ガンビア





ガンビア共和国

Republic of the Gambia











ガンビアの国旗 Coat of arms of The Gambia.svg
(国旗) (国章)


国の標語:Progress, Peace, Prosperity

(進歩、平和、繁栄)


国歌:わが祖国ガンビアのために


ガンビアの位置









































公用語

英語[1]

首都

バンジュール
最大の都市

セレクンダ

政府












大統領

アダマ・バロウ

副大統領(英語版)

ファトゥマタ・タンバジャン(英語版)


面積











総計

11,300km2(159位)
水面積率
11.5%


人口











総計(2016年)

2,009,648 [2]人(149位)

人口密度
174.1人/km2



GDP(自国通貨表示)





合計(2008年) 139億[3]ダラシ


GDP (MER)





合計(2008年) 8億[3]ドル(167位)


GDP (PPP)











合計(2008年)
22億[3]ドル(160位)
1人あたり 1389[3]ドル



独立
 - 日付

イギリスから
1965年2月18日

通貨

ダラシ (GMD)

時間帯

UTC (0)(DST:なし)

ISO 3166-1
GM / GMB

ccTLD

.gm

国際電話番号
220



ガンビア共和国(ガンビアきょうわこく、英語: Republic of the Gambia)、通称ガンビアは、西アフリカ西岸に位置する共和制国家。イギリス連邦加盟国であり(2018年に復帰[4])、公用語は英語である。西は北大西洋に面し、ガンビア川の河口を除いた全土をセネガルに取り囲まれている。首都はバンジュール。




目次






  • 1 国名


  • 2 歴史


    • 2.1 ガーナ王国


    • 2.2 マリ帝国


    • 2.3 植民地時代


    • 2.4 独立と国家連合


    • 2.5 軍政から民政移管へ




  • 3 政治


  • 4 国際関係


    • 4.1 日本との関係




  • 5 地方行政区分


    • 5.1 主要都市




  • 6 地理


  • 7 経済


  • 8 交通


  • 9 国民


    • 9.1 民族


    • 9.2 言語


    • 9.3 宗教


    • 9.4 教育


    • 9.5 保健




  • 10 文化


    • 10.1 世界遺産


    • 10.2 祝祭日




  • 11 通信とメディア


  • 12 関連項目


  • 13 出典


  • 14 外部リンク・参考文献





国名


公用語である英語ではRepublic of the Gambia。通称Gambia [ˈɡæmbiə] ( 音声ファイル)


国名はガンビア川に由来する。英語では正称・通称共に国名の前に定冠詞(The)を付けるが、これは15世紀にこの地にポルトガル人が入植した時に、川の名前を「Rio Gâmbia」と呼び、それを英語に直訳した「The Gambia river」に由来し、長年同地域を「The Gambia」と呼ぶのが一般的であったことからである。ガンビアがイギリスから独立した1965年頃に、非常によく似た名前を持つザンビアも独立をしたことから、混同を避けるために定冠詞をつけた状態を正式名称とした[5]。英称で定冠詞をつける国は他にバハマ、スーダン、コンゴ民主共和国、コンゴ共和国、フィリピン、オランダなどがある。


2015年12月10日に当時の大統領ヤヒヤ・ジャメによってガンビア・イスラム共和国Islamic Republic of the Gambia)に変更されたが[6]、ジャメの後任として大統領に就任したアダマ・バロウは2017年1月28日に「イスラム教徒は全体の90%であり、他にキリスト教徒やアニミズム(土着宗教)がいるため、イスラム共和国ではない」と述べ、国名を元に戻した[7][8]


日本語の表記は、ガンビア共和国。通称ガンビア


漢字表記では岡比亜



歴史



ガンビアの地域が初めて歴史に登場するのは、9・10世紀のアラブの商人の記録である。



ガーナ王国


10世紀から13世紀頃までガーナ王国に属していた。



マリ帝国


13世紀から15世紀まではマリ帝国に属した。13世紀にマリンケ族の商人がイスラム教を広め、18世紀まで強い影響力を持っていた。



植民地時代


15世紀中頃、ポルトガル人がガンビア川下流域に商業拠点を建設した。


16世紀、イギリスが進出、その後フランスと争った末、1783年のパリ条約によりイギリス植民地となる。


1821年、ガンビア植民地及び保護領(英語版)が成立。奴隷貿易が行われていた植民地支配の痕跡をとどめる遺構の数々は、「クンタ・キンテ島と関連遺跡群」として、ユネスコの世界遺産に登録されている。


