石野卓球
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石野 卓球 | |
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![]() 石野卓球(2011年) | |
基本情報 | |
出生名 | 石野 文敏 |
別名 | クリ坊 |
生誕 | (1967-12-26) 1967年12月26日(51歳) |
出身地 | ![]() |
学歴 | 静岡学園高校 |
ジャンル | テクノ |
職業 | ミュージシャン シンガーソングDJ 歌手 音楽プロデューサー |
担当楽器 | ボーカル |
活動期間 | 1985年 - 1989年 (人生) 1989年 -(電気グルーヴ) 1993年 -(ソロ) |
レーベル | キューンレコード |
事務所 | ソニー・ミュージックアーティスツ |
共同作業者 | 電気グルーヴ |
公式サイト | WIRE12 |
イエロー・マジック・オーケストラ ニュー・オーダー クラフトワーク テレックス |
石野 卓球(いしの たっきゅう、1967年12月26日 - )は、日本のテクノミュージシャン、シンガーソングDJ、グルーヴ歌手、音楽プロデューサー。本名、石野 文敏(いしの ふみとし)。愛称は「クリ坊」、「フミトシ」、「卓球さん」。
目次
1 略歴
2 エピソード
3 作品
3.1 シングル
3.2 アルバム
3.3 DJ-MIXアルバム
3.4 Compilationアルバム
3.5 リミックス
3.6 その他
3.7 著書
4 出演
4.1 ラジオ
4.2 CM
5 脚注
6 外部リンク
略歴
静岡県静岡市(現在の同市駿河区)生まれ。小学生の時、縁日の露店で祖母に買ってもらったイエロー・マジック・オーケストラの『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』に衝撃を受け、あまりに毎日聴きすぎたため母親から『イエローマジック禁止令』を出されてカセットテープを隠されてしまったほど。中学生時代にクラフトワークやニュー・オーダー等の他、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンのようなアヴァンギャルドでコアなノイズ等にも傾倒し始め、挙句には勉強部屋で電気ノコギリやドラム缶の音まで鳴らすようになる。この当時、石野の実妹は彼の部屋から聴こえる音がうるさいという内容の詩を書き、コンテストで入賞している[1]。やがてRoland SH-2、TR-606などの機材を買い揃え、宅録ユニット「メリーノイズ」として活動を開始する。
静岡学園高校時代、ピエール瀧ら友人数人とインディーズのテクノユニット『人生』を結成。その後、ナゴムレコードを主宰するケラ(現・ケラリーノ・サンドロヴィッチ)から「レコード出さない? ナゴムから出さないでどこで出す!?」と声をかけられ、石野の勉強部屋で自宅録音されたデモテープが、そのままナゴムから1stソノシート「9 TUNES FOR MIRAI」として発売されることをきっかけに上京する。
小学生感覚の下品な歌詞と安っぽいシンセサウンドが特徴的で、中には奇声だけで曲にすらなってないパフォーマンス的なものまでレパートリーにあった。曲の長さも短いものが多く、数秒で終わるような極端に短いものもある。『人生』のメンバーは奇抜なメイクをしており、石野は白塗りに目が赤と青の独特なメイクで、時に怪しいピエロ風、時にカッターシャツにネクタイ、時に大ファンである鬼太郎ファッションに身を包んでいた。
電気グルーヴを結成する以前には、エロ本の編集者になりたいと思っていたことをインタビューでも語っている[2]。ちなみにエロ本で活躍していた編集者の青山正明とは『Quick Japan』誌上でテクノ対談を行ったこともある[3]。
