(2009年版、2010年6月7日閲覧)

  25. ^ ab自然散歩 - 松阪市(2010年6月7日閲覧)


  26. ^ 三雲町三雲 - 三重県農水商工部水産基盤室


  27. ^ 施設案内 - 高須町公園オートキャンプ場(2010年6月7日閲覧)




参考文献



  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 24三重県』 角川書店、1983年6月8日、1643pp.


  • 海の博物館・石原義剛『伊勢湾 海の祭りと港の歴史を歩く』 風媒社、1996年7月20日、165pp. ISBN 4-8331-0045-2



外部リンク




  • 津松阪港 - 三重のみなと・うみのあらまし(三重県)


  • 津松阪港海岸 - 国土交通省中部地方整備局 四日市港湾事務所




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