豊田自動織機
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2015年11月) |
本社・刈谷工場入り口 | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | 東証1部 6201 名証1部 6201 |
略称 | 豊田織機 織機 TICO |
本社所在地 | 日本 〒448-8671 愛知県刈谷市豊田町2丁目1番地 |
設立 | 1926年(大正15年)11月18日 (株式会社豊田自動織機製作所) |
業種 | 輸送用機器 |
法人番号 | 3180301014273 |
事業内容 | フォークリフト 無人搬送車、自動倉庫 物流ソリューション 車両組立 カーエアコン用コンプレッサー 繊維機械 |
代表者 | 代表取締役会長 豊田鐵郎 代表取締役社長 大西朗 代表取締役副社長 佐々木卓夫 |
資本金 | 804億62百万円 |
発行済株式総数 | 3億2584万640株 |
売上高 | 連結2兆36億円 (2018年3月期) |
営業利益 | 連結1474億円 (2018年3月期) |
経常利益 | 連結2098億円 (2018年3月期) |
純利益 | 連結1681億円 (2018年3月期) |
純資産 | 連結2兆6338億円 (2018年3月期) |
総資産 | 連結5兆2585億円 (2018年3月期) |
従業員数 | 単体13,810名 連結61,152名 (2018年3月31日現在) |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 | トヨタ自動車(株) 24.67% (株)デンソー 9.55% 東和不動産(株) 5.25% (2018年3月31日現在) |
関係する人物 | 豊田佐吉(創業者) 豊田利三郎(初代社長) 豊田芳年(元社長) 石田退三(元社長) 磯谷智生(元社長) 横井明(元会長) |
外部リンク | http://www.toyota-shokki.co.jp/ |
株式会社豊田自動織機(とよたじどうしょっき、英: Toyota Industries Corporation)は、愛知県刈谷市豊田町2-1に本社を置く日本の機械メーカー。トヨタグループの本家にあたる。現在のトヨタ自動車や愛知製鋼は、豊田自動織機の自動車部門や製鋼部門を分社化したもの。1926年(大正15年)11月18日創業。
現在は、社名にある、原点である繊維機械(自動織機など)の製造だけでなく、ヴィッツ、RAV4などトヨタ自動車の一部車種の生産、およびディーゼルエンジン、カーエアコン用コンプレッサー、コンバータ、EV用充電スタンド等の自動車関連製品の開発生産、「トヨタL&F」ブランドでのフォークリフトや自動倉庫、無人搬送車の開発から販売まで、多岐に亘る事業を展開している。
フォークリフトとカーエアコン用コンプレッサー、エアジェット織機のシェアは世界トップである。
愛知県内では「織機」の通称で呼ばれることも多い。トヨタグループ内ではTICOと呼ばれる。
目次
1 沿革
2 製品
3 トヨタグループ内での立ち位置
4 国内拠点
5 関連会社
5.1 かつての関連会社
6 スポーツ活動
7 ホンダとの関係
8 テレビCM
9 提供番組
10 脚注
11 関連項目
12 外部リンク
沿革
1926年 - 豊田佐吉発明のG型自動織機を製造するため、愛知県碧海郡刈谷町(現・刈谷市)に、株式会社豊田(とよだ)自動織機製作所を設立。初代社長は豊田利三郎。
1927年 - 刈谷工場完成、一部が稼動。
1929年 - 精紡機の生産開始。イギリスのプラット・ブラザーズ社と、自動織機の特許権譲渡契約を締結。
1931年 - ハイドラフト精紡機の完成。
1933年 - 自動車製造のため、自動車部設置。初代部長は中京デトロイト構想創案者で大同メタル工業創立者の川越庸一。
1934年 - 製鋼工場、試作工場の完成。乗用車用A型エンジンの完成。
1935年 - 大衆乗用車A1型の試作車完成。「豊田綱領」を制定。東京・芝浦で、トヨダ・G1型トラック発表会を開催。
1936年 - 大衆乗用車完成記念展覧会開催、自動車製造許可会社に指定。
1937年 - 四線式スーパーハイドラフト精紡機の完成。自動車部を分離し、トヨタ自動車工業株式会社(現・トヨタ自動車株式会社)を設立。
