上毛野広人
凡例 上毛野広人 | |
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時代 | 奈良時代 |
生誕 | 不明 |
死没 | 養老4年(720年)9月 |
官位 | 正五位下・按察使 |
主君 | 元明天皇→元正天皇 |
氏族 | 上毛野朝臣 |
上毛野 広人(かみつけの の ひろひと)は、奈良時代の貴族。姓は朝臣。官位は正五位下・按察使。
目次
1 経歴
2 官歴
3 関連作品
4 脚注
5 参考文献
経歴
元明朝の和銅元年(708年)従六位上から三階昇進して従五位下に叙爵する。元明朝末の和銅7年(714年)3月に従五位上に昇叙され、同年11月に新羅使に応対するために左右将軍の任命が行われた際、広人は右副将軍に任ぜられた。
元正朝では当初右少弁を務め、霊亀3年(717年)3月に当時太政官の首班にあった左大臣・石上麻呂の葬儀にあたって、太政官の誄を宣べた[1]。同年4月に大倭守に転じるとのち按察使に遷るなど元正朝半ばより地方官を歴任する。養老4年(720年)正月に正五位下に叙せられるが、同年9月に蝦夷の反乱により任地の陸奥国で殺害された。最終官位は按察使正五位下。
官歴
『続日本紀』による。
- 時期不詳:従六位上
和銅元年(708年) 正月11日:従五位下
- 和銅7年(714年) 3月28日:従五位上。11月26日:副将軍
霊亀3年(717年) 3月3日:見右少弁。4月26日:大倭守
- 時期不詳:按察使
養老4年(720年) 正月11日:正五位下。9月:卒去(按察使正五位下)
関連作品
山浦玄嗣『ホルケウ英雄伝 この国のいと小さき者』上下(KADOKAWA、2016/12、ISBN 9784041048283, ISBN 9784041050163)
脚注
^ 『続日本紀』養老元年3月3日条
参考文献
宇治谷孟『続日本紀 (上)』講談社〈講談社学術文庫〉、1992年