ドイツ義勇軍

ベルンハルト・フォン・ヒュルゼンが組織した「ヒュルゼン義勇軍」の募集ポスター。同義勇軍はスパルタクス団蜂起の戦闘にも参加した。
ドイツ義勇軍(ドイツぎゆうぐん、独: Freikorps, フライコール)は、ドイツにおける志願兵部隊あるいは民兵組織の呼称。もともとは志願兵部隊のみを指した。ドイツ語で「frei(自由な)+ Korps(軍団)」という意味の言葉。
目次
1 第一次世界大戦前
2 第一次世界大戦後
3 ドイツ義勇軍メンバー
4 関連項目
5 参考文献
6 外部リンク
第一次世界大戦前
ドイツ義勇軍の端緒は18世紀の七年戦争においてプロイセン王フリードリヒ2世が募集したものだった。他に知られる義勇軍にはナポレオン戦争における、フェルディナント・フォン・シル率いる「シル猟兵団」やルートヴィヒ・アドルフ・フォン・リュッツォウ率いる「黒の猟兵」などがある。正規軍にとって義勇軍は頼りにならないと考えられており、彼らは主に歩哨やあまり重要でない任務を行っていた。
第一次世界大戦後
第一次世界大戦敗戦後の1918年以降、ドイツ周辺に出現した復員兵による民兵組織に対して使われるようになった。彼らは同時期に活動していた準軍事組織の中で重要な役割を果たしていた。多くのドイツ退役軍人は市民生活に馴染むことができず、軍事組織の中に安定を求めて義勇軍に入隊した。また、復員兵の多くは彼らの目から見て『突然起きた不可解な敗戦』とその後の社会の混乱に憤りを感じていた。彼等は、その憤懣を晴らすために入隊し、混乱の元凶と思われた共産主義者を鎮圧した。
彼らはドイツ社会民主党メンバーで国防大臣グスタフ・ノスケから多大な支援を受け、ノスケは彼らをドイツ革命の鎮圧や1919年1月15日のカール・リープクネヒトおよびローザ・ルクセンブルクの処刑を含むマルキスト・スパルタクス団の壊滅、1919年のバイエルン・レーテ共和国打倒などに利用した。共産主義者への憎悪は凄まじく、リープクネヒト、ローザ両人の遺体は、確認が困難な状態になるほど痛めつけられていた。
義勇軍はまた、第一次世界大戦後、バルト三国、シレジアおよびプロイセンで戦い、ときに大きな成功を収めた。バルト諸国におけるボルシェヴィキら 率いる赤軍 との戦いの際、保守革命的な、一部の義勇軍らは彼らの不動な革命精神に影響を受け親近感を抱いたりし、後の保守革命の運動家達の思想に影響を与えた。
義勇軍にはいくつかのセクトがあり、兵士らは識別のためヘルメット等にセクトのシンボルを描いていた。
1920年に公式に解散されるものの、多くの義勇軍は1920年3月のカップ一揆で政府を倒そうとし、失敗した。
1920年、アドルフ・ヒトラーは当時まだ名の知られていない小さな政党だったドイツ労働者党(間もなく国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)に改称)の指導者として、政治家キャリアの第一歩をミュンヘンで踏み出したところだった。ナチ党の未来の党員および指導者達(突撃隊指揮官エルンスト・レーム、アウシュヴィッツ強制収容所所長ルドルフ・フェルディナント・ヘスなど)の大多数は義勇軍出身者だった。
エアハルト海兵旅団の創設者であり指揮官でもあるヘルマン・エアハルトおよび指揮官代理エバーハルト・カウター (Eberhard Kautter) はヴィーキング同盟を率い、ミュンヘン一揆でヒトラーおよびエーリヒ・ルーデンドルフに手を貸すのを拒み、彼らに対して陰謀を企てた。
義勇軍の中でもっとも大規模だったものは鉄兜団、前線兵士同盟で、最終的にはナチ党とSAが共同したことにより解散した。
ドイツ義勇軍メンバー
- 後のナチス関係者
ヨシアス・ツー・ヴァルデック=ピルモント(親衛隊大将。ヴァイマルなどの親衛隊及び警察指導者)
カール・ヴォルフ(親衛隊大将。親衛隊全国指導者ヒムラーの副官部長官)
フランツ・フォン・エップ(ナチ党国防部長)
フリードリヒ・カール・フォン・エーベルシュタイン(親衛隊大将。ミュンヘンなどの親衛隊及び警察指導者)
マンフレート・フォン・キリンガー(Manfred Freiherr von Killinger)(ルーマニア駐在公使)
アルトゥール・グライザー(Arthur Greiser)(ダンツィヒ市長。ヴァルテラント総督。親衛隊大将)
フリードリヒ・ヴィルヘルム・クリューガー(突撃隊大将、親衛隊大将。ポーランドの親衛隊及び警察指導者)
フランツ・プフェファー・フォン・ザロモン(突撃隊最高指導者)
ヘルマン・エッサー(ナチス右派(ミュンヘン党本部)の領袖。ナチ党党員番号2番)
