サッカー日本女子代表
サッカー日本女子代表 | |||
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国または地域 | 日本 | ||
協会 | 日本サッカー協会 | ||
愛称 | なでしこジャパン | ||
監督 | 高倉麻子 | ||
最多出場選手 | 澤穂希(205試合) | ||
最多得点選手 | 澤穂希(83得点) | ||
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初の国際試合 | |||
1981年6月7日 チャイニーズタイペイ 1 - 0 日本 第4回AFC女子選手権 (香港) | |||
最大差勝利試合 | |||
1997年12月5日 日本 21 - 0 グアム 第11回AFC女子選手権 (中国・番禺) | |||
最大差敗戦試合 | |||
1981年9月9日 日本 0 - 9 イタリア ポートピア'81国際女子サッカー大会 (国立西が丘サッカー場) 1999年4月29日 アメリカ合衆国 9 - 0 日本 (アメリカ合衆国シャーロット) | |||
女子W杯 | |||
出場回数 | 8回 (初出場は1991) | ||
最高成績 | 優勝 (2011) | ||
オリンピック | |||
出場回数 | 4回 | ||
最高成績 | 準優勝 (2012) | ||
AFC女子アジアカップ | |||
出場回数 | 16回 | ||
最高成績 | 優勝 (2014、2018) | ||
アジア競技大会 | |||
出場回数 | 8回 | ||
最高成績 | 優勝 (2010、2018) | ||
サッカー日本女子代表(サッカーにっぽんじょしだいひょう、サッカーにほんじょしだいひょう)は、日本サッカー協会 (JFA) により編成される女子サッカーの日本代表チーム(年齢制限のないベストメンバーによる代表)。愛称は「なでしこジャパン」。
FIFA女子ワールドカップには全7大会に、オリンピックには6大会中4回に出場している。2011年のFIFA女子ワールドカップではアジア勢の代表チームとして初優勝した。
目次
1 歴史
1.1 黎明期〜鈴木良平監督時代
1.2 鈴木保・宮内聡監督時代
1.3 上田栄治監督時代
1.4 大橋浩司監督時代
1.5 佐々木則夫監督時代
1.5.1 2008年
1.5.2 2010年
1.5.3 2011年
1.5.4 2012年
1.5.5 2014年
1.5.6 2015年
1.5.7 2016年
1.6 高倉麻子監督時代
2 愛称
3 成績
3.1 FIFA女子ワールドカップ(FIFA女子世界選手権)
3.1.1 各大会の試合詳細
3.2 オリンピック
3.2.1 各大会の試合詳細
3.3 アルガルヴェ・カップ
3.4 シービリーヴス・カップ
3.5 トーナメント・オブ・ネイションズ
3.6 AFC女子アジアカップ(AFC女子選手権)
3.7 アジア競技大会
3.8 EAFF E-1フットボールチャンピオンシップ(東アジア女子サッカー選手権・女子東アジアカップ)
3.9 国別対戦成績
4 実績
5 記録
5.1 出場数
5.2 得点
6 歴代監督
7 年代別代表チームの戦績
7.1 ユニバーシアード女子代表
7.2 U-20女子代表
7.3 U-17女子代表
8 脚注
9 なでしこジャパンを題材にした作品
10 関連項目
11 外部リンク
歴史
黎明期〜鈴木良平監督時代
1977年、台湾・台北市開催のアジア女子選手権に、FCジンナンの選手たちが「日本代表」として参加した。この大会が日本女子サッカーにおける初の国際試合である。1981年の1981 AFC女子選手権において、全国各地のチームから選手を選抜して結成した初の日本代表チームが結成され、当時京都府所在の西山高等学校教諭であった市原聖基が監督となった[1]。同年9月にはポートピア81関連事業として日本代表とイングランド代表およびイタリア代表による試合が行われ、イングランドとの試合では0-4[1]、イタリアとの試合では0-9の成績であった。
1986年、鈴木良平が初の専任代表監督として就任。1986年に開催された1986 AFC女子選手権にて準優勝の成績をおさめた。
鈴木保・宮内聡監督時代
女子サッカーがオリンピック種目となったのは1996年のアトランタ大会からである。
鈴木保率いる日本女子代表は、オリンピック出場権獲得を目指して1995年にスウェーデンで開催された第2回FIFA女子世界選手権に出場。この大会においてグループリーグでドイツに0-1、スウェーデンに0-2で敗戦したもののブラジルに2-1で勝利して決勝トーナメントに進出し、トーナメント進出国に与えられるオリンピック出場権を獲得した。しかし、オリンピック本大会ではドイツに2-3、ブラジルに0-2、ノルウェーに0-4で敗れてグループリーグ敗退となった。
2000年のシドニーオリンピック出場に照準をあわせた宮内聡率いる日本女子代表は、1999年6月に五輪予選を兼ねてアメリカ合衆国で開催された開催された第3回FIFA女子世界選手権に出場。カナダとの初戦は1-1で引き分けたもののロシアに0-5、ノルウェーに0-4で敗戦しシドニーオリンピックの出場権を逃した。その結果日本国内での女子サッカーへの関心は瞬く間に低下してL・リーグの観客動員は急速な落ち込みをみせ、リーグからチームの脱退も相次いだ[2]。
上田栄治監督時代
2002年8月、マカオ男子代表の監督を務めていた上田栄治が代表監督に就任。10月に韓国で行なわれた第14回アジア競技大会では3位となった。
2003年6月にタイ・バンコクで開催された2003 AFC女子選手権に出場。第4回FIFA女子ワールドカップ・アメリカ大会のアジア地区予選を兼ねたこの大会では準決勝で北朝鮮に、3位決定戦で韓国に敗れて4位となり、残る出場枠を賭けてメキシコ(北中米カリブ海地区)との大陸間プレーオフ(ホーム・アンド・アウェー方式)に回ることとなった。7月5日にメキシコシティのエスタディオ・アステカで行なわれたアウェー戦は2-2の引き分けに終わったが、7日後の7月12日に12,743人の観客を集めて国立競技場で行われたホーム戦は澤穂希と丸山桂里奈のゴールにより2-0で勝利しワールドカップ出場権を獲得[3]。この試合はマスメディアに大きく取り上げられ、女子サッカーが再び注目されるきっかけとなった。本大会ではアルゼンチンとの初戦でFW大谷未央がハットトリックを決め6-0で勝利したもののドイツに0-3、カナダに1-3で敗れグループリーグ敗退となった。
2004年4月に出場チームが10に拡大したアテネオリンピックのアジア枠2を決める大会「AFC女子サッカー予選大会2004」が日本で開催され、日本は1次リーグでベトナムに7-0、タイに6-0で圧勝して1位で通過。北朝鮮との準決勝は国立競技場に31,324人の観客を集めて行なわれ[4]、荒川恵理子や大谷未央がゴールを決めて3-0で勝利し2大会ぶり2度目のオリンピック出場を決める[5]。なお、決勝は中国に0-1で敗戦し準優勝となった。