1940年 - 製鋼部を分離独立し、豊田製鋼株式会社(現・愛知製鋼株式会社)を設立。
1943年 - 豊田病院開設。(現・刈谷豊田総合病院の前身)
1944年 - 軍需会社に指定。大府工場の操業開始。(鋳造品)
1945年 - 民需転換許可。本田宗一郎が経営する「東海精機」の全株式を取得。
1946年 - 見返り輸出用織機出荷。(太平洋戦争後、日本国初の機械輸出)
1948年 - 大府工場、自動車部品用鋳鋼品の生産工場に指定。
1949年 - 東京、名古屋及び大阪の各証券取引所に株式上場。
1951年 - 紡機、月産10万錘を達成。
1952年 - 自動車用プレス型の生産開始。
1953年 - S型ガソリンエンジンの生産開始。共和工場の操業開始。(自動車用エンジン、自動車組立)
1955年 - 車両部を新設。
1956年 - フォークリフト初号機1トン車LA型を発売。
1957年 - D型ディーゼルエンジン部品の生産開始。0.85トン積LAT型トーイングトラクターを発売。
1958年 - APA特需車両の生産開始。
1959年 - 3気筒クランク式固定容量コンプレッサーの生産開始。P型ガソリンエンジンの生産開始。
1960年 - ショベルローダの生産開始。共和工場にフォークリフト専門工場を完成。トヨタ系10社の出資により、株式会社豊田中央研究所を設立。
1963年 - 摩擦圧接機の販売開始。ダンプトラックの生産開始。
1964年 - J型ディーゼルエンジンの生産開始。6気筒斜板式コンプレッサー(6P)の生産開始。通商産業省(当時)より第1回輸出貢献企業の認定。TAS式連続自動紡績法を発表。
1966年 - 「豊田佐吉生誕100年記念展」を名古屋市科学館で開催。
1967年 - 長草工場操業開始、パブリカピックアップの生産開始。カウンター式バッテリーフォークリフト生産開始。産業車両月産1000台を達成。ミニエースの生産開始。H型ディーゼルエンジンの生産開始。
1968年 - オープンエンド精紡機1号機の完成。
1969年 - C型自動織機1号機の完成。
1970年 - FBR10/15型(立席型)リーチ式バッテリーフォークリフトを発売。高浜工場の操業開始。(産業車両)
1971年 - 事業部制を確立(本社機構、繊維機械、産業車両、車両及び大府工場)。カローラバンの生産開始。スイス・スルザー社とグリッパー織機製造の合弁会社、豊田スルザー株式会社を設立。産業車両生産累計10万台を達成。
1972年 - ヘッドガード一体構造のフォークリフトを生産開始。
1973年 - 産業車両月産3000台を達成。
1974年 - カークーラー用コンプレッサー生産累計100万台を達成。
1975年 - コンプレッサ部を新設。
1976年 - 長草工場、月産10,000台達成。
1977年 - 繊維機械事業部からコンプレッサ事業部を分離。クライスラー社及びフォード社に斜板式コンプレッサーを技術供与。スキッドステアローダー「ジョブサン」を発売。
1978年 - スターレットの生産開始。国産メーカー初の三輪タイプバッテリーフォークリフトFBE型「ナローエース」を発売。
1980年 - JA型エアジェット織機の生産開始。
1981年 - 世界初の10気筒斜板式固定容量コンプレッサー(10P)の生産開始。
1982年 - 碧南工場の操業開始(自動車用ディーゼルエンジン)。小型乗用車用C型ディーゼルエンジンの生産開始。TQCの導入。
1984年 - 車両事業部を自動車事業部に改称。
1985年 - 自動車事業部からエンジン事業部を分離。フォークリフト生産累計50万台を達成。10PA17コンプレッサーの生産開始。
1986年 - 大府工場を鋳造事業部に改称。無人搬送車の発売開始。1Z型産業車両用直噴ディーゼルエンジンの生産開始。1986年度デミング賞実施賞を受賞。
1987年 - TPM導入を宣言。スプリンターシエロ(国内仕様)、カローラリフトバック(輸出仕様)の生産開始。電子事業室を設置。商号の読み方(「とよだ」から「とよた」)及び社章を変更。
1988年 - C型ディーゼルエンジン生産累計100万台を達成。スプリンターセダンの生産開始。RX100型リング精紡機の生産開始。米国で産業車両製造のため、トヨタ自動車株式会社との合弁により、トヨタ インダストリアル イクイップメント マニュファクチャリング株式会社を設立。無人フォークリフト「AFBR」シリーズを発売。