インディーズブームに上手く乗っかり、レコードは作品を出す度にインディーズ・ベスト10にランクインする程の人気者になると同時に、ナゴム人気にも貢献する。その後、メンバー・おばば(EX分度器)の脱退に伴い、1989年4月26日のライブを最後に『人生』を解散する。『人生』解散後、1989年4月27日にテクノバンドの電気グルーヴをデニーズ西新宿店で結成。数回のライブとインディーズからのCDリリースを経た後、ソニーレコードのTrefortレーベル(キューンレコードの前身)から声がかかり、メジャーデビューを果たす。
デビュー後から数年は、テクノユニットというよりもラップユニットとしての側面が強かった。しかし、電気グルーヴはあくまでヒップホップではなくエレクトロニックミュージックを身上としており、ラップはボーカルスタイルの方法論として採り入れていたに過ぎなかった。
ソロ活動も盛んであり、欧州を中心に海外活動を行っている。1994年にNINJAHEAD名義でリリースした「PULSEMAN VS SINEMAN」がクラブヒットを博し、数々のコンピレーションアルバムに収録された。1998年、ベルリンで行われた世界最大のテクノフェスティバルであるラブパレードのFinal Gatheringにおいて100万人の聴衆の前でプレイしている。
日本においては日本最大の屋内レイヴイベント「WIRE(ワイヤー)」を行い、レコードレーベルLoopaおよびplatikを主宰し、月に1度のレキュラーパーティーとして2002年より東京・円山町にあるクラブ「WOMB」にて「STERNE(シュテルネ)」(ドイツ語で「星」)を、2009年5月より京都の四条河原町付近にあるクラブ「世界WORLD」にて「SPRUNG(シュプルング)」(ドイツ語で「跳躍」)を開催している。
1990年代後期より東京都内某所にプライベートスタジオ「montag」を構え、ここを拠点に活動を行っている。
活動の本体である電気グルーヴやソロ名義でのリリースに加え、変名での活動や、他のミュージシャンとのコラボレートによる連名もしくはユニット名義でのリリースが多いのも特徴である。具体的な変名としては、662's、DOVE LOVES DUB、Jamaican Zamuirai、NINJAHEAD、MICKIEE、YAKYUU ISHIDA、Ginger Headsなど。コラボレートしたミュージシャンとしては、ウェストバム、マイク・ヴァン・ダイク、フランク・ムラー、小山田圭吾、岡村靖幸、砂原良徳、川辺ヒロシ、篠原ともえ、スチャダラパー、七尾旅人、AFRA & INCREDIBLE BEATBOX BANDなどが挙げられる。
また、リミキサーとしても活動しており、国内外問わず多くの作品を手がけている。クレジットされているアーティストとして、YMO、ピチカート・ファイヴ、エレファントカシマシ、少年ナイフ、宍戸留美、ORANGE RANGE、テクネイジア、李博士、m-flo、SOUL FLOWER UNION、HALCALI、RAM RIDER、ヒカシュー、ポール・モーリアが挙げられる。
プロデューサーとして、デビュー当初の篠原ともえの作品を手がけている。そのほか細川ふみえ、五島良子、木村カエラ、日出郎などのプロデュースをしている。
宇川直宏の音楽ユニット、UKAWANIMATION!のシングル"惑星のポートレイト 5億万画素"では石野卓球がリスペクトを公言していたという萩原健一とのコラボレーションを実現[4]。
映画や舞台で使用される劇伴の制作や楽曲提供の依頼も多い。昨今はDJやリミキサーとしてのソロ活動や川辺ヒロシと結成したInKとしての活動なども盛んである。
銃社会にはアンチの姿勢をとっている。「もし合法的に銃の所持を許される世の中になっても、人殺しの道具である以上、俺は一生持ちたくない。人を殺す目的だけの為に生まれてきた道具だけは触れたくも無い」といった主旨の発言を行っている[5]。
エピソード
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- 実家はパン屋だが[6]、父親は土木業を経営する。お笑いと映画以外の趣味は、強いて言えば「爬虫類の飼育」や「フィギュア収集」など。かつてアニメ雑誌『月刊OUT』に投稿して掲載された事がある。
