川島永嗣
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日本代表での川島 (2018ワールドカップ・グループH 対ポーランド戦) | ||||||
名前 | ||||||
愛称 | エイジ、カワ | |||||
カタカナ | カワシマ エイジ | |||||
ラテン文字 | KAWASHIMA Eiji | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | (1983-03-20) 1983年3月20日(36歳) | |||||
出身地 | 埼玉県与野市(現さいたま市中央区) | |||||
身長 | 185cm | |||||
体重 | 82kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | RCストラスブール | |||||
ポジション | GK | |||||
背番号 | 16 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1995-1997 | 与野西中学校 | |||||
1998-2000 | 埼玉県立浦和東高等学校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2001-2003 | 大宮アルディージャ | 41 | (0) | |||
2004-2006 | 名古屋グランパスエイト | 17 | (0) | |||
2007-2010 | 川崎フロンターレ | 113 | (0) | |||
2010-2012 | リールセ | 53 | (0) | |||
2012-2015 | スタンダール・リエージュ | 68 | (0) | |||
2015-2016 | ダンディー・ユナイテッド | 16 | (0) | |||
2016-2018 | FCメス | 34 | (0) | |||
2018- | ストラスブール | |||||
代表歴2 | ||||||
2002-2003 | 日本 U-20 | 13 | (0) | |||
2008-2018[1] | 日本 | 88 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2018年8月30日現在。 2. 2018年7月2日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
川島 永嗣(かわしま えいじ、1983年3月20日 - )は、埼玉県与野市(現さいたま市中央区)出身のプロサッカー選手。リーグ・アン・RCストラスブール所属。元日本代表。ポジションはゴールキーパー。
目次
1 来歴
1.1 プロ入り前
1.2 大宮アルディージャ
1.3 名古屋グランパスエイト
1.4 川崎フロンターレ
1.5 リールセSK
1.6 スタンダール・リエージュ
1.7 ダンディー・ユナイテッド
1.8 FCメス
1.9 ストラスブール
2 人物
3 趣味
4 所属クラブ
5 個人成績
6 代表歴
6.1 出場大会
6.2 試合数
7 タイトル
7.1 クラブ
8 出演
8.1 CM
8.2 イメージキャラクター
8.3 アンバサダー
9 受賞歴
10 脚注
11 関連項目
12 外部リンク
来歴
プロ入り前
少年時代は地元の与野八幡サッカースポーツ少年団で基礎を学ぶ。当時からゴールキーパー志望で、セルヒオ・ゴイコチェアに憧れを抱いていた[2]。与野西中学校時代に本格的にキーパーのポジションを始めた。埼玉県選抜に選ばれ、ドイツとオランダへ遠征を行った経験がある。その後埼玉県立浦和東高等学校へ進学し、3年の間に選手権・国体・高校総体と高校サッカー3大全国大会すべてに出場した。
学生時代の成績は優秀で、周囲からは大学進学を勧められていたが、プロでやっていくことを決断[3]。しかし、地元浦和レッズのセレクションは不合格となる。その後もうひとつの地元クラブである大宮アルディージャへの加入が決定。川島の獲得を決めたのは、当時大宮で強化部長の職にあった佐々木則夫(後にサッカー日本女子代表監督)である。
大宮アルディージャ
大宮加入後、イタリア・セリエAのクラブへ留学し、若手選手たちが出場する「ヴィニョーラ・トーナメント」に参加。チームは優勝を果たし、川島自身はベストゴールキーパーに選出された。
2002年、AFCユース選手権に出場するU-19日本代表に選出され、不動のレギュラーとして活躍。特に準決勝のウズベキスタン戦ではPK戦で2本止めるなどの活躍を見せた。2003年12月に行われたFIFAワールドユース選手権でも、イングランド戦、エジプト戦で数々のスーパーセーブを見せ、チームのベスト8進出に貢献した。
名古屋グランパスエイト
