キング・クリムゾン







































キング・クリムゾン
King Crimson

King Crimson - Vredenburg Utrecht (21938525365).jpg
オランダ・ユトレヒト公演 (2015年9月)

基本情報
出身地
イングランドの旗 イングランド・ロンドン
ジャンル
プログレッシブ・ロック
アヴァンギャルド
実験音楽
インプロビゼーション
シンフォニック・ロック (初期)
ジャズ・ロック (1970年代)
フリージャズ (1970年代)
ヘヴィロック/メタル (1972年-74年、1990年代以降)
ニュー・ウェイヴ(1980年代)
プログレッシブ・メタル (1990年代以降)
ヌーヴォ・メタル (1990年代以降)
活動期間
1968年 - 1974年
1981年 - 1984年
1994年 - 2011年
2013年 - 現在
レーベル
EGレコード
委託先
(アイランド・レコード)
(アトランティック・レコード)
(ポリドール・レコード)
(ワーナー・ブラザース・レコード)

Discipline Global Mobile
委託先
(ヴァージン・レコード)
(サンクチュアリ・レコード)
(WHDエンタテインメント)ほか
公式サイト
king-crimson.jp
メンバー
ロバート・フリップ (G)
ジャッコ・ジャクスジク (Vo/G)
メル・コリンズ (Sax)
トニー・レヴィン (B)
パット・マステロット (Ds)
ギャヴィン・ハリソン (Ds)
ジェレミー・ステーシー (Ds)
ビル・リーフリン (Key/Ds)
旧メンバー
グレッグ・レイク(Vo/B)
イアン・マクドナルド (Key)
ジョン・ウェットン (Vo/B)
ビル・ブルーフォード (Ds)
エイドリアン・ブリュー (Vo/G)
ほか 別記参照

キング・クリムゾン (King Crimson) は、イングランド出身のプログレッシブ・ロックバンド。


同国のミュージシャン ロバート・フリップが主宰を務めている事でも知られ、同分野で重要な位置に格付けられているグループの一つ。活動は中断期間を挟みながら50年に及び、後発のロック音楽に多大な影響を与えた。




目次






  • 1 概要


  • 2 来歴


    • 2.1 1960年代 クリムゾン・キングの宮殿(1968年 - 1969年)


    • 2.2 1970年代 アイランズ期(1970年 - 1972年)


    • 2.3 1970年代中半 インプロビゼーション期(1972年 - 1974年)


    • 2.4 1980年代 ニュー・ウェイヴ期(1981年 - 1984年)


    • 2.5 1990年代 ダブルトリオ期(1994年 - 1997年)


    • 2.6 1990年代後半 プロジェクト期(1997年 - 2000年)


    • 2.7 2000年代 ヌーヴォメタル期(2000年 - 2004年、2008年)


    • 2.8 2010年代 トリプルドラム期(2013年 - 2016年)


    • 2.9 2010年代後半 ダブルカルテット期(2017年 - 現在)




  • 3 メンバー


    • 3.1 現ラインナップ


    • 3.2 旧メンバー


    • 3.3 ラインナップの変遷(主な担当パート)




  • 4 独立レーベル「ディシプリン・グローバル・モービル」


  • 5 ディスコグラフィ


    • 5.1 オリジナル・アルバム


    • 5.2 ミニ・アルバム(EP)


    • 5.3 ライブ・アルバム


    • 5.4 コンピレーション




  • 6 日本公演


  • 7 備考補足


    • 7.1 キング・クリムゾン事件




  • 8 関連項目


  • 9 脚注


  • 10 関連文献


  • 11 外部リンク





概要


1968年に結成。アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』で1969年にデビュー。以降、リーダーのロバート・フリップはバンドのメンバーを次々と替えていき、音楽性も多様に変遷を辿った。日本では俗に「クリムゾン」と呼ばれるが、本国ファンにはCrimso(クリムソ)の略称が根強い。


  • 註:キング・クリムゾンの活動時期の分類については諸説ある。構成メンバーを基準に、“第1期”、“第2期”、...などと分類する点は共通しているが、「デビュー~ファースト・アルバムのリリース当時」のメンバーを“第1期”、サード・アルバム『リザード』のころを“第2期”、4thアルバム『アイランズ』のメンバーを『第3期』、...とする分類や、『リザード』までを“第1期”、『アイランズ』のころを“第2期”、『太陽と戦慄』から1974年解散までを“第3期”、...とする分類などといったように、「アルバム自体や、その時のメンバー単位で分類する方法」と、「デビュー〜1974年の解散時まで」を“第1期”、「1980年代再結成からの活動期間」を“第2期”、「1994年からの活動期間」を“第3期”...と、「連続活動期間で分類する方法」などがあり、統一がなされていない。音楽評論家の市川哲史は、『太陽と戦慄』の時期を「再結成」、1980年代の『ディシプリン』から『スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペアー』の時期を「再々結成」、1990年代のダブル・トリオの時期を「再々々結成」として、キング・クリムゾンのCDのライナノーツでもその様に記述している。ここでは、前者の分類方式に準じて述べていくが、「デビュー当初の“第1期”」後については、極力、構成メンバーやアルバム・タイトルなどで記述する事とする。


来歴


[1]



1960年代 クリムゾン・キングの宮殿(1968年 - 1969年)


1968年、ジャイルズ兄弟(マイケル・ジャイルズ、ピーター・ジャイルズ)とロバート・フリップの3人によるバンド「ジャイルズ・ジャイルズ&フリップ」から発展。同年6月にマルチプレイヤーのイアン・マクドナルド、作詞・ライブ時の照明担当のピート・シンフィールド、女性ボーカルのジュディ・ダイブルが加わってのスターティングメンバーで開始する。