- 芸名の由来は中学時代の所属部活動から。運動部に所属すれば自転車通学が許可されていたため、所属はしたものの完全なる幽霊部員だったと語っている。学生時代は校則により坊主頭を義務付けられていたため、他の学校の友人などからは「クリ坊」「クリちゃん」と呼ばれていた。ちなみに1994年の末に突然坊主頭にしたことがある(「たんぽぽツアー」の楽屋で何かを思い立ち丸刈りを実行。ステージには当初アナログ盤「ドラゴンEP」のジャケットを帽子のように被り登場した)。また、その1年ほど前の1993年には、それまで伸ばしていた髪をツーブロックし、上の部分だけをてっぺんにまとめてチョンマゲのように結っていた時期があったが、周囲からの猛烈な反発に合い、ごく短期間で中止している。
- 相方の瀧が野球上手なのに対し大のスポーツ音痴。深夜番組『モグラネグラ』の野球企画ではレフトを守った際も、飛球を落球したあげく、その球を「俺が取るのか?」といった態度で面倒臭そうに取りに行く姿が垣間見えた。サッカー王国の静岡県出身だが、もちろんサッカーなどに興味はない。そんな石野が2002年ワールドカップの公式讃歌(作曲・プロデュースともにヴァンゲリス)のリミックス版をリリースした時は「あのスポーツ音痴が何故?」とファンやメディアの間で話題になった。
静岡学園高校の一学年上の先輩に三浦知良がいたが、石野が入学した時点で三浦は1学年修了を待たずして中退し、ブラジルに単身留学していた為、面識は無い。彼の名前を聞かされてもロス疑惑の方(三浦和義)の事かと思ったという。多くのプロサッカー選手を輩出している有名校だが、非常に厳しい校風で、石野は当時の学園生活を振り返り「懲役三年」と語っている。一方で、パジャマ姿で登校するなどといった奇行を行った等のエピソードを明らかにしている。
- 非常に個性の強い人物であり、下ネタなどを得意とする。アダルトビデオ出演経験あり(彼曰く「勃たなかった」ので本番はなかったらしい)。ちなみに童貞喪失は中学2年の夏休み。かつて『電気グルーヴのオールナイトニッポン』生放送中に性欲を催し、曲をオンエアしている間にスタジオを抜け出しトイレでオナニーを済ませて戻ってきたという逸話がある(番組ではその様子すら一種のイベントとして楽しんでいた)。本人は誰よりも破天荒な人物だが、他人の細かい心理や非常識的な行動言動に対して鋭く的確なつっこみをする。
- ひとたびテンションが上がると、思いついたダジャレや単語はとりあえず口に出して言わないと気がすまない。自称「ギャグピューター」。酒好きで一旦酔うとギャグピューターぶりが加速し、その酷さがより加速する。しまいには瀧すらもフォローするのが面倒になり、ケラリーノ・サンドロヴィッチやMCボーズを呆れさせたというエピソードが多数存在する。ビールはガロン単位で飲む。そのため、酔って尿失禁する機会が何年かに一度のペースで度々ある。プレイで使用するDJブースは実家でかつて妹が使用していた勉強机や瀧の家のタンスなど、場所とシチュエーションを選ばない。
- ライブのMCではオールナイトニッポン時代を彷彿とさせる毒舌と過激なギャグで観客を沸かせるが、2010年代のライブMCでは瀧に対し「180%の力でミキティーやって」など、常軌を逸した無茶ぶりをして瀧が嬉々として答えるというやりとりが定番化している。パフォーマンスで疲労する瀧に代わってトークのイニシアチブを取り、瀧が突っ込みに終始することも多い。また、アンコールのMCでは飲酒しながらのトークになるため、内容がより過激になる。
- 新しい性的技法として「オナックス」を提唱。カップ焼きそばと本物の焼きそばが実際は別種の食べ物であるように、セックスとオナニーもまた別物であるという理論のもとに、なおかつ両方を組み合わせたもので、男女でお互いを前にオナニーをしあう行為、または女性が男性の自慰行為を手伝うこと(あくまで陰部は自分で刺激する)を指す。重要なのは、盛り上がっても決して相手に手を出してはいけないということである。
小室哲哉所有のフェラーリに、自身の性器をなすりつけ「ここから腐るぞ」と言った。マゾなので「尿は飲んでも飲まれるな」が身上である。また、基本的にノンケだが、テクノ系クラブシーンに身を置く都合上、ゲイに対する偏見は薄く、ゲイカルチャーとはなんとなくウマが合い、「まぁ、それなりに…」とチャレンジした事があると告白している[7]。1991年ごろには毎晩のようにオカマバーへ通い、「男女のはざまを行く不思議な感じが好き」とオールナイトニッポンで告白していた。親友の日出郎から「アンタにはその気があるのよ。アンタの書く歌詞を見れば分かる」と指摘されている。
