チーム・ペンスキー
チーム・ペンスキー(Team Penske)は、アメリカ・ノースカロライナ州ムーアズビルに本拠を置くレーシングチーム。2013年までは「ペンスキー・レーシング」を名乗っていた。
目次
1 概要
2 所属ドライバー
2.1 アメリカン・オープンホイール(CART/インディカー)
2.1.1 現シーズン(2019年)
2.1.2 過去の所属ドライバー
2.2 モンスターエナジー・NASCARカップ・シリーズ
2.2.1 現シーズン(2018年)
2.2.2 過去の所属ドライバー
2.3 エクスフィニティ・シリーズ
2.3.1 現シーズン(2018年)
3 主なスポンサー
4 F1
4.1 概要
4.2 変遷表
5 脚注
5.1 注釈
5.2 出典
6 外部リンク
概要
元F1ドライバーのロジャー・ペンスキーが1958年に設立して以来オープンホイール・ストックカー・スポーツカーレースで幾度となくチャンピオンを獲得し、アメリカのモータースポーツの中では「名門」と言えるチームで、その強さは「ニューヨーク・ヤンキース・オブ・モータースポーツ」ともあだ名されるほどであった[1]。特にオープンホイールでの活躍が知られ、インディカー・シリーズを含めると32度の北米最高峰制覇を果たしている。
シャシーの製造能力も有しており、1970年代にはF1に参戦していたほか、1999年までオリジナルシャシーのPCシリーズでCARTに参戦していた。1993年のシーズン前にはウィリアムズ・ルノーへの加入が叶わなかったアイルトン・セナがテストドライブした事もあった。
ストックカーではUSACを経て、1972年にNASCARのウィンストンカップ・シリーズへの参戦を開始。2003年からはダッジのワークス格として活動し、2008年のデイトナ500ではライアン・ニューマンとカート・ブッシュが1-2フィニッシュを果たした[2]。2012年にはブラッド・ケセロウスキーがチーム初となるシリーズチャンピオンを獲得した[3]が、ダッジの撤退により2013年からフォードにマシンを変更している[4]。2015年にはジョーイ・ロガーノがデイトナ500を制し[5]、2018年にはロガーノがモンスターエナジー・NASCARカップ・シリーズのシリーズチャンピオンを獲得した[6]
スポーツカーレースにもキャリア初期の1966年からローラ・シボレーでCan-AmやUSRRCに参戦し、1969年のデイトナ24時間総合優勝、トランザム・シリーズ、USRRCのチャンピオンも獲得している。その後長きに渡る空白期間を経て、00年代にライリー・ポルシェのデイトナプロトタイプで、グランダムのロレックス・スポーツカーシリーズに参戦。また、アメリカン・ル・マン・シリーズ(ALMS)にもポルシェのセミワークス「DHLポルシェチームペンスキー」としてLMP2に参戦し、2006年~2008年まで3連覇した。2018年にはユナイテッド・スポーツカー選手権(USCC)にアキュラのセミワークスとして参戦している。
また2014年に豪州スーパーカー選手権の強豪DJRレーシングの株式を51%取得し、DJRチームペンスキーとして参戦している(マシンはフォード)。
所属ドライバー
アメリカン・オープンホイール(CART/インディカー)
現シーズン(2019年)
- No.02 ジョセフ・ニューガーデン (2017年 - )
- No.03 エリオ・カストロネベス(2000年 - [注 1])
- No.12 ウィル・パワー (2009年 - )
- No.22 サイモン・パジェノ (2015年 - )
過去の所属ドライバー
マーク・ダナヒュー(1968年 - 1975年)
デヴィッド・ホブス(1971年)
ゲイリー・ベッテンハウゼン (1972年 - 1974年)
ゴードン・ジョンコック(1972年)
マイク・ヒス(1972年, 1974年)
ボビー・アリソン(1973年, 1975年)
トム・スニーヴァ(1975年 - 1978年)
マリオ・アンドレッティ(1976年 - 1980年)
リック・メアーズ(1978年 - 1992年)
ボビー・アンサー(1979年 - 1981年)
ビル・アルサップ(1981年)
ケヴィン・コーガン(1982年)
アル・アンサー (1983年 - 1989年)
ジョニー・ラザフォード(1984年[注 2])
マイク・サックウェル(1984年[注 2])
ダニー・サリバン(1985年 - 1990年)
ジェフ・ブラバム(1989年[注 2])
エマーソン・フィッティパルディ(1990年 - 1996年)
ポール・トレーシー(1991年 - 1994年, 1996年 - 1997年)
アル・アンサーJr.(1994年 - 1999年)
ヤン・マグヌッセン(1996年[注 2])
アンドレ・リベイロ(1998年)
アレックス・バロン(1999年, 2003年[注 2])
ゴンサロ・ロドリゲス (1999年)
タルソ・マルケス(1999年[注 2])
ジル・ド・フェラン(2000年 - 2003年)
マックス・パピス(2002年[注 2])
サム・ホーニッシュ・ジュニア(2004年 - 2007年)
ライアン・ブリスコー(2008年 - 2012年)
A.J.アルメンディンガー(2013年)
ファン・パブロ・モントーヤ(2014年 - 2017年)
オリオール・セルビア(2016年[注 3])
※ グレッグ・ムーアはチーム・ペンスキーより2000年シーズンに出場予定であったが、1999年シーズンの最終戦での事故により他界した。代わりに招かれたのがエリオ・カストロネベスである。
モンスターエナジー・NASCARカップ・シリーズ
現シーズン(2018年)
- No.02 ブラッド・ケセロウスキー(2011年 - )
- No.12 ライアン・ブレイニー(2014年, 2018年 - )
- No.22 ジョーイ・ロガーノ(2013年 - )
過去の所属ドライバー
ドニー・アリソン(1972年)
ボビー・アリソン(1974年 - 1976年)