1989年 - 米国でカーエアコン用コンプレッサー製造のため、日本電装株式会社〈現株式会社デンソー〉との合弁により、ミシガン オートモーティブ コンプレッサー株式会社を設立。静電誘導トランジスタ「SIT」をバッテリーフォークリフト「B300」のコントローラに搭載。HZ型ディーゼルエンジンの生産開始。
1990年 - FZ型ガソリンエンジンの生産開始。繊維機械用主制御装置の生産開始。スプリンターカリブの生産開始。1990年度PM優秀事業場賞を受賞。
1991年 - ブロアモータコントローラ用SIT及びICにより自動車向け半導体の生産開始。エンジン生産累計500万台を達成。企業行動規範委員会を発足。
1992年 - 環境委員会を新設。JAT600型エアジェット織機の生産開始。パレット式自動倉庫「ラックソーターP」を発売。バケット式自動倉庫「ラックソーターB」を発売。
1993年 - 環境取り組みプランを発表。産車・機器事業部から物流システム事業部を分離・独立。FL100型粗紡機の生産開始。EV用充電器の生産開始。RX200型リング精紡機の生産開始。
1994年 - 1~3トン積エンジン式フォークリフト「X500」を発売。中国・江蘇省で鋳物素形材製造のため、豊田通商株式会社との合弁により、豊田工業昆山有限公司を設立。リーチタイプバッテリー式フォークリフト「R500」を発売。
1995年 - フランスで産業車両製造のため、トヨタ自動車株式会社及びマニトウB.F.株式会社との合弁により、トヨタ インダストリアル イクイップメント株式会社を設立。世界初の片側斜板式連続可変容量コンプレッサー(7SB) の生産開始。スプリンターセダンをモデルチェンジ。DC-DCコンバーター用ICの生産開始。スプリンターカリブをモデルチェンジ。車載用ACインバータ(100W)の生産開始。フォークリフト生産累計100万台達成。1~3トン積カウンタータイプバッテリーフォークリフト「B500」を発売。インドで精紡機製造のため、キルロスカグループ(インド)との合弁により、キルロスカ トヨダ テキスタイル マシナリー株式会社を設立。スターレットをモデルチェンジ。
1996年 - JAT610型エアジェット織機の生産開始。RX240型リング精紡機の生産開始。
1997年 - スターレットカラットを発売。コンプレッサー生産累計1億台達成。世界初のクラッチレス外部可変容量コンプレッサー(6SE)の生産開始。液晶ディスプレイ製造のため、ソニー株式会社との合弁により、エスティ・エルシーディ株式会社を設立。10気筒斜板式コンプレッサー(10Sシリーズ)の生産開始。
1998年 - 1~5トン積エンジン式フォークリフト「GENEO」を発売。ドイツでカーエアコン用コンプレッサー製造のため、株式会社デンソーとの合弁でテーデー ドイチェ クリマコンプレッサー 有限会社(TDDK)を設立。ICチップ用のプラスチックパッケージ基板製造のため、イビデン株式会社との合弁により、株式会社ティーアイビーシーを設立。
1999年 - アルミ事業部を設置。プリウス用ダイオードの生産開始。小型乗用車ヴィッツの生産開始。固定ラック「パートナーラック」を発売。日産テクシス株式会社よりウォータジェット織機事業の営業譲渡。1~3.5トン積カウンタータイプバッテリーフォークリフト「GENEO‐B」を発売。SS無線モデム「GIGA WAVEシリーズ」の生産開始。
2000年 - プリウス用DC-DCコンバータの生産開始。スウェーデンのウェアハウス用機器メーカーBT インダストリーズ 株式会社を子会社化。「パートナーラック移動タイプ」を発売。東知多工場の操業開始(繊維機械鋳物の一部)。
2001年 - 1~3トン積リーチタイプバッテリーフォークリフト「GENEO‐R」を発売。トヨタ自動車株式会社よりL&F 事業部門を営業譲渡。RAV4の生産開始。千葉県にトヨタL&Fカスタマーズセンターをオープン。車載用ACインバータ(1.5kW)の生産開始。bBオープンデッキの生産開始。商号を株式会社豊田(とよた)自動織機に変更(英文社名をToyoda Automatic Loom Works, Ltd.から現在の表記に変更。)。アメリカでリビルドコンプレッサー製造のため、アクティス マニュファクチャリング LLCを設立。