しかし翌7月にダイブルが抜け、同11月にフリップの古くからの友人であったボーカリスト兼ベーシストのグレッグ・レイクが参加。同12月にはピーター・ジャイルズが脱退し、残った5人が正規メンバーとなり第1期の陣容が正式に固まった。バンド名は加入前にマクドナルドとシンフィールドが共作した曲「クリムゾン・キングの宮殿」から採られ、シンフィールドがメンバーの反対を押し切って付けたとインタビューに答えている。1969年初頭からリハーサルと曲作りが行われ、公開リハーサルの後、ライブ活動とアルバム制作を並行した。


同年10月、デビュー・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』を発表。それは今後のロック・ミュージックを左右する雛形が詰まったと言える作品で、業界からも非常に高い評価を得る[2]。全英アルバムチャート5位まで上昇したが、当時から雑誌のレコード・レビューなどで「1969年に、ビートルズの『アビイ・ロード』を1位から転落させたアルバム」といった内容で紹介されてしまう都市伝説も生まれた[3]


この1stアルバム制作当初、「ムーディ・ブルース」のプロデューサー トニー・クラークがプロデュースを担当する繋がりで、同バンドのレーベル『スレッショルド』からリリースする話もあったが、結局はクラークと制作面の相違で決裂。最終的にバンド側がセルフプロデュースして『アイランド・レコード』からのリリースとなった。また、現在はフリップがバンドリーダーを務めているが、この当時の作曲やアレンジを含めた音楽面では、マクドナルドが優勢であったとされる。特に、キーボード(メロトロン)、サックス、フルートを導入し、新たな音楽を創造した功績は大きいとされている。


1stアルバム発表後、イアン・マクドナルドとマイケル・ジャイルズは同年末で脱退し、ロックデュオ「マクドナルド&ジャイルズ」結成に向かう。これによりオリジナル・ラインナップは早くも崩壊し、アルバム僅か一枚の短命で終わる。



1970年代 アイランズ期(1970年 - 1972年)


バンドは崩壊後も契約消化のため、アルバム・リリースを継続せねばならなかった。1970年からの新アルバム制作にメル・コリンズ、脱退していたジャイルズ兄弟らの協力やゲストプレイヤーを招いて、2ndアルバム『ポセイドンのめざめ』完成させた。また、グレッグ・レイクが4月以降からレコーディングに来なくなり、そのまま脱退。「エマーソン・レイク・アンド・パーマー」結成に動き出していた。その為ライブツアーは実施されていない。同年末リリースの3rdアルバム『リザード』も、ほぼ同様の形式で完成させた。こちらはライブツアー実施を試みようとしたが、リハーサル段階で頓挫している。


1971年初頭、残っている正規メンバー フリップ、メル・コリンズ、ピート・シンフィールドは、ライブ活動が出来る状態を模索する。まずドラマーではイアン・ウォーレスを獲得。そして難航した末、ボーカリスト ボズ・バレルがベース兼任という形で決まった。ベースが素人だったボズに対し、フリップはベースギターの奏法を教授した後、次作収録前にドイツや英国ツアーで1年以上ぶりの慣らしライブを行う。


同年秋からアルバム制作開始し、並行して北米ツアーを開催。この間メンバー同士の確執が浮き彫りになる。特にフリップとシンフィールドの、ブレーン両名の険悪化は致命的であった。そんな中の同年末、4thアルバム『アイランズ』を発表。そしてシンフィールドは解雇された。しかし翌1972年早々のリハーサル段階でもメンバー間の意見統一が出来ず、結局フリップはバンドの解散を決意。マネージメント側は既に向こう2ヶ月のプランを組んでいたため、4人は渋々残りの北米ツアーを消化した後の同4月頭に解散した。


ツアー終了後フリップのみ英国へ帰国し、残りの3人は遠征先で意気投合したアレクシス・コーナーとバンド「スネイプ」を結成。その後ボズは、ポール・ロジャースのバンド「バッド・カンパニー」のベーシストとして参加。シンフィールドはグレッグ・レイクの呼びかけに応じ、「エマーソン・レイク・アンド・パーマー」に作詞で協力したりソロ・アルバム『スティル』を制作した。後年にフリップは、この時期のバンド解消を「彼らとではアイデア(後の『太陽と戦慄』路線)を具体化できなかったから」と説明している。


同年6月、初のライブ・アルバム『アースバウンド』を廉価版にてリリース。これは北米ツアーの音源で劣悪な音質であり、後々まで批評を受けた[4]



1970年代中半 インプロビゼーション期(1972年 - 1974年)


解散が決定した1972年初頭からの北米ツアーの期間中、フリップは次期クリムゾン再開に向けて既に青写真を描いていた。同年夏、ドラマーのビル・ブルーフォードを「イエス」から獲得。「ファミリー」のベーシスト兼ボーカリストでフリップの大学時代の友人ジョン・ウェットン、クリムゾンが影響を受けた即興集団デレク・ベイリー主宰カンパニーのパーカッショニスト ジェイミー・ミューア、そして新鋭のバイオリニスト デヴィッド・クロスが集結し、同年10月から再始動。即興演奏(インプロビゼーション)を主体に、新たな楽曲を生み出す技巧派集団に生まれ変わった。


ここで再びバンドとしてのピークを迎え、5th『太陽と戦慄』6th『暗黒の世界』7th『レッド』の3枚のアルバムをメンバー変遷を経ながらもリリースし、ライブ・ツアーも精力的にこなした。


1974年のアルバム『レッド』制作の頃には、正規メンバーがフリップ、ウェットン、ブルーフォードの3人にまで減っていた。ウェットンの呼び掛けにより、数名の旧メンバーがゲスト参加してアルバムを完成させたが、リリース直後にフリップは解散を宣言。直前まではメディアに、そのゲストで協力をしたかつての創設メンバー、イアン・マクドナルドを再度迎えてのバンド継続を匂わしてもいたが、フリップは自身だけでも脱退するつもりの決意をしていた。