オリンピック本大会前の7月にはチームの愛称がなでしこジャパンに決定した。そして、8月に開催されたオリンピック本大会ではグループステージ初戦でスウェーデンに1-0で勝って本大会初勝利を収め、続くナイジェリア戦では0-1で敗れたが、他グループ3位との総得点差で初の決勝トーナメント進出を果たした。準々決勝でアメリカと対戦し1-2で敗れベスト8に終わったが、チームは3試合を通して「警告・退場者ゼロ」により「フェアプレー賞」を受賞した。
アテネオリンピックにおけるなでしこジャパンの活躍によって女子サッカーは広く認知されるようになり、国内トップリーグの日本女子サッカーリーグの人気も再上昇した。また、オリンピック後にはリーグ名の新愛称「なでしこリーグ」が採用され、2005年より「なでしこスーパーカップ」[6]、2007年より「なでしこリーグカップ」が開催されるなど、「なでしこ」は女子サッカーのブランド名として活用されている。
また、ユニバーシアード日本女子代表はユニバーシアードの2003年大邱大会で銀メダル、2005年イズミル大会で銅メダルを獲得した。このイズミル大会では本田美登里が男女・各年代通じて日本初の「女性代表監督」として采配をとった。
大橋浩司監督時代
2004年10月に前月に退任した上田の後任に大橋浩司が新監督として就任。就任後初の試合となった12月18日のチャイニーズタイペイ戦は11-0で勝利と上々のスタートを切った。なおこの試合のチラシやプログラム、応援用のブルーシートにはナデシコの花をイメージした模様がはじめて描かれた。
2006年7月にオーストラリアで開催された2006 AFC女子アジアカップに出場。翌年に開催される2007 FIFA女子ワールドカップのアジア予選をかねたこの大会で準決勝で地元オーストラリアに、3位決定戦で北朝鮮に敗れて4位に終わり、出場権をこの時点で獲得できず大陸間プレーオフに回ることとなった。その一方で12月にカタールの首都・ドーハで行われた第15回アジア競技大会では阪口夢穂、永里優季ら新戦力が活躍し、グループリーグで中国を破り決勝トーナメント進出。決勝の北朝鮮戦では0-0のままPK戦に突入するも敗れて準優勝となった。
2007年3月にFIFA女子ワールドカップの出場権をかけた大陸間プレーオフで2003年と同様にメキシコとホーム・アンド・アウェーで対戦。ホームで行なわれた第1戦は2-0で勝利し、アウェーで行なわれた第2戦は1-2で敗れたものの2試合合計3-2で勝利し出場権を獲得。また、4月から8月に行われた北京オリンピックアジア予選では5勝1分の1位でオリンピック出場権を獲得した。
9月、中国で開催されたFIFA女子ワールドカップではグループリーグA組となり、初戦でイングランドと引き分け、続くアルゼンチン戦には勝利したものの最後のドイツ戦で敗北しグループリーグ敗退となった。この大会では日中関係の問題から日本選手に対し会場のブーイングが多かったが、ドイツ戦終了後には「謝謝」(ありがとう)と書かれた横断幕を揚げ、中国メディアから称賛された[7]。
佐々木則夫監督時代
2008年
2007年12月7日、大橋の任期満了による退任に伴い、コーチを務めていた佐々木則夫が監督に就任した[8]。2008年2月に行われた東アジアサッカー女子選手権2008では3戦全勝で初優勝し、日本女子代表にとって初めての公式大会タイトル獲得となった[9][10]。続く5月末から6月初めにベトナムで行なわれた2008 AFC女子アジアカップでは準決勝で中国に敗れたものの[11]、3位決定戦でオーストラリアに快勝して3位となった[12](澤穂希が大会MVP、チームはフェアプレー賞を受賞した)。
8月に行なわれた北京オリンピックは、グループリーグ初戦でニュージーランドに2-2で引き分け[13]、続くアメリカ戦では0-1で敗北したが[14]、第3戦のノルウェー戦で5-1の勝利で2大会連続でグループリーグを突破[15][16]。準々決勝の中国戦は2-0で勝利し初のオリンピックベスト4進出を果たすも[17]、準決勝でアメリカに2-4で敗れ[18]、3位決定戦ではドイツに0-2で敗れて4位に終わりメダルを逃した[19]。
2010年
2010年1月、チリで行われたコパ・ビセンテナリオ2010に参戦。5カ国による総当たり戦を3勝1分の成績で優勝した。
東アジア女子サッカー選手権2010は前大会に続き3戦全勝で2連覇を達成。5月に中国で開催された2010 AFC女子アジアカップでは準決勝でオーストラリアに敗れたものの3位決定戦で地元中国に勝利し翌年のFIFA女子ワールドカップの出場権を獲得(安藤梢が大会得点王を獲得)。11月に中国の広州で行われた第16回アジア競技大会では無失点で決勝へ進出し、前大会王者の北朝鮮を1-0で下し初優勝した。
2011年
2011年3月、ポルトガルで開催された女子ナショナルチームの国際大会「アルガルヴェ・カップ2011」に参加。グループリーグ初戦でアメリカに1-2で敗北したもののフィンランドとノルウェーに勝利してグループリーグ2位となり、3位決定戦でスウェーデンに2-1で勝利し3位となった。
6月末よりドイツで開催されたFIFA女子ワールドカップでは、グループリーグB組でイングランドには敗れたもののニュージーランドとメキシコに勝利し、2位で決勝トーナメント進出を決めると[20]、準々決勝で開催国ドイツに延長戦の末1-0で[21]、準決勝でスウェーデンに3-1で勝利して初の決勝進出を果たす[22][23]。アメリカとの決勝戦は延長戦終了時点で2-2の同点でPK戦に突入し、3-1で勝利して大会初優勝(男女を通じてもアジア勢では初)を果たす(チームはフェアプレー賞を、澤が大会最優秀選手賞と大会得点王を受賞)[24][25]。FIFA主催の世界大会で日本代表が優勝したのは男女・年代別通じてこれが初めてとなった。決勝戦はフジテレビ系列およびNHK-BS1で生放送され、フジテレビの視聴率は前半部分(午前3時35分 - 5時)が平均11.8%、後半部分(午前5時 - 6時30分)は平均21.8%(瞬間最高27.7%)、NHK-BS1では関東地区において平均10.7%を記録した[26]。
大会中チームは試合後に同年3月11日に発生した東日本大震災に対する世界からの支援へ感謝を表す横断幕を掲げて会場より拍手を受けたが、各国メディアは復興への思いも勝利へのモチベーションとなっていると分析、なでしこジャパンの素早いパスサッカー[27] とともに、その戦いぶりを賞賛した[28][29]。なでしこジャパンはこの優勝により、国際Aマッチの代表ユニフォーム左胸エンブレム上にワールドカップ優勝回数を示す「星」を、そして右胸には直近のワールドカップ優勝国であることを示すチャンピオンエンブレム(2015年ワールドカップ開催まで)を付け加える栄誉も獲得した。8月2日には日本政府から国民栄誉賞授与(団体に対しては初)と女子サッカー支援充実の検討も発表された[30]。