2002年 - 物流企画・物流センター運営のため、アドバンスト・ロジスティックス・ソリューション株式会社を設立。東浦工場操業開始(コンプレッサー部品)。
2007年 - 文書保管最大手の株式会社ワンビシアーカイブズを子会社化。
2008年
- 愛知県刈谷市にボランティア支援センター「はあとふる」をオープン。
- 女子陸上競技部が全日本実業団対抗女子駅伝競走大会で初優勝。
- 練習を委託された佐倉アスリート倶楽部代表・小出義雄の指導により、史上10チーム目の初優勝。
2012年 - スイスの紡績糸品質測定機器メーカーウースター・テクノロジー社を子会社化[1]。
2013年3月 - 米国の大手フォークリフト部品メーカーカスケード社を連結子会社化。[2]
2015年8月 - 台湾のフォークリフトメーカータイリフトがフォークリフト事業分割し新たに設立した、LT Material Handling Holding Pte. Ltd.の株式55%を取得し子会社化[3]。
2015年12月 - 完全子会社であるアサヒセキュリティをセコムに・ワンビシアーカイブズを日通に、保有株式の全てを売却[4]。
2016年10月 - 国立研究開発法人産業技術総合研究所と共に豊田自動織機-産総研 アドバンスト・ロジスティクス連携研究室を設立[5]。
2017年
- 4月 - 米国の物流システムインテグレーターバスティアン ソリューションズ社の全株式を取得し子会社化[6][7]。
- 5月 - オランダの物流ソリューション企業ファンダランデ インダストリーズ社を子会社化[7]。
製品
部門別売上高構成比(2017年度、連結ベース)は以下の通り
- 自動車事業 29.7%
- 車両 3.6%
- エンジン 4.9%
- カーエアコン用コンプレッサー 17.5%
- 電子機器・鋳造品他 3.6%
- 産業車両事業 64.0%
- 繊維機械事業 3.3%
- その他 3.0%
主要製品は以下の通り
ヴィッツ(現行)、RAV4(現行・海外市場向け)- マークXジオ
- スプリンターシエロ
- ウォーキー
- GENEO
- プチランナーG
- りとるランナー
- くるる
- タグノバ
- タグカート
ラックソーターP/B(自動倉庫)
モービルソーターP/B(高速有軌道台車)
パートナーラック(移動ラック)
トヨタグループ内での立ち位置
現在もトヨタ自動車の株式の7.85%を保有する筆頭株主(信託銀行分を除く)で、トヨタグループ各社の株も多数保有している。しかし、時価総額が保有資産総額を下回っていることから、敵対的買収によりトヨタグループの支配権を握られることが危惧され、2005年(平成17年)にトヨタグループ各社による自動織機の持株比率合計を過半数以上に引き上げるという防衛策が取られた。その為、トヨタ自動車が支配株主となっている。
また、トヨタグループの発展に大きな役割を果たしてきた誇りから、2001年(平成13年)の商号変更時に「自動織機」を外すことはなかった。
国内拠点
- 刈谷工場 - 愛知県刈谷市豊田町
- 長草工場 - 愛知県大府市長草町
- 共和工場 - 愛知県大府市共和町
- 大府工場 - 愛知県大府市江端町
- 高浜工場 - 愛知県高浜市豊田町
- 碧南工場 - 愛知県碧南市浜町
- 東知多工場 - 愛知県半田市日東町
- 東浦工場 - 愛知県知多郡東浦町大字緒川
- 安城工場 - 愛知県安城市根崎町
- 森岡事業所 - 愛知県知多郡東浦町大字森岡
- 東京支社
- 市川カスタマーズセンター
- 北陸営業所
関連会社
- 株式会社アイチコーポレーション
アドバンスト・ロジスティックス・ソリューションズ株式会社- 株式会社アルテックス
イヅミ工業株式会社- 株式会社岩間織機製作所
- 株式会社エスケイエム
- 株式会社サンスタッフ
- 株式会社サンバレー
- 株式会社サンリバー
- 株式会社シャインズ
大興運輸株式会社- 株式会社竹内鐵工所
東海精機株式会社
東久株式会社
トヨタエルアンドエフ福井株式会社
トヨタエルアンドエフ静岡株式会社
トヨタエルアンドエフ東京株式会社
トヨタエルアンドエフ兵庫株式会社- 株式会社豊田自動織機ウェルサポート
豊田ハイシステム株式会社
トヨタL&F秋田株式会社- 株式会社長尾工業
仁科工業株式会社- 株式会社原織機製作所
- 株式会社半田キャスティング
ミヅホ工業株式会社- 株式会社ユニカ
- 株式会社KTL
かつての関連会社