- かつて失踪癖があり、「プチYOSHIKI」との異名を持っていた[8]。
- 活動休止前まで、サングラスをかけてテレビ出演することが多かった。これは「この場は自分にとってアウェイである」と感じているという意思表示である。その場に瀧が同席していた場合、対応を丸投げしていた。
- 電気のアルバム『DRAGON』以降、ローマ字表記は「Takkyu Ishino」でほぼ統一されているが、それ以前は「TackQ Ishino」、あるいは「TaQ Ishino」などの表記が度々用いられた。特に前者に関しては、彼がリスペクトを表明しているOn-Uサウンド所属のTackheadの影響によるものと思われる。
- 近年の自身の楽曲やリミックス仕事のなかで、特にクラブユースを想定したトラックに関しては、曲のテンポをBPM133.333付近でほぼ統一している。このテンポだとアナログレコード盤に33回転でプレスされた場合、曲のなかの一小節単位とターンテーブル上での針の一周の周回時間がほぼ一致する為、DJで使用する際に何かと都合が良い事が主な理由であるという。
- 1997年2月に結婚、2005年5月に離別と推測される発言をしているが[9]、2008年4月2日放送のJ-WAVE『OH! MY RADIO』出演時、電気グルーヴの噂等を募集するコーナーで石野の結婚・離婚の記述を取り上げた際、石野と瀧は笑いながら「100%嘘」と明かし、さらに他の自分達の項目に対しても「嘘が多い」「とんでもない物がある」「デタラメでいい」等とコメントをしている。さらにそういったWikipediaの内容をソースとして取材されることもあり苦笑しているようである。それらを踏まえた上で、「もっと『ほんとうの事』をどんどん書け」とのお達しが出ている。なお1994年、スポーツ紙が結婚報道を伝えたことがあるが、これは浅草キッドのラジオ番組で石野が言った冗談を記者が真に受けた誤報である。
- 映画はATG関連の諸作品や石井聰亙監督作品『高校大パニック』、ドラマは『ふぞろいの林檎たち』などを好む。音楽に没頭する以前は、富野由悠季作品を初オンエア時から熱心にチェックする少年だったという。ゲームやアニメに関連する仕事を多く手がけた影響か、現在進行形でアニメや漫画好きと捉えられがちだが、特にそんな事は無く最近のものには一切興味がないとの事。ただ、たまにライダーカードの完全復刻版欲しさに何万円もする『仮面ライダー』のLD-BOXセットを突如購入してみたり、1970年代の古い作品を観返したりする事はあるという。
- かねてより「特殊漫画家」こと根本敬の大ファンである事を公言。石野より連絡をとり交流を持つようになった。のちに電気が大プッシュした李博士のポンチャックなども、根本の影響によるところが大きい。根本に教えてもらったサヌリムという韓国のサイケバンドのCDを聴く為、石野は初めてCDプレイヤーを購入したという。
1980年代のエロ本文化にも造詣が深く、スーパー変態マガジン『Billy』(白夜書房)やニューウェイヴ自販機本『HEAVEN』(アリス出版)をリアルタイムで購読していたという[10]。また電気グルーヴを結成する以前には、当時「サブカルの最前線」という位置付けにあったエロ本の編集者になりたいと思っていたことをインタビューで語っている[11]。
- お笑いシーンに関しても異常なほどの知識を持ち、かつては独自の情報網を駆使し、関東にいながらにして全国進出以前のダウンタウンの関西ローカルでの活躍を常にチェックしていたほど。東京ではまだ現在ほど知名度の無かったダウンタウンの松本人志と放送作家の高須光聖に東京・笹塚のデニーズで遭遇し、すかさず握手とサインを貰ったという[12](蛇足だが、電気グルーヴの結成の地もデニーズ(初台駅近の西新宿店)である。[13])。近年は特に劇団ひとりを絶賛しており、彼のライヴに駆けつけたり花輪を送ったりしている。