解散後の1975年に、北米ツアーのライブを収録したアルバム『USA』がリリースされた。元音源にはバイオリン兼キーボード(主にメロトロン)担当のデヴィッド・クロスが参加していたが、数曲が編集段階でエディ・ジョブソンの演奏に差し替えられている(またこの頃、「太陽と戦慄 パート2」(5thアルバム『太陽と戦慄』収録)に酷似した曲が映画「エマニエル夫人」で使用され、フリップの訴えによる裁判が行なわれている。裁判後に和解)。



1980年代 ニュー・ウェイヴ期(1981年 - 1984年)


解散から7年後の1981年、フリップは、かつてのメンバーであるビル・ブルーフォードと共同で、「ディシプリン」という名のプロジェクトを開始した。アメリカ人ベーシスト、トニー・レヴィンが加入[5]。2人目のギタリスト兼ボーカリストに、アメリカ人のエイドリアン・ブリューが参加した。この4人からなる新グループは、契約しているレーベルの商業的意向もあって再び「キング・クリムゾン」の名義で活動を再開する。


しかし1970年代までのスタイルからは打って変わり、管弦楽器を廃してギター・ロックに徹し、ポリリズムや当時ムーブメントになっていたニュー・ウェイヴの要素を取り入れるなど、音楽性が劇的に変化していた(演奏については、2本のギターとスティックによる複雑なアルペジオの絡みが特徴的だった)。このような形での再結成に批判が高まり、「キング・クリムゾンがトーキング・ヘッズ化した」という批判も一部から出た(旧メンバー ジョン・ウェットンも「英国人以外が参加しているこのラインナップを、クリムゾンとして認めていない」旨の発言をしている)。


同年9月、当初のバンド名をセルフタイトルとした8thアルバム『ディシプリン』リリース。同12月に初来日し、渋谷公会堂、浅草国際劇場を始めとする全国ツアーを行なった。


1982年、9thアルバム『ビート』を発表。元々『ディシプリン』のみのプロジェクトだったため新素材がほぼ皆無で、準備不足のなか創作に苦労したエピソードを明かしている。


1984年リリースの10thアルバム『スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペアー』に至っては、メンバーのモチベーションはもはや低下した中で制作された。同年春に再来日し、北米ツアー後の7月に解散を決定する。フリップは「レーベルとの契約は、アルバム3枚リリースが条件だった。本来意図したアイデアは『ディシプリン』で完結している」と後年に明かしている。



1990年代 ダブルトリオ期(1994年 - 1997年)


1980年代末頃からフリップの活動も活発になり、再び再結成の機運が高まっていく。1992年にフリップは音楽エンジニア デヴィッド・シングルトンと共同で、自身が管理する独立レーベル「Discipline Records (後のDiscipline Global Mobile。通称 DGM)」を設立。


さらに、デヴィッド・シルヴィアンとの共作などで手応え感じたフリップは、1994年から遂にバンドを再始動させる。1980年代のメンバーから更に増員して6人編成となり、3人二組のユニットを配置するスタイルを構築(通称 ダブルトリオ)。サウンド面では、1974年作『レッド』で片鱗をみせたヘヴィ路線を継承し、プログレッシブ・メタルを推進した。


このラインナップでEP『ヴルーム』を制作。慣らし運転も兼ねた南米ツアーを開催し、翌1995年に11年ぶりの11thアルバム『スラック』を発表。そしてフリップは、キング・クリムゾンが実践するヘヴィサウンドを「ヌーヴォメタル (Nuovo Metal)」と名付けた。アルバムに伴うワールドツアーを開始し、数多くのライブ音源をアーカイブ化していく。



1990年代後半 プロジェクト期(1997年 - 2000年)



長期のライブ・ツアーを終え休息した後の1997年、集合したバンドはリハーサル段階で相違が大きく内紛状態になってしまう。また、メンバーそれぞれ自身の仕事を掛け持ちしており、スケジュールの確保も影響していた。そこでフリップは6人編成を一旦棚上げにして、次作へのアイデアを蓄積させていく意味も含め「プロジェクト (ProjeKct)」という名義の小ユニット活動に一時シフト。これを2000年まで断続的に続ける。またこの期間、グレッグ・レイクもしくは、ジョン・ウェットンを含む4人のクラシックメンバー再結成が企図されたが、これは計画段階で頓挫している。


2000年、プロジェクトで培ったアイデアを結集した「ProjeKct X」名義のアルバム『Heaven And Earth』をリリース。ただし、ビル・ブルーフォードが、電子ドラムを使用したいフリップの方針に難色を示し、また自らのバンド「アースワークス」の活動に専念を希望し、1997年に脱退していた。トニー・レヴィンもピーター・ガブリエルとの先約を優先し、1998年から離脱したまま復帰はしなかった。



2000年代 ヌーヴォメタル期(2000年 - 2004年、2008年)


2000年、ダブルトリオ瓦解後の残る4人による12thアルバム『ザ・コンストラクション・オブ・ライト』をリリース。結果的に前作ほどのセールスは振るわなかった。来日公演や北米ツアーを開催するが早くも次作に向けた構想に取り組み、バンド独自のヘヴィサウンド「ヌーヴォメタル」を、これまで以上に推し進める。




ベルギー・ドゥール公演 (2003年7月)


2001年から次作に向けた短期ツアーとレコーディングを並行して実施。同年にEP『レヴェル・ファイヴ』、翌2002年にもEP『HAPPY WITH WHAT YOU HAVE TO BE HAPPY WITH』をリリース。そして2003年、ヌーヴォメタルの集大成となる13thアルバム『ザ・パワー・トゥ・ビリーヴ』を発表。同年に来日公演を含むワールドツアーを開催する。


同年秋、ダブルトリオ編成からのメンバーだったトレイ・ガンが脱退を表明。入れ替わりに、トニー・レヴィンが復帰した。翌2004年から新ラインナップでリハーサルを重ねるが、想像以上に上手くいかず頭打ち状態に陥った。多額の経費をかけた割に実りの無さを痛感したフリップは、今後のプランを白紙としバンドは長期の活動休止に入る。


