古武道








薙刀を持っている僧兵(僧衆)





弓術





流鏑馬





柳生新陰流





二天一流





幕末期の剣術。稽古道具や試合方法が共通化していった。(F・ベアト撮影)




薙刀を持った歌川国芳の浮世絵「武勇見立十二支・畑六良左エ門」。『太平記』では、時能が犬の「犬獅子」と二人の従者「所大夫房快舜」、「悪八郎」とともに足利氏の砦を落としたという[1]


古武道(こぶどう)とは、日本の伝統的な、徒手もしくは鈍器や刃物、火器などの武具の使用法や、水泳、乗馬など戦闘に関わる技術を体系化したものの総称。古流武術古武術もほぼ同義。武芸武術兵法などの類義語もある。対義語は現代武道




目次






  • 1 定義と特徴


  • 2 歴史


    • 2.1 古代


    • 2.2 平安時代


    • 2.3 鎌倉時代


    • 2.4 室町・戦国時代


    • 2.5 江戸時代


      • 2.5.1 初期


      • 2.5.2 中期以降




    • 2.6 明治・大正時代


      • 2.6.1 明治維新後


      • 2.6.2 現代武道の誕生




    • 2.7 昭和時代


    • 2.8 現代




  • 3 武芸十八般


  • 4 伝承方法


    • 4.1 宗家・家元




  • 5 文献情報


  • 6 脚注


  • 7 参考文献


  • 8 関連項目


    • 8.1 天覧試合・台覧試合・御前試合


    • 8.2 武芸書


    • 8.3 武道史研究家


    • 8.4 武術研究家




  • 9 外部リンク





定義と特徴


古武道とは、明治維新以前に成立した武術を指す場合が多い。室町時代から剣術、柔術、槍術、弓術、砲術などがそれぞれ様々な流派として技術化、体系化された。明治時代以降、武道という総称が確立し、現代武道と明確に区別する場合に古武道と呼ばれるようになった。


現代武道が人間形成と体育的見地からの心身の鍛錬を目的とし、スポーツ系統の競技試合を重視して技術の体系を構築しているのに対し(例:柔道、剣道)、古武道は基本的に試合での勝敗を目的とせず(流派によっては他流試合を禁じていた)、合戦・決闘・護身や、戦闘で使命を果たすための鍛錬が目的とされていた。そのため危険であることから、現代武道から除かれた技法や各種の隠し武器、薬方、呪術、禅や密教と結びついた心法が含まれる。反面、流派を伝承する者にも意味が伝わっていない非合理的な動作や、平和な江戸時代に形の美観のため加えられた動作(華法、花法)が含まれている場合もある。


明治維新後、戦闘技術としての役目を終え、現代では伝統芸能、文化財として価値を認められている。都道府県や市町村の無形文化財に指定されている流派も少なくない。また江戸時代と同様、武芸として必要なものとして認められているものもいくつか存在する。



歴史



古代


弥生時代の鎧、剣、矛、鏃、弓、埴輪などの出土品や、『古事記』、『日本書紀』などの日本神話に剣、矛、刀、弓など武器の記述があることから、なんらかの武技は存在していたものと思われるが、詳細は不明である。『日本書紀』に捔力で相手を蹴り殺したとの記述があり、この時代の捔力が相撲の起源とする説もある。これは蹴り技など用いていたと推測され、現代の相撲(大相撲、アマチュア相撲)とは異なるものである。『日本書紀』の天智天皇紀には、7年秋7月「于時近江國講武」すなわち近江国で武を講じたとある。



平安時代


『和名類聚抄』には『古布志宇知(こぶしうち)』という武術名が見える。



鎌倉時代


武士の道(武芸)は弓馬の道とされ弓術馬術(流鏑馬)が武士の必須の武芸であり、合戦での戦闘のための技芸であった。また、曾我兄弟の仇討ちで有名な『曽我物語』などにも現代の相撲と異なる武芸としての相撲が武士により行われたことが記述されている。この武家相撲は後に廃れ、相撲伝書や江戸時代初期の関口流柔術の伝書などにうかがえるのみである[2]



室町・戦国時代


いわゆる兵法三大源流(陰流、神道流、念流)が興った。またそれらの影響を受け新陰流や新当流、一刀流、中条流等が派生して一挙に剣の道が広まった。また柔術系の武術としては竹内流が成立した。武芸は能や歌のように芸とみなされ理論の確立や深化が進められた。武芸を専一に行う兵法家の道を歩む者たちが現れ、彼らのなかには自流を上覧に供したものもいた。