9月、中国で行われたロンドンオリンピックアジア予選では4勝1分の1位でロンドンオリンピック出場権を獲得、11月3日には女子団体スポーツでは初の紫綬褒章が授与され[31]、12月1日には愛称の「なでしこジャパン」が新語・流行語大賞年間大賞を受賞した[32]。アメリカのスポーツサイト・FOXスポーツが発表した「FOX Soccer 2011: Top 10 Teams of 2011(2011年サッカーベストチームTOP10)」において第1位に選ばれた[33]。
2012年
2011年度のFIFA年間表彰式において澤がFIFA女子最優秀選手賞を、佐々木監督がFIFA女子最優秀監督賞を受賞した(どちらもアジア人が受賞するのは初めて)[34]。
3月のアルガルヴェ・カップ2012ではグループリーグでノルウェーとデンマークに勝利し、アメリカとの最終戦でも勝利して初の決勝進出を果たすも、決勝でドイツに3-4で敗れ準優勝となった。
7月のロンドンオリンピックではグループリーグ初戦でカナダに2-1で勝利し、続くスウェーデンと南アフリカ相手にはいずれも0-0の引き分けであったが1勝2分の2位で3大会連続でグループリーグを突破。準々決勝でブラジルに2-0、準決勝でフランスに2-1で競り勝って初の決勝進出を果たし、決勝でアメリカに1-2で敗れたものの銀メダルを獲得した。男女通じてオリンピックのサッカー競技で日本がメダルを獲得したのは1968年メキシコシティーオリンピックで獲得した銅メダル以来44年ぶりとなった。
2014年
2014年5月、ベトナムで開催された2014 AFC女子アジアカップでは、海外組の主力選手を招集できず国内組中心の選手構成で出場、グループリーグを2勝1分で突破し翌年のワールドカップ出場権を得ると、準決勝の中国戦では延長戦を制し5大会ぶりに決勝に進出。決勝では前回王者のオーストラリアを破り、15回目の出場でアジアカップ初優勝を成し遂げた(宮間あやが大会MVPを受賞)。
2015年
2015年3月、ポルトガルで開催されたアルガルヴェ・カップ2015に出場、グループCのリーグ戦では1勝2敗となりグループ3位となったため9位決定戦に回り、アイスランド戦に2-0と勝って9位となった[35]。
2015年6月、カナダで開催された2015 FIFA女子ワールドカップに出場、グループリーグではスイス、カメルーン、エクアドルと対戦し3戦全勝で決勝トーナメントに進出[36][37][38]、ノックアウトステージ1回戦でオランダに2-1で勝利[39]、準々決勝のオーストラリア戦は1-0で勝利してベスト4に進出[40]、準決勝でイングランドを2-1で破り決勝へと進んだ[41]。決勝ではアメリカに前半16分までに0-4とリードされ、2-5で敗れて準優勝で大会を終えた[42]。
2016年
男子高校生等を相手にした練習試合を組んだ一方国際試合を組まなかったのに加え、20人の登録メンバーの内2011年ワールドカップ優勝と翌年のロンドン五輪銀メダルメンバーが12人[43]と新陳代謝が進まなかった影響で、2月から3月にかけて大阪市で行われたリオデジャネイロオリンピックサッカーアジア最終予選で初戦のオーストラリアに1-3で敗れるとその後も韓国戦では後半39分に川澄のクロスに岩淵がゴールキーパーと競り合いながら押し込んで先制するも一度は収めた筈のクロスボールを後半25分に絶体絶命のPKを止めた福本が熊谷と交錯してファンブルしてしまった末押し込まれて試合終了間際に引き分けに持ち込まれ、中国戦でも川村優理のバックパスを田中が福本とお見合いをしている間に奪われてミスから失点し、後半13分にミドルシュートを決められ反撃はその後返した1点のみ。最初の3戦で1分け2敗と大きく出遅れた事が祟り結局2勝1分2敗の3位、2000年のシドニーオリンピック以来2位以内に与えられる2016年リオデジャネイロオリンピック出場権を[44]失い2大会連続メダルが五輪予選敗退でなくなった。そして佐々木則夫監督は3月10日で監督退任となった[45]。
高倉麻子監督時代
2016年4月27日、佐々木前監督の退任に伴い、後任にU-20サッカー日本女子代表監督の高倉麻子が就任、日本のA代表では男女通じて初の女性監督となった[46]。
2017年12月、日本で開催されたEAFF E-1サッカー選手権2017 決勝大会で第1戦の韓国、第2戦の中国に勝利したものの、第3戦の朝鮮民主主義人民共和国に敗れ、通算成績2勝1敗の準優勝で大会を終えた[47]。
2018年3月に発表されたFIFAランキングでは11位に後退し、2007年12月以来約10年ぶりにトップ10から外れた[48]。同年4月、ヨルダンで開催された2018 AFC女子アジアカップ(2019 FIFA女子ワールドカップ予選)ではグループリーグを2位で通過して準決勝に進出し、規定により5位までに与えられるワールドカップの出場権を獲得した[49]。
愛称
2004年から採用されているなでしこジャパンの由来は、アテネオリンピックアジア予選として行われた「AFC女子サッカー予選大会2004」の際に「大和撫子」(やまとなでしこ)という言葉がよく使われたことと、その大和撫子が「世界に羽ばたき、世界に通用するように」との願いを込めて「大和」が「ジャパン」となったものである。
採用のきっかけは日本サッカー協会(JFA)の女性スタッフ[50] の提案で、「日本代表という呼称は男子のイメージ。オーストラリア女子代表はMatildas(マティルダス)の愛称で親しまれており、日本女子代表も愛称を使えば認知度も高まり女子サッカー発展につながる」というものであった。JFAでも日本サッカーの発展には女子サッカーの発展が必須との考えで、キャプテン・ヘッドクオーターズ (CHQ) において女子サッカー活性化に積極的に取り組み、2004年5月14日に女子代表愛称の募集を開始した。約2,700通の応募から2回の予備選考を経て下記の審査委員会による最終選考が行なわれ、その結果7月5日に愛称が「なでしこジャパン」に決定(発表は7月7日)、7月30日のキリンチャレンジカップ・カナダ戦(国立霞ヶ丘競技場)から採用された。なお、なでしこジャパンはアテネオリンピック終了後の2005年3月11日に商標登録されたほか、2004年と2011年には新語・流行語大賞候補にノミネートされ、2011年には年間大賞に選ばれた。
愛称の候補として次点(優秀賞)には日本サッカー協会のシンボル八咫烏(やたがらす、やたのからす)にちなんだ「ヤタガールズ」、またユニフォームカラーのブルーにladyの頭文字エル (L) やドリーム(夢)を組み合わせた「エルブルー」や「ドリームブルー」があった[51]。
女子代表の現在のユニフォームデザインは男子代表と共通だが、男子代表では赤が使用されている首下や脇下のラインなどの部分にナデシコの花の色であるピンクが使用されている。
成績
国際大会におけるトーナメント戦などでPK戦まで突入した場合は、勝敗関わらず公式記録上では引き分けとして扱われる。
FIFA女子ワールドカップ(FIFA女子世界選手権)
開催国 / 年 | 成績 | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 差 |