2008年4月、今後の活動計画を話し合う会合とリハーサルが再開。更に新メンバーとして「ポーキュパイン・トゥリー」のドラマー、ギャヴィン・ハリソンの加入が明らかになった。同年8月に北米ツアーを実施。その後、更なるツアーが予定されていたが、エイドリアン・ブリューが自身のソロツアーとダブルブッキングしてしまった事で頓挫。翌年のデビュー40周年記念ツアーも視野にあったが、フリップとブリューの確執も取り沙汰され、また全てが白紙になった。



2010年代 トリプルドラム期(2013年 - 2016年)


2011年、バンド休止中の間フリップは、以前に「21stセンチュリー・スキッツォイド・バンド」でも活動していた旧メンバー、メル・コリンズやジャッコ・ジャクスジクらと新たなキング・クリムゾン・プロジェクトを立ち上げ、アルバム『ア・スケアシティ・オブ・ミラクルズ』を発表。次期クリムゾンに向けた活動を再開する。


ところが、翌2012年にフリップが音楽業界からの引退を表明し、バンドの活動終了を宣言。「ユニバーサル・ミュージックと出版権について問題が勃発し、法廷闘争に専念するため」と明かしている。


2013年、自社レーベル「DGM」のブレーンでもあるデヴィッド・シングルトンが、キング・クリムゾンのトリビュートバンド結成を企図する。これはクリムゾン・プロジェクトらの現メンバーに、かつてのメンバー ジョン・ウェットンを招聘した「クリムゾンDNA」という新グループ構想であった。フリップはシングルトンの構想に賛同し、裏方からの支援に着手しようとする[6]


しかしフリップは、ユニバーサル・ミュージックとの係争に一段落ついていた事情もあって、次第に復帰の意欲が湧きはじめ引退の前言を撤回。紆余曲折を経た後 オフィシャルサイト上より、かつてのフリップ主催「ギタークラフト」に参加して知己であったビル・リーフリンの加入による編成で、正規のクリムゾン再始動を表明した[7]




スペイン・マドリード公演 (2016年11月)


2014年6月、ライブ活動を再開を発表。メンバー構成は、フリップ、メル・コリンズ、トニー・レヴィン、ジャッコ・ジャクスジク、そして3人のドラマー、パット・マステロット、ギャヴィン・ハリソン、ビル・リーフリンを前列に配置した「トリプルドラム」の編成で、同年9月9日よりアメリカにて17回公演のツアーを開始した。


2015年12月、約12年ぶりに日本公演を開催[8]


2016年、リーフリンが一時降板し、代役にジェレミー・ステーシーが9月の欧州ツアーから参加[9]



2010年代後半 ダブルカルテット期(2017年 - 現在)


2017年、ビル・リーフリンが復帰して、キーボード担当に変更。ジェレミー・ステーシーはそのまま正規メンバーに昇格し、8人編成に拡張する[10]。そしてラインナップ構成の呼称を「ダブルカルテット・フォーメーション」と命名した。


同年5月、昨年他界したデヴィッド・ボウイ追悼のトリビュート作品EP『ヒーローズ』をリリース[11]。その後から全米ツアーを開始[12]


同9月、フリップとエイドリアン・ブリューが和解し、将来的な復帰を示唆。同年10月、リーフリンが秋公演に不参加となり、代役サポートにマルチプレイヤー クリス・ギブソンがキーボードを担当して全米ツアーを再開。


2018年4月、リーフリンが再復帰し、欧州ツアーを開始。11月末、結成50周年を記念した来日ツアーが開幕し[13]、集大成となるライブを翌12月まで開催する[14]



メンバー



現ラインナップ




  • ロバート・フリップ Robert Fripp – ギター (1968年– )

  • ジャッコ・ジャクスジク Jakko Jakszyk – ボーカル/ギター (2013年– )


  • メル・コリンズ Mel Collins – サクソフォーン (1970年–1972年、2013年– )


  • トニー・レヴィン Tony Levin – ベース、スティック (1981年–1984年、1994年–1998年、2003年– )


  • パット・マステロット Pat Mastelotto – ドラムス (1994年– )

  • ギャヴィン・ハリソン Gavin Harrison – ドラムス (2007年– )

  • ビル・リーフリン Bill Rieflin – ドラムス/キーボード (2013年– )


  • ジェレミー・ステーシー Jeremy Stacey – ドラムス (サポート2016年、正規2017年– )



旧メンバー




  • マイケル・ジャイルズ Michael Giles – ドラムス (1968年–1969年)


  • イアン・マクドナルド Ian McDonald – キーボード/管楽器 (1968年–1969年)


  • グレッグ・レイク Greg Lake – ボーカル/ベース (1968年–1970年)


  • ピート・シンフィールド Pete Sinfield – 創作/プロデュース (1968年–1971年)


  • ゴードン・ハスケル Gordon Haskell – ボーカル/ベース (1970年)


  • アンディ・マカロック Andy McCulloch – ドラムス (1970年)


  • イアン・ウォーレス Ian Wallace – ドラムス (1971年–1972年)


  • ボズ・バレル Boz Burrell – ボーカル/ベース (1971年–1972年)


  • ジョン・ウェットン John Wetton – ボーカル/ベース (1972年–1974年)


  • ジェイミー・ミューア Jamie Muir – ドラムス/パーカッション (1972年–1973年)


  • ビル・ブルーフォード Bill Bruford – ドラムス (1972年–1974年、1981年–1984年、1994年–1997年)


  • デヴィッド・クロス David Cross – ヴァイオリン (1972年–1974年)


  • エイドリアン・ブリュー Adrian Belew – ボーカル/ギター (1981年–1984年、1994年–2008年)

  • トレイ・ガン Trey Gunn – ベース/スティック (1994年–2003年)