江戸時代



初期


武術の様々な流派は、戦国時代において形成されたものは少なく、多くがむしろ戦乱の収まった江戸時代に発展した。幕藩体制のなかで各藩は指南役を設けたり、特定の流儀を御流儀として指定するなどした。



中期以降


長く続いた平和によって経済が発達し、町人文化が興るなかで武術は余暇の楽しみとして都市部や農村地帯で広く行われた。流派の数は幕末までに数百(あるいは千)を越えたと思われ、19世紀になると全国で武者修行や他流試合、武術留学が流行し始め、各地の師範名をまとめた書物が発刊されるなどした。様々な流儀で交流が行われ、剣術や槍術、柔術などで稽古道具や試合方法が共通化していった(竹刀稽古、地稽古)。また、幕末の志士たちの多くが江戸の有名道場(江戸三大道場等)で学び、全国に人脈を広げていった例からわかるように、武術の道場は、学問所と同じように、ある意味サロン的な役目を果たすようになっていった。



明治・大正時代



明治維新後


明治維新後、文明開化中で武術は時代遅れと断ぜられ衰退した。武術家たちは撃剣興行等の見世物興行を行い武術を振興しようとした。また反乱の起こす者もいたという。明治10年(1877年)の西南戦争で警視庁の抜刀隊が剣術を用いて白兵戦を優位に戦った影響により、その後警察に武術世話掛が創設され、絶滅の危機は脱せられたとされる。また、当初フランス式剣術を採用していた陸軍も後に日本式の軍刀術、銃剣術を制定した。しかし、兵器や戦術の進歩によって活躍の場は失われていった。



現代武道の誕生


明治15年(1882年)、嘉納治五郎は新しく柔道を創設した。教育者であった嘉納の思想は後の武道家に強い影響を与えた。明治28年(1895年)には各種武道の総本山となる大日本武徳会が設立され、日本の武道界を統括するようになっていった。多くの地方流派が大日本武徳会に加盟して剣道や柔道を取り入れ、伝来の形、口伝、掟等の伝承が徐々に失われていった。


大正3年、警視総監の西久保弘道は、警察訓練所での講話『武道講話』(警察協会北海道支部 1915年)において武術の名称を「術」でなく「道」でなければならないとした。理由は、「術」という名は技術の上達のみに終始し、「礼儀」は無用と考えることになるのでよくなく、「武」は技術でないという観念を明確にするため、であった[3]。大正8年1月29日、西久保は大日本武徳会の副会長と武術専門学校長になり、名称変更を主張。同年5月15日、常議員会で武術専門学校を武道専門学校に変更承認。同年8月1日、文部省認可。これ以後、武徳会各支部で「武道」を用いることとされた。その背景について、福島大学教授の中村民雄や筑波大学名誉教授の渡辺一郎らの研究によると、武術興行などを行い堕落した(とみなされた)武術と区別するために、教育的に有用な真剣な修行という意味で「武道」という名称を用いたのであるという[4]



昭和時代


第二次世界大戦(太平洋戦争)により、沢山の流派において継承者が戦死するなどの原因から失伝(伝承が途絶え、失われること)したという。また、昭和20年(1945年)日本の降伏後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)指令により大日本武徳会は解散し、武道の組織的活動は禁止された。これにより、剣道が撓競技と名を変えたように、武道は戦闘技術色を払拭したスポーツとして復興を図ることとなった。



現代


現代に伝承されている古武道は、古式の形態を守りつつも時代に合わせて変化している例も多い。中には現代武道化したところもあるが、現代においても様々な形で受け継がれている。日本古武道協会など、古武道の保存・振興を目的とした組織があり、都道府県や市町村が古武道を無形文化財に指定して保存を図ることもある。


現在でも一子相伝とされるような小さな流派では、大々的に道場を構えたりせず一族だけで伝承されてきているため、時代状況の移り変わりの中で、次の世代に継ぐべき人間がいなければ容易に途絶えてしまう。流儀を宣伝することがないので、極端な例では親族の葬儀に参列してはじめて「なにやら一族の武術があって、亡くなった人はその継承者だった」ことを知るなどの事例も聞かれる。





武芸十八般


合戦で戦うための技芸を武芸といった。これが基になり、剣術や柔術などが生まれた。


武芸十八般とは、元は江戸時代初期に中華から伝わった言葉(十八般兵器)であるが、江戸時代において修得すべきとされた18種類の武技の総称であるという。この18の武技の内容は時代や集団により異なっているため一概には言えないが、概ね以下のものが挙げられる。



  • 弓術

  • 馬術・騎馬術

  • 水術(泳法術)