2004年、複数舞い込んだ移籍話の中から、あえて当時日本代表で活躍していた楢崎正剛が在籍する名古屋グランパスエイトへ移籍。しかし当時が円熟期にあった楢崎の牙城は堅く、公式戦では控えに甘んじる日々が続き、結果的にアテネオリンピックの代表メンバーからは外れた。
移籍後はカップ戦など出場機会が限られていたが、2006年にセフ・フェルホーセン新監督のもと新たなスタートを切った名古屋において、2005年シーズン終盤に負傷した楢崎に代わって先発出場。楢崎が復帰した後も熾烈なレギュラー争いを続けた。このシーズンは結果的にリーグ戦10試合、Jリーグカップ4試合に出場。楢崎から正GKの座は奪えなかったものの、その能力の高さを改めてアピールした。
川崎フロンターレ
2006年のシーズン終了後、2007年シーズンにクラブ初のAFCチャンピオンズリーグ出場を控えている川崎フロンターレから獲得のラブコールを受け、当時の川崎のクラブ史上最高額となる1億5000万円の移籍金で完全移籍。開幕から正GKとして全試合フル出場を達成し、それまで川崎の弱点と見られていたポジションを補って余りある活躍を見せた。また移籍直後の2月14日には川口、山岸範宏、林彰洋らと共にフル代表候補合宿に初招集され、3月19日にはペルー戦以降ベンチ入りし、AFCアジアカップ2007でもメンバーに選ばれた。
2008年2月17日、東アジアサッカー選手権・対北朝鮮戦でフル代表デビューを果たした[1]。しかし、川崎のチームメイト(当時)である鄭大世にゴールを決められる複雑なデビューとなった。
2010年5月30日のFIFAワールドカップ・南アフリカ大会前のテストマッチ・対イングランド戦でフランク・ランパードのPKを阻止するなど強豪相手に好セーブを連発する活躍を見せ、楢崎に代わり本大会での正GKの座を獲得した。本大会では、グループリーグ全3試合に出場、2失点(内、1点はデンマークのヨン・ダール・トマソンのPKを防いで相手正面に弾いた際のこぼれ球による)という活躍でグループリーグ突破に貢献した。決勝トーナメント1回戦のパラグアイ戦でも無失点に抑えたが、0−0のままPK戦となり、PK戦では5本全て決められ敗れた。
リールセSK
2010年7月7日、ベルギー・ジュピラーリーグ(1部)に昇格したばかりのリールセSKへ2年契約で完全移籍した[4]。12月には彩の国スポーツ功労賞を受賞。
2011年に開催されたアジアカップでも正GKとして起用されるものの、グループリーグ第2戦シリア戦では不可解な判定で退場し、準々決勝のカタール代表戦でも2失点するなど出来が危ぶまれた。しかし、準決勝の韓国戦のPK戦では相手のシュートを2本止め、決勝のオーストラリア戦では多くの好セーブを見せて無失点に抑え、マンオブザマッチに選出される活躍で日本代表の2大会ぶりの優勝に貢献した。
リールセでは開幕戦から正GKとして起用されたものの、チームはなかなか勝利に恵まれず、毎試合大量失点を喫するなど常に残留争いの渦中にいたが、最終節のクラブ・ブルッヘ戦で、無失点に抑える活躍を見せ、逆転で昇格1年目となったリールセの1部残留に貢献したことで、リールセのサポーターの選ぶチームMVPに選出された[5][6]。
2011年8月19日、リーグ第4節ゲルミナル・ベールショット戦で、一部のゲルミナルサポーターが川島に対し「カワシマ、フクシマ!」と同年3月11日に発生した福島第一原発事故に絡めた野次を飛ばしたため、これに激昂した川島が相手サポーターと審判に猛抗議し、試合が一時中断する騒動が起こった[7][8]。これに対し、リールセはベルギーサッカー協会に抗議し[9]、騒動を起こしたゲルミナルは公式HPに日本語で謝罪文を掲載し[10]、9月にはゲルミナルのファノペン会長が直接川島に謝罪した[11]。
10月14日よりリールセの主将に任命された。2011-12シーズンは、リーグ・カップ戦全36試合にフル出場し、前シーズンリーグワーストであった失点数も劇的に減るなど守備の要として2年連続での残留に貢献し[12]、2季連続でチームMVPに選出された[13]。
スタンダール・リエージュ
2012年7月17日、ジュピラーリーグ4位(リールセは12位)のスタンダール・リエージュと3年契約を結び、同クラブへの完全移籍が発表された[14]。2012-13シーズンは移籍1年目ながらリーグ戦全試合にフル出場した。
2014年6月に開催された2014 FIFAワールドカップでは、日本代表史上初めて背番号「1」をつけて試合に出場した[15]。2大会連続で全試合フル出場したが、チームはグループリーグで敗退した。
2014-15シーズンはシーズン中盤からレギュラーを外れた。2015年5月23日、スタンダール・リエージュを退団する事が発表された[16]。
ダンディー・ユナイテッド