  • クリス・ギブソン Chris Gibson – キーボード (サポート2017年)



ラインナップの変遷(主な担当パート)



  • ロバート・フリップ - Guitars, Frippertronics/ Soundscapes, Mellotron & Synthesizers(以下、全期間を通じてリーダーとして在籍)


  • Lineup #1(デビュー〜ファースト・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』)


    • グレッグ・レイク - Bass & Vocals


    • イアン・マクドナルド(Ian McDonald)- Windwoods, Mellotron, Keyboards & Vocals(後に「フォリナー」を結成)


    • マイケル・ジャイルズ - Drums & Vocals


    • ピート・シンフィールド - Words




  • 『ポセイドンのめざめ』発表当時

    • グレッグ・レイク - Vocals(直後に脱退し、EL&P結成)

    • ピーター・ジャイルズ - Bass(ジャイルズ・ジャイルズ&フリップ以来の三者共演)


    • メル・コリンズ - Saxophone & Flute

    • マイケル・ジャイルズ - Drums

    • ピート・シンフィールド - Words


    • ゴードン・ハスケル - Vocals (Guest)


    • キース・ティペット - Piano (Guest)




  • 『リザード』発表当時

    • ゴードン・ハスケル - Vocals & Bass


    • ジョン・アンダーソン(イエス)- Vocals (Guest)

    • メル・コリンズ - Saxophone & Flute


    • アンドリュー・マカロック- Drums

    • ピート・シンフィールド - Words

    • キース・ティペット - Piano (Guest)

    • ロビン・ミラー - Oboe (Guest)

    • マーク・チャリグ - Cornet (Guest)

    • ニック・エヴァンズ - Trombone (Guest)



  • Lineup #2『アイランズ』『アースバウンド』

    • ボズ (ボズ・バレル) - Vocals & Bass(脱退後、ポール・ロジャース率いるバッド・カンパニーに加入)

    • メル・コリンズ - Saxophone, Flute, Mellotron & Vocals


    • イアン・ウォーレス - Drums & Vocals

    • ピート・シンフィールド - Words(『アイランド』製作直後に正式脱退し、EL&Pの歌詞を担当)

    • この他にも、ゲスト・ミュージシャンが参加している




  • Lineup #3『太陽と戦慄』〜『レッド』発表当時


    • ジョン・ウェットン - Vocals & Bass(解散後、U.K.やエイジアを結成し、成功する)


    • デヴィッド・クロス - Violin, Viola, Flute, Keyboards & Mellotron(『暗黒の世界』発表後に脱退)


    • ビル・ブルーフォード - Drums & Percussion(イエスから加入。後に、ウェットンと共にU.K.結成)


    • ジェイミー・ミューア - Percussion & Drums(元デレク・ベイリーのカンパニー、『太陽と戦慄』発表後に脱退。後にミュージシャンから画家に転向)

    • リチャード・パーマー・ジェイムス - Words (Guest)(元スーパートランプ)

    • 『レッド』録音時にはイアン・マクドナルドやメル・コリンズなどの旧メンバーがゲスト・ミュージシャンとして参加している。また、ライヴ・アルバム『USA』において、エディ・ジョブソン(Violin & Keyboards、後に前述のU.K.結成)がフリップとウェットン立ち会いの元、2時間程度を掛けてデヴィッド・クロスのヴァイオリンとエレピパートをいくつか差し替え録音した。




  • Lineup #4『ディシプリン』〜『スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペア』(1980年代再結成時。キャリア等は、本文参照)


    • エイドリアン・ブリュー - Vocals, Guitars & Percussion


    • トニー・レヴィン - Bass, Chapman stick, Synthesizers & Vocals

    • ビル・ブルーフォード - Drums & Percussion




  • Lineup #5『ヴルーム』『スラック』(1990年代再々結成時)

    • エイドリアン・ブリュー - Vocals, Guitars & Percussion

    • トニー・レヴィン - Bass, Chapman stick, Synthesizers & Vocals

    • トレイ・ガン - Warr Guitars, Bass

    • ビル・ブルーフォード - Drums & Percussion


    • パット・マステロット - Drums & Percussions




  • Lineup #6『ザ・コンストラクション・オブ・ライト』〜『ザ・パワー・トゥ・ビリーヴ』

    • エイドリアン・ブリュー - Vocals & Guitars

    • トレイ・ガン - Warr Guitars, Bass(2007年、エディー・ジョブソンやその他のミュージシャンとともにUKZを結成)

    • パット・マステロット - Drums & Percussion



  • Lineup #7(2008年)

    • エイドリアン・ブリュー - Vocals, Guitars & Keyboards

    • トニー・レヴィン - Bass, Chapman stick & Vocals

    • パット・マステロット - Drums & Percussion

    • ギャヴィン・ハリソン - Drums & Percussion(ポーキュパイン・トゥリーとの掛け持ち参加)



  • Lineup #8(2013年)

    • ジャッコ・ジャクスジク - Vocals, Guitars

    • メル・コリンズ - Saxophones, Flute

    • トニー・レヴィン - Bass, Chapman stick, Vocals

    • パット・マステロット - Drums & Percussion

    • ギャヴィン・ハリソン - Drums & Percussion

    • ビル・リーフリン - Drums & Percussion, Keyboards(2016年途中から在籍状態のまま離脱)



サポート


  • ジェレミー・ステーシー - Drums & Percussion, Keyboards (2016秋冬)


  • Lineup #9 (2017年以降)

    • ジャッコ・ジャクスジク - Vocals, Guitars

    • メル・コリンズ - Saxophones, Flute

    • トニー・レヴィン - Bass, Chapman stick, Vocals

    • パット・マステロット - Drums & Percussion

    • ギャヴィン・ハリソン - Drums & Percussion

    • ジェレミー・ステーシー - Drums & Percussion

    • ビル・リーフリン - Keyboards(2017年秋冬離脱)



サポート


  • クリス・ギブソン - Keyboards(2017年秋のみ)