- 『DOVE LOVES DUB』収録の「TKO TONE」でサンプリングされている「入会金無料、1時間800円!」の声は、TV番組「進め!電波少年」の企画で松本明子が担当した風俗店の呼び込みナレーションであり、石野は知らずに使用していたという話がファンの間で語り継がれてきた。しかし、2016年8月3日のDOMMUNEに出演した際、「この音源は電波少年よりも前からあったと思う」と発言している。
- 近年は重度のラジオマニアであることを公言、自宅に数台のラジオを配置してどこでも番組を聴けるようにしているという。TBSラジオ『ストリーム』は番組の流れをすべて把握しているくらいとの発言もし、番組本への寄稿までしている(ただし、音楽的影響はゼロとのこと)。後続番組であり、瀧も出演している『小島慶子 キラ☆キラ』や『たまむすび』も継続聴取しており、ときには番組にメール・FAXを送ることもある。ちなみに瀧がゲスト出演した回の『伊集院光 日曜日の秘密基地』にリスナーとしてFAXを送ったことがあるが、スタッフから悪戯と思われて不採用になったという逸話がある。なお、『ドリルキングアワー』終了後はレギュラー番組を持たず、ゲストとして様々な番組に出演している。
電気グルーヴの楽曲「リンギンベル」のイントロに使用されているベルの音は、とある空港で自身が偶然にベル合奏の練習をしている団体に遭遇した際、許可を得て録音・サンプリングした音源であると雑誌「Sound & Recording Magazine」内のインタビュー記事で語っており、その録音に使用されたローランドR-05の実物画像がインタビュー記事と共に掲載されている(GROOVE SPRING 2012号)。DJ出演時などは携帯し、自身のプレイを録音する等で使用している。
作品
シングル
- anna -letmein letmeout-(1999年)
- STEREO NIGHTS(2001年)
- TAKBAM(2001年)
- ANTHEM -takkyu ishino remix-2002 FIFA Word Cup TM Official Anthem-(2002年)
- The Rising Suns(2004年)
アルバム
- DOVE LOVES DUB(1995年)
- BERLIN TRAX(1998年)
- throbbing disco cat(1999年)
- KARAOKE JACK(2001年)
- シティボーイズミックスPRESENTS パパ・センプリチータ オリジナルサウンドトラック(2003年)
シティボーイズ舞台公演のサウンドトラック。
- TITLE #1(2004年)
- TITLE #2+#3(2004年)
- TITLES (european edition)(2005年、TITLE#1-#3の欧州編集盤)
- CRUISE(2010年)
- WIRE TRAX 1999-2012(2012年)
LUNATIQUE(2016年)- ACID TEKNO DISKO BEATz(2017年)
- Takkyu Ishino Works 1983〜2017(2018年)
- 完全生産限定盤は、プロデュース、リミックス、コラボレーション、提供曲など過去35年間・全100曲以上(予定)の石野卓球が制作した楽曲がリマスタリング、収録されたCD8枚組。
DJ-MIXアルバム
- MIX UP Vol.1(1995年)
- DJF400(1998年)
- IN THE BOX〜Live at WOMB Tokyo〜(2003年)
- A Pack to The Future(2005年)
Compilationアルバム
- Mayday The "Sonic Empire" Compilation / V.A.
- Pacific State / V.A.
- WIRE99 Compilation / V.A.
- WIRE01 Compilation / V.A.
- WIRE02 Compilation / V.A.
- WIRE03 Compilation / V.A.
- WIRE04 Compilation / V.A.
- WIRE05 Compilation / V.A.
