アラブ共和国連邦
- アラブ共和国連邦
اتحاد الجمهوريات العربية
Ittiħād al-Jumhūriyyāt al-`Arabiyya
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1972年 - 1977年
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(国旗)
(国章)
公用語
アラビア語
首都
各国の首都
- 大統領
1972年 - 1977年
アンワル・アッ=サーダート
- 首相
1972年 - 1977年
アフマド・アル=ハティブ
- 面積
1977年 2,947,171km²
- 人口
1977 52,703,600人
- 変遷
国民投票
1972年3月
成立
1972年7月1日
解体
1977年11月19日
現在
エジプト
シリア
リビア
スーダン

アラブ共和国連邦の軍艦旗
アラブ共和国連邦(アラブきょうわこくれんぽう、アラビア語: اتحاد الجمهوريات العربية、ittiħād al-jumhūriyyāt al-`arabiyya、英語: Federation of Arab Republics)は、1972年3月にエジプト・リビア・シリアの三カ国で国民投票が行われ成立した汎アラブ主義国家の名称。エジプトのアンワル・アッ=サーダートが大統領、シリアのアフマド・アル=ハティブが首相を務めた。エジプトはさらに踏み込んだ統合を求めたがリビアやシリアは完全な合併には賛成せず、国旗などの象徴的な統合にとどまった。モハメド・アン=ヌメイリのスーダンは短期間加入と脱退を繰り返した[1][2][3]。連邦は1972年7月1日に建国し、1977年11月に解体した。
赤・白・黒の汎アラブ色に金色のクライシュ族の鷹という国旗は各国でその後も使われたが、1977年11月にエジプト大統領のサーダートがイスラエルを訪問したことに反発したリビアのムアンマル・アル=カッザーフィーが国旗を緑一色に変えたことを皮切りに、シリアのハーフィズ・アル=アサドは1980年に、エジプトは1984年にこの国旗の使用をやめた。(エジプト国旗の変遷を参照)
「領土」の変遷
1970年(成立前)
1971年(成立前)
1972年
1973年
1976年
1977年
出典
^ The Times, 25th of February 1977: Sudan Expetected to Join Egypt, Syria in Command
^ The Bryan Times 22nd of March 1977: Red Sea Pact
^ Munzinger-Archiv /IH-Zeitarchiv, Sudan 42/84, Zeitgeschichte
関連項目
アラブ連合共和国(1958年 - 1961年)
アラブ国家連合(1958年 - 1961年)
アラブ連邦(1958年)
アラブ・イスラム共和国(1972年と1974年にリビアとチュニジアの間で構想された合併案)