独立レーベル「ディシプリン・グローバル・モービル」




レーベル「ディシプリン」のロゴ


バンドを主宰するロバート・フリップが、1992年に設立した独立系レコードレーベル。共同責任者はエンジニアを兼任するデヴィッド・シングルトン。名前の由来およびロゴは8thアルバム『ディシプリン』から。


キング・クリムゾンはデビュー時から「E.G.マネージメント」に籍を置き、音源も同社のレーベル「E.G. Records」が管理していた。1980年代以降から同マネージメントとの折り合いが悪くなり、フリップは契約問題や音源の所有権を主張して訴訟にまで発展。1990年代初頭から仕事を共にしていた音楽エンジニア デヴィッド・シングルトンと共同で、新たなレーベル「Discipline Records」を設立した。後に旧レーベル側と和解して音源の所有を全て認められ、1995年から現行の『Discipline Global Mobile (通称 DGM)』に改名する。


以降、バンドに関連する音源は全て同レーベルが配給元となり、外部のアーティストとも契約・管理を業務としている。



ディスコグラフィ




オリジナル・アルバム



  • 『クリムゾン・キングの宮殿』 - In the Court of the Crimson King (1969年) ※試聴

  • 『ポセイドンのめざめ』 - In the Wake of Poseidon (1970年)

  • 『リザード』 - Lizard (1970年) ※イエスのジョン・アンダーソンがゲスト参加

  • 『アイランズ』 - Islands (1971年)

  • 『太陽と戦慄』 - Larks' Tongues in Aspic (1973年)

  • 『暗黒の世界』 - Starless and Bible Black (1974年) ※当時のライブ音源とスタジオ録音の混合

  • 『レッド』 - Red (1974年)

  • 『ディシプリン』 - Discipline (1981年)

  • 『ビート』 - Beat (1982年)

  • 『スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペアー』 - Three of a Perfect Pair (1984年)

  • 『スラック』 - Thrak (1995年)

  • 『ザ・コンストラクション・オブ・ライト』 - The ConstruKction of Light (2000年)

  • 『ザ・パワー・トゥ・ビリーヴ』 - The Power to Believe (2003年)



ミニ・アルバム(EP)



  • 『ヴルーム』 - VROOOM (1994年)

  • 『スラックアタック』 - THRaKaTTaK (1996年)

  • 『レヴェル・ファイヴ』 - Level Five (2001年) ※ライブEP

  • 『しょうがない』 - Happy with What You Have to Be Happy With (2002年)

  • 『ヒーローズ〜トリビュート・トゥ・デヴィッド・ボウイ』 - Heroes (2017年) ※ライブEP



ライブ・アルバム



  • 『アースバウンド』 - Earthbound (1972年) ※1971年『アイランド』発表時のメンバーによるライブ録音

  • 『USA』 - USA (1975年) ※1974年『暗黒の世界』発表時のメンバーによるライブ録音。一部オーバーダビングあり

  • 『B・ブーム - ライヴ・イン・アルゼンチン』 - B'Boom: Live in Argentina (1995年)

  • 『エピタフ -1969年の追憶-』 - Epitaph (1997年)※1969年のライブ録音

  • 『ザ・ナイトウォッチ -夜を支配した人々-』 - The Night Watch (1997年) ※1973年のライブ音源

  • The Great Deceiver CD 4枚組 1973 1974年のライヴ音源

  • 『アブセント・ラヴァーズ』 - Absent Lovers: Live in Montreal (1998年) ※1984年のライブ録音

  • 『ヘヴィ・コンストラクション』 - Heavy ConstruKction (2000年)

  • 『ヴルーム・ヴルーム』 - VROOOM VROOOM (2001年) ※1995年、1996年のライブ音源。2枚組

  • 『エレクトリック』 - EleKtriK (2003年) ※東京厚生年金会館のライブを収録


  • Live at the Orpheum (2015年)


  • Live in Toronto (2016年)

  • 『ラディカル・アクション〜ライブ・イン・ジャパン+モア』 - Radical Action to Unseat the Hold of Monkey Mind (2016年)

  • 『ライヴ・イン・ウィーン 2016+ライヴ・イン・ジャパン 2015(日本先行発売)』[15] - Live in Vienna (2017年)

  • 『ライブ・イン・シカゴ 2017』- Live in Chicago 28 June 2017 (2018年)

  • 『メルトダウン〜ライブ・イン・メキシコ』- Meltdown: Live in Mexico City (2018年)



コンピレーション



  • 2006年 - 『濃縮キング・クリムゾン ベスト・オブ・キング・クリムゾン1969-2003』 - The Condensed 21st Century Guide to King Crimson (2006年) ※ベスト盤

  • ほか



日本公演



  • 1981年

  • 1984年

  • 1995年

  • 2000年

  • 2003年

  • 2015年

  • 2018年



備考補足



  • グレッグ・レイク脱退後、所属事務所 EG はフリップが知らぬ内に新ボーカリスト探しを算段し、エルトン・ジョンを250ポンドのギャラで雇おうとしたがレコードを一聴したフリップにより却下された。ブライアン・フェリーはオーディション後「キング・クリムゾンのボーカリストとしてはマッチしないが、惜しい人材」とフリップに評価され、後にロキシー・ミュージックがEG所属となるきっかけとなった。


  • 1970年に一時的にクリムゾンが活動停止していた時、イエスを脱退したピーター・バンクスの後任としてフリップはイエスへの参加を要請されたが、事務所の問題で実現しなかった。この時に交流ができた縁で、イエスのジョン・アンダーソンがキング・クリムゾンのサード・アルバム『リザード』の「ルーパート王子のめざめ」にボーカルでゲスト参加している。ジョン・アンダーソンによると、「ロバートにイエスに入らないかと言ったら、逆に、君こそキング・クリムゾンに入れよと言われた」とのこと。