2015年6月にスタンダール・リエージュを退団後は、移籍先が決まらずベルギーのチーム[17] やイタリア2部のノヴァーラ・カルチョ[18]、岡崎慎司の所属するイングランドのレスター・シティFC[19] などのチームの練習に参加したが契約には繋がらず、無所属の状態が続いた。また、無所属という事で長年選出されてきた日本代表からも外された[20]。10月には古巣のスタンダール・リエージュへ復帰する可能性があると報道された[21] が、11月3日にスコットランドのダンディー・ユナイテッドFCと加入合意したことが発表され[22]、12月29日に正式に加入[23]。所属チームが決まった事もあり、2016年には代表復帰を果たした。降格危機にあるチームの救世主として期待され[24]、第22節ダンディーFC戦 (ダンディー・ダービー) からミハウ・シュロムニク (Michał Szromnik) に代わって出場を続けたが、失点を減らすことはできず[25]、2016年5月3日に降格が決定した[26]。6月3日に行われたブルガリア戦で約1年ぶりに日本代表として試合に出場し、2失点はしたものの試合終了間際のPKを止める活躍を見せた[27]。
FCメス
2016年8月、リーグ・アンのFCメスへの移籍が発表された[28]。しかし、クラブの公式ホームページで「川島は第3GKを務める」と発表され、スタメン出場が確約されない厳しい状態であると報道された[29]。実戦から遠ざかっていることもあり、日本代表のスタメンを西川周作に奪われることとなったが、ハリルホジッチからは「彼がプレーするかどうかはまた別問題だが、経験のある選手の1人であるため、期待している」と評価されている[30]。
年が明けた2017年1月8日、クープ・ドゥ・フランスのRCランス戦で移籍後初出場したがチームは0-2で敗れた。4月18日、第31節のパリ・サンジェルマン戦でリーグ戦デビューを果たした。5月14日、第37節のトゥールーズFC戦ではPKをストップして、フランスの有力紙でベストイレブンに選出された。最終的には、第3GKとして加入した2016-17シーズンだったが、チームの第1GKとなり、代表でも正GKとしてポジションを奪い返した[31]。
2018年1月27日に行われたOGCニース戦ではPKを止めて、デビューから3連続でPKを止めた。これはリーグ・アンの過去10年間で初めての記録だった[32]。シーズン通してスタメンとして出場するもチームは低迷し2部に降格した。シーズン終了後に契約満了により退団[33]。
2018年5月、2018 FIFAワールドカップの出場メンバーに選出され自身3度目のワールドカップ代表入りを果たした。グループリーグ第2戦のセネガル戦で、パンチングしたボールがセネガルの選手に当たり、そのままゴールしてしまうというミスを犯し、批判の的となってしまった[34]。初戦のコロンビア戦でも守護神として活躍出来ず、控えの東口順昭や中村航輔を推す声も出た[35] が、日本代表監督の西野朗がベテランの川島を信頼し、第3戦のポーランド戦ではキャプテンマークを巻いて出場し、決定的な場面でビックセーブを見せるなど活躍[36]。チームは決勝トーナメント1回戦で敗れ、ベスト16という結果で終えた。3大会でW杯11試合出場は、長友佑都、長谷部誠と並び日本人最多出場となった[37]。ミスで失点してしまうという点から批判されていたが、スポーツのデータ分析を手がける『Opta』によると7月6日(W杯期間中)までのロシアW杯のGKセーブ率ランキングで3位にランクインしている[38]。
ストラスブール
W杯後も長らく無所属が続いていたが、2018年8月30日に1年契約でのRCストラスブールへの加入が発表された[39]。チームにはベルギー代表のマッツ・セルスやフランスU-21代表のビングル・カマラが所属している事もあり、第3GKとしての立場となった。2019年3月30日に大会を通して出場は無く、決勝戦もベンチ入りは出来なかったもののチーム14年ぶりにクープ・ドゥ・ラ・リーグを制覇し、川島にとって初のクラブタイトルとなった[40]。
人物
川島は185cmの長身だが、兄姉も長身であり、兄は183cm、姉は173cmあるとのこと[41]。
川崎に在籍していた2010年6月までは、Jリーグ選手協会副会長(2010年7月時点で最年少就任記録)を務めていた。
2011年には殺虫剤メーカー・フマキラーの花粉対策商品「アレルシャット 花粉 鼻でブロック」CMキャラクターを務めた。
2013年にはJALカードのCMキャラクターを務めている。
2014年9月10日、ブログにて一般女性と結婚したことを発表した[42]。
2015年12月3日、第一子男児誕生。