1959年、ダウダ・ジャワラがマリンケ人の支持により、人民進歩党 (PPP)(英語版)を結成。



独立と国家連合


1963年、ジャワラが首相になり自治権を獲得。


1965年2月18日、英国女王を元首とする英連邦王国として独立した。


1970年4月24日、イギリス連邦内の共和国に移行し、ジャワラが大統領に就任した。


1981年7月29日、ジャワラが外遊中、社会主義革命労働党と国軍内左派グループを中心とした、国家革命評議会によるクーデターが起こるが、ジャワラは直ちに隣国セネガルに介入を要請、これを鎮圧した。


1982年2月1日、クーデター未遂を受けてセネガルとの国家連合を形成、セネガンビア国家連合となった。


1987年3月、ジャワラ大統領が2選。


1989年9月、両国の関係悪化に伴い、国家連合を解消。


1992年4月、ジャワラ大統領が3選。



軍政から民政移管へ


1994年7月、当時29歳のヤヒヤ・ジャメ陸軍中尉による無血クーデターで、ジャワラ大統領はセネガルへ亡命、長期政権に終止符が打たれた。その後はジャメを国家元首とする軍政が敷かれた。


1994年11月、准将校によるクーデター未遂。


1995年1月、サバリー副大統領、サデイブー内相によるクーデター未遂。


1996年8月、1996年8月 改正憲法国民投票。


1996年9月、大統領選挙でジャメが当選。


1997年1月、国民議会選挙を経て民政移管を果たした。


2001年10月、大統領選挙でジャメが2選。


2002年1月、国民議会選挙。


2006年3月、チャン参謀総長によるクーデター未遂。


2006年9月、大統領選挙、ジャメ大統領3選。


2007年1月、国民議会選挙。


2011年11月、大統領選挙、ジャメ大統領4選。


2012年3月、国民議会選挙。


2013年10月2日、同日付でイギリス連邦から離脱したことを発表した。


2014年12月30日、武装した軍離反者や大統領警護隊のメンバーらによるクーデター未遂が発生したが、首謀者らは殺害された。


2016年12月、大統領選挙でアダマ・バロウが当選。前職のジャメは当初は退任を受け入れたものの、後に退任を拒否し首都に軍隊を配備した。そのため、バロウは2017年1月19日、隣国セネガルの首都ダカールにあるガンビア大使館で宣誓式を行った[9]。15カ国で構成される西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)は、ジャメに対し20日正午までに権限移譲するよう要求し、セネガル、ナイジェリア、ガーナが結成した連合軍は2017年1月19日にガンビアへの軍事介入を表明。これに対し21日、ジャメは退陣を宣言、赤道ギニアへと亡命した[10][11]


2018年2月、イギリス連邦に復帰。



政治



ガンビアは共和制・大統領制を採用する立憲国家である。現行憲法は1970年4月24日に制定され、幾度かの改正を経ている。国家元首である大統領は国民による直接選挙で選出され、任期は5年。再選制限はない。大統領の強大な権力は憲法により保障されている。副大統領職あり。



行政府は内閣だが、実際の行政権は大統領が行使し、内閣はそれを補佐する執行機関に過ぎない。首相職もなく、全閣僚は大統領が任免する。したがって内閣の権限は極めて小さく、実質的には大統領の顧問団として機能している。立法府は一院制の国民議会である。全53議席のうち、48議席は国民の直接選挙によって選ばれ、残りは5議席は大統領が任命する。任期は5年。最高司法機関は最高裁判所である。
最大政党はアダマ・バロウ大統領の出身母体でもある与党の統一民主党 (UDP)(英語版)である。1996年にヤヒヤ・ジャメが自らの大統領選出馬と民政移管に備えて結成した愛国再建同盟は、国民議会で絶対安定多数を占めて強力な支配体制を敷いていたが、ジャメ失脚とともに党勢が衰え、2017年の選挙では大敗して野党となった。ダウダ・ジャワラの長期政権を支えた人民進歩党 (PPP)(英語版)は、1994年のクーデターでジャワラが亡命するとその後の国政参加を禁止されて衰退、2005年に民主主義と発展のための国内連合(英語版)に合流した。




国際関係


隣国セネガルとの関係は深く、1982年から1989年までセネガンビア国家連合を形成していたが、方向性の不一致により解散した。しかし現在は再び良好な関係にある。ガンビアはパレスチナを国家承認しており、イスラエルの存在を認めていない。その背景には、ガンビア国民のほとんどがイスラム教徒であることから同じイスラム教徒のパレスチナ人に非常に同情的なことが挙げられる。またヤヒヤ・ジャメ大統領は厳格なイスラム主義者であるとともに、徹底した反米・反イスラエル主義者でもあり、このため同じ反米路線を採るイランやシリア、そしてベネズエラといった国との関係を強化している。