  • 1976年にキング・クリムゾン再起動に失敗し、リック・ウェイクマンとのトリオ結成を断念したウェットンとブルーフォードは、アラン・ホールズワース、エディー・ジョブソンとU.K.を結成する。ウェットンのインタビューによると、「フリップがバンドを解散したので、残ったリズム隊の2人がキング・クリムゾンのリズムのコンビネーションを維持し展開するために結成した」といった主旨のことをミュージック・ライフ誌に述べていた。

  • 1990年代のキング・クリムゾンの正式結成直前に、フリップはデヴィッド・シルヴィアンとプロジェクト「シルヴィアン・アンド・フリップ」を組み、アルバムをリリースし、来日公演も行っている(この際、マイケル・ブルックと共にトレイ・ガンとパット・マステロットが参加している)。インタビューでは否定していたが、当初「デヴィッドが新しいクリムゾンのボーカリストとして参加する」と噂された。シルヴィアンはフリップに勧誘されたが拒否したとインタビューで述べている。また当初新ラインナップ構想に入っていたリック・マロッタについてはキング・クリムゾンのドラマーに適さなかったとフリップが採用を取りやめている。

  • これとほぼ前後して、オリジナル・メンバーで再結成されたエマーソン・レイク・アンド・パーマーのCDボックスセットに、同メンバーの演奏による「21世紀のスキッツォイド・マン」の独自のバージョンが収録されていた(この曲は、1980年代初頭に、グレッグ・レイクがゲイリー・ムーアと共に行ったライブ・ツアーでも、「クリムゾン・キングの宮殿」と共に演奏された。この2曲のオリジナルは、キング・クリムゾンのファースト・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』に収録)。


  • 1996年、元ジェネシスのギタリスト、スティーヴ・ハケットが来日した際のメンバーとしてマクドナルド、ウェットンが参加しており、第1期の曲から「クリムゾン・キングの宮殿」と「風に語りて」(共にファーストアルバム収録の曲)を演奏した。この様子は、『TOKYOテープス〜ジェネシス・リヴィジテッド・ライヴ1996』としてCD、ビデオなどで正式発売されており、その後DVD化もされている。


  • 2001年、トゥールの前座としてツアーを行う。このツアーの最終日、「レッド」の演奏に、トゥールのドラマーであるダニー・ケアリーがゲスト参加した。


  • 2002年、マクドナルドとジャイルズ兄弟が新バンド結成のために再集結、さらにメル・コリンズ、ジャッコ・ジャクスジクを加え、21stセンチュリー・スキッツォイド・バンドが結成された。フリップにも公認され、初期のクリムゾン・ナンバーを演奏してのライブ・ツアーをこなす。同年及び翌2003年の2回の来日公演も実現した。同バンドはキング・クリムゾンのアルバムの1作目から4作目までの曲をレパートリーの中心としていた。マイケル・ジャイルズは結成後1年足らずで脱退、代わってイアン・ウォーレスが参加し2006年まで活動した。しかし、2007年2月のウォーレス病死で活動再開のめどはたっていない。


  • 2006年9月、スペインの自宅アパートでリハーサル中に心臓発作で急逝したボズ・バレル[16]は、生前クリムゾン時代を語ることを拒否し続けたと言われているがOB達との交友はあり、1980年にはシンフィールドのテレビ出演の際にマイケル・ジャイルズ、メル・コリンズ、ゲイリー・ブルッカーらと共に演奏している。


  • 2011年、キング・クリムゾン・プロジェクト(King Crimson ProjeKct)としてアルバム『ア・スケアシティ・オブ・ミラクルズ』をリリース。フリップ自らが参加しているのが大きな特徴であり、他にコリンズとジャクスジクを正式メンバーとし、またレヴィンとハリソンがサポートで参加している。2013年、この5人にドラマー2人を追加したトリプル・ドラム編成での、キング・クリムゾン再始動が発表された。


  • 2011年以降、ブリューのバンド「エイドリアン・ブリュー・パワー・トリオ」とレヴィンのバンド「スティックメン」(マステロットも参加)のメンバーが合流する形で6人編成の「クリムゾン・プロジェクト」(Crimson Projekct)として活動。この名称はロバート・フリップの命名によるとのこと。



キング・クリムゾン事件


1995年にTOKYO FM出版は書籍『キング・クリムゾン』〈地球音楽ライブラリー〉を発行したが[17]、キング・クリムゾンのメンバーに無断で発行したため、ロバート・フリップはパブリシティ権を侵害されたとして出版元のTOKYO FM出版を訴えた。これを「キング・クリムゾン事件」という[18]。第1審ではフリップの勝訴となったが[19]、控訴審ではTOKYO FM出版が逆転勝訴し[20]、以後記載内容の多くのミスが修正されないまま2007年にも再版されている[21]



関連項目



  • プログレッシブ・ロック


  • エマーソン・レイク&パーマー(ELP)

  • イエス

  • ロキシー・ミュージック

  • プロジェクト


  • P.J.クルック - 1996年以降、主要作品のカヴァーアートを担当。



脚注


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  1. ^ キング・クリムゾン バイオグラフィ - King Crimson.jp


  2. ^ キング・クリムゾンの世界中を驚愕させた革命的なデビュー作『クリムゾン・キングの宮殿』 - music.jp


  3. ^ 英国音楽誌DISC誌1969年11月8日号デヴィッド・シューズの記事「遂にデビューアルバムがアビーロードをトップから引きずり降ろした。」を紹介したものと言われる。そのことについては、複数の日本の評論家が「デマとまではいえないが、ありえるとしたなら、地方の、あるいは、マイナーなチャートではないのか」といった見解を共通して述べていた


  4. ^ 元々はミキサー・コンソールに繋がれたカセットテープレコーダーの音源で、演奏後のチェック用にイアン・ウォーレス所有のレコーダーで録音されたもの。 キング・クリムゾン ライヴ・アルバム『Earthbound』の40周年記念エディション 日本発売決定 amass 2017/09/27