- エスケイイー株式会社(2009年7月1日にイヅミ工業と合併し、解散)
- 株式会社ティーアイビーシー(2013年1月に解散)
- TFロジスティクス株式会社 ※ 以前株式の一部を所有していた富士物流との合弁会社(51%所有の子会社)。富士物流との提携関係解消に付き、2011年2月末をもって解散[1]。
- 株式会社アサヒセキュリティ(2015年12月、セコムに売却)
- 株式会社ワンビシアーカイブズ(2015年12月、日本通運に売却)
スポーツ活動
- 女子ソフトボール部(豊田自動織機女子ソフトボール部)
- 1952年創立。社内公募で決まった「Shining Vega」の愛称を持つ。日本女子ソフトボールリーグ1部所属。
- ラグビー部(豊田自動織機シャトルズ)
- 1984年創部。2010年にはトップリーグに昇格するも1年で降格、2013年は入れ替え戦に勝利しトップリーグに復帰した。
- 女子陸上部
- 2001年設立。陸上指導者の小出義雄が設立したスポーツクラブ「佐倉アスリート倶楽部」と提携し、部員は佐倉アスリート倶楽部にて小出の指導を受けながら、日本実業団陸上競技連合加盟の実業団チーム選手として各種大会に参加するという形を取っており(他にユニバーサルACが同様の体制を取っている)、チームの本拠地を豊田自動織機の拠点の存在しない千葉県佐倉市としていた。2011年4月に本社のある愛知県刈谷市に活動拠点を移動し、元須磨学園中学校・高等学校陸上部監督の長谷川重夫の元での新体制となっている[8]。 小林祐梨子・小島一恵らが所属する。
- サッカー部(豊田自動織機サッカー部)
- 1946年に愛知県立刈谷高等学校サッカー部OBによって設立され、1965年の第1回日本サッカーリーグに参加した古豪クラブである。現在は愛知県社会人サッカーリーグ1部所属。
|
ホンダとの関係
本田宗一郎は1945年に自身が所有していたピストンリング製造会社「東海精機重工業」の全株式を豊田自動織機へ売却。1946年に売却資金を元手に本田技術研究所を設立、1948年には本田技研工業と改称し本格的にエンジン製造へ参入する。
テレビCM
桐谷健太 - 企業テレビCM『創ろうの歌』篇(2016年10月1日 - )
提供番組
- 現在
ウェークアップ!ぷらす(ytv)
坂上&指原のつぶれない店(TBS、2018年10月-)
- 過去
駆け込みドクター!運命を変える健康診断(TBS、2014年10月-2016年3月)
この差って何ですか?(TBS2016年4月-2016年9月)
クイズ☆スター名鑑(TBS、2016年10月-2017年1月)
東大王(TBS、2017年4月-2018年9月)
脚注
^ Uster Technologies AG株式に対する公開買付けの結果に関するお知らせ - 豊田自動織機ニュースリリース2012年5月10日[リンク切れ]
^ 米国Cascade Corporationに対する公開買付けの結果および買収完了に関するお知らせ - 豊田自動織機ニュースリリース2013年3月29日
^ “Tailift Co., Ltd.(台湾)のフォークリフト事業を取得”. 豊田自動織機 (2015年8月18日). 2015年8月18日閲覧。
^ 子会社株式の売却に関するお知らせ
^ “「豊田自動織機-産総研 アドバンスト・ロジスティクス連携研究室」を設立―ロボット・人工知能技術を活かした先進的な産業車両・物流システム実現へ―”. 産総研. 2017年2月3日閲覧。
^ “豊田自動織機/北米で物流ソリューション事業強化”. LNEWS. 2017年11月12日閲覧。
- ^ ab“平成30年3月期 第1四半期決算短信〔IFRS〕(連結) (PDF)”. 豊田自動織機. 2017年11月12日閲覧。
^ 豊田自動織機女子陸上競技部の新体制について - 豊田自動織機ニュースリリース2011年3月23日
関連項目
トヨタグループ
アイシン精機・愛知製鋼・トヨタ自動車東日本・ジェイテクト
ダイハツ工業・デンソー・東和不動産・豊田合成
トヨタ自動車・トヨタ車体・豊田中央研究所・豊田通商
トヨタ紡織・日野自動車
トヨタL&F・トヨタ産業技術記念館・ワンビシアーカイブズ
- 名古屋グランパスエイト
芝田山部屋 - 大相撲名古屋場所開催時に宿舎として大府工場内施設を利用
富士物流 - 一時期、持分法適用会社にしていた
外部リンク
- 株式会社豊田自動織機