- WIRE06 Compilation / V.A.
- WIRE07 Compilation / V.A.
- WIRE08 Compilation / V.A.
- WIRE09 Compilation / V.A.
- WIRE10 Compilation / V.A.
- WIRE11 Compilation / V.A.
リミックス
- 恋はマケテラレネーション (Trip II da Mars Mix) / 宍戸留美 - 1993年(KO世紀ビースト三獣士 スパークリングヴォーカルアルバム T・K・O)
- Twiggy Twiggy (Take A TB Train Mix) / Pizzicato Five - 1993年(Expo 2001 / Pizzicato Five)
- テクノでSo.Ya.Na (Bite My Jeans Mix) / West End x Yuki (from O.P.D.) - 1995年(So.Ya.Na グレーテストヒッツ / West End x Yuki (from O.P.D.))
- All Our Colours (Takkyu Ishino Remix) / Microglobe - 1995年(Afreuroparemixes And More - A Different View / Microglobe)
- Peach X'mas (Takkyu Ishino Remix) / 岡村靖幸 - 1995年(Peach X'mas / 岡村靖幸)
- Gamer's Night (Takkyu Ishino Remix) / Mijk's Magic Marble Box - 1996年(Tokyo Trax Remixes / Mijk's Magic Marble Box)
- メカパクサ [Dr.Eのテクノ初体験] (Remixed By 石野卓球) ・ Arirandrome (Remixed By 石野卓球) / イ・パクサ - 1996年(ひらけ!ポンチャック / 李博士(イ・パクサ) vs 電気グルーヴ)
- Volunteer Ape Man (Disco) / Cornelius - 1996年(96/69 / Cornelius)
- パイク (Remixed By 石野卓球) / ヒカシュー - 1996年(レトロアクティブ / ヒカシュー)
- エエジャナイカ〜卓球の極道電子盆唄編 / ソウル・フラワー・ユニオン - 1996年(エエジャナイカ / ソウル・フラワー・ユニオン)
- Ultra Q's Theme (Remixed By Takkyu Ishino) / The Surf Coasters - 1996年(Surfdeliciouce / The Surf Coasters)
- 象のパオパオ(石野卓球 Mix) / 少年ナイフ - 1997年(Super Mix / 少年ナイフ)
- Oxygene 8 (Takkyu Ishino Extended) / Jean Michel Jarre - 1997年(Oxygene 8 / Jean Michel Jarre)
- It's More Fun To Compute (Takkyu Ishino Tachno Funk) / KRAFTWERK - 1998年(Musique Non Stop / KRAFTWERK)
- Music Is The Key Love Parade 99 (Takkyu Ishino Mix) / Dr. Motte & Westbam - 1999年(Music Is The Key Love Parade 99 / Dr. Motte & Westbam)
- Luv Luv Robot (Takkyu Ishino Remix) / Popsoda - 1999年(Luv Luv Robot / Popsoda)
- Anthem - Takkyu Ishino Remix / Vangelis - 2002年(2002 FIFA World Cup Official Anthem / Vangelis)
- Have You Ever Seen The Blue Comet? (Takkyu Ishino Remix) / Dr. Shingo - 2002年(Have You Ever Seen The Blue Comet? / Dr. Shingo)
浮雲男 (Takkyu's Japp Tekno Ppopp Mix) / エレファントカシマシ - 2003年(花男 / V.A.)- エレクトリック先生 (Electric Body Sensei Mix) / HALCALI - 2003年(エレクトリック先生 / HALCALI)
- マジックタイム (Takkyu Ishino Remix) / JUN - 2003年(マジックタイム / JUN)
- The Last Dance (Takkyu Ishino Remix) / rays - 2004年(The Last Dance / rays)
- Geheimnis / DAF - 2004年(Fine Time - A Tribute To New Wave / V.A.)