ラスティ・ウォレス(1980年, 1991年 - 2005年)
ジェレミー・メイフィールド(1998年 - 2001年)
マイク・ウォレス(1998年 - 2001年)
ライアン・ニューマン(2001年 - 2008年)
トラヴィス・クォピル(2004年 - 2005年)
ブレンダン・ゴーン(2004年)
カート・ブッシュ(2006年 - 2011年)
サム・ホーニッシュJr.(2007年 - 2010年, 2012年)
A.J.アルメンディンガー(2012年)
ファン・パブロ・モントーヤ(2014年)
エクスフィニティ・シリーズ
現シーズン(2018年)
- No.12, No.22 オースティン・シンドリック
- No.22 ライアン・ブレイニー
主なスポンサー
データは2013年時点。
フィリップ・モリスUSA[注 4](タバコ)
ミラー(ビール)(NASCARのみ)
IZOD(アパレル)
シェル/ペンゾイル(ガソリン、オイル)- 日立オートモティブシステムズ
ヤマザキマザック(工作機械)
コカ・コーラ(ソフト・ドリンク)
ベライゾン(携帯電話)
F1
参戦年度 | 1974 - 1977 |
---|---|
出走回数 | 41 |
コンストラクターズ タイトル | 0 |
ドライバーズタイトル | 0 |
優勝回数 | 1 |
通算獲得ポイント | 23 |
表彰台(3位以内)回数 | 0 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
F1デビュー戦 | 1974年カナダGP |
初勝利 | 1976年オーストリアGP |
最終勝利 | 1976年オーストリアGP |
最終戦 | 1977年カナダGP |
概要
1974年の終盤カナダGPからF1に参戦。1975年からフル参戦を開始した。1975年の一時期、マーチ製シャーシを使用もしたがそれ以外は自製シャーシで参戦。エンジンはフォードコスワースDFVを使用して、当時の典型的なF1マシンであったが、デザインは他のチームと異なり、曲線などをマシンの随所に使用していた。スポンサーはファースト・ナショナル・シティ銀行。
1976年のオーストリアグランプリでは、チーム唯一となる勝利をジョン・ワトソンが挙げた。1977年にドイツのホイールメーカーであるATSがチームを買収したことから、エントリー名がATS・レーシング・チームに変更されたが、コンストラクター名はペンスキーのままであった。マシンは前年度のPC4を継続使用した。1978年からはコンストラクター名もATSとなり、さらにマーチも買収して、完全にATSとして参戦した。
変遷表
年 | エントリー名 | 車体型番 | タイヤ | エンジン | 燃料・オイル | ドライバー | ランキング | 優勝数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1974年 | ペンスキー・レーシング | PC1 | G | フォードDFV | スノコ | マーク・ダナヒュー | 20位 | 0 |
1975年 | ペンスキー・レーシング | PC1,マーチ751 | G | フォードDFV | スノコ | マーク・ダナヒュー ジョン・ワトソン | 12位 | 0 |
1976年 | シティバンク・チーム・ペンスキー * F&S Properties(PC3) | PC3,PC4 | G | フォードDFV | バルボリン・スノコ | ジョン・ワトソン ボイ・ハイエ | 5位 | 1 |
1977年 | ATS・レーシング・チーム * Interscope Racing(PC4) | PC4 | G | フォードDFV | バルボリン・スノコ | ジャン=ピエール・ジャリエ ハンス・ハイヤー ハンス・ビンダー ダニー・オンガイス | 10位 | 0 |
*枝がついているチームに車体を供給(括弧内に供給した車体の型番を記載)
*斜体になっているドライバーはスポット参戦など
脚注
注釈
^ 2018年からはインディ500のみの参戦となった。
- ^ abcdefgレギュラードライバー欠場に伴う参戦。
^ 第1戦セントピーターズバーグのレースでパワーがポールを獲得したが、内耳炎のため決勝出場を取りやめた。パワーの代わりにセルビアが出場した。
^ オーナー、ロジャー・ペンスキーがフィリップモリスの役員でもあったことから、1990年以来、マールボロブランドでチームのメイン・スポンサー(冠スポンサー)となっていたが、2006年以降の世界的なタバコ広告の自粛を受け、2007年からはカラーリングは赤白のマールボロカラーのままだが車体へのロゴの露出は控えられ、エントリー名もマールボロの文字が外れて「チーム・ペンスキー」となり、さらに2009年からは車体のカラーリングも黒と銀色に改められた。
出典
^ Penske Team History
^ “2008 Daytona 500”. Racing-Reference.info. USA Today Sports Media Group. 2018年5月7日閲覧。
^ “NASCAR Sprint Cup standings for 2012”. Racing-Reference.info. USA Today Sports Media Group. 2018年5月7日閲覧。
^ NASCAR:ペンスキー、2013年からフォードにマシンチェンジ - FMotorsports kaigai・2012年3月2日
^ “2015 Daytona 500”. Racing-Reference.info. USA Today Sports Media Group. 2018年5月7日閲覧。
^ “Monster Energy NASCAR Cup standings for 2018”. Racing-Reference.info. USA Today Sports Media Group. 2019年1月30日閲覧。
外部リンク
- Penske Racing