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1991 | グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 0 | 3 | 0 | 12 | -12 |
1995 | ベスト8 | 4 | 1 | 0 | 3 | 2 | 8 | -6 |
1999 | グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 1 | 2 | 1 | 10 | -9 |
2003 | グループリーグ敗退 | 3 | 1 | 0 | 2 | 7 | 6 | +1 |
2007 | グループリーグ敗退 | 3 | 1 | 1 | 1 | 3 | 4 | -1 |
2011 | 優勝 | 6 | 4 | 1 | 1 | 12 | 6 | +6 |
2015 | 準優勝 | 7 | 6 | 0 | 1 | 11 | 8 | +3 |
2019 | 出場権獲得 | - | - | - | - | - | - | - |
合計 | 出場8回/優勝1回 | 29 | 13 | 3 | 13 | 36 | 54 | −18 |
各大会の試合詳細
第1回FIFA女子世界選手権(1991年)[52] | |||||
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日程 | ラウンド | 対戦国 | スコア | 得点者 | 会場 |
11月17日 | GL | ブラジル | ●0-1 | 仏山新広場体育場(仏山) | |
11月19日 | GL | スウェーデン | ●0-8 | ||
11月21日 | GL | アメリカ合衆国 | ●0-3 | ||
第2回FIFA女子世界選手権(1995年)[53] | |||||
日程 | ラウンド | 対戦国 | スコア | 得点者 | 会場 |
6月5日 | GL | ドイツ | ●0-1 | ティングヴァラIP (カールスタード) | |
6月7日 | GL | ブラジル | ○2-1 | 野田朱美(2点) | |
6月9日 | GL | スウェーデン | ●0-2 | アロスヴァレン(ヴェステロース) | |
6月13日 | 準々決勝 | アメリカ合衆国 | ●0-4 | ストレームヴァレン(イェブレ) | |
第3回FIFA女子世界選手権(1999年)[54] | |||||
日程 | ラウンド | 対戦国 | スコア | 得点者 | 会場 |
6月19日 | GL | カナダ | △1-1 | 大竹奈美 | スパータン・スタジアム(サンノゼ) |
6月23日 | GL | ロシア | ●0-5 | シビック・スタジアム(ポートランド) | |
6月26日 | GL | ノルウェー | ●0-4 | ソルジャー・フィールド(シカゴ) | |
第4回FIFA女子ワールドカップ(2003年)[55] | |||||
日程 | ラウンド | 対戦国 | スコア | 得点者 | 会場 |
9月20日 | GL | アルゼンチン | ○6-0 | 大谷未央(3点) 澤穂希(2点) 山本絵美 | コロンバス・クルー・スタジアム(コロンバス) |
9月24日 | GL | ドイツ | ●0-3 | ||
9月27日 | GL | カナダ | ●1-3 | 澤穂希 | ジレット・スタジアム(フォックスボロ) |
第5回FIFA女子ワールドカップ(2007年)[56] | |||||
日程 | ラウンド | 対戦国 | スコア | 得点者 | 会場 |
9月11日 | GL | イングランド | △2-2 | 宮間あや(2点) | 上海虹口足球場(上海) |
9月14日 | GL | アルゼンチン | ○1-0 | 永里優季 | |
9月17日 | GL | ドイツ | ●0-2 | 杭州黄龍体育中心(杭州) | |
第6回FIFA女子ワールドカップ(2011年)[57] | |||||
日程 | ラウンド | 対戦国 | スコア | 得点者 | 会場 |
6月27日 | GL | ニュージーランド | ○2-1 | 永里優季 宮間あや | FIFA女子ワールドカップスタジアム・ボーフム(ボーフム) |
7月1日 | GL | メキシコ | ○4-0 | 澤穂希(3点) 大野忍 | FIFA女子ワールドカップスタジアム・レバークーゼン(レバークーゼン) |
7月5日 | GL | イングランド | ●0-2 | FIFA女子ワールドカップスタジアム・アウクスブルク(アウクスブルク) | |
7月9日 | 準々決勝 | ドイツ | ○1-0(延長) | 丸山桂里奈 | FIFA女子ワールドカップスタジアム・ヴォルフスブルク(ヴォルフスブルク) |
7月13日 | 準決勝 | スウェーデン | ○3-1 | 川澄奈穂美(2点) 澤穂希 | FIFA女子ワールドカップスタジアム・フランクフルト(フランクフルト) |
7月17日 | 決勝 | アメリカ合衆国 | △2-2 ○3-1(PK戦) | 宮間あや 澤穂希 (PK戦成功者) 宮間あや 阪口夢穂 熊谷紗希 | |
第7回FIFA女子ワールドカップ(2015年) | |||||
日程 | ラウンド | 対戦国 | スコア | 得点者 | 会場 |
6月8日 | GL | スイス | ○1-0 | 宮間あや | BCプレイス・スタジアム(バンクーバー) |
6月12日 | GL | カメルーン | ○2-1 | 鮫島彩 菅澤優衣香 | |
6月16日 | GL | エクアドル | ○1-0 | 大儀見優季 | ウィニペグ・スタジアム(ウィニペグ) |
6月23日 | KS R16 | オランダ | ○2-1 | 有吉佐織 阪口夢穂 | BCプレイス・スタジアム(バンクーバー) |
6月27日 | 準々決勝 | オーストラリア | ○1-0 | 岩渕真奈 | コモンウェルス・スタジアム(エドモントン) |
7月1日 | 準決勝 | イングランド | ○2-1 | 宮間あや オウンゴール | |
7月5日 | 決勝 | アメリカ合衆国 | ●2-5 | 大儀見優季 オウンゴール | BCプレイス・スタジアム(バンクーバー) |
オリンピック
1996年アトランタ大会より女子サッカーがオリンピックの正式種目となった。男子サッカーは1992年バルセロナ大会より23歳以下(U-23)の大会となったが、女子はワールドカップと同じくA代表が参加する。
1996年アトランタ大会と2000年シドニー大会は、開催国と前年のFIFA女子世界選手権の上位7チームが参加するものとされ、1995年世界選手権でベスト8入りしたことで1996年アトランタオリンピックの出場権を得たものの、1999年世界選手権ではベスト8入りを逃し2000年シドニーオリンピックの出場権は得られなかった。2004年アテネ大会以降は各地区の予選を突破したチーム(2004年アテネ大会は10チーム、2008年北京大会以降は12チーム)が参加する。