PK阻止を得意としている。日本代表の正GKを掴むアピールとなった2010年に行われた親善試合のイングランド戦でのフランク・ランパードのPKや2010年ワールドカップのデンマーク戦(ストップ後のこぼれ球を決められる)のPKストップ、アジアカップ準決勝の韓国戦のPK戦では2人連続ストップし、そのPK戦で一本も決めさせなかったなどがある。2016年に英放送局『Sky Sports』が制作した欧州五大リーグでプレイするGKを対象にPK阻止率のランキングで、川島は34位にランクインしている[43]。2017年11月10日に行われた親善試合ブラジル戦でも試合中2度あったネイマールのPKを1度止めており、2016年6月から2017年11月までの過去1年半のPK阻止率は「83.3%」であった[44]。また、2018年1月27日に行われたリーグ・アン第23節のOGCニース戦では、マリオ・バロテッリのPKを止めた。こぼれ球を決められたものの、PKストップ扱いとなり、スポーツに関する様々なデータを配信している『Opta』によると「10年間以上のリーグアン(フランスリーグ)において最初のPK3本を阻止した初のGKになった」と伝えている[45]。
趣味
海外のクラブに移籍する前から、下準備として日々英語・イタリア語・ポルトガル語などを勉強していた。2010年7月のリールセSKクラブハウスでの会見ではオランダ語と英語で挨拶をした上、英語の質問に英語で答えており、本人も英語でコミュニケーションが取れるので問題ないと語っている。
ポルトガル語は川崎通訳の中山和也によれば、通訳を通さなくても会話できるレベルである[46]。永井謙佑がスタンダール・リエージュに加入する際の会見では通訳を務めた。報道ステーションのインタビューでは、英語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語は日常会話レベルで話せ、オランダ語、フランス語を勉強中と語った[47]。
語学の重要性について「キーパーは喋れないと難しい。DFに指示を出さないといけない。自分も主張できるようにならないと」と述べている[48]。
所属クラブ
- ユース経歴
- ジャクパ淑徳与野クラブ
- 与野八幡サッカースポーツ少年団
- 1995年 - 1997年 与野西中学校
- 1998年 - 2000年 埼玉県立浦和東高等学校
- プロ経歴
- 2001年 - 2003年 大宮アルディージャ
- 2004年 - 2006年 名古屋グランパスエイト
- 2007年 - 2010年7月 川崎フロンターレ
- 2010年 - 2012年 リールセSK
- 2012年 - 2015年 スタンダール・リエージュ
- 2015年12月 - 2016年 ダンディー・ユナイテッドFC
- 2016年 - 2018年 FCメス
- 2018年 - RCストラスブール
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2001 | 大宮 | 22 | J2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
2002 | 21 | 8 | 0 | - | 4 | 0 | 12 | 0 | |||
2003 | 33 | 0 | - | 0 | 0 | 33 | 0 | ||||
2004 | 名古屋 | 22 | J1 | 4 | 0 | 8 | 0 | 0 | 0 | 12 | 0 |
2005 | 3 | 0 | 6 | 0 | 1 | 0 | 10 | 0 | |||
2006 | 10 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 14 | 0 | |||
2007 | 川崎 | 1 | 34 | 0 | 3 | 0 | 4 | 0 | 41 | 0 | |
2008 | 34 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 36 | 0 | |||
2009 | 34 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 38 | 0 | |||
2010 | 11 | 0 | - | - | 11 | 0 | |||||
ベルギー | リーグ戦 | リーグ杯 | ベルギー杯 | 期間通算 | |||||||
2010-11 | リールセ | 1 | ジュピラー | 23 | 0 | - | 2 | 0 | 25 | 0 | |
2011-12 | 30 | 0 | - | 6 | 0 | 36 | 0 | ||||
2012-13 | リエージュ | 30 | 0 | - | 0 | 0 | 30 | 0 | |||
2013-14 | 27 | 0 | - | 1 | 0 | 28 | 0 | ||||
2014-15 | 11 | 0 | - | 1 | 0 | 12 | 0 | ||||
スコットランド | リーグ戦 | S・リーグ杯 | スコティッシュ杯 | 期間通算 | |||||||