旧イギリス植民地であったことからイギリス連邦に独立直後から加盟していたが、2013年に当時のジャメ大統領は連邦を「新植民地主義の組織」と批判し、離脱を表明した[12]。その後、2017年2月14日にバロウ大統領は連邦への復帰手続きを開始し[13]、2018年2月8日に復帰した[4]


ガンビアは長年にわたって中華民国(台湾)を承認する数少ない国の一つだったが、中華人民共和国との貿易額が増大するにつれてその外交関係はぎくしゃくしたものとなり、ついに2013年11月15日には台湾との国交を「国家の戦略的利益のため」断絶したと発表した[14]


近隣諸国との友好関係の維持に努めるとともに、イスラム諸国圏との緊密なつながりを構築している。1994年の軍事クーデター発生以降、西側諸国より新規援助停止を含む厳しい措置をとられてきたが、1996年以降民主化プロセスの進展に伴い1990年代後半に援助は再開された。2005年後半には隣国セネガルとの関係が一時悪化した。両国間には依然貿易面等において解決すべき課題があるものの、全体として関係は改善に向かいつつある。2006年7月にはアフリカ連合(AU)総会を首都バンジュールで開催するなど、アフリカ内でのプレゼンス強化を図るとともに、国際通貨基金(IMF)からの支援や諸外国からの援助の受入に努めている。また、国連PKOにも多数の要員を派遣している。



日本との関係



  • 在留日本人数 - 2人(2017年7月現在)[6]

  • 在日ガンビア人数 - 57人(2016年12月、法務省)[6]



地方行政区分





ガンビアの行政区分


ガンビアは5つの地方と1つの市に分かれる。




  1. バンジュール(Banjul


  2. 上流地方(Upper River


  3. 中流地方(Central River


  4. 下流地方(Lower River


  5. 北岸地方(North Bank


  6. 西海岸地方(West Coast



主要都市



主要な都市には首都バンジュールの他、セレクンダがある。



地理




ガンビアの地図




ガンビアの衛星写真


ガンビアはアフリカ大陸最小の国土面積を持つ国である。ガンビア川の両側に国土を持ち、その最大幅は48キロメートルに過ぎない。国土の大部分がサバンナ地帯であり、国土のうち1300平方キロメートルをガンビア川が占める。


ガンビアはかつてイギリス領であり、イギリスとフランスが1889年にガンビア川の両岸約200マイルをイギリス領とすることで合意した。独立後の国土もイギリス領時代の国境線を継承している。



経済


農業が主で、落花生や米が主要生産品。英語が通じることもあって、ヨーロッパ諸国から気軽に行ける観光地として近年観光業が盛んになりつつある。



交通


バンジュール港はアフリカ西海岸で有数の天然港である。そこからは、3000トン級の船舶がガンビア川を遡行して内陸のジャンジャンブレアまで航行が可能。またバンジュールにあるユンダン国際空港は、全長3600メートル、幅員45メートルの滑走路を持つ。スペースシャトルの非常時代替着陸地としてNASAの資金及び技術援助のもと1989年に改修された。



国民




ガンビアの女性とその子供



民族


2003年の国勢調査によれば、ガンビア国民の内訳は、マンディンカ人が42%、フラ人が18%、ウォロフ人が16%、ジョラ人が10%、セラフリ人が2%、その他のアフリカ系民族が4%、非アフリカ人が1%となっている[2]。アクと呼ばれる解放奴隷のクレオール人も少数だが存在する。


アレックス・ヘイリー著のアメリカの黒人奴隷を描いた小説、及びそれをもとにしたテレビドラマ『ルーツ』に登場するクンタ・キンテ(英語版)は、このガンビア出身のマンディンカ人をモデルとしている。



言語


公用語は英語である(2014年3月に英語を公用語から外すと発表したことがある[15])。しかしながら、マンディンカ語、フラニ語、ウォロフ語などが日常的に使われている。



宗教


ムスリムが90%、キリスト教が8%、アフリカ在来宗教が2%となっている[2]



教育


教育制度はイギリスの制度を基にしている。2010年の推計によれば、15歳以上の国民の識字率は50%(男性:60% 女性:40.4%)である[2]。2011年の教育支出はGDPの3.9%だった[2]


高等教育機関として、バンジュール郊外のカニフィングにガンビア大学(1999年)がある。



保健


エイズの感染率は1.82%(2014年[2])で、2007年に当時のジャメ大統領が夢にて先祖が告げたとされるエイズ治療薬(実際にはハーブや香辛料からなる薬湯)を制作。エイズ患者に抗ウイルス薬治療を止め自身が作った「治療薬」を服用するように命令し[16][17]、医療専門家らの間では「患者たちに誤った希望を抱かせる」と非難されたことがある[18]