開催国 / 年 | 成績 | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 差 |
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1996 | グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 0 | 3 | 2 | 9 | -7 |
2000 | 予選敗退 | |||||||
2004 | ベスト8 | 3 | 1 | 0 | 2 | 2 | 3 | -1 |
2008 | 4位 | 6 | 2 | 1 | 3 | 11 | 10 | +1 |
2012 | 準優勝 | 6 | 3 | 2 | 1 | 7 | 4 | +3 |
2016 | 予選敗退 | |||||||
2020 | 開催国 | |||||||
合計 | 出場5回 | 18 | 6 | 3 | 9 | 22 | 26 | -4 |
各大会の試合詳細
アトランタオリンピック(1996年)[58] | |||||
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日程 | ラウンド | 対戦国 | スコア | 得点者 | 会場 |
7月21日 | GL | ドイツ | ●2-3 | 木岡二葉 野田朱美 | Legion Field(バーミングハム) |
7月23日 | GL | ブラジル | ●0-2 | ||
7月25日 | GL | ノルウェー | ●0-4 | ロバート・F・ケネディ・メモリアル・スタジアム(ワシントンD.C.) | |
アテネオリンピック(2004年)[59] | |||||
日程 | ラウンド | 対戦国 | スコア | 得点者 | 会場 |
8月11日 | GL | スウェーデン | ○1-0 | 荒川恵理子 | パンテサリコ・スタジアム(ヴォロス) |
8月14日 | GL | ナイジェリア | ●0-1 | カライスカキス・スタジアム(ピレウス) | |
8月20日 | 準々決勝 | アメリカ合衆国 | ●1-2 | 山本絵美 | カフタンゾグリオ・スタジアム(テッサロニキ) |
北京オリンピック(2008年)[60] | |||||
日程 | ラウンド | 対戦国 | スコア | 得点者 | 会場 |
8月6日 | GL | ニュージーランド | △2-2 | 宮間あや(PK) 澤穂希 | 秦皇島オリンピック・スポーツセンター・スタジアム(秦皇島) |
8月9日 | GL | アメリカ合衆国 | ●0-1 | ||
8月12日 | GL | ノルウェー | ○5-1 | 近賀ゆかり オウンゴール 大野忍 澤穂希 原歩 | 上海体育場(上海) |
8月15日 | 準々決勝 | 中国 | ○2-0 | 澤穂希 永里優季 | 秦皇島オリンピック・スポーツセンター・スタジアム(秦皇島) |
8月18日 | 準決勝 | アメリカ合衆国 | ●2-4 | 大野忍 荒川恵理子 | 北京工人体育場(北京) |
8月21日 | 3位決定戦 | ドイツ | ●0-2 | ||
ロンドンオリンピック(2012年)[61] | |||||
日程 | ラウンド | 対戦国 | スコア | 得点者 | 会場 |
7月25日 | GL | カナダ | ○2-1 | 川澄奈穂美 宮間あや | シティ・オブ・コヴェントリー・スタジアム(コヴェントリー) |
7月28日 | GL | スウェーデン | △0-0 | ||
7月31日 | GL | 南アフリカ共和国 | △0-0 | ミレニアム・スタジアム(カーディフ) | |
8月3日 | 準々決勝 | ブラジル | ○2-0 | 大儀見優季 大野忍 | |
8月6日 | 準決勝 | フランス | ○2-1 | 大儀見優季 阪口夢穂 | ウェンブリー・スタジアム(ロンドン) |
8月9日 | 決勝 | アメリカ合衆国 | ●1-2 | 大儀見優季 |
アルガルヴェ・カップ
日本は第18回大会(2011年)で初参加となった。
開催国 / 年 | 成績 | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
2011 | 3位 | 4 | 3 | 0 | 1 | 9 | 3 |
2012 | 準優勝 | 4 | 3 | 0 | 1 | 8 | 5 |
2013 | 5位 | 4 | 2 | 0 | 2 | 4 | 4 |
2014 | 準優勝 | 4 | 2 | 1 | 1 | 4 | 5 |
2015 | 9位 | 4 | 2 | 0 | 2 | 7 | 5 |
2017 | 6位 | 4 | 2 | 0 | 2 | 7 | 5 |
2018 | 6位 | 4 | 2 | 0 | 2 | 6 | 9 |
合計 | 出場7回 | 28 | 16 | 1 | 11 | 45 | 36 |
シービリーヴス・カップ
日本は第4回大会(2019年)で初参加。
開催国 / 年 | 成績 | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
2019 | 3位 | 3 | 1 | 1 | 1 | 5 | 6 |
合計 | 出場1回 | 3 | 1 | 1 | 1 | 5 | 6 |
トーナメント・オブ・ネイションズ
日本は第1回大会(2017年)で初参加。
開催国 / 年 | 成績 | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
2017 | 3位 | 3 | 0 | 1 | 2 | 3 | 8 |
2018 | 4位 | 3 | 0 | 0 | 3 | 3 | 8 |
合計 | 出場2回 | 6 | 0 | 1 | 5 | 6 | 16 |
AFC女子アジアカップ(AFC女子選手権)
日本は第4回大会(1981年)で初参加。第6回大会(1986年)以降は全てベスト4以上の成績を残している。
開催国 / 年 | 成績 | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1975 | 不参加(代表結成前)[62] | |||||||
1977 | ||||||||
1979 | ||||||||
1981 | グループリーグ敗退 | 3 | 1 | 0 | 2 | 1 | 3 | |
1983 | 不参加[63] | |||||||
1986 | 準優勝 | 4 | 2 | 0 | 2 | 14 | 4 | |
1989 | 3位 | 5 | 4 | 0 | 1 | 37 | 1 | |
1991 | 準優勝 | 6 | 4 | 1 | 1 | 27 | 6 | |
1993 | 3位 | 5 | 4 | 0 | 1 | 29 | 4 | |
1995 | 準優勝 | 5 | 4 | 0 | 1 | 27 | 2 | |
1997 | 3位 | 5 | 4 | 0 | 1 | 33 | 1 | |
