小林樟雄

小林樟雄
小林 樟雄(こばやし くすお、安政3年9月16日[1](1856年10月14日) - 大正9年(1920年)4月7日[2])は、衆議院議員(自由党→立憲革新党)。
経歴
岡山城下船頭町(現在の岡山市北区)に岡山藩士小林材夫の子として生まれた[3]。藩の兵学館と英仏普通学館で学んだ後、1871年(明治4年)から官立の京都仏学校でレオン・デュリーについて学んだ。その後、仏学校が廃止されてデュリーが開成学校に転任すると、デュリーに従って上京した[4]。
その頃、板垣退助らが自由民権運動を始めるとこれに参加し、岡山で西毅一らとともに実行社、公衆社などの政社を組織して国会開設の請願を行った[5]。1881年(明治14年)、国会開設の詔を受けて自由党が結成されると、その岡山支部として山陽自由党を結成した。また中国毎日新聞を創刊して社長となるが、政府の忌避するところとなり発禁処分に遭った[6]。
1885年(明治18年)、大阪事件により逮捕されたが、1889年(明治22年)に憲法発布の特赦で釈放された[7]。
1890年(明治23年)、第1回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。合計で3期務めた[2]。
脚注
^ 『政治家人名事典』
- ^ ab『衆議院議員略歴』
^ 『小林樟雄君之伝』 p. 1
^ 『日本帝国国会議員正伝』 p. 223
^ 『日本帝国国会議員正伝』 pp. 224-225
^ 『日本帝国国会議員正伝』 p. 230
^ 『小林樟雄君之伝』 pp. 11-13
参考文献
- 牧野逸馬 『小林樟雄君之伝』 文友館、1890年。
- 木戸照陽 『日本帝国国会議員正伝』 田中宋栄堂、1890年。
- 『第一回乃至第十九回総選挙 衆議院議員略歴』 衆議院事務局、1936年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』 日外アソシエーツ、2003年。