2015-16 | ダンディー | 1 | プレミア | 16 | 0 | - | 1 | 0 | 17 | 0 | |
フランス | リーグ戦 | F・リーグ杯 | フランス杯 | 期間通算 | |||||||
2016-17 | メス | 16 | リーグ・アン | 5 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 6 | 0 |
2017-18 | 29 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 30 | 0 | |||
2018-19 | ストラスブール | ||||||||||
通算 | 日本 | J1 | 130 | 0 | 25 | 0 | 7 | 0 | 162 | 0 | |
日本 | J2 | 41 | 0 | - | 4 | 0 | 45 | 0 | |||
ベルギー | ジュピラー | 121 | 0 | - | 10 | 0 | 131 | 0 | |||
スコットランド | プレミア | 16 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 17 | 0 | ||
フランス | リーグ・アン | 34 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 36 | 0 | ||
総通算 | 342 | 0 | 25 | 0 | 24 | 0 | 391 | 0 |
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | 期間通算 | ||||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||||||
フランス | リーグ戦 | 期間通算 | |||||||||
2016-17 | FCメスⅡ | 16 | CFA3 | 12 | 0 | 12 | 0 | ||||
2017-18 | 1 | 0 | 1 | 0 | |||||||
2018-19 | ストラスブールⅡ | ||||||||||
通算 | フランス | CFA3 | 13 | 0 | 13 | 0 | |||||
総通算 | 13 | 0 | 13 | 0 |
- その他の試合
- 2011年
- ベルギーリーグ・ヨーロッパリーグ プレーオフ(5試合)
- 2012
- ベルギーリーグ・ヨーロッパリーグ プレーオフ(6試合)
- 2013年
- ベルギーリーグ・チャンピオンシップ プレーオフ(10試合)
- 2014年
- ベルギーリーグ・チャンピオンシップ プレーオフ(10試合)
国際大会個人成績 | ||||
---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2007 | 川崎 | 1 | 7 | 0 |
2009 | 9 | 0 | ||
2010 | 6 | 0 | ||
UEFA | UEFA EL | |||
2013-14 | リエージュ | 1 | 3 | 0 |
2014-15 | 3 | 0 | ||
通算 | AFC | 22 | 0 | |
通算 | UEFA | 6 | 0 |
その他の国際公式戦
- 2013年
UEFAヨーロッパリーグ 2013-14 予選(6試合)
- 2014年
UEFAチャンピオンズリーグ 2014-15 予選(4試合)
- Jリーグ初出場 - 2002年4月6日 J2第7節 対大分トリニータ戦(大分スタジアム)
代表歴
- 国際Aマッチ初出場 - 2008年2月17日東アジアサッカー選手権2008 対北朝鮮戦[1]
- 国際Aマッチ初完封 - 2009年10月10日 対スコットランド戦[1]
出場大会
- U-18日本代表(2001年)
- U-19日本代表
AFCユース選手権2002(準優勝)
- U-20日本代表
2003 FIFAワールドユース選手権(ベスト8)
- U-23日本代表
アテネオリンピック予備登録
サッカー日本代表
- 2007年 - AFCアジアカップ2007(4位)
- 2008年 - 東アジアサッカー選手権2008(準優勝)
- 2010年 - 2010 FIFAワールドカップ(ベスト16)
- 2011年 - AFCアジアカップ2011(優勝)
- 2013年 - FIFAコンフェデレーションズカップ2013(グループリーグ敗退)
- 2014年 - 2014 FIFAワールドカップ(グループリーグ敗退)
- 2015年 - AFCアジアカップ2015(ベスト8)
- 2016年 - キリンカップサッカー2016(準優勝)
- 2018年 - 2018 FIFAワールドカップ(ベスト16)