1999 | 4位 | 6 | 4 | 0 | 2 | 36 | 6 | |
2001 | 準優勝 | 6 | 4 | 0 | 2 | 30 | 5 | |
2003 | 4位 | 6 | 4 | 0 | 2 | 34 | 4 | |
2006 | 4位 | 5 | 3 | 0 | 2 | 19 | 6 | |
2008 | 3位 | 5 | 3 | 0 | 2 | 19 | 7 | |
2010 | 3位 | 5 | 4 | 0 | 1 | 16 | 2 | |
2014 | 優勝 | 5 | 4 | 1 | 0 | 16 | 3 | |
2018 | 優勝 | 5 | 3 | 2 | 0 | 9 | 2 | |
合計 | 出場16回/優勝2回 | 76 | 52 | 4 | 20 | 347 | 56 |
アジア競技大会
開催国 / 年 | 成績 | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1990 | 準優勝 | 5 | 3 | 1 | 1 | 17 | 8 |
1994 | 準優勝 | 4 | 2 | 1 | 1 | 9 | 3 |
1998 | 3位 | 5 | 3 | 0 | 2 | 18 | 7 |
2002 | 3位 | 5 | 3 | 1 | 1 | 8 | 3 |
2006 | 準優勝 | 5 | 4 | 1 | 0 | 21 | 1 |
2010 | 優勝 | 4 | 3 | 1 | 0 | 6 | 0 |
2014 | 準優勝 | 6 | 4 | 1 | 1 | 28 | 3 |
2018 | 優勝 | 5 | 5 | 0 | 0 | 14 | 2 |
合計 | 出場8回/優勝2回 | 39 | 27 | 6 | 6 | 121 | 27 |
EAFF E-1フットボールチャンピオンシップ(東アジア女子サッカー選手権・女子東アジアカップ)
開催国 / 年 | 成績 | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
2005 | 3位 | 3 | 0 | 2 | 1 | 0 | 1 |
2008 | 優勝 | 3 | 3 | 0 | 0 | 8 | 2 |
2010 | 優勝 | 3 | 3 | 0 | 0 | 7 | 1 |
2013 | 準優勝 | 3 | 1 | 1 | 1 | 3 | 2 |
2015 | 3位 | 3 | 1 | 0 | 2 | 5 | 6 |
2017 | 準優勝 | 3 | 2 | 0 | 1 | 4 | 4 |
合計 | 出場6回/優勝2回 | 18 | 10 | 3 | 5 | 27 | 16 |
国別対戦成績
2019年4月4日フランス戦終了時
アジアサッカー連盟(AFC)[64] | ||||
---|---|---|---|---|
対戦相手国 (地域) | 試 | 勝 | 引 | 敗 |
韓国 | 30 | 16 | 10 | 4 |
北朝鮮 | 24 | 7 | 5 | 12 |
中国 | 40 | 16 | 7 | 17 |
チャイニーズタイペイ | 22 | 15 | 1 | 6 |
タイ | 13 | 12 | 0 | 1 |
ベトナム | 12 | 12 | 0 | 0 |
フィリピン | 4 | 4 | 0 | 0 |
オーストラリア | 27 | 11 | 8 | 8 |
香港 | 8 | 8 | 0 | 0 |
インドネシア | 2 | 2 | 0 | 0 |
インド | 4 | 3 | 0 | 1 |
マレーシア | 2 | 2 | 0 | 0 |
ネパール | 2 | 2 | 0 | 0 |
シンガポール | 2 | 2 | 0 | 0 |
ウズベキスタン | 2 | 2 | 0 | 0 |
グアム | 3 | 3 | 0 | 0 |
ミャンマー | 2 | 2 | 0 | 0 |
ヨルダン | 4 | 4 | 0 | 0 |
合計 | 203 | 123 | 31 | 49 |
オセアニアサッカー連盟(OFC)[64] | ||||
対戦相手国 (地域) | 試 | 勝 | 引 | 敗 |
ニュージーランド | 9 | 7 | 2 | 0 |
合計 | 9 | 7 | 2 | 0 |
アフリカサッカー連盟(CAF) | ||||
対戦相手国 (地域) | 試 | 勝 | 引 | 敗 |
ナイジェリア | 3 | 2 | 0 | 1 |
南アフリカ共和国 | 1 | 0 | 1 | 0 |
ガーナ | 2 | 2 | 0 | 0 |
カメルーン | 1 | 1 | 0 | 0 |
合計 | 7 | 5 | 1 | 1 |
欧州サッカー連盟(UEFA) | ||||
対戦相手国 (地域) | 試 | 勝 | 引 | 敗 |
イタリア | 8 | 1 | 0 | 7 |
ドイツ | 13 | 1 | 1 | 11 |
フランス | 8 | 3 | 0 | 5 |
スウェーデン | 13 | 5 | 3 | 5 |
ロシア | 6 | 4 | 0 | 2 |
イングランド | 6 | 1 | 2 | 3 |
ノルウェー | 9 | 6 | 0 | 3 |
チェコ[65] | 1 | 0 | 0 | 1 |
スロバキア | 1 | 1 | 0 | 0 |
フィンランド | 2 | 1 | 0 | 1 |
ハンガリー | 1 | 1 | 0 | 0 |
オーストリア | 1 | 1 | 0 | 0 |
デンマーク | 8 | 5 | 1 | 2 |
オランダ | 7 | 4 | 0 | 3 |
スコットランド | 2 | 2 | 0 | 0 |
ポルトガル | 1 | 1 | 0 | 0 |
アイスランド | 3 | 3 | 0 | 0 |
スイス | 2 | 2 | 0 | 0 |
スペイン | 1 | 0 | 0 | 1 |
ベルギー | 1 | 0 | 1 | 0 |
合計 | 94 | 42 | 8 | 44 |
北中米カリブ海サッカー連盟(CONCACAF) | ||||
対戦相手国 (地域) | 試 | 勝 | 引 | 敗 |
アメリカ合衆国 | 36 | 1 | 8 | 27 |
カナダ | 13 | 6 | 3 | 4 |
メキシコ | 8 | 6 | 1 | 1 |
コスタリカ | 1 | 1 | 0 | 0 |
合計 | 58 | 14 | 12 | 32 |
南米サッカー連盟(CONMEBOL) | ||||
対戦相手国 (地域) | 試 | 勝 | 引 | 敗 |
ブラジル | 10 | 5 | 2 | 3 |
アルゼンチン | 4 | 4 | 0 | 0 |
コロンビア | 1 | 1 | 0 | 0 |
チリ | 1 | 0 | 1 | 0 |
エクアドル | 1 | 1 | 0 | 0 |
合計 | 17 | 11 | 3 | 3 |
全試合合計 | 388 | 202 | 57 | 129 |
実績
世界レベル
FIFA女子ワールドカップ
優勝 (1):2011
オリンピック
準優勝 (1):2012
アルガルヴェ・カップ
準優勝 (2):2012、2014
