パリ条約 (1947年)
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パリ条約(パリじょうやく、英語:Paris Peace Treaties)は、第二次世界大戦の平和条約のひとつで、1947年2月10日に締結。旧枢軸国イタリア、ルーマニア、フィンランド、ブルガリア、ハンガリーの各国ごとに連合国21か国と結ばれた一連の条約を指す。
目次
1 概要
2 領土
3 賠償金
4 関連項目
5 外部リンク
概要
以下の旧各枢軸国ごとに平和条約がつくられており、同日に調印がなされた。
- Treaty of Peace with Bulgaria(ブルガリア平和条約)
- Treaty of Peace with Finland(フィンランド平和条約)
- Treaty of Peace with Hungary(ハンガリー平和条約)
- Treaty of Peace with Italy(イタリア平和条約)
- Treaty of Peace with Roumania(ルーマニア平和条約)
5国がそれぞれ軍備制限を受け賠償金を課された(下記「賠償金」参照)。
領土
原則的に1939年9月以前の国境線に戻すこととなった。ただしファシスト政権時代にイタリアが獲得した地域や、フィンランドやルーマニアがソビエト連邦との合意によって割譲した地域の回復は含まれない。
イタリアの領土の内、タンドおよびアルプスの国境地域の一部がフランス領となった。また、戦前に獲得していたフィウーメ(現リエカ)はユーゴスラビアへ、またトリエステはトリエステ自由地域となった。ロドス島をはじめとするドデカネス諸島(イタリア領エーゲ海諸島)はギリシャ領となった。さらに、サセーノ島に関する請求権を放棄し、アルバニア領と認める。
- さらにイタリアは、海外植民地の権利をすべて失う。ただし、最終的な帰属画定は行われず、中でもイタリア領ソマリランドはイギリスの占領下に置かれたものの1950年にイタリアの信託統治地域となり、1960年のソマリア独立まで続いた。
フィンランドはペッツァモなどの領土をソビエト連邦に割譲するモスクワ休戦協定の合意を確認した。
ナチス・ドイツの主導によるウィーン裁定およびクラヨーヴァ条約は無効となった。これにより、ハンガリーがチェコスロバキアから獲得していた南スロバキア、ルーマニアから獲得していた北トランシルバニアはそれぞれ返還が定められた。ただし、カルパティア・ルテニアに関してはソビエト連邦の一部となっている。また、ブルガリアがルーマニアから獲得していた南ドブロジャは領有が認められた。
賠償金
旧枢軸国は、以下の賠償金の支払いに合意した(いずれも1938年価格)。
イタリアは、ユーゴスラビア、ギリシャ、ソビエト連邦、エチオピア、アルバニアへ3億6,000万ドルを支払う。
フィンランドは、ソビエト連邦へ3億ドルを支払うモスクワ休戦協定の内容を確認(後に完済)。
ハンガリーは、ソビエト連邦、チェコスロバキア、ユーゴスラビアへ3億ドルを支払う。
ルーマニアは、ソビエト連邦へ3億ドルを支払う。
ブルガリアは、ギリシャとユーゴスラビアへ7,000万ドルを支払う。
「戦争賠償」も参照
関連項目
- その他のパリ条約
ドイツ最終規定条約 - ドイツに対する講和条約
サンフランシスコ講和条約 - 日本に対する講和条約- 欧州戦線における終戦 (第二次世界大戦)
外部リンク
- Australian Treaty Series 1948 No 2