  • 薙刀術

  • 槍術

  • 剣術

  • 小具足

  • 棒術

  • 杖術

  • 鎖鎌術

  • 分銅鎖

  • 手裏剣

  • 含針術


  • 十手術・鉄扇術・鉄鞭術


  • 居合・抜刀術

  • 柔術・和術

  • 捕手術

  • もじり術

  • しのび(隠形)術

  • 砲術




  • 武芸一覧


伝承方法


古武道の多くは、技術の進歩段階や人格を見て各種の許しを発行した。例として、天然理心流剣術では、まず切紙、次いで目録、中極意、免許、指南免許という順番であり、各段階で形の目録や流儀の秘訣、流儀の由来などが書かれた伝書が与えられた。指南免許を得た者は独立し、新たな師匠となることができた。
また多くの流派では入門時に入門の儀式を行い、流儀の掟が書かれた誓詞に血判をおこっていた(起請文)。誓詞の内容は多くの流派で共通しており、免許を得るまで親兄弟といえども流儀の内容を教えない、許可を得ずに指導しない、他流批判をおこなわない、天下の御政道を守る等であり、最後に以上の誓いを破った者には神罰が下ると書かれていた。
また現代武道で多く見られる号令による集団指導はおこなわれず、もっぱら個人指導であった。


現在では古来のままの伝授形式を墨守している流派は少なくなり、現代武道的な段級位制や集団指導方法を取り入れている流派も存在する。



宗家・家元


基本的には、古武道である一人の師匠が一子相伝すると言うことは珍しく、多くの師範を育てる場合が多かった(ただしある段階以上は一族や近しい者にのみ伝える場合も見られた)。指南許可を得れば自由に弟子を取って教えて良いとする流派や、免許を発行して良いが、師匠の許可を取る必要があるとする流派など様々であった。ただ実際は現代と違い全国的な組織を作ることが困難であり、江戸で学んだ者が特に指導許可を得ずに故郷で指導した例も見られた。以上の理由により○○流△派などとして同一流派に多くの派がうまれた。


明治維新後、特に戦後は交通や通信の発展と多くの流派が衰退し同流多派が少なくなった事により、古武道の世界でも宗家(家元)制度が広まり、全国的な組織が作られる例も見られる。



文献情報


  • 魚住孝至ほか 2005年度特定研究プロジェクト「東アジアにおける武術の交流と展開」 『武道・スポーツ科学研究所年報 第11号』平成17年度


脚注


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  1. ^ 勝山物語(畑時能物語)


  2. ^ 中世の相撲 ―武芸としての相撲と相撲興行の起こり


  3. ^ 西久保氏武道訓


  4. ^ 中村民雄『史料近代剣道史』、島津書房




参考文献



  • 『古武道の本―秘伝の奥義を極めた達人たちの神技』 ISBN 4056027676

  • 『(別冊歴史読本) 日本伝承武芸流派読本』 ISBN 4404023405


  • 綿谷雪 & 山田忠史編 『(増補大改訂) 武芸流派大事典』 東京コピイ出版部、1978。

  • 『日本古武道総覧』 日本古武道協会編集 平成九年版 島津書房

  • 『幕末関東剣術英名録の研究』渡辺一郎 1967年

  • 『埼玉県の念流 1〜3』山本邦夫 埼玉大学紀要

  • 『埼玉武芸帳―江戸から明治へ』山本邦夫 さきたま出版会 1981年

  • 『柔道史攷』 桜庭武 第一書房 1984年(復刊)

  • 『古武道現代用語事典』鬼子毅彦 柏艪舎 2011年



関連項目



  • 大日本武徳会

  • 日本古武道協会

  • 日本古武道振興会

  • NPO法人 徳島県古武道協会

  • 講武所

  • 柔術

  • 琉球古武術

  • 神武不殺

  • 忍術

  • 中国武術

  • 武具

  • 暗黙知

  • 序破急

  • 剣舞

  • 棒の手

  • 傘の手

  • 岡山県古武道祭

  • 武道

  • 武芸

  • 兵法家

  • 御留流



天覧試合・台覧試合・御前試合



  • 天覧兜割り

  • 昭和天覧試合

  • 寛永御前試合

  • 済寧館



武芸書



  • 五輪書

  • 兵法家伝書

  • 不動智神妙録

  • 太阿記

  • 万川集海

  • 本朝武芸小伝

  • 撃剣叢談



武道史研究家



  • 高橋賢

  • 中村民雄

  • 森田栄

  • 綿谷雪



武術研究家



  • 甲野善紀

  • 日野晃

  • 白石安男

  • 高橋華王



外部リンク



  • 日本古武道協会

  • NPO法人 徳島県古武道協会

  • 「嘉納治五郎の近代認識と柔道」

  • genbukan武芸十八般動画配信 - necfru












































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