以心電信 (Takkyu Ishino Remix) / オレンジレンジ - 2006年(Squeezed / オレンジレンジ)- Music (Takkyu@133.333) / RAM RIDER - 2007年(きみがすき + Remix Tunes / RAM RIDER)
- Luvotomy (Camp Three-O-Three Remix) / m-flo loves 安室奈美恵 - 2007年(electriCOLOR -COMPLETE REMIX- / m-flo)
- オリーブの首飾り (Takkyu's Limbo Bimbo Mix) ・オリーブの首飾り (Takkyu's More Jumbo Bimbo Mix) / Paul Mauriat - 2007年(The Remixes Viva! Paul Mauriat / Paul Mauriat)
- Firestorm (Takkyu Ishino Remix) / Wrench - 2008年(drub / Wrench)
- Speed Racer - Takkyu's Demon On The Wheel Mix / 石野卓球 - 2008年(Speed Race Japan 〜マッハGoGoGoトリビュート〜 / V.A.)
Shangrila (Takkyu Ishino Remix) / チャットモンチー - 2009年(One By One / V.A.)- Propaganda (Takkyu Ishino Remix) / Fact - 2009年(Nivan Runder Soundrugs / Fact)
- You May Crawl (Takkyu Ishino Remix) / School Food Punishment - 2009年(futuristic imagination / School Food Punishment)
ルーキー (Takkyu Ishino Remix) / サカナクション - 2012年(僕と花 / サカナクション)- A Piece of Future -Takkyu Ishino Remix- / FISHMANS+ - 2012年(A PIECE OF FUTURE / FISHMANS+)
- My Dear Lady,Will You Dance With Me Tonight? -Takkyu ishino's Rave 1991 Remix- / Fear, and Loathing in Las Vegas - 2014年(Rave-up Tonight / Fear,and Loathing in Las Vegas)
- NOTORIOUS Takkyu Ishino's Acid Sucker Mix / RIZE - 2015年(PARTY HOUSE / RIZE)
- Tutti Frutti (Takkyu lshino Remix) / New Order - 2015年(Tutti Frutti EP / New Order)
その他
- TOKYO TONE/0990 (3rd Movement) - 1994年(DOVE LOVES DUB名義 / とれまレコード)
- REIKO/TOMOKO/THREE SYNTHESIZERS - 1994年(DOVE LOVES DUB名義 / とれまレコード)
- TOMOKO/Chiki Bam Tom - 1995年(DOVE LOVES DUBS名義 / CHOCI'S CHEWNS)
- MICKIEE ep - 1995年(MICKIEE名義/とれまレコード)1997年にもMICKIEE名義でお蔵入りした12インチがあり、内容は133BPMで統一された曲がJEFF MILLS"CYCLE 30"のようなループ状の溝によりエンドレス再生される仕様あった。とれまレコード代表の田中フミヤは200〜300枚程度プロモオンリーの非売品でプレスする予定を雑誌『エレキング』誌上の連載「ダメトーク」で語っており、石野本人はこの盤を実際に手にしたことをラジオ番組「ドリルキングアワー」で公言している。
- チャイム - 1995年 (「篠原ともえ+石野卓球」名義。篠原の実質的デビューシングル)
- VOLUNTEER APE MAN (DISCO) (Corneliusのリミックス・アルバム「96/69」で同曲のリミックス)
- 九官鳥&ヒズフレンズ (「石野卓球&小山田圭吾」名義。テレビブロス10周年企画。非売品。)
ヴァンゲリス - 「ANTHEM」-2002年(FIFAワールドカップ公式讃歌)のリミックス)- The Album - 2003年(岡村靖幸とのユニット「岡村と卓球」名義)