文化



世界遺産



ガンビア国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が2件登録されている。




祝祭日











































































日付
日本語表記
現地語表記
備考

1月1日
元日

New Year's Day

1月13日

預言者生誕祭


イスラム暦第3月の12日

2月18日
独立記念日

Independence Day

4月18日(2014年)

聖金曜日


4月20日(2014年)

復活祭



5月1日

メーデー



7月22日
共和国の日


7月28〜30日(2014年)
イード・アル=フィトル
(ラマダーン明けの祝日)

Eid-Al-Fitr

イスラム暦第10月の1日~3日

8月15日

聖母被昇天


10月4日(2014年)

タバスキ(犠牲祭)
Tobaski

イスラム暦第12月の10日

12月25日

クリスマス




通信とメディア


国営のGRTSはガンビアで唯一の放送局である。



関連項目



  • ガンビア関係記事の一覧(英語版)

  • ガンビアの都市の一覧



出典


[ヘルプ]




  1. ^ “the Islamic Republic of the Gambia”. The United Nations Terminology Database. 2016年6月13日閲覧。

  2. ^ abcdefCIA World Factbook "Gambia"2013年7月3日閲覧。

  3. ^ abcdIMF Data and Statistics 2009年7月18日閲覧([1])

  4. ^ ab“The Gambia rejoins the Commonwealth”. イギリス連邦 (2018年2月8日). 2018年7月14日閲覧。


  5. ^ Why do we put 'The' in front of Gambia? http://www.bbc.com/news/world-africa-38675804

  6. ^ abc外務省 ガンビア基礎データ


  7. ^ Adegun, Aanu (2017年1月29日). “Adama Barrow removes 'Islamic' title from Gambia's name” (英語). Naij. https://www.naij.com/1085177-adama-barrow-removes-islamic-gambias-name.html 2017年2月25日閲覧。 


  8. ^ “The Gambia: President Adama Barrow pledges reforms”. Al Jazeera (2017年1月28日). 2017年2月25日閲覧。


  9. ^ ガンビア大統領、任期切れも退任拒否 新大統領は隣国で宣誓(BBC)


  10. ^ “Gambia's Yahya Jammeh confirms he will step down”. Al Jazeera. http://www.aljazeera.com/news/2017/01/gambia-yahya-jammeh-agrees-step-170120184330091.html 2017年1月20日閲覧。 


  11. ^ “Gambia's Jammeh, facing military pressure, says steps down”. Reuters. (2017年1月21日). http://www.reuters.com/article/us-gambia-politics-idUSKBN15505N?il=0 2017年1月21日閲覧。 


  12. ^ “西アフリカのガンビア、英連邦から脱退”. 日本経済新聞. (2013年10月3日). http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM0301X_T01C13A0FF2000/ 2017年2月25日閲覧。 


  13. ^ “The Gambia: UK 'very pleased' about Commonwealth return”. BBC. http://www.bbc.com/news/world-africa-38968336 


  14. ^ “台湾にガンビアが断交通告 「国家の戦略的利益のため」”. 産経新聞. (2013年11月15日). http://sankei.jp.msn.com/world/news/131115/chn13111511340004-n1.htm 2013年11月15日閲覧。 


  15. ^ “ガンビア大統領、「公用語から英語外す」と英語で発表”. AFP通信. (2013年3月15日). http://www.afpbb.com/articles/-/3010384 2016年6月13日閲覧。 


  16. ^ Gambian president's claim of AIDS cure causes alarm, USA Today, 20 February 2007.


  17. ^ Dibba, L. M., Jammeh starts curing HIV/AIDS patients today, The Daily Observer (Banjul), 18 January 2007.


  18. ^ “ガンビアで公務員が週休3日に、「祈りの時間増やす」”. ロイター. (2014年1月21日). http://jp.reuters.com/article/idJPTYE90K01S20130121 2017年2月25日閲覧。 




外部リンク・参考文献







  • 政府


    • ガンビア共和国政府 (英語)


    • ガンビア大統領府 (英語)



  • 日本政府

    • 日本外務省 - ガンビア (日本語)


  • 観光


    • ガンビア政府観光局 (英語)


    • ウィキボヤージュには、ガンビア(英語)に関する旅行情報があります。



  • その他


    • "The Gambia". The World Factbook. Central Intelligence Agency. 


    • ガンビア - DMOZ


    • オープンストリートマップには、ガンビアに関連する地理データがあります。


    • ガンビアのウィキメディア地図 (英語)


















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