試合数
国際Aマッチ 88試合 0得点 (2008年 - 2018年)[1]
日本代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2008 | 1 | 0 |
2009 | 7 | 0 |
2010 | 8 | 0 |
2011 | 12 | 0 |
2012 | 11 | 0 |
2013 | 14 | 0 |
2014 | 11 | 0 |
2015 | 7 | 0 |
2016 | 1 | 0 |
2017 | 9 | 0 |
2018 | 7 | 0 |
通算 | 88 | 0 |
タイトル
クラブ
- RCストラスブール
クープ・ドゥ・ラ・リーグ:2018-19
出演
CM
フマキラー「アレルシャット 花粉 鼻ブロック」[マスク] (2011年)
大和ハウス工業 D-room「ゴールキーパー」編(2014年)共演:上野樹里
イメージキャラクター
アキュビュー(FIFA W杯オフィシャルコンタクトレンズ) (2012年 - )
JALカード (2013年 - )
クラウドファンディング (2013年 - )
柳屋本店(2013年 - )
アンバサダー
グローバルアスリートプロジェクト (2011年 - )
受賞歴
とやま国体 優秀選手:2000- 関東高校サッカー大会 優秀選手:2000
AFCユース選手権 ベストイレブン:2002
Jリーグベストイレブン:2009
Jリーグ フェアプレー個人賞:2009
彩の国スポーツ功労賞:2010- リールセ年間最優秀選手:2011, 2012
脚注
- ^ abcde“川島 永嗣”. サッカー日本代表データベース. http://www.jfootball-db.com/players_ka/eiji_kawashima.html
^ 川島永嗣が感じた日本と欧州の違い…GKへの思いとヨーロッパでプレーする意義 - Goal.com 2018年2月14日
^ “川島永嗣が「授業中に寝ない」を貫いた理由 「部活と勉強」と、7か国語を話すまで”. THE ANSWER (2018年9月10日). 2018年9月10日閲覧。
^ GK川島、今季からベルギーでプレー UEFA.com、2010年7月8日
^ 川島がサポーターの選ぶ「リールス年間最優秀選手」に 苦しいシーズンの最後につかんだEL出場の挑戦権 Archived 2010年6月3日, at the Wayback Machine. スポーツナビ、2011年5月1日
^ <欧州を震撼させたニッポン人> 川島永嗣 「大量失点でMVPの理由」 Number Web、2011年5月31日
^ 川島が侮辱的行為に涙…相手ファンが「カワシマ、フクシマ!」と挑発 SOCCER KING 2011年8月20日
^ スポーツ報知 2011年8月21日付8頁「川島、相手サポーターの『フクシマ』コールに激怒」]
^ 川島のリールス、“フクシマ”コールに抗議「尊厳の範疇を超えた出来事」 SOCCER KING 2011年8月24日
^ 川島に「フクシマ!」コールのゲルミナルがHPに日本語の謝罪文を掲載[リンク切れ] SOCCER KING 2011年8月26日
^ 「カワシマ、フクシマ!」の野次を浴びせたクラブが川島に直接謝罪 Archived 2011年9月24日, at the Wayback Machine. SOCCER KING 2011年9月22日
^ 全試合フル出場の川島「最低限のラインはクリア」 リールス、守備の安定で余裕の1部残留 Archived 2010年6月3日, at the Wayback Machine. スポーツナビ、2012年3月22日
^ リールス川島が2季連続でサポーター投票によるMVPに選出 Archived 2012年7月19日, at the Wayback Machine. SOCCER KING 2012年5月6日
^ 川島がベルギー4位スタンダールに移籍 日刊スポーツ、2012年7月18日付
^ 背番号1は、1998年は小島伸幸が、2002年は川口能活が、2006年と2010年は楢崎正剛がそれぞれつけていたが、いずれも出場機会はなかった。
^ 川島スタンダール今季限りで退団、欧州で移籍先探し 日刊スポーツ、2015年5月25日付
^ 無所属続くGK川島、シント・トロイデンに練習参加か? 加入なら再び小野と同僚に フットボールチャンネル、2015年10月16日
^ 日本代表GK川島永嗣、セリエBノバラの練習参加へ 日刊スポーツ、2015年7月21日
^ 川島永嗣「心から感謝」岡崎所属レスターの練習参加 日刊スポーツ、2015年10月26日
^ ハリル監督「元気づける」未所属GK川島永嗣に言及 日刊スポーツ、2015年10月2日
^ 川島永嗣スタンダールへ復帰か 地元メディアが報道 日刊スポーツ、2015年10月19日