細川ふみえ - 『だっこしてチョ』『にこにこにゃんにゃん』(作曲&プロデュース)- 「MEMORIES」(大友克洋監督作品。OP&EDテーマ『IN YER MEMORY』担当)
- 「サイレン 〜FORBIDDEN SIREN〜」(堤幸彦監督作品。EDテーマ担当)
プレイステーション用ゲーム「攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL」(メインテーマ提供およびサウンドトラック盤総合プロデュース)- テレビアニメ「交響詩篇エウレカセブン」(『NINETY THREE』がBGMとして使用された)
UKAWANIMATION!-『惑星のポートレイト 5億万画素』(楽曲提供/宇川直宏の音楽ユニット、UKAWANIMATION!のシングルに表題曲を提供。萩原健一がボーカリストとして参加)
木村カエラ - 『おどるポンポコリン』(編曲)
SMAP - 『SMAPのポジティブダンス』(作曲)
夏木マリ - 『逆走BBA』(作曲) - ミニアルバム「朝はりんごを食べなさい」に収録[14]
ハリウッドザコシショウ - 『ゴキブリ男』(作詞、作曲、プロデュース、コーラス)[15]
V6 - 『刹那的 Night』(作詞、作曲) - アルバム「The ONES」に収録
日出郎 - 『燃える!バルセロナ』(作詞、作曲、プロデュース、コーラス)[16]
著書
- テクノボン(1994年、宝島社)ISBN 4796608044 - 野田努との共著
- 生卵 忌野清志郎画報(1995年、河出書房新社)※寄稿
- 赤塚不二夫 実験マンガ集(2015年、Pヴァイン)※巻末インタヴュー
出演
ラジオ
※ここではソロとしてのレギュラー番組のみ紹介。
- AZ-WAVE (AZ-BEAT)(1997年 - 2000年、J-WAVE)- DJミックス。
- FREE FORM 〜TOKIO UNDERGROUND MIX ZONE〜(2000年 - 2002年、J-WAVE)- DJミックス。
- ミュージック・パイロット(2002年8月、NHK-FM)- マンスリーパーソナリティ。
CM
Honda「CR-V」(2018年、ナレーション)
脚注
^ テクノ音楽の第一人者 「電気グルーヴ」の石野卓球さん | 静岡新聞(2012年1月9日).2014年11月11日閲覧[リンク切れ]
^ “石野卓球、"エロ"がテーマの新作『LUNATIQUE』は「性の私小説」”. SILLY (2016年8月4日). 2017年12月30日閲覧。
^ 太田出版『Quick Japan』vol.5「テクノ専門学校・石野卓球VS青山正明」1995年12月24日発行
^ 音楽サイトOOPS!の記事
^ 『サイキッカー 明解サイキック読本4』
^ 1991年、地元の静岡第一テレビ(SDT)の『JanJanサタデー』に出演した際、実家のパン屋と彼の祖母がVTRで紹介された。実体はパンも売っている駄菓子屋であった。2010年に建物は解体された。
^ 『POPEYE』2007年11月号
^ 『電気グルーヴのオールナイトニッポン』(ニッポン放送・1991年〜1994年)では自称もしている。
^ 女性誌『CREA』の石川三千花との対談での発言、及び『キック・ザ・カンクロー』(TBSラジオ)での発言より。「CREA」の対談は石川の単行本「いきなりハッピー」に収録されている。
^ “石野卓球インタビュー「二度と会うこともないと思いますけど、はじめまして」”. THE FASHION POST (2016年8月20日). 2017年7月26日閲覧。
^ “石野卓球、"エロ"がテーマの新作『LUNATIQUE』は「性の私小説」”. SILLY (2016年8月4日). 2017年12月30日閲覧。
^ 『松本人志の放送室』(TOKYO FM・JFN)での高須光聖の発言より
^ 電気グルーヴのセルフトリビュートアルバム『The Last Supper』初回盤付属バイオグラフィーより。
^ “夏木マリ新作にゆず岩沢、フラカン鈴木、石野卓球、清志郎、斉藤和義”. 音楽ナタリー (2016年2月22日). 2016年2月23日閲覧。
^ “ハリウッドザコシショウ、石野卓球プロデュース「ゴキブリ男」で歌手デビュー”. ナタリー (2017年1月5日). 2017年1月18日閲覧。
^ “日出郎の「燃えろバルセロナ」を石野卓球がリメイクピェール瀧もボイスで参加”. ナタリー (2018年2月28日). 2018年4月4日閲覧。
外部リンク
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