  5. ^ フリップとはピーター・ガブリエルのレコーディングで競演したことがある


  6. ^ “キング・クリムゾン来日中、ジャッコとメル・コリンズのインタビューが実現!”. rockin'on (2018年12月4日). 2018年12月15日閲覧。


  7. ^ http://www.dgmlive.com/news.htm?entry=4335


  8. ^ キング・クリムゾン、渋谷オーチャードホールにてあの名曲の数々を披露 - BARKS


  9. ^ キング・クリムゾン 9月欧州ツアーにはビル・リーフリンは不参加、ジェレミー・ステイシーが代役 - amass


  10. ^ キング・クリムゾンにビル・リーフリンが復帰、新たにドラマー4人の8人編成に - amass


  11. ^ キング・クリムゾン、デヴィッド・ボウイの「ヒーローズ」をリリース - BARKS


  12. ^ キング・クリムゾン、6月から開始する全米ツアーの日程を発表 - NME JAPAN


  13. ^ “プログレッシヴ・ロック界の王者キング・クリムゾン、結成50周年で来日ツアーを敢行”. Rolling Stone Japan (2018年4月4日). 2018年4月8日閲覧。


  14. ^ “キング・クリムゾン、凄まじき来日公演の速攻レポ”. barks (2018年11月30日). 2018年12月15日閲覧。


  15. ^ キング・クリムゾン、3枚組ライヴ・アルバム詳細発表&グッズの期間限定ショップも出店決定 BARKS 2017年8月4日


  16. ^ Eder, Bruce. “Boz Burrell: Information for Answers.com” (英語). Answers.com. 2010年2月5日閲覧。 “...in fact White was present at Burrell's apartment in Spain when, during rehearsals, Boz suddenly died of a heart attack on September 21, 2006.”


  17. ^ 「キング・クリムゾン」、『国立国会図書館サーチ 詳細情報』、TOKYO FM 出版、2014年6月21日閲覧。


  18. ^ 「一覧」『肖像の保護に関する過去の判例・事例(参考資料 1)』 経済産業省。2010年10月14日(木)閲覧。


  19. ^ 東京地方裁判所 平成10年(1998年)1月21日 判決。


  20. ^ 東京高等裁判所 平成11年(1999年)2月24日 判決。


  21. ^ 「登録情報」『地球音楽ライブラリー キングクリムゾン』 Amazon.co.jp。2010年10月13日(水)閲覧。




関連文献



  • 北村昌士 『キング・クリムゾン~至高の音宇宙を求めて~』 シンコー・ミュージック、1981年6月。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit}.mw-parser-output .citation q{quotes:"""""""'""'"}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/65/Lock-green.svg/9px-Lock-green.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg/9px-Lock-gray-alt-2.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/aa/Lock-red-alt-2.svg/9px-Lock-red-alt-2.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .cs1-subscription,.mw-parser-output .cs1-registration{color:#555}.mw-parser-output .cs1-subscription span,.mw-parser-output .cs1-registration span{border-bottom:1px dotted;cursor:help}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4c/Wikisource-logo.svg/12px-Wikisource-logo.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output code.cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:inherit;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;font-size:100%}.mw-parser-output .cs1-visible-error{font-size:100%}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#33aa33;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-subscription,.mw-parser-output .cs1-registration,.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left,.mw-parser-output .cs1-kern-wl-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right,.mw-parser-output .cs1-kern-wl-right{padding-right:0.2em}
    ISBN 4-401-61081-4。

  • 『キング・クリムゾン』 TOKYO FM出版〈地球音楽ライブラリー〉、1995年10月、2007年1月。
    ISBN 978-4924880535。

  • 『キング・クリムゾン』 河出書房新社〈KAWADE夢ムック 文藝別冊〉、2015年7月。
    ISBN 978-4309978642。

  • 『キング・クリムゾン』 シンコー・ミュージック〈THE DIG〉、2015年11月。
    ISBN 978-4401642342。

  • 『キング・クリムゾン ライヴ・イヤーズ 1969-1984』 シンコー・ミュージック〈THE DIG〉、2017年1月。
    ISBN 978-4401644094。




  • 三浦正広「《判例研究》パブリシティの権利における「顧客吸引力」--キング・クリムゾン事件(東京地裁判決平成10.1.21/判例時報1644号141頁/平成8年(ワ)第11327号/損害賠償等請求事件)」、『岡山商大論叢』35(1)  1999年5月、岡山商科大学学会、 pp. 167-181。- 国立国会図書館 蔵。


  • キング・クリムゾン事件関連

    • 「キング・クリムゾン事件」『第1回エンターテイメント・ローヤーズ・ネットワーク研究会 - パブリシティ権の保護のあり方』 エンターテイメント・ローヤーズ・ネットワーク研究会、2004年6月30日、pp. 5,6。2010年10月14日(木)閲覧。


    • 関堂幸輔 『キング・クリムゾン事件 - 東京地判平10・1・21判時1644号141頁, 平成8年(ワ)第11327号 損害賠償等請求事件』 関堂幸輔(大阪工業大学 知的財産学部 専任講師)。2010年10月13日(水)閲覧。- 第1審について。


    • 関堂幸輔 『キング・クリムゾン事件控訴審 - 東京高判平11・2・24判例集未登載, 平成10年(ネ)第673号 損害賠償等請求控訴事件』 関堂幸輔(大阪工業大学 知的財産学部 専任講師)。2010年10月13日(水)閲覧。- 控訴審について。


    • 築島龍臣 「キング・クリムゾン事件(東京高裁、平11.2.24)」『肖像権・パブリシティ権』 著作権研究所。2010年10月13日(水)閲覧。- 控訴審について。





外部リンク







  • 公式ウェブサイト


  • キング・クリムゾン - Facebook


  • キング・クリムゾン - YouTubeチャンネル

  • Discipline Global Mobile










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