イランの議会
イラン・イスラーム議会 مجلس شورای اسلامی Majles-e Showrā-ye Eslāmī | |
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第32期マジュレス | |
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種類 | |
種類 | 一院制 |
役職 | |
議長 |
アリー・ラーリージャーニー(保守派)、 2008年5月2日より現職 |
構成 | |
定数 | 290 |
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院内勢力 |
改革普及連合 (119) 原理志向主義大連合 (84) 無所属 (65) 人民の声 (10) 宗教少数派 (5) 欠員 (4) |
選挙 | |
前回選挙 |
2012年5月2日・4日 |
議事堂 | |
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ウェブサイト | |
مجلس شورای اسلامی | |
憲法 | |
イラン・イスラーム共和国憲法 |
イランの議会(ペルシア語: مجلس شورا Majles-e Showrā または Majles-e Shourā)は単にマジュレス(ペルシア語: مجلس Majles)とも呼ばれ、イラン国会とも訳される。2008年1月現在の議会は正式にはイラン・イスラーム議会(ペルシア語: مجلس شورای اسلامی)といい、イラン・イスラーム共和国の立法府にあたる。2000年2月18日選挙の第7期マジュレスで定数は270から290へと変更された。
第9期議会の議長はアリー・ラーリージャーニー、第一副議長モハンマドハサン・アブートラービー=ファルド、第二副議長モハンマドレザー・バーホナルである[1]。
目次
1 前イスラーム革命期の議会
2 イスラーム共和国期の議会
3 最新の選挙
4 ギャラリー
5 註
6 関連項目
7 外部リンク
前イスラーム革命期の議会
マジュレスは1906年から1979年の前イスラーム革命期には「国民諮問評議会」の名を取り、下院として機能し、イラン上院とともに立法府を形成した。
議会はイラン立憲革命によりイラン1906年憲法に基づいて設置され、1906年10月6日(イラン暦1285年メフル月13日)開会された[2]。パフラヴィー朝初代モハンマド・レザー・シャーのもとで議会は速やかに権力を蓄積。パフラヴィー朝下、注目すべき議会通過法案には1951年3月15日の「石油国有化法案」、1967年の「家族保護法」などがある。後者は離婚の際の親権など、女性に多くの基本的権利を与えるものであった。
女性の議会選挙における選挙権・被選挙権が認められたのは1963年、シャーの白色革命の一環としてである。しかしながら、アーヤトッラー・ホメイニーなどシーア派宗教指導者をはじめとする伝統主義者は白色革命を西洋化であるとして危険視。1963年6月5日の蜂起とホメイニーの国外追放につながることになる。このような混乱をへて女性議員も参加しての第21期国民諮問評議会が招集されたのは1963年10月6日のことであった。
国民諮問評議会としての最後のマジュレスが開催されたのは1979年2月7日(イラン暦1357年バフマン月18日)である[2]。
イスラーム共和国期の議会
1979年のイラン・イスラーム革命後、上院は廃止され一院制となった。また1989年の憲法改定で「国民諮問評議会」は「イラン・イスラーム議会」へと名称変更されている。
現在、マジュレスの定数は290議席で、うち5議席が非ムスリムの宗教的少数派に割り当てられている。任期は4年。立候補にあたっては監督者評議会の資格審査を通過しなければならない。
マジュレスは投票による閣僚の不信任、また政権運営について大統領に対する問責決議、弾劾の権利を持つ。ほとんどの法案は政府提出によるものであるが、各議員による議員立法もあり、また政府提出法案の修正も行われる。このような法律起案のほか、国際条約の批准、国家予算の承認がマジュレスの機能となる。マジュレスを通過した法案はすべて監督者評議会に送られその承認を得なければならない。したがってイランの議会制は、中東諸国に比べて制度自体の民主的性格は強いものの、アメリカ合衆国の立法府ほど強力な機関ではない。
1979年以降、マジュレスは革命前にイラン上院として使われた建物を議場としている。新議事堂が革命前のマジュレス議事堂周辺、すなわちテヘラン中心部バハーレスターン広場に建設された。若干の議論をへて2004年、移転は承認され同11月16日、新議事堂で初会議が開かれている。
2011年11月27日、国会は、イギリス大使の追放など対イギリス関係を見直す法案を可決した。この背景にはイギリスはイランの核開発を疑っており、最近イギリスの金融機関とイランの銀行との取引を停止する方針を明らかにするなどが関係している[3][4]。
最新の選挙
2017年5月19日に実施されたイラン大統領選では、対外融和路線を進める現職のロウハニ大統領が、57%以上の票を獲得して再選を果たした。保守強硬派の統一候補であるライシ前検事総長の得票率は38%であった[5]。今回のイラン大統領選挙は昨年1月のイラン核合意(JCPOA)以後初めての大統領選であり、イランの欧米各国との今後の関係を大枠において決定するという意味で国際的な関心を集めた[6]。
ギャラリー
旧マジュレス議事堂(1956年ころ)
旧元老院議事堂(のち1979年から2004年までマジュレス議事堂)
註
^ “ラーリージャーニー氏、国会議長に再任”. IRIB. (2012年6月5日). http://japanese.irib.ir/news/latest-news/item/29180-ラーリージャーニー氏、国会議長に再任 2012年12月26日閲覧。
- ^ abMohammad Modarresi (2005年). “An Introduction to the history of the Legislative Assembly In Iran: The First Parliament of the National Consultative Assembly (آشنایی با تاریخ مجالس قانونگذاری در ایران: دوره اول مجلس شورای ملی) (PDF)” (Farsi). The Research Center of Islamic Consultative Assembly (مرکز پژوهشهای مجلس شورای اسلامی). 2008年2月4日閲覧。
^ 在イラン英国大使館に数百人侵入 追加制裁に怒り 朝日新聞 2011年11月30日
^ 英、イラン大使館を閉鎖 全職員、国外に退避 朝日新聞 2011年12月1日
^ “イラン大統領選、現職のロウハニ師が勝利 開放路線継続へ”. 2018年7月6日閲覧。
^ “中東政治経済レポート:イラン――イランの第12回大統領選挙をめぐって”. 2018年7月6日閲覧。
関連項目
- イラン元老院
- 専門家会議
- 監督者評議会
- イランの法制
外部リンク
マジュレス公式サイト(ペルシア語)
マジュレス公式サイト(英語)
イランの歴史−立憲革命: 1906年から1953年までの議会の歴史(英語)
イランにおける選挙の歴史(イラン内務省サイト)(2008年2月4日現在閲覧不能)
バハーレスターンへの議会移転についてのニュース(2008年2月4日現在閲覧不能)
監督者評議会公式サイト(ペルシア語)
マジュレス公報 (ペルシア語)
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