大陸レベル
AFC女子アジアカップ
優勝 (2):2014、2018
アジア競技大会
優勝 (2):2010、2018
地域レベル
EAFF E-1フットボールチャンピオンシップ
優勝 (2):2008、2010
記録
2019年4月4日フランス戦終了時:(#)は現役選手。
出場数
位 | 名前 | キャップ数 | 代表招集期間 |
---|---|---|---|
1 | 澤穂希 | 205 | 1993 - 2015 |
2 | 宮間あや | 162 | 2003 -2016 |
3 | 大野忍 (#) | 139 | 2003 -2016 |
4 | 永里優季 (#) | 132 | 2004 -2016 |
5 | 安藤梢 (#) | 126 | 1999 -2015 |
6 | 阪口夢穂 (#) | 124 | 2006 - |
7 | 岩清水梓 (#) | 122 | 2006 -2016 |
8 | 池田(磯﨑)浩美 | 119 | 1997 - 2008 |
9 | 加藤(酒井)與恵 | 114 | 1997 - 2008 |
10 | 宇津木瑠美 (#) | 112 | 2005 - |
フルランキングはサッカー日本女子代表出場選手参照。
得点
位 | 名前 | 得点数 | キャップ数 | 代表招集期間 |
---|---|---|---|---|
1 | 澤穂希 | 83 | 205 | 1993 - 2015 |
2 | 永里優季 (#) | 58 | 132 | 2004 -2016 |
3 | 長峯かおり | 49 | 64 | 1983 - 1996 |
4 | 大野忍 (#) | 40 | 139 | 2003 -2016 |
5 | 宮間あや | 38 | 162 | 2003 -2016 |
6 | 大谷未央 | 31 | 73 | 2000 - 2007 |
7 | 木岡二葉 | 30 | 75 | 1981 - 1996 |
8 | 高倉麻子 | 29 | 79 | 1984 - 1996 |
大竹奈美 | 46 | 1993 - 2000 | ||
阪口夢穂 (#) | 124 | 2006 - |
歴代監督
市原聖曠(1981年)※1981 AFC女子選手権およびポートピア'81時の監督
折井孝男(1984年)※中国遠征時の監督
鈴木良平(1986年 - 1989年)
鈴木保(1989年 - 1996年)
宮内聡(1997年 - 1999年)
鈴木保(1999年)※1999 AFC女子選手権時の監督
池田司信(2000年 - 2002年)
上田栄治(2002年 - 2004年)
大橋浩司(2004年 - 2007年)
佐々木則夫(2007年 - 2016年)
高倉麻子(2016年 - )
年代別代表チームの戦績
ユニバーシアード女子代表
U-20女子代表
U-17女子代表
脚注
- ^ ab永見将人、大盛周平 兵庫のなでしこたち第1部 奮闘30年の軌跡 (1)神戸で代表戦 神戸新聞 2012.5.15
^ 永見将人、大盛周平 兵庫のなでしこたち第1部 奮闘30年の軌跡 (4)代表の使命 神戸新聞 2012.5.18
^ FIFA WWC 2003 Prel. Comp. Play-off AFC/CONCACAF FIFA.com
^ 【アジア地区最終予選:日本女子代表 vs 北朝鮮女子代表】現地レポート:日本女子サッカーの未来を背負った女性たちの大舞台 J's GOAL 2004.4.25
^ “日本の誇り「ガールズ・イン・ブルー」”. ジェレミー・ウォーカーの A View From a Brit. (2004年4月29日). http://jeremy.footballjapan.jp/2004/04/post_f413.html 2012年8月23日閲覧。
^ 2008年に廃止
^ 女子サッカー日本代表の横断幕に、ブーイングの中国反省 asahi.com 2007.9.26付記事
^ なでしこジャパン(日本女子代表チーム)新監督に佐々木 則夫氏が就任! JFA公式サイト. 2007.12.7付、2018年3月4日閲覧。
^ 【東アジア女子サッカー選手権2008 決勝大会】なでしこジャパン、東アジアを制しチーム史上初のタイトル獲得! JFA公式サイト. 2008.2.24付、2018年3月4日閲覧。
^ 東アジア女子サッカー選手権2008 決勝大会 結果 JFA公式サイト、2018年3月4日閲覧。
^ 【AFC女子アジアカップ ベトナム2008】なでしこジャパン、中国女子代表に逆転で敗れる JFA公式サイト. 2008.6.5付、2018年3月4日閲覧。
^ 【AFC女子アジアカップ ベトナム2008】なでしこジャパン、オーストラリアに再び快勝し、3位で大会を締めくくる JFA公式サイト. 2008.6.8付、2018年3月4日閲覧。
^ 北京オリンピック2008 予選グループG第1戦 vsニュージーランド 試合結果 JFA公式サイト. 2008.8.6付、2018年3月4日閲覧。
^ 北京オリンピック2008 予選グループG第2戦 vsアメリカ 試合結果 JFA公式サイト. 2008.8.9付、2018年3月4日閲覧。
^ 北京オリンピック2008 予選グループG第3戦 vsノルウェー 試合結果 JFA公式サイト. 2008.8.12付、2018年3月4日閲覧。
^ なでしこ5発で8強!次は中国/サッカー 日刊スポーツ. 2008.8.13付、2018年3月4日閲覧。
^ なでしこ4強進出、中国に快勝/サッカー 日刊スポーツ. 2008.8.16付、2018年3月4日閲覧。
^ なでしこ先制も米に4失点完敗/サッカー 日刊スポーツ. 2008.8.19付、2018年3月4日閲覧。
^ なでしこメダル獲得ならず/サッカー 日刊スポーツ. 2008.8.21付、2018年3月4日閲覧。
^ なでしこジャパン、喜びと悔しさが交錯するベスト8 強烈なインパクトも1位通過ならず スポーツナビ: 2011年7月6日
^ 実は失速の可能性もあったなでしこ。前W杯王者のドイツ代表撃破の裏側。 NumberWeb: 2011年7月12日
^ なでしこジャパン、歓喜の決勝進出。スウェーデン戦での意外な選手起用。 NumberWeb: 2011年7月14日
^ なでしこジャパンを導く日替わりヒロイン 苦労も失敗もすべてを糧に頂点へ スポーツナビ: 2011年7月14日
^ 笑顔で世界の頂点に立ったなでしこ。最強アメリカを倒した“折れない心”。 NumberWeb: 2011年7月18日
^ 澤のゴールが示した「あきらめない心」 なでしこジャパンの快挙と進むべき道 スポーツナビ: 2011年7月18日
^ “なでしこ”歓喜のW杯決勝 早朝に平均視聴率21.8%、瞬間最高は27.7% ORICON 2011年7月19日
^ 海外メディアの中には、なでしこジャパンのパスサッカーを「女子サッカーのバルセロナ("the Barcelona of women's football")」と評していたところもあった。 England face tough test against skilful Japan at World Cup(ガーディアン 2011年7月3日)