グレゴール・シュトラッサー(ナチス左派の領袖。長いナイフの夜で殺害。)
オットー・シュトラッサー(ナチス左派の領袖。グレゴールの弟。)
ユリウス・シュレック(初代親衛隊全国指導者)
クルト・ダリューゲ(親衛隊上級大将。秩序警察長官)
ヨーゼフ・ディートリヒ(武装親衛隊将軍。第1SS装甲師団「LSSAH」師団長)
オスカール・ディルレヴァンガー(親衛隊上級大佐。ディルレヴァンガー旅団の指揮官)
ラインハルト・ハイドリヒ(親衛隊大将。国家保安本部長官)
ハインリヒ・ヒムラー(第4代親衛隊全国指導者)
リヒャルト・ヒルデブラント(親衛隊大将。親衛隊人種及び移住本部長官)
ハンス・アドルフ・プリュッツマン(親衛隊大将。ロシア占領地域親衛隊及び警察指導者)
ルドルフ・フェルディナント・ヘス(親衛隊中佐。アウシュヴィッツ強制収容所所長)
ゴットロープ・ベルガー(親衛隊大将。親衛隊本部長官)
ヴォルフ=ハインリヒ・フォン・ヘルドルフ (ベルリン警察長官。突撃隊将軍。1944年7月20日のヒトラー暗殺・クーデター未遂事件に関与し処刑。)
オズヴァルト・ポール(親衛隊大将。親衛隊経済管理本部長官)
マルティン・ボルマン(総統官房長)
ヴィルヘルム・フリードリヒ・レーパー(Wilhelm Friedrich Loeper) - マクデブルク・アンハルト公国大管区長。
エルンスト・レーム(突撃隊幕僚長)
- 国防軍関係者
ヴァルター・ヴェンク(陸軍少将。最年少の軍司令官)
ヴィルヘルム・カナリス(海軍提督。国防軍諜報部長官)
ヴィルヘルム・カイテル(陸軍元帥。国防軍最高司令部総長)
ヒアツィント・シュトラハヴィッツ(陸軍中将。「戦車伯爵」の異名をとる戦車部隊指揮官)
フーゴ・シュペルレ(空軍元帥)
ゲオルク=ハンス・ラインハルト(陸軍上級大将)
- その他
アルフレート・ヴェンネンベルク(警察大将。警察師団の師団長)- エルンスト・フォン・ザロモン
エルンスト・シュターレンベルク(オーストリアの政治家、護国団の指導者)
アルベルト・レオ・シュラーゲター(ルール地方における対仏レジスタンス闘争の闘士。後にフランス軍に捕まり銃殺され、ワイマール時代のドイツ抵抗運動の国民的英雄となる。)
ルドルフ・ベルトールド(第一次世界大戦期に44機を撃墜したドイツ空軍撃墜王、1920年に死去) - 。
ヨーゼフ “ベッポ” レーマー(ドイツ共産党活動家)
関連項目
- 第一次世界大戦
- エルンスト・ユンガー
- エルンスト・フォン・ザロモン
- 保守革命
- エアハルト海兵旅団
- コンスル (テロ組織)
- 突撃隊
- 鉄兜団
- 新左翼
- 青年民族派
参考文献
ロバート・G・L・ウェイト(山下貞雄訳)『ナチズムの前衛』(新生出版、2007年)
クラウス・テーヴェライト(田村和彦訳)『男たちの妄想〈1〉:女・流れ・身体・歴史』(叢書・ウニベルシタス;652)(法政大学出版局、1999年)
クラウス・テーヴェライト(田村和彦訳)『男たちの妄想〈2〉男たちの身体:白色テロルの精神分析のために』(叢書・ウニベルシタス;653)(法政大学出版局、2004年)
上杉重二郎『統一戦線と労働者政府:カップ叛乱の研究』(風間書店、1976年)
今井宏昌「ドイツ革命期における義勇軍:その成立に関する一考察」『七隈史学』12号(2010年)
今井宏昌「ドイツ革命期における義勇軍と『東方』」『九州歴史科学』38号(2010年)
今井宏昌「『第三帝国の最初の兵士』?:義勇軍戦士アルベルト・レオ・シュラーゲターをめぐる『語りの闘争』」『西洋史学論集』48号(2010年)
今井宏昌「ドイツ義勇軍戦士の第一次世界大戦:アルベルト・レオ・シュラーゲターの野戦郵便をてがかりに」『七隈史学』13号(2011年)
今井宏昌「ヴァイマル期ドイツ義勇軍指導者ヨーゼフ・ベッポ・レーマーの「越境」:「ナチズムの前衛」テーゼへの一反証」『七隈史学』14号(2012年)
山田義顕「バルトのドイツ義勇軍(1918~19年)」『軍事史学』28巻1号(1992年)
山田義顕「ヴァイマル共和国初期の政治的暗殺(I): 秘密結社〈コンズル団〉」『大阪府立大学紀要 人文・社会科学』50号(2002年)
山田義顕「ヴァイマル共和国初期の政治的暗殺(II):〈コンズル団〉と政府・司法」『大阪府立大学紀要 人文・社会科学』51号(2003年)
外部リンク
- Axis History Factbook; Freikorps section
- Freikorps Master list on Axis History Forum {reference only}