^ 川島永嗣ダンディーU入団合意 監督「プラスに」 日刊スポーツ、2015年11月3日
^ 川島永嗣ダンディーUと契約「ようやくすっきり」 日刊スポーツ、2015年12月30日
^ ダンディー・U加入秒読みの川島永嗣…“どん底”クラブの救世主となるか!? サッカーキング、2015年11月5日
^ Michal Szromnik Eiji Kawashima transfermarkt(英語)
^ 川島所属のダンディーU、ダービーに敗れ21年ぶりの2部降格が決定。9ヶ月最下位抜け出せず フットボールチャンネル、2016年5月3日
^ 日本、圧巻のゴールラッシュで7得点大勝…香川&吉田の2発などでブルガリア下す サッカーキング、2016年6月3日
^ 川島 フランス1部メスへの移籍決定「新たなチャレンジが出来る」 スポーツニッポン、2016年8月2日
^ 川島永嗣、新天地メスでは控え確定!? 公式リリースが異例の発表「第3GKを務める」 フットボールチャンネル 2016年08月02日(Tue)11時38分配信
^ 元川悦子 (2016年10月4日). “なぜ川島永嗣が必要なのか?ハリルJ再生を託された“第3GK”の使命”. フットボールチャンネル. 2017年2月20日閲覧。
^ 小川由紀子、なぜ川島永嗣は3番手から正GKになれたのか?監督の心をつかめたワケ【海外日本人総括】 GOAL.com、2017年5月24日
^ 日本が誇る“PKストッパー”川島永嗣、仏デビューから3連続セーブは過去10年間で初 ゲキサカ(2018年1月29日)
^ 川島永嗣にリーグ・アン残留の可能性…酒井所属マルセイユなどが興味か Goal.com 2018年7月23日
^ 批判集中のGK川島永嗣は「自分もチームを助けなければいけない」 sportiva(2018年7月2日)
^ GK川島の「落ち度」とは W杯失点に不安、次戦は交代? j-cast(2018年6月20日)
^ 汚名返上の川島永嗣、主将として芽生えた強い責任感「期待に応えたい一心だった」 goal.com(2018年6月28日)
^ 長谷部、長友、川島が日本人W杯最多出場記録を更新!…11試合でヒデ超え サッカーキング (2018年7月3日)
^ GK川島永嗣は批判されすぎ? 実は今大会3位のセーブ数を記録【ロシアW杯】 フットボールチャンネル (2018年7月6日)
^ 川島永嗣の新天地が決定!仏1部ストラスブールと1年契約「契約できて嬉しい」 goal.com (2018年8月30日)
^ ストラスブールが14年ぶりリーグ杯制覇でEL出場へ。川島永嗣もチームを祝福フットボールチャンネル 2019年3月31日
^ 『蒼きSAMURSIワールドカップをめざせ!川島永嗣』61頁。
^ 川島永嗣 (2014年9月10日). “「皆様にご報告」|川島永嗣オフィシャルブログ「Life is beautiful」”. http://ameblo.jp/eiji-kawashima/entry-11922918356.html 2014年9月11日閲覧。
^ 日本の”吠えまくる男”も入ってた! 英メディアが紹介する欧州PK阻止率ランキングトップ50の1位は THE WORLD 2016年6月5日
^ 川島永嗣は世界最高クラスのPKストッパー!? 過去1年半の阻止率は驚異の「83.3%」 football-zone 2017年11月12日
^ 日本代表GK川島、フランスでこの10年で1人しかいないPK記録つくる! Qoly 2018年1月28日
^ F-スポット - ピックアッププレイヤー : 2010 vol.04 通訳/中山和也(川崎フロンターレ公式サイト、2010年)
^ 川島永嗣(サッカー) 好セーブで試合作る - 武内絵美コラム「戦士のほっとタイム」 asahi.com2011年6月14日付。[リンク切れ]
^ “5カ国語操る日本代表GK川島永嗣が説く語学の重要性「主張できるように」”. サッカーキング (2015年7月11日). 2015年7月29日閲覧。
関連項目
- 埼玉県出身の人物一覧
- さいたま市出身の人物一覧
- 大宮アルディージャの選手一覧
- 名古屋グランパスエイトの選手一覧
- 川崎フロンターレの選手一覧
- 日本国外のリーグに所属する日本人サッカー選手一覧
- サッカー日本代表出場選手
外部リンク
- 川島永嗣オフィシャルブログ
- グローバルアスリートプロジェクト
- マネジメント会社:株式会社BRIDGEs
川島永嗣 - J. League Data Siteによる選手データ (日本語)
川島永嗣 Eiji Kawashima (eijikawashima01) - Instagram
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