^ なでしこ優勝に歓喜と称賛の声が続々世界が伝えた日本の快挙 スポーツナビ: 2011年7月18日
^ なでしこ快挙の陰に隠れたアメリカの負けっぷりの良さとフェアネスの精神~日本称賛を続けた米メディア ダイヤモンドオンライン: 2011年7月19日
^ 官房長官記者発表 平成23年8月2日(火)午前 首相官邸サイト
^ なでしこに「紫綬褒章」佐々木監督「光栄に思う」 スポーツニッポン 2011.11.2付記事
^ 「なでしこジャパン」流行語大賞 国民栄誉賞など5冠目 スポーツニッポン 2011.12.2付記事
^ http://msn.foxsports.com/foxsoccer/premierleague/lists/2011-review-top-team-soccer-teams-uswnt-japan-barcelona-real-madrid-123111#photo-title=Japan&photo=30507132 FOX Sports on MSN Jan 1, 2012 1:39 AM ET
^ FIFAバロンドール2011 澤穂希選手がFIFA女子年間最優秀選手賞を受賞 日本サッカー協会、2012年1月10日
^ なでしこ、アイスランド下し9位 アルガルベ杯順位決定戦 日本経済新聞 2015年3月11日閲覧
^ なでしこジャパン、最後まで耐えてスイスに1-0で勝利~グループステージ第1戦 JFA公式サイト. 2015.6.9付. 2018年2月12日閲覧。
^ なでしこジャパン カメルーン女子代表に2-1で勝利し、ラウンド16進出決定~グループステージ第2戦~ JFA公式サイト. 2015.6.13付. 2018年2月12日閲覧。
^ なでしこジャパン、エクアドル女子代表を1-0で破り、グループC首位突破~グループステージ第3戦~ JFA公式サイト. 2015.6.17付. 2018年2月12日閲覧。
^ なでしこジャパン、オランダ戦勝利でベスト8進出 ~FIFA女子ワールドカップ R16~ JFA公式サイト. 2015.6.24付. 2018年2月12日閲覧。
^ なでしこジャパン、オーストラリアに快勝で4強進出 JFA公式サイト. 2015.6.28付. 2018年2月12日閲覧。
^ なでしこジャパン、イングランド戦勝利で決勝進出 JFA公式サイト. 2015.7.2付. 2018年2月12日閲覧。
^ なでしこジャパン、アメリカに敗れて大会準優勝 ~FIFA女子ワールドカップ決勝~ JFA公式サイト. 2015.7.6付. 2018年2月12日閲覧。
^ 福本、近賀、岩清水、鮫島、熊谷、田中明日菜、阪口、宮間、大儀見(永里時代も含めて)、川澄、大野、岩渕である。
^ 中国が勝利、なでしこジャパンの予選敗退決定…4大会ぶりに五輪出場逃す - 2016年3月7日 サッカーキング
^ なでしこ、佐々木監督が正式に退任、18日に会見…輝かしい功績もリオ五輪出場逃す - 2016年3月11日 サッカーキング
^ なでしこ新監督に高倉麻子氏決定 男女通じて初の女性A代表監督誕生 スポーツニッポン. 2016年4月27日付、2018年4月17日閲覧。
^ なでしこジャパン、DPR Koreaに敗れ3大会ぶりの優勝はならず ~EAFF E-1サッカー選手権2017決勝大会~ JFA公式サイト. 2017.12.16付、2018年4月17日閲覧。
^ 日本、11位に後退=サッカー女子世界ランク 時事ドットコム. 2018.3.23付、2018年4月17日閲覧。
^ なでしこジャパン オーストラリアと1-1で引き分けるも準決勝進出とワールドカップ出場を決める ~AFC女子アジアカップヨルダン2018~ JFA公式サイト. 2018.4.14付、2018年4月17日閲覧。
^ サッカー日本女子代表チーム 『愛称』=なでしこジャパン=に決定!! - 日本サッカー協会機関誌「JFAnews 2004年8月情報号(通巻244号)」14ページ
^ “サッカー日本女子代表チーム『愛称』決定”. J’sGOALニュース. https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/jsgoal/detail.php?press_code=00009272&keyword=%E3%81%AA%E3%81%A7%E3%81%97%E3%81%93&team=&year=2004 2018年4月14日閲覧。
^ 出場選手については1991 FIFA女子ワールドカップ日本女子代表を参照。
^ 出場選手については1995 FIFA女子ワールドカップ日本女子代表を参照。
^ 出場選手については1999 FIFA女子ワールドカップ日本女子代表を参照。
^ 出場選手については2003 FIFA女子ワールドカップ日本女子代表を参照。
^ 出場選手については2007 FIFA女子ワールドカップ日本女子代表を参照。
^ 出場選手については2011 FIFA女子ワールドカップ日本女子代表を参照。
^ 出場選手についてはアトランタオリンピック日本選手団を参照。
^ 出場選手についてはアテネオリンピック (2004年) 日本選手団を参照。
^ 出場選手については北京オリンピック日本選手団を参照。
^ 出場選手についてはロンドンオリンピック (2012年) 日本選手団を参照。
^ ただし、1977年大会でFCジンナンが日本代表として参加したとの記録あり ISBN 4-00-700120-0 がんばれ!女子サッカー(岩波アクティブ新書)巻末資料
^ アジアサッカー連盟(AFC)非公認で開催という理由で参加取りやめ
- ^ abオーストラリア、チャイニーズタイペイは在籍時の対戦結果のみ
^ チェコスロバキアの頃に対戦
なでしこジャパンを題材にした作品
- 「凛と咲く なでしこジャパン30年目の歓喜と挑戦」(著・日々野真理 ISBN 4584133379)
- 「証言ドキュメント 永遠に咲け なでしこジャパン 日本女子サッカーの30年」(NHK BS1)
- 「消えたなでしこ」(西村京太郎・十津川警部シリーズ)
関連項目
- サッカー日本代表
- 女子サッカー
- 日本女子サッカーリーグ
外部リンク
- なでしこジャパン | JFA|公益財団法人日本サッカー協会
なでしこジャパン (@jfa_nadeshiko) - Twitter
日本女子代表 歴代記録 - JFA公式サイト
Member Association - Japan - FIFA公式サイト(英語)
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サッカー日本女子代表 - 歴代選手 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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